ニートアカデミア(哲学) 無職長征一万光年旅記

獣の時代を生きるニートもいつか寂しくなるよにんげんだもの。

2023年1月5日

生きている限り、食べる喜び、動く歓び、寝る悦びを楽しめるってこと。

 

お風呂入って食べて寝てオナニーするだけの毎日を生きた報告。

 

「虎は千里を往く」というし、

「兎は寂しいと死んじゃう」というし、

「猿は死ぬまでオナニーする」というけど。

言いたい放題じゃない?

 

 

 

世界は変わると言うけれど

ロシアとウクライナの戦争がニートの生活に与える影響とは?
ロシアとウクライナの戦争がニートの生活に与える影響とは?

参考・「ロシアのウクライナ侵攻開始から300日、両軍の動向を地図で解説」BBCニュース 

ニートは父王の死と相続後の世界

 

ここ2年くらいはなんだかんだで、

家のことばかりしていた。

 

親父のガンが判明してから、全部を相続の期間にしていたわけじゃないけど、それでもなんだかんだで2年くらい経っていたんやね。あっという間やね。おせんべ食べるかい。みたいな感じでもう。

 

相続の実務というより、

「気持ち」が「家の中」に向かう感じ。

 

只でさえ「ひきこもりニート」という気質は「意識が内向的かつ想像的で内向きになりやすい」のに加えてなんですからね。

 

死んでいく親のこととか、

残される親のこととか、

妹家族のこととか、

自分のこととか。

 

そんな事を考えながら、相続の実務をしつつ、疲れるから「スーパーガール」とか観るわけじゃん。そんでよく食べてよく寝るわけじゃん。ほんで「孤独のサバイバー」とか「氷点下で生きる人たち」とかアウトドア番組観ながら自分の死期にも想いを馳せたりするじゃん。

 

そうしたら2年経つじゃん。

 

それがアラサーじゃん。そうした光速の素粒子が運動する時空で生きてるわけじゃん我々は。

家宰相ニートとして実直に政務をしていたんだ!

 

獣の時代を生きようよ

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:La_B%C3%AAte_de_la_Mer.jpg
七つの頭と十本の角を持つ竜が十本の角と七つの頭を持つ獣に権威を与えるシーン

参考・「黙示録の獣」Wikipedia 

 

動物的な欲を満たすフツーの生活。

 

それが獣の時代。

 

10代の頃とか、特に若ければ若いほど「燃え尽きるほどのナニカ」とか「史上空前のナニカ」にのみ憧れてそれ以外は全く価値が無いと断ずるエクスキューショナーモードに成りがちだけど。理想を描いたマンガとかゲームとかそんな綺麗なものばかりを浴びせかけられてモリモリと育ってきているからね。

 

「腹が減ったときに食べるうまいご飯」がそこにある毎日に感謝だわ。

 

今は。

 

それは確実なことだもの。「好きなご飯が旨い」というその瞬間は確かで確実で揺るぎがない圧倒的な事実なのだもの。

 

「遥か遠き理想郷とナニカ」を追いかけ続けた果てに倒れ込んだ荒野で、ニート故のしぶとさ故に死ぬことなくその地で生活することになろうとも、「好きなご飯が旨い」というその瞬間は常に幸福なのだものね。

 

それが「旨い」理由には、「そもそも好きだから」とか「腹減ってるから」とか「寒いときに温かいラーメンだから」とか「プロブロガーとして食べれるから」とか「動き続けてやるだけやって開き直ったあとの1杯だから」というようなスパイスが降りかかってはいるのだけど。

 

 

思想や思索的なことは別にした「ケモノ的な生活」ができるんだから。

 

人間という動物である以上、「そうした喜び(ケモノとしての動物的喜び)」を天より授かって来ていることを、ときめきメモリアルな10代あたりの頃には忘れがちになってしまうけども。衣食住が足りすぎた裕福な時代だったから?その反面キレイなものばかり浴びてきているから?そんなんはなんでもよいけど。

