デスペラードな愚か者時代 ニートアカデミア(哲学) 不登校ブログ

【ニートの恐怖】おまえ生きようとしたな?

2015年8月25日

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©「HUNTERXHUNTER」冨樫義博

 

1回死ぬと話がはやい。

 

たしかに凄惨な光景である。

だがそれは事態を一層明瞭にしこそすれ、これから目を背ける要因になってはならない。

それが危険なものであればあるほどに。

「戦争論(フォム・クリーゲ)」著/フォン・クラウゼヴィッツ

 

 

 

 

恐怖を見にいく

 

「死ねばいいか」

「どうなってもいい」

「カンケーねえし」 

「人と同じ生き方したくねえし」

「好きにやるよ」

 

と考えるその気持ちはきっと嘘じゃない。

だけど世の中には

 

「……昔はそう思っていましたが……今は人並な生活が欲しい」

 

というひとは多いのだ。

人間には未来のことはわからないからそれも致し方なしであって別段おかしなことではない。

 

だがはっきり言おう。

 

手遅れになる前に恐怖を直に見に行ってから好きにやろう。

 

お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ。

ナポレオン・ボナパルト

 

ニートの末路と日常をできるだけありありとイメージする。

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©「闇金ウシジマくん」真鍋昌平

頭の中で考えているほど現実は甘いものではないね。

自分の将来はどうなるのか?

20代になるなんて思いもしなかったってことはないだろうか?

ましてや30代なんて?

大丈夫。

20代に成れたら必ず50代もあるから。

病気や事故や自決で死なない限りは。

 

来るべきものはかならず来る。

 

来るべきものは来なければならず、それをいたずらに先延ばししたところで、それは結局、最悪の状態で最悪を迎えるということを未来に対して決定したに過ぎない。

アドルフ・ヒトラー

 

この言葉はナチスのヒトラーが「わが闘争」において語っているもので、普通は戦争したいが為の弁にしか聞こえなくなっているが、 言葉自体は心当たりがあればなんとも耳が痛いし、臨もうというのならば心が焼けるような名句。

 

「棚上げしておいてもそれは決して無くなったわけではない」

 

そしてそれは一番くるしい時期に同時にのしかかってくる負債。いくらいい加減に考えていても、自暴自棄になったとしても、 本当に自分の意志で自決できなければ50代にも60代にも成ってズルズル宙ぶらりんになって、

 

「遂には力の全て衰えた時に戦わされる」

 

という事態になりかねない。

 

いや、きっとなるだろう。

 

だがこのページは基本的には大したものではない。それは結局人それぞれだから、その人の気の持ちようであるわけで、それを軽く見てはいけないと思っている。

だが自分も含めてこうして実際の姿を見つめるというのは悪くないと思うので記しておこう。

 

引きこもり・ニートの末路

引きこもり・ニートの末路

ニートの末路5つ

ニートの一生

【絶望注意】ニート、フリーターに危機感を感じさせるコピペ

とても簡略化されたニートの行き先一般。
これでいいというならそれでいいぞ。

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20代 30代 50代のニートそれぞれの生き方

これが大体現在の自分たちの姿だ。大体ね。(「ニートとは何か」でこんなにタフじゃないとは定義したけども) それでいいならそれでいいぞ。


ネトゲ中毒の実態

ゲームにハマりすぎてもこうなるのか。 「ゲームをしよう!」て言ってる手前アレな事象だけどたしかにこれも現実。自分はゲームに夢中になれないから困っていたのだが。現実逃避の意味ではなくあくまで刺激として活用しようという話だけど。ハマる人はハマるのか。ソシャゲはハマったことあったぞ!ネットゲームより「やりきり型のRPG」推奨。


NHKスぺシャルフリーター漂流

いきなり働こうとしても早々簡単ではないという記録。「もう◯◯さん、これをやるしかない状況ですので…」 時間が経てば経つほどこのリスクは一般に高まるぞ。 それでいいならそれでいいぞ。


