面舵いいいいい進路とれえええ!!!!!
Googleにはない、
この百万世界の片隅に。
「あの死の旅」から早7年となっていることに驚きと納得に見舞われている2017年賀正であります。
あけましておめっとさん。
「え、もうそんなに経ったか~。」と思えども、「……まあ、たしかにそれなりに色々やってきたなっ!」という納得と。割りと後悔のしようがない20代を戦ったようである。
そんな中、
こうしてネットでサイトを持って「家を墓標にやるだけやる旅」という設定にて行われるPC&ネットの世界の活動はコレで4年目を迎えることになりそうで。
ムラクモアカデミー4年目である。
ネットパソコン活動のムラクモ無職ニートアカデミー期
いままでのネット世界航路「①ムラクモ無職ニートアカデミー3年目修了とアラサーニートの大いなる進路」
2013年暮れ~2014年の1年目は「世界はオレに興味がない」と題し、
「いまの自分の世界での立ち位置を客観的に測位した」ということがテーマとなったね。
その他は色々とパソコンやネットを使う上での知見をひろげたり、どんな物が在って、どんな文化が在って、どんなメディアが在って、どんな人がいてみたいな感じで世界観の把握ができたような時期だろうかね。
参考世界はオレに興味が無い。【①ムラクモアカデミー2年目修了でむかうこれから】
2015年の2年目は「独創的すぎた」と題し、
「この荒ぶる我意と創造力のまえではGoogle検索など意味をなさぬ」ということがテーマとなったか。
あとは色々と人様やこのネット世界が言うとるノウハウなどをわざわざその通りに実践してみたりして、自分の考えというよりは人様の知恵に与ってみようかと試しプレイなどをしたりして色々と勉強。あるいはこのネット世界でやっていくための色々なスタイルを検証してみたといったところかね。ブログなんだから「言う」という分野を開拓してみようかということでいろいろなお題に「言って」みていた。
参考独創的すぎた。【②ムラクモアカデミー2年目修了でむかうこれから】
そして2016年の3年目は「存在は行動なり」と題し、
「男だったら背中で語れや」という実践知をテーマに。
自分の考えを表明して伝えるという行為や、主張するという行為、すなわち表現や言論に関しての重要性にははっきり気づけたけれど、やっぱり行動主体が美しいという美意識があることも確信できたのでこの年は、いやこの年からは実践知をやっていこうということであった。そのためにとにかくコンビニ商品からなにからなにまで書き散らすような「ブログっぽいこと」はナシにして行こうとなったのであった。
参考存在は行動なり。【③ムラクモアカデミー2年目修了でむかうこれから】
この年に行われた実践知たち
「ニートダイエット」
無職引きこもりニートの生活習慣を改善するライフスタイル構築ダイエットは大成功を果たし、体重は約20キロ減、体脂肪率も10%近く落とし、食事スタイルも維持しやすく、コストもダウンなどいい事ずくめの企画だったぞ。
「ナガノグレートぼっちチャリンジ&地元マッピング」
密かにこの年の最大目的であった「地元旅」。13歳からひきこもりなわけで、つまり10代の頃の写真も映像もないわけで、まあそんなのどうでもいいちゃどうでもいいんだけど、スターリンとかさ、青年期の写真と壮年期の写真を見比べると面白いしさ、次いでにさ、旅のついでにさ、まだ若かりし20代の旅の記念でもやっておこうかとさ、やっぱりドラクエみたいに冒険とかしたかったしさ、だからやっておきたかったのさっ。
「ブケパロス闘山伝説~ママチャリの非道なカスタムのゆくえ~」
と思ったらば全然登れないというわけ。トレイルキングダム長野県ロードを舐めていたというわけ。そんで自転車改造カスタムが始まっていくというわけ。コレに時間をとられたから旅企画も縮小したというわけ。しかしこのせいでこのブログが収益化されてしまったというわけ。複雑な心境というわけ。「むらくも輪業」というわけ。
というわけで見事なまでに「実践記」である。
つまり2016年始に言うてたことはまあまあ出来たかなということで。
それだから精神衛生上もかなりよくって、自分の好きなアイデアとやり方と工夫とで暴れまわって、他を気にする暇もありゃしないと言ったくらいに縦横無尽の活動ができたかもしれない。
とにかく自分の気持との「折り合い」は良かった。
折り合い重視のペース重視な人生でいこうとしているものだからとんでもないマッチング率を示してくれたというこの年は収穫も大きかったと思われる。
さあこれからのフライング・ニートマン号の進路や如何に!?
