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ニートのプロフ

【とあるニートのプロフ】労働奴隷時代(少年・青少年期/~06年/13~18歳)

2015年9月17日

 

労働奴隷時代

 

働いて娯楽をする往復運動をして中年サラリーマンの様なことをしはじめたころ。

13歳というのはバリバリ学生時代に相当するも不登校なのでそのまま働いたのであった。

実家の自営業店にて月給3万円。

 

 

中二病

不登校の理由はいじめやなにやらと明確に示せないのだけど「中二病をこじらせた」としか言い様がないのだ。

 

「こんなことしていて何になるんだろうな」→

「じゃあ行かないほうが利口じゃね」→

実行→

 

そうするとなかなか戻れないのだよね。

なんか気恥ずかしくて。

「なにしてたん」てなるじゃん。

 

そして労働者になったということで。

 

小学校の時は例えばテストで0点取ると親父から「1点も取れないなら学校に行くな」と言われるも、友達と遊びたいからそれは困るということで徹夜で一日勉強して90点取るとかしてたわけ。

 

しかしもうこのころは「友だちがいるのが当たり前」という前提で物事を考えていた。

 

だが実際学校に行かなくなると友達は居なくなるのだった。

あたりまえだと思っていたからこそ、軽視し、「そんなもの」と思っていたのだろう。

 

そうして

「自分だけの考えを持って実行するオレってカッコいくない?」

ということで行かなくなる。

 

だって友達とは別に遊べるじゃん。

二人しか訪ねて来なかったけど。

やはり中二病なのかどうしても色気づくというか自分なりの考えを持つということで、周りが話している話に興味が出なかった。

 

だれだれと付き合ってとか、

なになにの高校がどうとか、

どこそこの服屋がどうとか、

らりらりの教科がどうとか。

 

そんなことより早く帰って『大航海時代』やりたいんだよ。

 

とかおもってお昼食ったらすぐ帰ってゲームして部活の時間にまた戻るとか平気でしていた。

だって太平洋がボクを呼んでいるのだから。

バニラを南米の開拓都市で大量に栽培させなければならないんだから。

地中海にバニラブームを引き起こしていかなければならないのだから。 

 

そして何より時間に縛られないことを切望していた。

 

朝が全然ダメだった。

なんで毎朝こんなに苦しいんだろうと思っていた。

学校に行かなくなれば開放されると信じていた。

だがその次は「労働」がはじまった。

 

 

実家の自営業飲食店で労働

ここが一般の二ートやひきこもりと違って恵まれているというか、

違いなのだろうけど、

つまり労働といってもなにも面接や就活をしたわけではなく家の事業をしたということなのだね。

まあ、

もちろん汗水流して働いてるんだけどさ。

 

 

2002年/14歳ただ働く

当初は朝9時から深夜25時まで働くということを数ヶ月やった。

神聖なる15時間以上労働だ。

それでもなんとかこなしていた。

何のためにかは今もまったく思い出せない。

ただ単に「そういうものだ」と考えていたとしかね。

後に労働時間は減刑されて2時間になったり5時間になったり。

もっとも多いのが5時間ほど。

拘束時間は6~7時間ほど。

週休1日制で土日祝日出勤。

今にして考えると良い条件だね!

大型連休も盆も大晦日も正月もすべて憎かった。

どれだけ働こうが返ってくるものもないしあっても使うこともないからね。

ただ拘束されるだけだもの。

 

掃除から草むしりから吸殻拾いから仕込みから厨房から配膳からからオーダーからレジから生ビールつぎから皿洗いから鍋洗いから

 

すべての業務をやったのだ。

これ時給いくらなの。

月3万なら。

就活するストレスフリーで無条件採用で衣食住付きとなればまあそうなのかな。

じゃあ13歳から自活していたのねボク。

 

 

2003年/15歳働いてゲームであそぶぞ!

