ニートアカデミア(哲学)

【ニートアカデミア】それは正しくても間違っていても最後に笑えたら勝ちの世界。

2016年7月9日

やれたらやるニートアカデミア

ニートから成長するための実践学問がいつか「とんでもないところ」へ到達させる。

 

不登校でも無職ひきこもりニートでも結局は

 

『成長』

だけが大事なんだよ。

 

バカだな。

 

 

この時代のわたしの成長記

やれたらやる。

ムラクモアカデミー2年目修了でむかうこれから(活動自体はもう7年ほど)

※09年の始動から数えて2020年現在は11年目(?)

 

「人生の迷路は速く塗りつぶしてしまったヤツの勝ち」

 

考えて、行動して、失敗して、考えて行動して失敗することでしか結局は行きたいところへ行けないようだ。別にチケット買って行けるならそうしたんだけどダメらしい。いろいろと頭の良さそうなことを考えて言ってみても結局は地べたを這いずりまわっていかなきゃ見つからないらしい。

 

成長するためにできることをやる。

 

腹はくくった。とりあえずは。

「愚か者時代-これからどうする?-」の後、

それでもニートで往くしかないというのならばあとはもう腹をくくってやるだけやるのみだ。人間はその時々でいきなり不安に襲われたりビビったりして足が止まってしまうものだから、先に覚悟をしておくのが一番よかったわけなのだ。「本当の覚悟」は動き始めてから出てくるものだけどね。

朝起きて障子を開けたその時から「今日は自分の番だ」と心しておけ

藤堂高虎

 

死ぬまではやるだけやるのみ。

死ぬまでの長い長い遠い遠い回り道。1年か50年か。家に変事が起きるか、病気になるか、事故に遭うか、そんなことはわからないけど死ぬまでは続く「やるだけやる旅」だ。

人は巡りあった環境を、意義たらしめることが肝要である。

米内光政

 

誰でもいつか必ず死ぬ。

どんなスーパースターも偉人もいつか必ず死ぬ。成功しても失敗しても必ず死ぬ。どうなってもどうもならなくても必ず死ぬ。そんなに気にすることかね。人の目なんて。

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を得て 滅せぬ者のなしとおもえば

織田信長

 

神風特攻みたいなもんじゃないよ。

「もう死ぬのだからせめて最後の晩餐を楽しもう」みたいなことじゃないぞ。これはあくまでも自分の希望に向かうという話。潔く切腹とかじゃないから。あの「硫黄島からの手紙」に出てくるように暗い塹壕の中で自分で手榴弾を炸裂させてぶっ飛ぶようなことじゃない。あくまでも希望に向かって動き続けるという行為。死ぬにしてもあくまで「討ち死に」。

美しく最後を飾り立てる暇があるなら、最後まで美しく生きようじゃねえか。

坂田銀時

 

 

ニート生活は『精神と時の部屋』みたいなもの。

-精神と時の部屋-

「精神と時の部屋」…集英社/鳥山明「ドラゴンボール」作中登場

現実の世界よりも時間の流れが遅い部屋。

ドラゴンボールの登場人物等はこれらの特殊環境を用いてしばしば非常識な鍛錬に没頭し、数々の宿敵を葬ってきた。のちに、他の漫画の主人公たちも、上げられたハードルを越える為にこのような空間を利用するようになる。

関連項目:BLEACH「断崖」、トリコ「裏のチャンネル」など

 

「ニートになると時間が経つのが速い」なんて聞くけどそれは自分の意識次第だね。

これは「大人になったら時間が経つのが早くなった」というのもそうなんだし、

要は自分の気の持ちようである。

 

「自分をコントロールできるのかどうかでこの生活は良くもなるし悪くもなる」

 

ってだけである。

理想としては。

 

「フォースを乱すな」ってくらいのね。

「フォースと同調するんだ」ってくらいのさ。

 

「だからこれがいいよ!」なんてお得情報を売りまいてねずみ講の子を増やしたいんじゃないから。そんなカンタンでラクな話じゃないから。ケツから血が出まくるから。

基本は誰にでもできることじゃないでしょ。

ニートくらいにしか。

 

結局のところ目的意識がなければこれらは成り立たない。

 