 

 

好きなだけ寝て、

カフェオレしながらネットサーフィンして、

ご飯食べてHulu観て、

ジョギングで汗流して、

茹で上がるまでのお風呂上がりに生まれたてのコンコルディアを演じながら虚空を見つめて賢者タイムしてまた爆睡する毎日ができるんだからさ。

 

ヒトという動物としてこの世に存在している以上、こうした「基本的な喜びを楽しめる能力が生まれつきに備わっている(ケモノとしての動物的喜び)」ということを忘れてはならないのであるありがとうございました。

網戸から吹く風に揺られて猫と一緒に昼寝しちゃうのがぐう気持ち良いんだよ(春と秋)

 

こんなに落ち着いた日々は生涯初ではないか?

気づいたらなんだか眠くなってきて猫と寝っちゃう幸福

 

ここ数年はそんな「獣の時代を楽しむ日々」と「家の中のことをしている日々」でしたね。

 

というお話。

 

 

それはその数年間が「飯が食える状態のプロブロガー」だった期間とイコールするからね。ほんで「やるだけやってきた10年間の果て」であったことも、獣賢者タイムを形成した要因だったようにも思う。つまり成果と義務を果たしたという達成感のあとの打ち上げ状態だったから。

 

いつも理想と焦燥感に焼き殺されてきたから。

無職ひきこもりニートのお雛さん時代は。

 

それだから落ち着いてなんかいられない。ケツに火がついたような状態で追い立てられている感覚。でも働かない。そこは理想があるから。それがニートの宿命(サダメ)。そうした縛りプレイの中を10年間やり続けてきた疲労もある。

 

ニートってグータラしてるわけじゃないんだよね。

ただボトルネックがひどいだけよね。

(自論)

 

このブログで解明して行っていることだし世論的にも自明になっていることだけど。妙な能力の高さなどはあるんだけど、どこか極端な弱点を持っているがゆえのひきこもりなどなど。別にノーストレスでグータラノンビリしていられるから無職ひきこもりニートなわけじゃないんよね。働きたくないのはそうだと思うけど(自論)

 

でも今はとりあえず生活費もあるし、疲れたし、自分を解放してやろう。

 

みたいな感じでゆっくりしていられたのかな。そもそもそれでやる気が出て更に邁進していくのが世の常なのかもしれないけど、そんなんニート人種にはカンケーありませんもんね。我々は常に休みたいんだもんね。グータラしてんじゃんね。

 

人としてフツーのことを楽しむのにも、メンドーな理由が必要なのが我々だもんね。

 

そこは「むしろ人間的」であるのかもしれないけど。自省的であったり責任感や羞恥心が強かったり思想的であったりなどなど。

 

でも今は、やるだけやったから好きにさせてやってる。

 

自分自身を許しているということなのか。だからなのか、ケモノ的な悦びをしっかり愉しめているのだと思いますありがとうございました。

 

「気持ちが良い」ことをやるのもまた正義である。

ファンザグレープ!

 

やっぱり飽きちゃうんだわ

たまにソロ焼肉イケるようになったニートの成長力に感謝
たまにソロ焼肉イケるようになったニートの成長力に感謝

 

やっぱりね。

 

こればかりは、この自分自身の性なのかニートの特性なのか人間自体の性質なのかはわからないところだけど、「それだけ一辺倒の状態」というのは飽きる。贅沢なことだけど(?)ここらへんの現象は人間であればフツーのことで、NEETに分けてみても個体差あると思うのだけど、

 

とにかく自分の場合には飽きる。

一辺倒はいつも飽きるのだ。

 

それだから毎度毎度フェニックスが転生するように、

なにか新しいことをしてみたくなる。

 

そうやって当たり始めた数々の人気企画を途中で放り出しては沈めてきたブロガーなのである。(疑義があり)それでも自分は楽しいのである。システムを構築するまでは楽しいのだけど、形式化しちゃうと途端に飽きて、頭の中が火星に飛んでいってしまうのである。いつだって作業は苦痛なのである。