Googleに○ロされる日。
Googleの考え方とはどうにも合わないみたい。
というのがこの年の最大の収穫かと。
言い訳でもなんでもいいけれど、とにかく今はそういう判断が下せて、思い切った行動を取るのに都合がいいし、
心底そう思うからとにかくそうなのだ。
もうそういった?音楽性の違いとか?方向性の違いとか?そういったアーティスティックな相違によってこの世界とのスタンスを調整しようということだよまったく。
2年目に「世にないものを作ろうとしやがるからGoogle検索なんかひっかからん」と言った。
けれどね、一応これまで数年間やってきたわけだからね、それなりには知識や考え方もあるわけで、そんで一応ブログは続ける(作ることは面白いから)ということでやっている以上はだよ?
「何かしら工夫はしなけりゃ成長もないというスタンス」
でやらせてもらっている人生な以上はそれなりにGoogle検索も工夫するわけである。
SEO対策的なさ。
この年の記事タイトル群が、とにかくキーワードを入れ込んだベラ長いタイトルでデータを取っていたりするのはそのためである。もうアタマが悪いからね。そこは人海戦術的に思いついたものをやってみるという塗りつぶし戦術である。
そうしたらやっぱり引っかからん。
もともと引っかかるようなことを考えてやっているわけではすでになく(この3年目からは)、「自分がやりたいことにSEOを効かせてみる」というなんだかかっこいいスタンスで工夫してみたが、やはり微妙なことに。
引っかかった自転車関係のものもある。
まあ何かしらやっていればこういったこともあり、そこから色々と分析は可能で、それは面白く楽しんでやれているけれど。
「もう人生のメインがブログ発信でなくなっている現在となっては、やはりそれはメインではない」けれど、
思うところはあるよね。
「Googleの考え方を考えろ」=「究極のSEO対策」
結局検索エンジンの仕組みというかアルゴリズムとやらはGoogleの中の人が作っているわけだから、Googleの人の気持ちになって、
「どうしたら検索ユーザーが使ってくれるか?使いやすいか?利用価値があるか?」
が原理なのだと。コレは軍事でも政治でも相手の立場になって考えてみるという基本にして奥義のスタンスだ。
いちいちの現象に振り回されて、「文字数がどうたら、Hタグがどうたら、アルゴリズムが変わっただの戻っただの、」みたいなその時々の攻略法なんかじゃなくて、
「価値の本質をみろ」
と。Googleが何で利益を求めるのか、それが広告収入だとしたら検索エンジンを使ってもらうことに全力を尽くすだろう、ネットと言えば検索だったけれど、今日ではツイッターやフェイスブックやユーチューブやインスタグラムやなにやらとネットの世界もそれなりに住み分けされてきている中で、
「ネット検索を使ってもらうような価値をどうしたら提供できるのか?」
それに腐心しているはずだと。面白いネタはツイッターやユーチューブ。リア充アピール外交はフェイスブック。コミュはLINE。美意識重視の人たちならインスタグラム?実際どうなのか知らんし、これらのタイムライン上にもネット記事が回ってきたりするからその境界線というのはジェンダーフリーのNO BORDERでそれなりに行き来が盛んではあるけれど、
ネット検索といえばやはり「役に立つ実用的なコンテンツ」がメイン。
というか、Googleに「面白い」を判断することができない。できてたまるかこの野郎めって感じやけれども。
役に立つことがしたいわけじゃないからなあ。
コレは2年目で言うてたことやけど、やはりここに収束する。「結果、役に立てばそれ幸い」というスタンスなのだ。もともとは「自分のやりたいことこそが最も始原的なやる気の原動力」なわけであるから。逆では長続きもしないし、「まあ無理という認識で人生を進ませることにしている」というわけで。