「働いて遊ぶ」 働けるから遊べるし、遊べるから働ける、 という天秤が誕生してボクは労働者を満喫した。

ようやく洗脳小屋から解放されて意味の理解できる時間だけが自分の周りにあったことになる。

働けるから遊べるし、遊べるから働ける。

 

毎月1作は新作ゲームを買って遊んだ。

ほかはぜんぶ貯金。

使うことないから。

服も、交遊費も、

もちろん外食費とかも特にはない。

 

ゲームと漫画とアニメというだけの世界。

友だちと遊ぶこともなくなり、

仕事と家の往復をひたすら繰り返す日々。

だから一応「ひきこもり」と計算しているけどどうなんだろう。

店で客に決まりきった文言を繰り返すことはしていたけどさ。

あと別に外にでてファミ通を買ってくるとかはできるから病的なひきこもりではないのは明らかだけどさ。

ただ状態としては家族以外との接点がほぼ無いという意味においての社会からの隔離といえる。

家では兄や妹がいてそれなりにゲームで遊ぶし話すし、 兄貴とは趣味から何からピッタシ合うのでよく話し込んだ。

家にいても働いていたから特別に変な目で見られるということもなく、

むしろ

「オレは働いてるんだから従え!」

くらいの勢いだったと思うな(笑)

この時期に多少なりとも財力を持つと権力を保持するのだ。

兄貴は学業や部活業に専念していたから金欠だったしね。

家のゲーム機の支配権をボクは保持していたんだ。

「オレの言うことを聞かないとやらさないぞ」とかね。

なんてクズだ。

この時期のボクに話しかけることはできなかったと妹は語る。

人よりちょっとでも義務を果たしているとか思うとすぐ偉そうにするクズ共って居るよね。

ボクもあれだった。

 

でもこの時期が最も「労働生活」が充実していたころ。

 

まさに「オレ史上ゲームのやる気黄金時代」

 

テイルズオブシンフォニアのこと考えながら店の草刈りしたり。

地元のホビー屋に馴染みのお店があって、 そこから直輸入しているわけだけど、 発売日の前日に入手できるんだよ。

ホビー屋に届くのが前日だからそのままボクの家に配達してもらえるわけ。

でもテイルズオブシンフォニアはなんと2日前にとどいたわけ。

その時の喜びようといったらそれがその年最高のテンション。

そういうアレな時期。

 

※あとこの時期に母親がヤミ金で金を借りていたことが発覚して失踪。すぐ戻ってきて親父がいろいろと片付けていた。 元は3人もガキが居るのとわがままするガキどものために借りたそうな。そうなて。 ボクのワンダースワンのせいかな。 というとそれはもうバンダイのせいだよね。あんなもん出しやがってからに。なんやねんあれ。 なんやねんあれ。 その後は家の金銭感覚を管理するということで家計簿を毎月つけさせられることに。

 

ただそれでもいつまでもこんな時期が続く、

あるいは続けばいいのにとは思ってはいなかった。

 

普通ならもう手に職がついて、

このまま普通の給料もらえるようになって、

あるいは店を継いで、

かわええお嫁さんでも見つけて、

結婚して、

家庭をもって、

とか考えるかもしれない。

実際はそこまでストレートでもないだろうけど。

 

※さらに実際は、大企業のサラリーマンや公務員を目指してこその「安定」であり、このような職ではいつ駄目になるか分からない率が高いであろうけどもね。もちろん大企業でもいまでは全然危ないし、公務員でもつまらなくなったら死んでしまうしなんかもうあれだけどというか人間関係でトチったらどんな状況でもあれなんだよね

 

でも自分はぜーーんぜんそんなこと興味なかった。

 

ドラクエの世界にしか興味なかったのだからさ。

 

うん。マジで。

 

でもそれは無理じゃない。

 

「じゃあ自分は何をしたいんだろう?」

 

その萌芽が静かにだが力強く芽生え始めていた…。

 