おじさん無職

おじさんが突然職を失っても困る。 ニートやひきこもりでなくともスキルがなければやってけないらしい。 それでいいならそれでいいという話でもなくなっている。


ホームレス青年

結局殆どの人は「普通」に憧れる様になるということらしい。ここまで来なければ人間ってわからない。どれだけ強がっていたって大体この感情をいつか知ることになる。「今やれることは無いか?」動いていたほうがいいかもよ。 勿論それでいいならそれでいい。

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34歳の貧弱引きこもり糞ニートが土方の仕事に就いた結果

やはりこれが人間。

結局キミやボクは人が良いと言っていることに素直に従うべきかもしれないぞ。

だからやるだけやったらお家に帰るんだ。

手遅れになる前に。

 

デスペラード
正気に戻ったらどうだい?
柵から下りてきて門をあけなよ
雨が降っているかもしれない
だけど君の頭上には虹が広がっている
誰かに愛してもらうんだ
今ならまだ間に合うのだから
 
 
Desperado, why don’t you come to your senses?
Come down from your fences, open the gate
It may be rainin’, but there’s a rainbow above you
You better let somebody love you, before it’s too late
 
ーThe Eagles「Desperado」

 

勿論、

それでいいならそれでいいのだ。

 

まあ「誰にでも起きうること」だけど。

これ等のことは別にニートやひきこもりでなくとも起きる現象であったりするから色々と出してみた。

 

「オレは働いてるから良かったーしね糞ニートどもが!!!!」なんて言ってるやつほど未来の為にスキルアップなんてやってないでフェイスブックに感謝ばっかりしてる。

 

おじさん無職をみても明らかなようにいつどうなるかなんてニートでなくても起きることだ。

 

人生における不都合や苦悩というものは自分自身の力が必要ということ。

自分を成長させて行かなければならないものでもあるということ。

 

運命に寄りかかっていれば普通に生きていたっていつか落ちていってしまうのだから。

 

ここではニートやひきこもりという枠にとどまらず

 

「成長する為に今やれることをやる」

 

という価値を考える必要があるのだ。

 

死の旅
(デスジャーニー)

デスジャーニー

最初はデスマーチとか呼んでいたがその単語はもう他にあるというからこういう呼び名としよう。

※デスマーチはラットレースのような意味で「死に向かって永遠に過重ストレス労働をする」ことらしい

 

つまり

 

一回死んでみよう。

 

とにかくすべてを先延ばしして、

死すらを先延ばししているとしたら、

さっさと実行してしまおうという話。

 

そうしなければ「全てを甘く見て棚上げして時間を空費するだけ」になってしまうんだよこれが。

 

一回見てこよう。

 

自分の死を。

 

人は危険が迫るとまずはそれを本能的に回避しようとする。

そしてそれが回避し得ないものだとわかると

途端に恐怖がやってくる。

「戦争論(フォム・クリーゲ)」著/フォン・クラウゼヴィッツ

 

つまり「本気」は「恐怖」を感じてから。

 

詳しくは「やることない体験記」の続きとしてまたいつかやるとして、

 

簡単にはこうである。

 

2週間ほど飲まず食わずの徒歩旅をしてきた

 

ということがある。

 

こういうことを言うと「大層なことを」と思うかもしれないが確かに大したことではない。

 

ただ死にに行っただけだ。

 

大したことではないかもしれないが決定的経験になった。

殆ど死ぬつもりだった。

もしくは

 

「何かやりたいなら何かやるだろうし、何もないなら死ぬだろう」

 

という簡潔な理由から。

 

とにかく進むこともせず終わることもなしな宙ぶらりんの状態に飽いて、

自分の今を正直に見つめ、

その空費と前途に恐怖し、

自分の全てを3ヶ月必死に見直し、

そして全てに納得して旅立った。

 

20と21の時だった。

 

計二回。最初は警察に捕まって帰されるというおちゃめさんをやらかしたのだけど、まだ納得いくほどの「底」を見ていないからということで再度出立したという子供の旅。

 

私は13歳からひきこもりだから自分の威勢に恐怖したのが20の時と早かったのかもしれない。

 