自分がそう望んで、そのために活動していくのだから。

誰からかあれやりなさいこれやりなさいと言われるわけではない。

世の人はそんなにヒマではない。

 

我々に関心などない。

 

学校や職場ではそれが仕事だから言われるが、

 

ここは自由な家なのだ。

 

自分で望んで動くこと以外に動く理由は生まれない。

 

そのなかで、

「もっと力をつけたい」

って、

 

頭ではなく心で自分の真から理解した時に本当に自分自身から動けるようになる。

大事なのは意味があるかないかではなくて

意味があると思えるか思えないかだから。

自分自身がほんとうにそれを望まなければなにもできなかった。

 

 

果たして『成長』とはなんだろう?

 

 

人間の本質的な力とはなんであろう。

成長とは何に到達することなのだろう。

会社に入って仕事を覚えても倒産やリストラされれば「どこにもいけない」ということがないような『力』とは。

ただの労働者になりいずれ機械に取って代わられる存在ではない『力』を持った成長とは。

 

 

ニートアカデミア実践学部

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【やる気学部】人生最大意義

やる気至上主義

 

「鉄は熱してから打て。」

『やる気』こそが成長に最も必要な力であることをこれ以上ないというくらい回りくどく論理的に話している。

「ガッツだぜ!!」ってだけじゃわからん頭でっかちな世代やしね僕ら。やる気のないときに叩くと折れちゃうから。熱されていない鉄を叩けば折れちゃうのと同じ。

注目すべきは意味が有るのか無いのかではない。意味が有ると思えるか思えないかだ。やりたいことを見つけてから勉強しよう。それは『やる気至上主義』。

 

 

【行動学部】50%だけは自分で決まるんじゃね?

存在は行動なり。

 

「最初はぜんぶの半分。」

別に行動したってなにかが変わるわけでもない。

「行動するんだ!オッスおらワクワクすっぞ!」とかないから。いやそうで在れるならいいけど。

しかし行動しなけりゃ何にもならない。

かどうかもわからんけど。全然何も起きない事のほうがザラだよほんと。

「7が嫌なことでメンドイことで、3くらいがまあ良かったかもな」

くらいなものだよ実際。それでも0がずっと続くよりはそれでもいいかってわけでもないんかなあ。どうなんだろ。

一言じゃあ言い表せない問題だよ。

だから色々と書いとく。

 

 

【時間学部】タイムisライフ

時間イズライフ ニート

 

「この世で唯一時間はだれにでも平等。(たぶん)」

「1日ムダにすると同じ理由でそのつぎの日も1日無駄にする。」

ただ過ごして、そのまま明日を迎えても、何も変わっていない自分なんだよ。何も変わらない自分。だから同じ選択肢を繰り返す。そして人生は終わっていく。

 

 

【環境学部?】いるべきところに居れ。

習慣 環境

 

「自然に逆らって栄えた試しなし。全て利用することで繁栄してきた。」

「環境が全てを形つくる」と思ってるけど。

人間の意志は素晴らしいとか教えられる。テイルズとかやるとすごいよね。

人間の意志って素晴らしすぎない?テイルズだと。

それはいいんやけど9割は環境設定だとオレは思うんだ。

何か意識が高まったら、その時こそ人間の意志とやらの素晴らしさを発揮して、ぜひとも有益な環境つくりに腐心してもらいたい。

一回一回の決断にはとても大きな労力が必要になるから。毎回毎回の決断なんて当てにならない。気分でコロコロ変わる。だから、一番大事な時の意志で決めた環境に自分を創ってもらおうというお話。

 

 

【死生学部】死について考えないということは生きることも考えないこと。

 

「いつか必ず死ぬことを忘れるな。」

人類最大恐怖の1つにして最大の救いでもある「死」について考えよう。

自分にとっての死とは何なのか?なにが怖いのか?なにが困るのか?またなにが救いなのか?

いずれはやって来るこの自然の最終美である「死」を考えずして、人生は語れない。

自分にとって「死」とは何であるのかを定めることができるならば、これを必要以上に恐れることもなければ、むしろ有効に使うことすらできる。

それは今まで「死」が遠ざけていた未踏の世界へ挑戦できる可能性をうみだす。

 

 

【お金学部】あまり誰も教えてくれないけど人生で1,2を争うほど大事なこと。

 

「お金は価値の総量。」

お金とは何か?