 

2004年/16歳くずれはじめる天秤

「あれ?なんで働いてんだろう?」 との問が爆来する。

ユンカー爆撃機のごとく金切り音をあげながらつぎつぎにボクの胸に着弾してくる問いの嵐。

秋くらいからか、

なんとなくそんな思いが去来しはじめていた。

 

そろそろゲームの刺激にも飽きてきていた。

 

さすがに労働以外の時間をすべて使うとそれなりにプレイすることになり、

結果、

その擬似的なシミュレーションの刺激に飽いてしまったようだ。

相互干渉によった協力プレイなどもまだこの時期にはバリバリのオンラインゲームくらいしかないし、

ソレは光回線がないだとかで出来ないし、

任天堂のゲームはこの時期ではあまりやりたくならないし、

三國無双の協力プレイを兄貴とやるくらいだからそれほどゲームの幅が広がるわけでもなかった。

今ならモンハンのような協力プレイ前提のゲームがわんさかあるけれども。

結局やる人いないけどね!

 

途端に辛くなってきた。

 

だんだんとだんだんと、

日々が面倒になってくる。

米研ぎが遅いと親父にどつき飛ばされるし。

なんか「いらっしゃいませ」が出てこないし。

※吃音が猛威を振るい始めていた

仕事はつまらんし。

金の使いみちもねえし。

※3万しかないのに

実家の店だから甘いとおもうかもしれないが前述した親父の仕切りなわけだから自分には精神的にキツイのだ。

 

「休むヒマはねえぞ。やることが終わってもなにか見つけて働け。」

 

という方針である以上勤務時間は休めない。

客がつながれば帰れない。

うちは儲かっていないから家族経営で従業員がいない。

15前後の子供を月3万でぶん回して回すおもしろ店。

 

「まあ働くってそういうことだな」

 

というとってもとっても正しい聖なる労働価値観に育っているボクはなんとかそうして

正しい神聖労働

を果たしてきたのだったが、

 

もうキツくなってくる。

やる気が無いのだ。

ただ重たい苦役。

 

いったいボクはこのとき何のために苦しんでいたのだろうか?

 

ここではこれが重要な事だが、

一日5~7時間の労働が苦しかったんじゃない。

 

何のためにやるのかわからないことをやるのが絶望的だったんだ。

 

楽しみはなくなっても生きるためには働けているね。

じゃあ何のために生きてるのだろう。

 

何のためだ?

 

………。

 

………何のためだ?

 

……………………。

 

 

……まさか

 

 

………まさか、おまえ、まさか、

 

 

死にたくないからなんていうんじゃないだろうな。

 

 

┐(´∀`;;)┌

いや、いや、

 

まさかそんなはずはないよ。

 

それじゃまるで奴隷だ。

 

いやいやオレがそんなはずはない。

少年ジャンプのヒーローから薫陶を受けてきたオレがまさか奴隷だなんてことはないだろう。

じゃあ、 あれ、

 

これオレ働く意味ないんじゃね?

 

いや、 もうどっちかっていうと、

 

生きてる意味がないんじゃね?

 

そんな真理に到達していた。

 

ティーンの感性が産み出す「もう消えてしまいたい病」がみごとに発症。

 

まともに考えてしまったがために。

否、

体がそういう信号を発して、

それをボクの魂がしっかり聴いてあげたのか。

 

とにかくこの時期は揺れに揺れた。

 

元々将来なんて見ていなかった。

見ていなかった。

「オレは何していくんだろう」と働き始めたころに思っていた。

いや、学校の頃からそう思っていた。

そもそもあんな上っ面の環境を目指してただ進学するという気もまったくなかったから一体何をしていくのだろうとは思っていた。

もしかしたら20代になるとも思っていなかったかもしれない。

 

何もやりたいことがないのにただ起きるのが辛いだけの毎朝を続けなければいけないとしたらこんなに怖いことはなかった。

 

毎朝チャリに乗って店に出勤する道中、

「まあ、その時が来たら死ねばいいか」

と考えると楽になっていた。

 

もともと、「家を建てたいとか車がほしいとか美味いもの食いたいとか恋人と結婚して家庭を築いて出世してなんたらかんたら」 なんて興味がなかった。

 

アレフガルドに行きたかった。

 

ねえ?

