ニートアカデミア(哲学) 無職長征一万光年旅記

加速するときの中で僕たちに出来ることは。

2015年11月5日

時は加速する。

 

「時は加速する。」

なんでかこの歳になると時が経つのが早くない?

もう速い。

よく言われること。

別にニートじゃなくたって。

「それはボクたちが大きくなるに連れてその歩幅も大きくなり、その歩調が速く大きくなり、やがて何もかも通り過ぎるのが早くなってしまったんだ。」

みたいなポエム的なことなのか。

そういうロマンティカなことなのか。

 

「いつもと同じ毎日がつづく!?
時が加速しているんだジョ二ーン!!!!」

だれだよ

 

 

季節には季節のイベントを。

今年のはどこにいこうか、

今年のはどこにいこうか、

今年のはどこにいこうか、

今年のはどこにいこうか。

なんていう風に考えることもなくなっていないか。
毎日同じで。

オールシーズンオールクリア。

進路クリア。

今年は春旅したり夏チャリしたりと多少感慨深いことをしたが、

でもそうするとなんか「春したなあ」とか「夏したなあ」と思える。

まだ積雪が残る風景と肌寒い風と草木の匂いをはこんできては頬を撫でる柔らかい春の風。

輝く太陽の陽を浴びて充実する体温と乾く喉のなかで走り続ける自転車の旅。

そんなポエム的な詩情。

が今もまさに目の前に浮かび上がるように。

やっぱそういうことかと。

春には春っぽいことして、

夏には夏っぽいことして、

秋には秋っぽいことして、

冬には冬っぽいことする。

春は寒さが終わって何かがはじまるワクワク感があったし、

夏にはプールや海に行くし、

激動の夏が終わって落ち着く秋には読書したり、

冬は桃鉄。

そんなのあるじゃん。

やはり「時間」ではなくて「経験」なんだなあと私は考える。

皆が同一の空間で同一の時間が流れているわけではなくて、

それぞれに時間が流れているんだなあと。

どれだけの経験を重ねたかということなんだなあと。

 

 

すべてが出来るわけじゃない。

時

 

何もしていない無気力な時間を過ごしたあとに思った焦りと「なんて無駄にしてたんだ!」という気付き。

1年など本当に長く感じていた。

1年ってすごい単位に感じていた

ドラクエの発売日が1年延びたなんていったらそれこそもう二度どやれないんじゃないかってくらい。

あと何回仕事して何回寝て…という計算式。

だからこれからはなんでもやれると思った。

 

でも意外とそうでもない。

 

特に、贅沢なことだが、

好きなことをしていると時間が経つのが速い。

まさに時が加速している。

 

子供の頃、授業の時間は永劫かと思えた。

休み時間にみんなと遊ぶサッカーやドッチボールの時間は

 

「あ」

………………っという間。

 

好きなことばっかやってるとあっちへこっちへ行き過ぎる。

 

いややりたいことを見つけるにはこれ以上ないやり方だと確信しているが、

ただもうそんなに人生の時間はないのではないかと思うんだよね。

いや年齢的なものではなくて、人生は階段だと思うからね。

どこかで登るのやめちゃったらその後はないのだし。

登るのやめちゃうのはうまくいかないからだったりするから。

なんでもやっちゃうのはいいんだけど、

 

その中でもさらに重大なことっていうのがある。

 

21の時に動き出して、気がつけばもう5年以上。

でも振り返るとその時その時は確かな理由で行動しているのがわかる。

後悔のしようがない。

これから加速していく時の中でそれらの経験が活かされればいいか。

今何をするべきかと。

好きにやってきて、その中で、

何をやるべきなのかが、

前よりはわかるだろうし。

 

 

自分主導。

自分

 