「その中で、できることがあるとしたらなんだろう」というのが2016年のテーマの一つでもあった。
それほど決断力に優れていない私としてはだね、無理やりひきちぎって進路変更などはあまり得意ではない。もっと若い時ならアレだけど今はもうちょっとしんどい。早いけど。ニートやしそこら辺の気力はまあマストやで。だからまだある程度はこの世界においての可能性を模索はしていたということで。
「しっかり作ったコンテンツでちょびちょび、だが確実に価値を持ったコンテンツ」で一本釣り計画。
というテーマにてこの年のブログ分野の方針としてみた。
ユーチューブ動画もユーチューバーみたいに連続投稿なんかできないというのは初年度でわかっていたしさ。
別にユーチューバーとか目指してないんやでホンマに。「とにかく投稿しまくらなければいけないという認識」もある以上、コレは無理だなということは2014年にはそれなりにすぐ判断した。
ブログにしても普通に考えたなら無理だろうとは判断できた。
とにかく「的確にではあるが、バンバン量産できなければブロガーとしてプロ級の活躍もできないだろうなという認識」である以上、コレは無理だなという判断は2015年にくだされた。
そこはもうやり手にばんばんとシュレッダーにかけていく。
「とにかく有名になってチヤホヤされたい」わけじゃないんである。
「自分の個性が活きる場所で生きて死にたい」のだ。
「だからそれを捜すし、なければ創るし、それでもないなら未練はない」というのがこのロンゲストマーチ(1年か50年か死ぬまで続く行動の旅)でありガンパレード・マーチ(撤退はない戦い)なのだ。
自分がそこで活動できるか否か。
求めているのは基本的にはこれなんだ。最も根源的で基本的な原子はこれ。栄光とか栄誉とかいうよりもずっと基本的な素粒子レベルの要因はこの欲求のみだから。
「コンビニも接客も面接もできない自分が生きれるとしたらコレシカナイ」からそうしていると言うだけで、別に世の普通からしてはみ出したいとか言うのではなく、
というかもっと若いときはそういうものもあったけど、今ではより基本的で切実に「それがオレにとっての普通だ」というだけなのだから。という認識。
まあそれはいいとして、
この「一本釣りコンテンツ」はあえなく撃沈しているよね。
地元マッピングや、その他のダイエット記事や競馬記事や何から何まで、やりたいこと基準であるから量産や専門化はできないので、
一つ一つを充実させての一定層一本釣りはあまり効果が見られず。
うん。まあそれは予想がついたけれども。ただ情報量が多いからといってもSEO対策にはならない。
しかし「オレがやりたいのはコレで、だからこのスタイルでどうにかできないとこの道は歩けない」ということにはなるわけだった。
「じゃあやり方を変えれば」とはなるけども。
それは多分これからもやっていくのだろうけど。
「どうせやるなら同じやり方をしてもしょうがない」と思うタイプだから。
面白いものがないGoogleの世界
もうあえてはっきり言うよオレはもうね。
オレのドゥラメンテの記事とかめっちゃ面白いからね。
自分で言わすなっちゅうことやでまったくええかげんにしいや。
でもこんなのはGoogleでは見つからん。
求められてないから。
役に立たないから。
競馬関連のキーワードではかならず「大型の競馬サイト」、そして「馬券の予想を主としたサイト」の情報が上にずらーーーーと出る。
そんなん要らんがな。
こっちは。
ドゥラメンテのファンさんの熱い思いが聞きたいんや。
みんな同じような単発の一報情報だけの記事が載るのが大型の競馬サイト。
いや必要だよ速報的な情報はさ。
でも1つ2つでええやん。
そんで馬券予想だってみんながみんな馬券だけで競馬を観てるわけじゃないやん。
いやそりゃ必要だろうし興味あるだろうけどそんなにいるかって話やで。
2つ3つでええやん。