だってそれしか見てねえんだもん。

そらそうなるよ。

でもそんなのは無理なのでただ虚しいだけだった。

 

そんなゲームにも飽きてきた。

 

おもしろいゲームがなくなったとかそんなことじゃあなくて、

自分がもう飽きてきたのだろう。

ただのシミュレーションだし。

 

もう疲れたぞいいかげん。

 

これだけの仕事をもうしたくないなあ。

たかだか5,6,7時間の労働なのに。

なんで怒られてんだろうって。

なんで声がうまく出ないんだろうって。

この毎日を続けていけるだけの魅力がもうなかった。

自分の周りに。

 

天秤が釣り合わなくなってきた。

 

そういうことなのだろうか。

 

人ってなんで生きるんだろうか?

 

そんなティーンの感性マックスのお年ごろだった。

 

 

2005年/17歳世界がおわるとき

「なんかもうとてつもなく虚しくなってきた」

働く意味があるのか?

生きている意味があるのか?

もう十分だ。

もう私はいい。

 

私は、もういい。

 

この年はなにかバールのようなもので頭をガコーーンいかれたような出会いもあった。

突風(スコール)が吹いて惰性でだらだらと握っていた舵をバギョーーンとぶっ叩かれて進路が90度くらい一気に曲がった。

ガンダムとか。

それはきっと何でも良かったのかもしれない。

もう気持ちがギリギリで、

今まで信じていた、

いやなんとなくそう思っていた世界が、

 

信じられなくなって。

 

気持ちと行動の「納得」がないまま動き続けるのに疲れてしまった。

意味がないとしか思えないその行動。

 

働く。生きる。

 

何のためかわからない。

動物ならば「子孫を残すため」とかになるのか。

 

(笑)

 

なんじゃそら。

 

なんじゃ、そら。

 

そんな中であらためてゲームやマンガやアニメの世界を観るとまあみんな色んなドラマがある。

 

虚しくなってくる。

 

店で鍋ふってるときに

「なんでおれはこんなことしてるんだろう」

とただ切なかった。

 

なんでこっちが挨拶しても無視してそれが当たり前かのごとく無視して、当たり前のように食いたいものをこっちも見ずに命令して、そんでなんでオレはそいつの野菜炒めを作っていなければならないのか。 ※勿論、その業務自体を蔑視しているわけではない。それで育ってきたのだ。 だがこの時はそんな考えはないし、目的意識もないしやりたいことでもないから。

 

「でもオレももう17歳だし未来なんかないなー」

とか本気で思っていた。

そのとき自分の世界では20代以上の人間が存在しないような世界しかなかったからかもしれない。

主人公たちはいつだって10代だ。

 

2005年は自分にとって「セカンドインパクト」とか「セカンドバースデー」とよんでもいいほどの転機だった。

つまり

 

「なんで働くんだろう?なんで生きてるんだろう?」

 

との問にようやく答えられたのだ。

その意味はない。

と。

なにかやりたいことがあるけど出来そうもないとか、

生きたいけど生きられないとか、

働きたいけど働けないとか、

そんなんじゃない。

そもそも望みがない。

なにももう望んでいないことを見つけた。

しかし、

いやだから、

 

すべてがどうでもよくなった。

 

我慢することなんてない。

ほんとに嫌になったら辞めて出て行けばいい。

なにも我慢なんかすることなんてない。

 

生きなければならない、

働かなければならない、

人として立派にあらねばならない、

 

そんな人質はもういないのだ。

 

