「人生は経験でできている」のだ。
経験ができれば、
それすなわち
「生きた。」
ということだ。
趣旨
「やりたいことを死ぬ気で探す。」
金があれば生きられる。
だが経験がなければ金の使いみちは思いつかない。
だから金があるだけの人生は苦痛だ。
やりたいことがあれば死ぬまでそれをやっていればいい。
そうすればいつか勝手に死んでいるし、
活躍できたらさらに多くのことができるというだけ。
やりたいことがなければそもそも何も目指せない。
やることがない。
何の力もつかない。
なんの経験もない。
そして何も出来ない人生になる。
義務感と社会正義の為にだけ働けるか。
嫌なことをし続けて生きられるのか。
やりたいことは死んでも見つけなければならないのだ。
だがそれは案外楽しい。
サイト3大テーマがひとつ
【経験】
「やりたいことを死ぬ気で探す。」
ジンセイ×目標
何も見なければ何も思わないわけだ。
「やりたいことがない」のは「何も見ていないから」でもある。あるいは「何もしていないから」である。「やりたいことがない」のは悪いことではないかもしれない。確かに何かを好きになるという気持ちは強制されるものじゃないし、「無いならないで仕方ないよなあ」というのもまた道理だ。税金みたいな義務じゃないし。「好きな人がいなければ罪となります」なんて法律は存在しない。
でも人生はやりたいことがないと死刑になる気がする。
オレはそんな気がする。だってオレはやりたいことがなかったから。だから何もやる気が起きなかった。だから何もしなかった。だから何も出来なかった。何も経験できなかったから。だから20になった。何も出来ない20だった。何も出来ない20はどう生きるのだろう。
生きるということすらやりたくはないというのに。
シゲキ×経験
やりたいことを死ぬ気で見つけるのはべつに「生きる為」じゃあない。生きている間を愉しむため。生きなければならないとは全然まったく言っていない。「なぜ生きなくてはならないのか?」というものは人それぞれ。嫌なら死んでもいいだろうし、満足したなら死んでもいいだろうし。
だがなににせよ「あくまで生きる」以上はやりたいことがなければやっていけないというお話。
それはそのとき誰にでもわかるだろうけれど。
やりたいことだからやる気が出る→
何事も続く→
経験する工夫する成長する習得する事ができる→
経験として力になる→
何かができる人になる。
という自然な流れ。やりたいことがないとすべてはこの逆。
単なる衣食住のためだけに自分の気持ちをいつまで偽って嫌なことをやり続けられるだろうかというお話。
だから「生きるのにはお金が必要だからその稼ぎ方を勉強しなさい」というのと同じくらいに、「やりたいことを死ぬ気で見つけなければいけない」というのだ。でもさ、やりたいことを見つけるって楽しそうじゃないか。「ただ飯喰って寝て仕事するだけの毎日のためにこれから延々と嫌な仕事や勉強をしなければならないのか…」なんていう義務よりも。「自分の好きなことを見つける」という希望は。
やりたいことはそんなカンタンには見つからないけどゼッタイ見つかるね。
責任は取れないけどあえて言い切る。ゼッタイ見つかる。ゼッタイだ。責任は取れないがゼッタイだと言おう。オレは6年もがいて見つかった。だいたいは3年位で見当がついて、段々とフォーカスしていって「たぶんこれしかないだろう」というくらいまで絞ってきた。
そしてそれはやっぱり自分が好きなことだった。
わりと昔から興味のあったことだった。あるいはそれの延長。あるいはそれの表現手段を変えたもの。とにかくいろいろなことを無理やりにでも経験した。良いことも悪いことも面白いこともつまらないことも「やってみてはじめて」心で理解する。頭のなかで思っていることと起きることは同じだったが、その後に沸いて出てくる感情だけはちがった。「悔しい」という感情だけは違った。頭のなかで考えているそれにはなかった感情だった。勿論嬉しいというのもあったけどそれの50倍位は悔しいだった。でも意外と「辛い」は少なかった。だってそれは自分が好きで臨んでいるものだったから。
だからとにかく「なんでもやってみなければわからない」という古代からの格言に沿ってやってみたらいいのだ。
その大事さをすこしでも表現できたらいいと思うこのコーナーである。2百年後の新時代を生き、新しい生き方を余儀なくされているニュータイプの人類に贈ろうかな。この時代ではニートにすらこの思想は速すぎて敬遠されるようだし。
オンライン交流戦記 『モンハン餓狼伝~鉄のララバイ~』/2013年冬~
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『東京塩キャラメルロール納入記』/2015年初春
僕たちはいったい何が欲しかったんだろうか? お金を出して大都会東京の只中へバスに揺られてやってきた意味とは。これほどの無意味なアクションも無いのでは無いだろうかという冒険記。ネカフェ宿泊、野宿。未だに自分が何しに行ったのかを把握できないという事件。 僕たちはいったい何が欲しかったのだろうか? そう、それは塩キャラメルロール。
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ドゥラメンテ3歳牡馬鹿毛がG1競争皐月賞を制覇する。 なぜだか15歳の労働の日々が蘇る。 ボクはチャリを漕いでいた。 兄貴から譲り受けし通学用自転車にカスタムを施して日本ダービーへ向かう。 男には何をやってもダメな時がある。 自転車を漕ぐしかなくなる時が。
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ママチャリ闘山伝説/2016年春~
地元マッピングに伴う山道踏破は過酷を極め心が折れる。遂に男は禁断に手を染めようとしていた。ママチャリの700C化やギアの8速化などの鬼事にも手を染めて貯金は底をつくばかりの血で血を洗う20代の大馬鹿野郎が今日もゆく。
ドゥラメンテが教えてくれたこと。
ドラマにはならなかった究極のサラブレッド。ついに機が熟したとみられる『凱旋門賞』の制覇には出場すら出来なかった。それは遂に彼の役目ではなかった。日本競馬を進ませるのは彼ではなかった。三冠を目前にして骨折し、復帰したとて万全では走れず、彼はこうして競馬の歴史上は脇役となったわけだった。それでも彼が走ってくれた1年はそれだけで自然に前向きになれた。気力がそれだけで湧いた。ドラマにはならなかった馬だったけど、だからこそ「やり続けることの大事さ」を大きな喪失感とともに感情で教えてくれた。
曲や映画や本だってもちろんシゲキだ。
近年のジブンがシゲキされた作品一覧集
→これからの自分を創っていく影響をくれる「観たもの読んだものシゲキ」の一言メモ。
イイ曲
ザ・ムービー
本
【とあるニートの20代紀】無職が大事な若い時間をベットする闇のゲーム
色々と遊んじゃおうということでね。
「え?こんな時期に!?」
「大事な20代のこの時期に!?」
なんて声もいただいてるんですけど。
そういうね、 人としてとてもリスキーなね、
「死」と隣り合わせの遊びとなっております。
この歳であそびまくるにはそれなりの覚悟がいるんだよ。
もう闇のゲームと言っても過言じゃないんじゃない?
遊んだろうと。
遊びがまだまだ必要だと。
まだまだ自分を刺激してやらなければならないと。
人間、シゲキがなくなるとほんと身動き取れなくなるから。
同じ所をぐるぐるぐるぐると。
「無職」で「ニート」で「ひきこもり」ときてるんだから、もう人様とは別ルートを目指していかなきゃどうにもならんというわけで、
自分だけの経験をしようじゃないか。
「人生は経験でできている」のだ。
経験ができれば、
それすなわち
「生きた。」
ということだ。
そしてやがては死んでいくのだ。