でもGoogleだと同じようなのがずらーーと3ページくらい続くんやで。
「役に立つからしょうがない」と。
「役に立つなら同じような情報でも同じようにずらずら並べるで」と。
だから少数派はうまいこと捜すか、ツイッターやインスタから口コミで流してもらってということやで。
Googleも人がやっているのだし、
更に検索エンジン自体の動きは機械だからすべての要求には答えられないだろうし、
ニーズは絞るだろうし、
それに文句を言うとるわけでも責めてるわけでもなし、
あくまで補助として利用させていただいて、その本質は自分自身で捜すというのがあるべき基本的スタイルだろうし。
別にオレが書いた競馬の記事が載らんことに怒ってるわけじゃなくて、
そういう物が書かれているだろう記事がやっぱり見つけづらいし、
また逆に言えばGoogleで上に載らなくとも面白いものはあるということを痛感したということやん。
だってオレおもしろいの書いとるもんね。
動画だってそうやでまったく。
景勝地なんて検索してもやっぱり同じような4Kで撮影された動画が縦並びでずらーーーーっと並ぶ。
キレイやでホンマに。行ってないのにやで?行ってないのにこないなキレイな景色を観れるっちゅーんやからなまったく撮影者様にはありがとうございますの一言やで。
せやかてなんぼもいらんのやで。
流石に4つも5つも同じ場所の4K動画じゃ価値はなくなるやで。
それだったら別枠で何か違ったアプローチをした物を並べてもええやんまったくオレのとかやなまったく。
しかしこの世界的にはやはり「そんなんいらん」ということではじき出されるわけ。
そうしてクオリティを保ってくれるだろうけど、
やっぱりバラエティがないとつまらんとこの私は考えるのだ。
こうして自分がGoogle視点で考えてみてもやはりそんな相違が出てきてしまうから、
「Googleの立場で考える」という基本にして究極のSEO対策も、結局は食い違いが起きてしまう。
「オレが馬鹿だから」って話は気をつけろよまったくもう。コレはしょうがないよこれがオレの良さだからしょうがなしいい加減にしろ。
しっかし小手先のSEOなんてやってた日にゃあ、
「いったい自分が何がやりたかったのか」という目的と手段の逆転現象が生じ、
「ちょうつまんらん」状態となり鬱になって人生を呪いに呪って干からびていくことになってしまう。
そんなのは嫌だ。
しっかしやで、
YouTubeもニコニコ動画も人気で大きな影響力があるものとして「あなたへのおすすめ」やらと、よく表に出てくるものだってやっぱりそんなに興味ないわけじゃない。
みんながみんなそんな大衆受けするものが受けるわけじゃないじゃない。
いやそれ自体は素晴らしい価値を持っているのだろうけど、要らない人にはやっぱり要らないじゃない。でもそんなのばっかり目に入るようにしてくるじゃないこういったところは。
特にバラエティ系が多すぎるじゃない特にYouTubeは。
要らんてそれは。
いやそれ自体はすばらしい価値はあるのだろうけどそんなに推してこられても「いやいいから」ってなるじゃない。
かといってそうじゃないような埋もれた動画がクオリティ高いというわけでもないけれどもやなまったく。
まったくそこはやはりよく目につくものはそれなりな出来やでやっぱり。
けどやな、
全く関係ないキーワードか、薄いキーワードですら、チャンネル登録者数やら再生数やらが高いというのが最大級のSEO効果のようにして横に並んで出てくるのはどうなんか。
そして観たらやっぱりはしゃいどるしやな。
女子さんならかわええからええけれどもやな。
それだったらピンポイントでキーワードがビシっと決まっている動画を上げてくれよって。見たいよって。内容は見てみなきゃわからんけれどもやな、そういう枠としてはやっぱり入れたい。
オレがYouTubeの運営者なら。
RPG全盛時代だからとドラクエテンプレが溢れ出てどうだったか?