実際は「思ってるよりもうまくいかないし手詰まりだから止まっちゃう」のが正解だけど

 

お家の内政問題も終わったから

庭木の根っこを熱源とした庭キャンで暖まるニート

 

基本ニートにとっての「お家」とはキングダム。

もう「王国」よ。

 

 

そして自分はその国の宰相よ。家宰よ。そういうことで気分を高めないと家事という名の政務は取り仕切れないよ。

 

次代の王位はママン。

その後はシスターのファミリーへ。

 

そういうお世継ぎと相成りましたよ。このニートめは宰相として円滑なお世継ぎ問題を執行するのが努めなのです。そんなことでも言うてゲーム感覚にしてなきゃ面白くないよ。

 

それでも不動産関係はすべて母親と妹で登記してるわけだから実際のところ。

 

気持ち的には「母と妹の面倒をみる」というのが親父に対する使命なんだと定めて、相続と言うか家のことをやってきた。これからもある程度はやるけど、「家のことはやった」という「区切り」はつけたい。

 

家の管理をしやすくDIYリフォームしたり、

 

妹にアパートの運営の仕方を教えたり(?)

信用できる業者と繋げたり(?)、

 

甥っ子たちと遊んだり、

 

母親とよく話したり。

 

家の駐車場をタテに拡大してバスしか嬉しくないようにする工事をしてるよ。

 

 

家も庭だけ広くてね。駐車場はタテに広いだけで使い勝手悪いのに。庭なんて子供の頃以来みんな使ってないからね。最近になってニートが庭キャンして癒やしに使われてたけど目の前に建売住宅できると言うからグレートニートウォールフェンス張り巡らせてしまった。でも庭木の処理とか草取りとか、年々面倒で飽きてくるし、母親だって年々歳取っていくわけだから管理が楽な状況を作っていかなくちゃいけないということで、最近はお家の簡素化カスタマイズリフォームをしてたり。

 

アパートの敷地に防草シート敷く労働。
アパートの敷地に防草シート敷く労働中。

 

 

妹のアパートにしても、なにせやる気が皆無でお金が振り込まれることしか興味がない子なもんでとりあえずはニートが管理している状況からスタート。確定申告もそうだけどニートも初めてなんだけどゲーム感覚になれるから妹よりはできちゃう。でもニートのじゃないから彼女が自分自身で管理していかなきゃいけない。その後はその子ども達に行くわけだから、自覚を持ってしっかりとアパートの管理人さんをやっていってもらえるように、これからはもうサポートするだけ。

 

お庭で全て事足りちゃうニートのクソムーブ。
庭プールのあと夜花火のゴールデンムーブ
佐渡金山でゴールドラッシュ

 

 

小学生の甥っ子たちにしても、今しか遊べない気がしている。よく慕って遊びに来たがる今しか遊んでやれないかもしれない。だからよく遊ぶようにしてる。いろいろ買ってやることもあるし、お年玉あげたり。ニートの子供の頃の親戚付き合いでお年玉くれたの伯父さんだけだから良い思い出になっとるわけだからね。いつだって「良い思い出」は裏切らない。

 

ニートが寝るなら猫も寝るよそりゃ。

 

 

母親も新しい人生が始まってる。35年間連れ添った夫を亡くすわけだから。いま60代で。姉(ニートの伯母さん)も夫を2年前に失くしてて、「結婚前に戻っちゃったね」とか言ってたけど。そう言われるとすべてが幻でもあったかのような印象受けるけど、我々30代の子どもたちが存在していることで現実に引き戻されるような。そんなフワフワした時期なんですよ今はまだ。

 

話し相手が激減するんだよね。夫を亡くすと。

 

ニートも話すし妹家族も話すし自分の姉とか居るんだけど、常に横にいる「パートナー」みたいな存在ではないから。それでいてニートみたいに「基本的に自分だけの世界に入り込める」というタイプでもないとなると、これは厳しいみたい。寂しいと泣いたりするけど。