ひきこもりと言っても18までは働いていた。家と仕事場の往復しかしてなかったということでひきこもり。18からニート。

 

13歳で人と違う道に入った時から「自分は何がしたいんだろう?」と考え続けてきた。

 

人が新しい刺激と出会い自分の意志などお構いなしに様々な奔流にもまれて「経験」をしている期間、自分はずーっと内面世界と対面していたわけだから恐怖を感じるのも早かったのかもしれない。

 

「将来にやりたいこともなかったから 嫌な労働もしたくなかったし死ぬことだけが救いだった。」

「やりたいこともないのに もう飽きてしまったゲームや飯食って寝るだけの生活の為に こんなに嫌な労働をしなきゃいけないのか。」

「しかし働いてもいないのに生きてることは出来ない。そうなる前に死のう。働かざるもの食うべからずだから。それくらいの美徳はある。」

 

簡単にいえば私の威勢はこれだった。

 

ちなみに数十年働いている母親ですら客と喧嘩して仕事を辞めてきた時には 「もう働かなくなったから食べない」と気張っていた。もう50にもなる人が今まで働いてきたのにそこまでする必要はないと思ったけど。

 

「今役に立たない」という理由から「社会の中で子どもと老人を一番下に置く」それは蛮族の思考で、文明国の思考では先人たちは今までの労孝に敬意を払われて当然なのにね。立派といえば立派だが。

 

でも中途半端に歳だけ経ってしまう。

 

今まで嫌なこともやってきて、学校、仕事、全て嫌々やってきて、ようやくすべてが終わった。 だから最後の時間は大いに楽しもうと少し休むことにした。

 

仕事をやめて自由な時間を楽しもうとした。

死ぬまでに。だってもうすぐ死ぬから。

そうして中途半端に歳だけ経ってしまう。

 

2年が過ぎていた。

 

良いことなのか悪いことなのか、 仕事期間の後半からあった「生きる意味がわからない」鬱状態はこの期間に解消された。

漫画見たりアニメ見たり運動したりゲームをとりあえずしていたからだ。 それも大したものではなかったが、

「苦役をしなくてよかった」から最悪追い詰められなかったのだろうね。 いや生きる意味は分からなかったのだけど。

 

「そんなものはケツから出てくるもんと恐ろしく似てやがる」

 

ってことらしいけど。

30、40も過ぎれば。

みんな言ってる。

生きる意味なんてどうでもいいから働けと。

 

だがそうは言っても日に日に焦燥感が募る。

20を過ぎても、

ひょっとしたら30に成ってもこんな状態だけは絶対に御免だと恐怖した。

 

恐怖したのだ。

はっきり言えば。

 

何にかはよくわからないが、

 

それは「死」にではなく「惨めさ」に対してだったろう。

 

20過ぎても何も出来ない存在で生きていることや、30過ぎても……(この時点で40代の世界は神話級なので考えたくもない)

 

なんやかんやとこれも皮肉なものだが新しいゲームとの刺激もあって私は3ヶ月だけ自分に猶予を与えた。

 

2年もアレしてて3ヶ月の猶予も笑えるが、とにかくそれで「全てに納得いくように考えよう」としたのだ。

 

恐怖から伸ばしたのは言うまでもない。

 

だが目を背けて棚上げして不作為に意思を明確にしないで延々と伸びていた2年よりも、はるかに意義と意思のある3ヶ月の延長だったと思う。

 

つまりその間、

また働き出したり、

読書を始めてみたり、

運動したり、

とにかく世に言い自らもそう考えてしまっている「まっとうな姿」をしてみたのだ。

 

20の時だ。2009年の5月くらい。3ヶ月というのは秋になる頃までには何かを決めたいということで3ヶ月。秋は旅日和だろうから。

 

働き出すと溜息が凄い。

 

「やることない体験記」でもここは書いているが 久しぶりすぎてなんかもう絶望しか無かった。なんでだろうか、体がその時間割に対応していないからか、

 

正直2日で辞めてやろうかとさえ本気で思った。

 