テレビ見たりネットサーフィンしても意味のないことばかりな気がする。

いや色んな事見たり聞いたりするのが刺激だからなんでもやっとこうっていうスタンスなんだけど、

なんかテレビとネットサーフィンは違う。

テレビは17くらいからほとんど観なくなって、

深夜帯のをピンポイントで観ることはあるけど、

ゴールデンのバラエティなどぜんぜん観ない。

観れない。

ず~ーーーっと受動的に眺めてると気持ち悪くなるんだよね。

なんか。

 

「オレ観てるだけじゃん」って。
「何やってんのオレ」って。

 

ここ2,3年はパソコンやネットを使ってるから、これも勉強ってことであれよあれよと釣られてさまざまなところへクリック&直帰とサーフィンしてみた。

 

でもホントうっすい話ばかり。

 

なんかその時は「為になったなあ」という刺激感があるような気がするけど、
「身になったものってあるかな?」となる。

 

いいね(笑)

とか何あれ(笑)

 

一種の麻薬感。

 

自分の中に留まって、

蓄積されて、

動く理由になったり、

支えてくれたりするものって、

もっと体系的に作られたものばかりだったりする。

 

自分の血肉になるというもの。

 

今は別にネットが嫌いってわけじゃない。

今はいろいろ自分でやってる分に関しては勉強させてもらってるしね。

ウィキペディアは助かるし。

でもあんまり何も根底的な部分には関与していないかな。

今は。

 

なんにせよ受動的でいつづけるのもほんとに時が経つのが速い。

 

好きなことしていて消費された時間とは比べ物にならないくらい嫌悪感も強い。

自分は週の一日はいつもとまったく違う時間を過ごすようにしている。

筋トレもジョギングも勉強も何もかもしないで、

掃除して、サイクリングして、街でぶらぶらして、散歩して、という具合。

 

自分を最大に客観視する日。

今何をやっているのか?

何のためにやっているのか?

それでいいのか?

 

そうすると「これをやる」「やってていい」と思える。

思えない時はさらに考えて変えるなどする。

「自分はこのためにこれをやっている」と思えるためにその時間に意味を見出すことが出来る。

そうすると少しは時が加速をやめる。

その時間は。

 

ノリ進むしかない。

波乗り
 
といっても時の波はくい止めようがない。
 
年齢にしろなんにせよ。
 
「ああ歳取ったなあ」
 
とか
 
「もうこんな時期かよ」
 
とか。
 
 
押し返すとかできないから。
 
 
もう乗りこなすより他にはない。
 
 
時間は経たせるな。使うんだ。
 
 
って自分に言ってる。
 
止めるとか戻すとかそんなことを考えてるより、
 
時は進むもので流れ続けるものだから、
 
 
だったらもうそれを前提で乗りこなす。
 
 
60歳にはなる。
 
病気や事故や事件や餓死でならないこともある。
 
それだけ。
 
でもどっちかには絶対なる。
 
その時は絶対来る。
 
 
使い方を考えて、使う。それ以上は悩まない。
 
 
なるべくしてなっているんだから。
 
自分が考えてやっている以上は。
 
何も考えなしにやってきたことは思った成果が出なければ後悔しかない。
 
 
と言うかその時はよくても、
 
時期が変われば「こっちにしとけばよかった」とかほざき出すのが人間じゃね?
 
カネカネカネ。
 
欲欲欲。
 
結果結果結果。
 
 
空から100億降ってくれば成功。
 
 
みたいな結果論で。
 
 
どんな時間の使い方をしていようとも空から100億降ってくればOKみたいな。
 
まあOKか(笑)
 
まあ空から100億降ってきた人はそれでおめでとうございますってことでいいけど、
 
大体はそんなことないしね。
 
 
そして同時に地中から稀代の大悪党シーシュポスが現れて100億盗られたおしまいなんだよね。
 
 
考えなしに過ごすとどうなるか。
 
最後に一つだけ言っておく。
 
時は加速する。
 
bandicam 2015-11-04 10-55-50-300
「ジョジョの奇妙な冒険オールスターバトル」より

ええええええええいいいい!!!!!

時よとまれい!!!!!

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