 

だからできるだけ話すようにしてるけど。限界はあるかな。

 

そんでYouTubeで遊ぶことを教えた。子供に与えがちなオモチャみたいになったけど。そしたらどっかのおっさんのメンバーシップに入りたいとか言い出してる。物悲しい。

 

人間そんなにやることないもんね。

何もやろうとしなければ。

 

何かやることを定めて向かっているときは、寂しくないんだよ。やることがあるから。考えてるから。思っているから。

 

やることがなくなると途端に寂しい。

 

そりゃ身近な存在がいなくなる寂しさもあるだろうし、話し相手がいない寂しさもあるだろうけどね。やることあればそこまで気にならんというのもある。進んでいくしかないんだから。

世のおっさんユーチューバーが未亡人を救う世界にようこそ2023年

 

やることがなくなると途端に寂しい

庭木の根っこを熱源とする庭焼き鳥(ネギマ)中のニート

 

ニートも特にこの1年は忙しかった。

親父は死んだけど。

 

やること多くて。

相続もそうだし家の事もそうだし。

それはむしろ楽しいくらいに。

 

毎日予定があって、考えたり指示したり休んだり、M1優勝者くらいに予定がパンパン。親父の死を契機にして伯父さんとかよく関わる人も増えたし。むしろ、というよりフツーに面白かった。

 

家の中でなんの結果が出るかも出ないかもわからない壁打ちブログをやってるのにも飽きてたから(?)

 

これは数年前からの認識で声に出してることだから今思ってることじゃないけど。ブログ自体は合ってるしむしろ愛しているんだけど、もうある程度は飽きてるんだよね。予定調和的というか。目指し甲斐のあるものがないというか。自分のマーケティングセンスのなさにもよるのだけど。

 

相続とか家のことはすべてダイレクトに結果出るからね。

そりゃ面白いよね。

 

というか、

普段何気なくしていることはすべて成果出るからね。

 

家事でも掃除でも家族と話すことでも、買い物でもお付き合いでも、食べることでも寝ることでもオナニーすることでもさ。

 

そうした毎日の一挙手一投足が楽しいと思える。

 

ガンで明日死ぬ人みたいな心境とシンクロしてるみたいな。身近な存在を失うとそういうことも思えるし。ニートが大腸がんの疑いあったときもそんなこと思ったし。あるいは、そうしたガンで明日死ぬ人みたいな心境とシンクロさせてくれるのも「ブログ爆死時代」の灰燼の如き価値なわけ。

 

 

やるだけやっておくと、

獣の時代を愉しめる。

 

このブログで証明できたことの一つとして遺せるよ。

それでも生きているので人生は続きます

 

やることないんやわ

重機に乗り込む稀有なニートの画

 

とにかくもうやることない。家のことも獣としても。

 

いや、これからもある程度は継続的にお家の宰相として政務をとるつもりだけど基本的な形は作ったので大きく変革させることは当分ないだろうし(?)、日常的な喜びに関してもこれまたフツーにお楽しむつもりなんだけどね。その点に重心をおいてこれからを過ごしていくということではないという話。だって飽きちゃったんだから。

 

途端にやることなくなって、ちょっと寂しい。

 

忙しさがなくなってから、だんだんと親父のことも考えるようになったり。

子供の頃は怖いだけだったけど、純血ニート時代に店番しながらよく話したし、「孝行したいときに親はなし」みたいな気持ちじゃない。ニートから挑戦しつづけてまったく上手くいかないから「もう一生ニートでいいわニートとして幸福に生きるわ」って切り替えてたからそのくらいの時期に家族とよく話してたもんで。

それでも「親父と伯父さんと重機乗り回して山にキャンプ場でも作って遊べたら良かったなあ」とか思うこともあるし、そうすると泣けてくるところはある。

ニートは免許ないけど。敷地内ならいいんじゃないの。泣けて来るけど。

 

 

やりたいことはある。その先に進めないだけで。

 