お金が「よく生きていく」為に必要であるのならば、なぜその「重要性」と「性質」と「稼ぎ方」について勉強させないのか不思議でしょうがないぞ。

「紙幣」と「お金」は違うんだ。

紙幣は紙切れ。お金は「価値」そのもの。

 

 

※このページはいまだ多分に試作的×思索的なページだ。

自分の直の経験にのみ裏打ちされた情報の場であるからして。

 

 

果たして『成長』とはなんだろう?

 

 

本質的な『力』

あえて考えたいが、

人間の本質的な力とはなんであろう。

成長とはなにに到達することなのだろう。

会社に入って仕事を覚えても倒産したりリストラされればどこにもいけないということがないような力とは。ただの労働者になりいずれ機械に取って代わられる存在ではない力を持った成長とは。

 

能力系

・技術

これはそのままのスキルと言う意味になる。一般にはプログラミングの技術であったり絵を描く技術であったり筆記の技術であったり専門的な技術になる。だからコレに関しては全般に言えることはなく、人それぞれが極めていく物事だ。

どれが金になる仕事になるというのはこのブログでは関係がない。

なによりも好きなことをこそ極めるべきだというのがこのブログのテーマだからだ。

自分が心からやりたいと思えることをやるだけやって死ぬというのが1つのテーマなのだ。

好きなことを極めたい。

 

それでも全般に言えるのは「強度」ということ。

 

強いものは何にでも使えるという考え方だ。

 

例題「じゃんけんの話」
例えばじゃんけんには3すくみがあってチョキはグーに敗ける。しかし、そのグーがジャガイモのようなもので、チョキが名匠の鍛え上げた鋭く強靭な刃であったなら、いくらグーのほうが有利な形状とはいえあっさりと挟み切られてしまうはず。

 

それが強度だ。

 

そしてその強度はハサミという使い方の幅を大きく広げる。

そこまで鋭いのならダイアモンドのカットにもその刃は使われるかもしれないし、

武器にだってなるだろう。

なまくらの刀よりハサミの方が使えるということもありうるのだからね。

片刃にすれば十分つかえる。

 

それが強度。

 

絵が書ける人は漫画も目指せるしイラストレーターも目指せるしそのまま画家も目指せるだろう。上手ければ。

 

強度があれば応用は利くということなんだ。

仮定としてね。

 

誰でもできるし替えもいくらでもきくとされるアルバイトの接客ですら、それ自体を極めていけばホテルマンなどのサービスへと成長してどこでも通用するだけの技術になるはずだ。たかが居酒屋の配膳係であろうとそういった意識を持って高めようとすればなんだって強度のある、進化した、将来性のある技術になりうるはずなんだ。

 

そしてなにを目指すかは「自分が好きなこと」であるというのがこのブログのテーマ、

というかアカデミーの教育理念だ。

いちおう設定を気にするとね。

そしてそれはこれまでの活動のなかで見つけていったものなわけだ。

 

そしてそれは「好きなこと」だから続けられるし考えられるし深められるし頑張れるということなんだ。

いくら”使える”可能性があるとはいえ、好きでもないのに居酒屋の接客業を極めようとはするまい。(これは学校の教科をやらされるのに似ている)

だが、それが好きなことなら、極められるのだ。

という仮定。

 

それを強度ある領域まで高めようというのがここでやる「やる気」と「集中(行動)」なのだね。

 

なににせよその対象となるものは自分で見つけ出すもので、

「これが使えるとかこれが稼げる」などということに惑わされないでほしい。

もうそんな効率だけの生き方はやめにしよう。

それができなかったからここにいるのだから。

どうせ死んだ身で生きているのだから好きなことに賭けよう。

でもトラックの運転手は不足しているようだよ。

どうやらね。うん。あとプログラミングは鉄板だよね。

うん。このデジタル社会ではね。うん。

 

・思考力

これはひきこもりやニートには抜群の伸びを見せる領域だ。

なぜなら一人での活動になるからだ。

 