誰のために何のために世界の美徳のために何のために世間体のために何のためにオレは我慢して嫌なことを続けていかねばならないんだろうか何もない。

 

なにもそんな理由はないんだ。

 

「よくやってるね立派だねしっかりやれよちゃんとしなきゃねみんなやってるからね」

 

すべてゴミばかり。

 

自分のすべてを賭けて命と魂を燃やし尽くして挑むようなキャラクターたちのドラマに比べたら

 

そんなものは糞以下だった。

 

ここまできて人様に良い顔をするためだけにこの苦役を我慢することほどバカバカしいと思うことはない。

 

そんなことだけ言われたって褒められたってそれはオレの本当の喜びにはならないんだ。

 

人が勝手に自分の中の美徳を守ってくれているオレの姿を褒めているだけだ。

 

オレがそうであることはそいつ等にとって都合がいいだけ。

 

「だって自分もそうしてるから我慢しようオレ以下でよろしくそういう世界を我慢して保っててね」

 

そのために自分が我慢し続けることは出来なかった。

悪いけど。

自分は間違っているかもしれない。

この気持ちはおかしいのかもしれない。

でもそんなことはもうどうでもよかった。

 

いままでの世界が終わった。

価値観が変わってしまった。

 

正しいことなんて何の価値もなかった。

「働くのは正しいことだからやりなさい」

といわれても何の意味も価値もなかった。

そうとも、

なにも要らなければなにもしなくていいのだ。

別に。

 

※この年はなーーんかぼーっとする「鬱」も起きた。

天井見てたり。

「ゲームでもやるか」

と思うけど

「あれがこうなってここがああでこうなるんだよなあ」

と頭の中でゲームをやった場合のシミュレーションが完了してしまい

「やったところでこういう気持ちになるだけだね」

ということで

「じゃあもういいか~」

となり

「やることもないなあ」

と天井をみるだけとか。

 

 

2006年/18歳決烈。

もう仕事なんかどうでもいいのだが、

いままで続けていると少しは慣れてくるから、

「どうしてもやらねばならない」と思い込みさえせずに 「ほんとに嫌になったら辞めようっーと」と思えるとキモチは楽になる。

だからなんとなく続けた。

 

2005年は雨の中をひとりで歩き回っていたりうつらうつらとする日も多かった。

「なんでだろう?なんでだろう?」と考えてるばかりだった。

2006年はでもようやく答が出せたので多少はシンプルにスッキリしたのかそれなりに楽しんだ。

 

「これ以上嫌になったら終わればいいし~ 」

「それまで楽しめるだけ楽しんどこうかな~」

 

くらいの感覚。

アニメやマンガやゲームをその方向にあまり興味ない妹に普及したり、

兄貴に本やメシを奢ってみたり。

兄貴が「どれだけいいの?」と訊くから

「えまあ好きなだけいいよ」というと 「えそんなこといったら店のもの全部買うけど」とかいう。

 

そういった日々。

 

でもこの年は兄貴が大学のために家を出たりして寂しくなったり。

なんでもないふりしてたけどなんか時が経っていくのが寂しくなったり。

その日は深夜までお菓子食いながら話してゲームしてたなあ。

共同構想で考えてた戦記小説の続きはどうすんのとか。

 

昔のゲームをやり直していたり。

 

ジャンプ漫画のアニメを妹と観るのが一番熱かったかな~。

ブリーチとかナルトとか銀魂とかワンピースとか。

読むのが面倒だからアニメじゃないとアレだということで。

妹はいちいちびっくりしたりリアクションがおもしろいから普及しがいがあるのだった。

RPGはテイルズだけハマっていた。

コマンドバトルには見向きもしない。

 

 

こうして今思うと、

ひきこもりとはいっても家に仲の良い兄弟が居るというのも違うんだなと思うね。

兄貴は立場を利用して横暴な態度を取らない心の大らかなタイプだし、

妹は人に合わせるタイプだし、

オレだけわがまま暴君なわけでほとんど衝突しない。

 