さすがに「この世に」出張ってきて10年も過ごしていれば、この世でのやりたいことも出てくるよ。この人の世でのね。リアル世界でのね。前世に等しいゲームや漫画世界でのみ生きていた頃の話じゃなく。(現代ではマンガゲーム世界とリアル世界があるのでリアル世界で生きるにはリアル世界で生活しないと何も欲望生まれないよ真理あるある言いたいよ)

 

でもそれは「やったことが上手くいって、その先に進める場合」の話。

 

なかなかその先に進む事ができない。自分の突破力の無さもだけど。それは別に「不幸」ってことじゃなくて。そもそもやれてることが割とすごいことだし(棒読み)、上手くいっていることもあるのだから。プロブロガーになったり。それは祝杯をあげるほど凄いことだと思ってる。だから不平を言うとるわけじゃなく、単に「進めんなー」という話。やりたいことは。まあやりたいこととやれることは違うとはよく言う。

 

だから「やりたいことを探したい」とかじゃなく。

 

いやあるに越したことないんだけど。もう探すとかそういうことじゃない。そういうのは面倒。「獣の時代」を生きちゃうと。「永遠の旅人」とかもうしんどい。

 

むしろもう死にたい。終わりたい。

出ましたそれがひきこもりニートのお家芸である「燃え尽き症候群」といった具合で転生時期を推し量れます。

 

ほんでやっぱりニートはしぶとい生き物なので死なないし。

それなら生きてるしかないし。

 

それなら生きているがゆえの悦びを謳歌しよう、

というのが獣の時代の生き方だし。

 

親父にしてもそうだけど、ガンで死んだわけでね。身体の痛みがあって、それから病院に行かない抵抗期間を消化しつつ結局は大病院でガン告知。それからホルモン治療などで半年くらいは良好な状態が続いたけれども、

 

味覚も変わってご飯が楽しめない。

毎日の運動もできない。

寝るのも一苦労。

 

そういう人間としての基本的な悦びが強制的にシャットダウンされていくんだよ。

 

 

ニートによる自店のラーメン再現企画ニートラーメンはなんとか美味しく食べれる期間だったからよかったけど。 

親父は伯父さんと仲良くて隠居したら一緒に重機振り回して遊ぼうとしてたけどそれもできなかった。山の木を切りに行ったら身体痛くて帰ってきちゃうとか、それで異変にだんだんと気づいていくという経緯で。

それでも死ぬ間際まで散歩だけは続けていて、死ぬ3日前までは歩けていたんだよね。

そんで死ぬ直前になると食欲が増してカレー爆食いした日があったとか。(死ぬための最後のパワーを身体の中で生み出しているのかな?)

コロナがあると面会もできないので病院に入院もしなかったから自分の家で過ごしてたんだけど。訪問の緩和医療はついてさ。(あれだけ弱いコロナがまだ2類にいること自体異常やわ)

さすがに2日前となると立てなかったけど。

カレー爆食いが嘘のようにプリンだけ食べてたとか。

 

周りの高齢者たちも70~80歳を過ぎてきているけど、

みんなどこかしら悪くなっている。

 

そもそも親父どころかそのお婆ちゃん(102歳)や母方のお爺ちゃん(90歳)も死んだ2022年で。

ニート家の祖父母世代最後の生き残りお婆ちゃん(84歳)も倒れて自由には動けないし。

重機伯父さんは元気だけど。(75歳)なんでか。身体の自由が効かなくなってるとか肩が痛えとか言うとるけど30代のニートより基本体力あるし。

ほんでもその奥さん(73歳)も定期的に病院通い。(早期のがんからの治療が続いてるとか?)