一人での活動は人に訊けない。

簡単に答えを教えてもらえない。

常に自分で考える必要がある。

 

これはすぐ近くに頼る人がいる状況ではなかなか得難い能力であると思う。依存心や人の力を当てにしてついつい考えなしにしてしまうものだから。

 

物事を考える力は全てに共通する力だ。

「どうしたらいいか」、

「こうすればいいか」、

「いや、これはこうだからこうしたほうがいいか」

と考える力は物事を論理的に把握して道筋をたてる事ができる。

 

固定観念や既成概念にとらわれることなく考えによって目の前の物事を解決していく力になるはずだ。

という仮定ね。ニートだしね。

 

・応用力

これも似たようなものだが、決断と実行を伴う点で実用的だ。そしてもちろんこれも一人での活動こそが修練になる最高の環境だと思える。

 

言われたことを言われたとおりにやることはいずれ機械が代用される。

 

だが言われたことの真意を読み、込みとり、状況に鑑みて、「なにを必要とするのか?」という思考によって対応し、かつこれを決定して実行する応用力。

 

例題「劇のセリフ」
例えば何かの劇でセリフを覚えたとするが、突如忘れてしまった。これは人間である以上しょうがない事だと思う。緊張からとか、とにかくド忘れしたとかで。しかしそのセリフが出てこなくとも、状況をしっかり理解していれば、それに関連したセリフを吐けばそれでいいのだ。もちろんよく練られた名台詞であればそれを言い放ってやる方がいいに決まってはいるけれどね。

 

それが応用力だ。

 

こういったことは現実世界では必ずそして頻繁に起きるものだと思う。だからそれに対する強みは人間の本質的な力の1つであると考えられるのだ。

そしてそれはやはり誰にも頼れないなかで、全て自分で考えて決断して実行するという行動のなかで積み上げられると思うのだ。自分がやらなければ誰もやってはくれないのだから。必然的に自分が実行するようになる。

「これがダメと言われた」ではなくて「これがこうだからダメなのだから、これをこうしたとしてもいいのではないか?」と考えて実行できるようになるのだ。

言われたことだけやっていればいい場合などそうそうはないのだから。

 

・コミュ力

これに関しては正直、

ひきこもりやニート状態にある場合では成長させ辛いものとなる。

やはりいいことばかりではない。

コミュ力とはよく言われる能力として一般の人達でも四苦八苦する物事だから細かいことは抜きにしよう。

結局、「人との経験値」以外にはないからだ。

それは人と多く長く付き合っていれば自然と身につくものなので、それがなければこれはいくら考えていても意味が無い。

これは正直諦めよう。

 

ただしできるだけフラットな気持ちでいることは大事だ。

必要以上に恨まず、妬まず、怖がらず、無頓着でいるくらいがちょうどいい。いちいち人の目を気にするほど暇でもないはずだ。もうね。やることに専念していればそれでいいのだ。

 

必要なときにはこれまたフラットな状態でなにも期待せず接すればいいのだ。

良いことがあったら素直に感謝すればいいし、

悪いことがあればそんなもんだと忘れていればいい。

考えこんだところで大した理由もないことが普通だ。

良いときも悪いときもある。

 

人間関係のほとんどは考えすぎによることだけで形成されると断言してもいい。

 

よっぽどの人間観察者や研究者でない限りそこまで考えることもないのだ。

感謝すべきときは素直に感謝し、

嫌なときにはとっとと忘れる。

どこにでも嫌なやつとは居るものだ。

そういうやつと関わってしまうのも自分だけの不幸ではない。

みんな多かれ少なかれ経験していることだし、

この世界は妖精のすみかでもないのだからそんなもんだと割り切ろう。

 

だが危険があるならば戦略的に対処したい。

あとはハキハキ堂々と応対するとか、不当に対しては抗するとかしていれば圧力をかけられることもないとかいうが、

これも人の性格によって出来る出来ないは変わってくるものだ。

やはり基本は必要以上にかかわらないことだ。

そしてそれでいいのだ。

必要以上のものはこの世に必要ではない。

できるだけフラットに自然にしていよう。

ひきこもりやニート状態で、この能力だけは向上を期待できない。

 