そんな恐慌状態だからそれ以外の時間もすごくて、嫌なイメージしか浮かばない。すると考えてきていて希望ですらあった「死」すら鎌をもたげてきて威圧する。

 

つまり怖くなった。

 

とにかくいきなりのことで「え、もう?」というようなフザけた気持ちになり、常に動悸がしていた。それでもその気持を「この野郎」と祓おうとしてトップ画のキルアが如くなハイプレッシャー顔をしていたことだろう。

 

「やってやる…やってやる…やって…やるぞ……………」

 

寝ても醒めてもそんなんだからちょっとやばいなと思ってくるも。

 

これは日々の運動に全て救われた。

 

ランナーズ・ハイなのかどうかわからないがとにかく運動するとポジティブになる。変な話麻薬いらずだ。 精神安定剤とかそんなものと無縁でいられるのはこのためかも知れないがとにかく運動しているとなんでもやれる気がしてくる。

 

泣くほど希望が湧いてくる。

 

全てが明るく感じれるようになる。こう書いてるとちょっとおかしいほど自分には効果があるね。 いや別に走るのが好きというわけではない。走った後が好きなだけ。他のページでもその論理的理由は書いているが。

 

何にせよそれらには慣れた。

 

良くも悪くもそういうものだ。慣れてしまう。働くのもある程度は慣れてきた。元々5年やっていたのだからそれはそうだ。 2年働いていなかった鬱屈というか、

 

「働くことってそれはソレでよかったのかな」という思いもすぐに慣れてどっかへ吹き飛んだ。

 

外には出歩きやすくはなったけれど。「オレは働いてから来てるんだぜ」という感じにね。

 

その頃には昔なじみが私を訪ねてくるというハプニングまであった。

 

幼稚園からの馴染みでよくつるんで遊んでいた。 不登校になってもよく連絡を取ろうとしてくる奴で良い奴だった。

 

「薄情なおとこなのかもね。」

ヤンキー系だが情に厚く優しい心を持って硬派で正義感が強くて良い奴だった。15の時には「むらさん、オレ男になったぜ」とか喜んでいた。私は色々と人生最後かもしれないイベントの真っ最中なので正直困った。その話が収録されているページ。

 

とにかく活動だけはした。

 

働いていることで取り敢えず世に言うまっとうな暮らしのような状態に置き、読書をして落ち着け、 同じものしかやってなかったから新しいゲームを漁る。

 

その活動の中で自分は何がしたいのか?

なにかやるとすれば何を目指すか?

生きるのか死ぬのか?

それだけを問い続けた。

 

田中芳樹の『銀河英雄伝説』や武侠七書という中華の兵法書を読みあさった。 これが一番落ち着いた。

 

自分が一番興味のあることにしっかり向きあえているのだ。

 

アメリカのヴァージニアに士官でもしに行こうかという可能性まで考えた。 行くとすれば日本には戦争がないからアメリカかロシアだな~とか可能性の話。 自衛隊もろくに入れないような奴がね。学校の勉強出来なきゃダメなのねあれ。

 

それでも良かった。ただ可能性としてはまだ考えられたということ。

 

それほど切羽詰まった恐慌状態にあったのだから。

 

正直その状態から見ればだいたいのことは希望になった。

 

とにかくこの3ヶ月間は本当に向き合えた。

 

何がしたいか、何が望みか、

 

生きなければいけないとしたら、

 

なにかやらねばならないとしたら何を目指すか。

 

あくまで生きる方向を模索した。

直前になって生きようとしたんだ。

 

それだけをひたすら、そしてどうなっても後悔しないために、楽しんだ。実際徐々に気が楽になり楽しめるようになった。

 

物事自体の姿が次第に見えるように姿を表し、

それを理解し、向き合い、取り組んでいるからだ。

 

分からなければ分からないほど見えないものに怯え不安になるのが人間らしい。

だがそれを受け止め、向き合い、取り組んでいる時間は良かった。

次第に落ち着きを取り戻してちゃんと把握できるようになる。

 

 