 

食べる喜び。

動く歓び。

寝る悦び。

お風呂入って上がって涼む慶び。

 

特に、

 

 

動く喜び。

 

 

(大勝利)

 

「身体が健康である」ってことがこんなにも幸福なことなんだと、わかっちゃいるけど、改めて思い知らされている。絶食放浪旅のときも大腸がん疑いのときも思うけど、過ぎちゃえば忘れるからいつも。それはまあしょうがないけど。

 

ニートとしてどうだとかじゃなく、

人間として大事なことだと思うわけ。

 

もうやることないとか死にたいとか終わりたいとかそんなんはいつものことだから程々にお付き合いしていけば良いことだけど、

 

 

今は身体が若くて健康で動かせるのに、

それを使わないのはもったいなさすぎる。

(腕は軽く壊れてるけど)

 

そう思ったわけ。

動く喜びを忘れないで(絶叫)

 

なんか新しいことしたい

佐渡金山でソフトクリームに金粉かけて豪遊してみたニート(400円)

 

なんか新しいことしたい(希望)

 

これから新しいゲームを始めるときのようなあのワクワク感を取り戻したい。

死にたがりの2009年にスターオーシャン3をやってナニカが目覚めた頃の閃きを。

ブログを始めたときのようなソワソワ感を。

少なくともそれで明日を変えられるという確信を。

 

 

ファイアーエムブレム風花雪月をやったときのような無感情は困る。

 

 

本当にこれは学びになったというか契機になったというか妙に衝撃的な案件だったが、やはり愛しのファイアーエムブレムが最後に教えてくれていたというのは運命だと思った。

 

大人になってワクワクしなくなって老化してるとかじゃないんだよ。

 

あるんだよ。今、ワクワクするものが。

 

「今の」ファイアーエムブレムがあるんだよ。

 

 

最新発売のファイアーエムブレムとかじゃなくて。

 

ここ数年間の余裕のある獣の時代を過ごしていて、

フツーに面白かったコンテンツとかあるから。

 

大人になって感度鈍って何も感じなくなっているわけじゃない。

 

ある程度はあるんだけどそれは。

経験積めば動じなくなるみたいなことで。

でも面白いと思えることはあるわけで。

 

これは世の中にあるものにハードル上げているわけじゃなく、

 

自然と愉しめるものを愉しめば良いというフツー。

 

昔の場所が変わっていたからと言ってこの世の全てに絶望していても仕方ない。

昔好きだったものが愉しめなくても世界の終わりじゃないし。

 

いま現在の自分が素直に楽しめることを楽しめば良いと思ってる。

 

 

「老後になると何も出来ないから」とかじゃなくてね。

オジサンたち見てても元気ならフツーに動いて楽しんでいるし。

 

 

生きていれば中年にもなるし後期高齢者にもなるわけだけど、そのとき楽しめるかどうかも、現在なにをするか、何をしてきたか、経験してきたか、積み上げてきたか、というのが大きく影響してくると思うし。

 

もう明日死ぬならどうするってくらい「今」をちゃんと生きたいところもあるし、

それでいて色んな経験を積んで「未来」の自分も助けたいし。

 

それでなくとも、

 

とにかく「今は動ける身体を持っている」のだから、

 

 

なんかしたい。

 

 

究極これだけ。

 

なんかしたい。

なんかしていたい。

 

じゃないと超絶ヒマ。

 

ゆったりしてるのにも飽きてきた流石に。

動いて疲れないとゆったり愉しめない。

 

結局その繰り返し。

 

「あとは勝手に死んでいる」にしても。

 

 

「いつもとは違う日になる。」

 

 

という明日への希望をみていたい。

 

 

「明日はなにやろうか。」

 

「こうしたら面白くなるかも。」

 

って目指していたいんだよ。

 

 

また若いこと言っているけど、

実際に若いし、

というか人間である以上はキホン的なことなのだと思う。

 

 

 

希望を握っていたいんだよ。

 

 

 

希望があれば生きられるんだよ。

 

 

 

人間には肉より希望が要るんだよ。

 

 

 

ホープなんだよホープ。

 

ホープフルステークスなんだよ。

 

 

買うはずだったホープフルSを忘れて単勝90倍を取り逃したの受け入れられないから当たったことにしている年末年始の狂気感じて

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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