なににせよもう心理上の人質を取られていないボクは少し気が楽になっていた。

数年ぶりに従姉の家にチャリで行って遊んできたりして。

別に未来なんか見ていないけど取り敢えずはそれでよかったのかもしれない。

とりあえずは。

だがある日こうなった。

 

 

「おまえ今度から時間ふやすな。」

 

 

これはもちろん労働時間が増えるということだ。

10時間くらいの刑に処するらしい。

 

いやいままでが5,6,7,時間と非常に良心的だったからだろうか。

 

もうこの時にはボクは店のほぼすべての業務を行えるようになっていた。

 

草むしりから吸殻拾いからゴミ出しから掃除から材料仕込みからオーダーから調理から配膳からレジから厨房から皿洗いから鍋洗いから米研ぎから業者取引から電話対応から、

 

昼の営業時間は一人で厨房を任されるくらいのことは出来たのだ。

 

というか任されてた。

一人でやってた。

 

嫌々ながらなんというところに来てしまったんだボクはまったく。

その店の最高戦力になってしまうとは。

月3万円でありがとうございました。

働けるだけマシか?なあ兄弟!

 

 

でも嫌々だった。

 

 

もうどうでもよかった。

こうなることはわかっていた。

時間がくればこうなることはわかっていた。

だから覚悟はしていたしその時になったらハッキリさせようとおもっていた。

理屈の上では正にその時がやってきたのだった。

 

 

もともと親父は厳しい人だった。

 

 

だからオレもその価値観を受け継いだ。

強く厳しく逞しく。

親父は若いころに家を出て自衛隊やら車の販売やら土方やらと何でも重労働をこなして這い上がってきた鉄人だ。

オレもそうあるべきだと思ったしそれがかっこいいとも今でも思う。

それが出来るだけの理由がないだけで。あるいは出来ないだけで。

だから18になったら家を追い出されるだろうと思っていたしそのつもりでもあった。

 

とにかく怖い人だった。

 

テレビをつけながらの食事は怒鳴られたし、

テーブルに乗るのも怒鳴られたし、

門限は5時過ぎは閉められたし、

何かすると殴られた。

店の仕事をするようになってからは直属の上司になってしまったし、

まーーーーーーーーーーどつき飛ばされた。

 

まーーーーよくどつき飛ばされた。

 

ごま油の場所にラー油を注いだら

「このくそおとこがあああああああああ!!!!!!」

いわれたからね。

いやラー油ぶちこんだからだけど。

まだアルバイトさんが一人いたころに突き飛ばされたり。

 

仮病で寝てると

蹴り起こしビンタを顔面の正中線上に食らったり。

いや仮病だからだけどね。

仮病で休んでると車で爆来してオレがベランダで隠れているところを引きずりまわしたり。

いや仮病だからだけどね。

聖なるなけなしの休みの日に朝っぱらから何杯もラーメン食べ歩かされたり。

 

 

親父=正義。

パパ=ジャスティス。

 

 

そういう昔ながらの家父長権が極限まで高められた家で育ってきた。

ほとんど家にいないから殴られた記憶しかないくらいの接点しか持たないのだ。

この世は親父が怖いだけだった。

 

 

だがもうなにも怖くなかった。

 

 

もう何かに従う理由がなくなっていたのだ。

なにも人質は取られていない。

怒られたから何だというのだろう?

家に居座るつもりもないからなんでもいい。

仕事を首になったからなんだというのだろう?