「きっと死にたいんだろうな。」

 

 

8月にこのイベント儀式のフィナーレを飾る大運動会が開かれた。

 

最後の最後の戦い。

 

日々続けてきた運動にて、それの3倍の量を運動し、地獄の全力疾走数百メートルというフィナーレ。

 

これについては「やることない体験記」にて詳しい。何回も書きたくないからね。

 

とにかくもうこれで燃え尽きて最後に思ったものが

 

 

「もうなにもやれない。」

 

 

何の事はない。

それだけのために、

 

心の準備のために3ヶ月を必要としたのだった。

 

そりゃそうで、

焦燥感と恐怖だけから本当に人生をかけてやりたいことなど見つかりっこないのだから。

 

心の準備がしたかったというだけだ。

 

でもそれでよかった。

肚は据わった。

 

ほんとうに最後のこの日は楽しくて清々しかった。

今日までを生きてこれてよかった。

ハッピーエンドだった。

 

つまりそれでよかったのだ。

もう一度はっきりと心の底から「納得」したかったのだ。

 

それでも日が経つにつれてそれは現実味を帯びてきて、

いざ旅に出るとなると怯むもので笑えたものの、

 

3ヶ月もの儀式の果てだ。

 

意識をそれで高めようというルーティーンの末。

 

 

旅立った。

 

 

詳しくは「やることない体験記」の続きとしていつか書くだろうが今は書かないでおくということだから、

 

とにかく2週間の絶食絶飲徒歩旅から還ってきたのだ。

 

とにかく還ってきた。

 

どうやって自分が死ぬかわかるぞ。

 

こういうことをすると。肌で分かる。

 

ニート 幽遊白書
あるいは簡単にできるとでも。

だからもう一度言うが、

 

死ぬから良いと考えているなら棚上げして先送りしていないでもうやってしまおう。

 

全てはそれからでも遅くはない。

必ず「できるだけ行く」こと。

 

最初の初日数時間で「こんなことしてる意味あるのか」ともう後悔が始まるがそれはスルーだ。

坊やの泣き言だからスルー。

 

それで切り上げても何も残らない。

できるだけギリギリまで行こう。

そのために3ヶ月頑張ったんだから。

 

何もないから来たんだよ。

 

ここで帰ってもなにもないぞ。

そうだもう何もないんだよ。

金を少しだけ持っていけ。

そして絶望を。

ほんの少しの好奇心を。

 

※自殺幇助や自殺教唆になるとアレだからきっちし還ってこよう。

ここでの目的はそれにもっとリアルに触れることだ。

これは決まり事だが飲まず食わずを5日以上続けないこと。

後々後遺症が残る場合があるから。

もう死ぬっていうのにおかしな話だがね。自分は21の時の健康体男子だったから少しの後遺症で済んだが、人によってはやはり差があると思うからそれ以上は禁止。

※後遺症と言っても右側の胸から指にかけてが少し痺れるっていう訳がわからないけど治らない後遺症という中二設定みたいな後遺症

 

死ぬことが目的なんじゃなくて独り旅をして現実を見据えてリアルに触れるというのこそが目的だ。

死んでほしくて言ってんじゃない。

自分で納得して生きて欲しいだけ。

 

生きるってのは「生きる」ってことじゃないし「死ぬ」ってことでもない。

自分で決めるってことだ。

 

あくまでオレの哲学の押し付けだ。

 

最後の最後のビッグイベントである自然の最終美である「死」の決定に自分が関与しないとはどういうことか。

 

それを気が変になったまま、目隠しされたまま、勝手に決められるとはどういうことか。

自分で決められる精神状態でその時に臨もう。

重要なのはハッキリとさせること。

 

途端に"生きようとしたって”どうにもならない時もあるから。

 

ビビって今までの生き方に後悔して何かにすがろうとしても。

 

やり直しが効くときもあるにはある。

 

”今”がその時かもしれないぞ。

 

だが取り返しのつかないこともある。

 

ダメなもんはダメなんだよ。

 

急にそんなこと思ったって。

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

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なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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