実績系

・成果

能力は段々と明らかになり示されていくのに対して、

実績というものはすぐに理解される。

人が評価するような優れた実績を作っておくことは本質的な力ということにおいて正直、決定的ですらある。

「成果」とはまさにこの「優れた実績」に他ならない。

そんなものがあれば誰でもその人を他とは違う対象とし認めるだろう。そしてわざわざ考えるまでもなくあたり前なことだ。

しかしそれと同時にこれらのことを創りだすのは容易ではない。

だが大いに価値はあると思う。

 

例えば、大学にいくための費用を例えば200万だとするとこの200万で何か自分にしか出来ないようなことで実績作りをしたほうがはるかにその人の力になると思うのだ。

 

なぜなら、いくら大学に行ったとて、

 

それは「あくまで大学の勉強ができた」というだけであり、「必要な技術をもっているわけでもなければ」、「他の大学生と同じになった」にすぎないのだから。

 

それなら200万で誰もやっていないことに挑戦した成果を生み出すほうがよっぽど目立つし魅力的だ。

 

もちろん明確に大学で学びたいものがある場合はこの限りではないだろう。大学というものはその場合に真価を発揮するものだからだ。他に並ぶものがないほど。※誤解されたくないが「大学の勉強ができた」ということ自体は素晴らしいものである。

 

だが200万をどう使うかというのは「人の個性」が出て面白いのだ。

どうか考えなしに人と同じことをしないでほしい。

なんのために自分として産まれてきたのだろうか。

そういうレベルの問題なんだ。

 

・やり通した

実績とはなにも優れた成果だけではない。なにかを1から10までやり通したというのも立派な実績であると思う。

なぜならこれは意外にも困難なことだからだ。

何かに挑戦しようとしたり成し遂げようとした経験がある人にしかわからないことだし、優れた人は皆これを通っているから共感してくれる。

 

まず何かをやろうとすると人が注意をしてくる。

まずはこの既定概念を持った人たちの言葉に惑わされない意志の強さが必要となる。

 

実際に自分がおかしい時もあるが、だからといってまったくやめるべきでない時がほとんどだ。人に止められるというのは既存ではないという良い着眼点なのだからより仕上げていけばやはり、それはやるべきことなのだ。

 

そして必ず途中で問題が起こる。

これは必ずだ。

必ず問題が起きる。

 

それは予期できないことだろうし、物事と物事が動き出すと摩擦が生まれてさまざまな問題が軋みはじめるのだ。

それで投げてしまうことも出来る。

思っていたのと違う。

なるほど確かにね。

理想に届きそうにない。

なるほど確かにね。

やる気が無くなった。

なるほど確かにね。

 

別になにも間違ってなんかいない。

誰も責めやしないかもしれない。

だから辞めよう。

 

だがこれは「実績」にはならない。

 

辞めてしまったのだから。

そしてそれはみんなと同じ。

 

思ってたのと違う。

でもやる。

思っていたのが都合が良すぎたのかもしれないしこれはこれで新しい物が出来る余地かもしれないし。

理想に届きそうにない。

でもやる。

元々理想が高すぎただけなのかもしれないしこれも現実だしそのなかでどれだけやれるかというのも面白そうだしまあやろう。

やる気が無くなった。

でもやる。

少し休んだりやる気が出るような考え方をしたりしみてとにかく成し遂げる。最後までやる。形にする。

 

これは実績だと思う。

 

現実では自分の思い違いのことなんていくらでもあるし、思っていたとおりになんかならない事がほとんどだから。それでもやり通すというのはちょっとやそっとのことで投げない粘りを証明してくれる実績だと思えるのだ。

 

自分が誰かに何かを頼むときを考えればすぐに分かることだ。

 

何か理由をつけてやめて投げる人間と、

とにかく完成させる人間。

 

前者がよっぽど才能にあふれて力も実績もあるなら、すぐやめてしまうというのはあくまでリスクとして計算できるが。確かに天才はいる。悔しいが。だがそれも現実で利用価値がある分だけの使い方使われ方が生まれるものだからそれはそれで良いのだ。

だがその殆どは信頼できるかどうかという実績によると思うのだ。

 

 

 

この記事は工事途中ー

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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