願ったりだ。

欲しい物もない。

目指すこともない。

 

生きている必要がないのだ。

 

よって働く必要もない。

世界が終わって価値観が変わるとはそういうこと。

いままでのルールがそっくり変わってしまった。

 

もうここらが終わりどきだな…と、

ふっ…とおもった。

1週くらい準備して家を出ていこうとか自殺でもしようとかそういう思考に入った。

 

だからもういい加減な態度でだらだらとしていた。

そうしたら当然気に食わないらしく怒られるわけだ。

 

「みんなやってるんだぞ。おまえだけなあ…」

 

 

睨みつけた。

 

 

だんだんと腹がたってきた。

当たり前のようにオレに命令しているその顔が。

当たり前のように正義を押し付けているその顔が。

全て自分が正しいと思っているそのすべてがただ憎かった。

オレは苦しんでいるのにまだ重荷を背負わせようとし続けるその魂胆がただただ憎かった。

 

親父の顔をただ睨みつけた。

眼を開いて敵意と烈気をその顔に押し付けるように睨み飛ばした。

 

親父も「なんだその態度はあああああああ!!!!!!!!!」

 

とか怒鳴ってたがもうどうでもよかった。

 

体中の血が沸いてきたのがわかった。

腹の底からかどこからかは分からないが熱さが巡り巡って体中がヒートして眼の周りに集まってきた。

硬直とか恐怖とか微塵もなかった。

 

 

次の一瞬だけ震えたかもしれない。

 

 

壁にどつき飛ばしていた。

 

「取り返しがツカナイかもしれナイゾ」という瞬間的な戸惑う感情を 「ベツに」という明確な理性が打ち消しあった振動のような震え。

 

その「ベツに」は決して感情的な勢いではなくて考え続けた末に出ていた理由だった。

別にもう生きる理由はないから。

なにも親父を殺そうとかいうのではない。

なにもそこまでのことはされていない。

 

ただ自分にも考えがあって気持ちがあって感情があるってことを証明したかった。

自分自身に。

そうしなければこの気持が嘘になってしまいそうになるから。

人に証明しようとか思い知らせようとかはない。

そんなものどうでもよかった。

でも自分自身の目からは永久に逃れられないから納得する必要があった。

 

それから、 取り敢えずいったん家にかえって終わりの準備をしようとする。

 

そうすると母親からの手紙があって

「もう出なくてもいいよ」

ということが書いてあった。

すでに事が伝わっていた。

 

もう1年以上も口をきいていない人になっていた母親。

 

母親は親父と対極で超過保護だった。

ボクはそれが嫌でしょうがなかった。

 

「この人と関わったらダメになる」

 

と関わらないようにした。

兄貴が母親に雑事をすべてやってもらっている中でもボクは断固自分でやろうとしていた。

絶食の練習をしていると口論になって 「あんたがどうなろうと知ったこっちゃないわ!!!!」 と言われてから口を一切聞かなかった。

だから手紙には「また笑って話せるようになってください」とも書いてあった。

それくらい当時のボクは仕上がっていた。

兄貴と妹以外に心を見せなかった。

いやそれはそれで普通な方なのかな。

まったく居ないより。

ただの反抗期?

ともかくボクはこう思った。

 

 

「それもそうだな。」

 

 

だって産まれてから今まで何かに勝手に決められて生きてきた。

 

学校。仕事。すべて嫌々やっていた。

 

最後くらい好きに好きなことだけやって生きる時間があってもいいんじゃないか。

 

朝好きに起きて好きなコトして好き勝手やるだけの時間が。

貯金も80万くらいあるし。

ほんとに何も使ってないのだ。

金なんて要らなかった。

欲しいものがなかった。

兄妹に奢ってやっても溜まるだけ。

 

 

つまりここで飛び出すなり何なり勢いそのままにいられたらもう終わっていたかもしれないのに、

 

 

このひと思い」によって

 

 

長い長い旅が始まるのだった…。

 

 

※それにしてもいま思うとこの時代って「おもちゃ取り上げられた子供が駄々こねてるだけ」って感じだねえ。でもその感情も事実なのが18歳までのボク。 良いとか悪いとか正しいとか間違ってるとかじゃあなくて、 ただ「そうだった」というお話。

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

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