うちはコーエーがあったから兄貴は歴史の先生になったし、
オレも生きる指標を与えてもらったよ。
ドラクエテンプレばっかりしか流通させてもらえなかったらそんなこともないわけやで。
ソーシャルカードゲームで最強の軍団を作ることが全盛の時代に、パズルで戦わせられるから孫正義の弟さんはホッとしたわけじゃない。「弟も大丈夫だ弟も大丈夫だ」と言うてやなまったく。
「カードで最強の軍団を作れるゲームはこんなにありますよ」
ってズラーーーと並べられてもこまるやでしかし。
「こっちの最強の軍団は割りと最強で、こっちの最強の軍団はそれなりに最強の軍団が作れます」
ってズラーーーと並べられてもこまるやでしかし。
それ以外は価値が無いように刷り込まれてしまうやで。その世界だけに吸い取られてしまうやで。企業はそうやって囲い込みたいところやろうけど、やっぽり自分としてはそれなりに色々と回って、結果として自分で選ぶだけの価値を感じてほしいとか考えてしまう。
それにこのブログの名前も間違うとるしやな。
人の名前を間違っても平然としておるし。どういうことやねんこれは。
ニートのブログとしてまったく認識されんしやなほんで。
なんでやねんて。
数記事しかなくても認識されてるのもあるところへ、
なんでここは無視やねん。
もう全然わかんない。
そりゃオレは馬鹿やで。
その認識や判断がお門違いで間違っているかもしれんけど、
今現在そういう考えで認識なのだってこと。
だからそれを元にした進み方や判断や決断しかできんということ。
つまり考え方が違う。
究極のSEOが使えない。考えが違うから。
小手先のSEOはしたくない。いずれ使えなくなるから。
となれば進路は必然的に変わっていく。
だってこのGoogleの世界では「の5つの方法」やら「のおすすめのやり方」しかないから。
Googleという太陽
Googleってすばらしいわけで。
グーグル教なんていうて全世界に信者をぎょうさん抱えとる。史上最強のウェブ広告アドセンスを使用する人間はだいたいグーグル神を信じている。
オレもお世話になっているわけで。
ビジネスパートナー。9,5対0,5くらいな割り切ったビジネスライクな関係。あざーーす。
でも何より無料のサービスというのがすばらしい。
基本的に有料サービスのほうが信用できるからいいのだけど、
無料のサービスというのは底辺の人たちには本当に助かる。
Wikipediaもそうだし、
このネット自体もそうで、
それにはやはりグーグルのサービスも大きい。
「役に立つもの」を上に上げて検索しやすくしてくれるおかげで色々なことが学べる。知りたい事の触りを知るのにはこれ以上無いツールだし、深く体系的に調べられないこともないから本代が浮くこともあるくらい。
パブリックなサービスとはかくも美しいものだと日々痛感する毎日である。
だから基本はすばらしいと心底思うし感謝もしよう。
とりわけネットの世界においては、
「太陽などと同じくらいの自然環境に近い」
というのがグーグル検索だと思う。
だからその太陽に向かってああだこうだと文句を言ってもしょうがないじゃないか。
それは自然との向き合いというが如きレベルなわけで、
我々はそれを、ときに科学で理解し、ときに宗教で感謝し畏れ、これを享受し利用して運用するに努めてきたことで繁栄してきたのだから。
まあそれでもグーグルは人が運営しているし。
いつどう変わっていくかは分からない。やはり運営者たちの考え方との相違は出てくるだろう。
そこまで普遍じゃない。自然みたいに化学反応式を覚えたらそれでいいというわけにはいかず、変わっていく。
いや宇宙上の構成物質が地球に流れ込んだらまた化学反応式は覚えなおさなけりゃあいけなくなるかもしれんけど。
ちょっと大げさだけど、
ともあれ、
この世界では殉じれない。
というのが今の答えかな。
「自分が活動できている」という好きな部分もあるし、
でも「考え方自体は通用しない」というキツさもあるし、
好き好き嫌い嫌いでもスキみたいな。
しかしここに惚れ込んで「この世界で生きて死にたい」とまでは思えないか。
大げさか。
この百万世界の片隅に
そんな話題のアニメ映画と?
我が故郷たる幻想水滸伝の世界観をアポーペンさせた見出しでキャッチーでしょ。
いいかい?
あ...ありのまま起こった事を話すぜ?
このネットにはグーグル以外の世界があるんだ。
信じられるか?
オレは信じられなかった。
ネットと言えばグーグル検索だろ?
ヤフーだってグーグルの検索エンジンだ。「私グーグル使わないから」って言ってヤフーをつかっている妹をどんな心で愛でているのかわかってほしいよ。
ツイッターは通知運用で距離感がわからなくなって久しいし、
オンラインゲームから離れてもそれなりに長い。
いつの間にかグーグル漬けだった。
でも、いや、だからこそやっぱりこの世界はGoogleだけじゃないじゃん。
ネット環境にもやはりいろいろな文化圏があるなあと思いだしたり、気付かされたり。
大きな影響はある。
ツイッターしかやらなくたって、ネットの記事がツイートされれば目につくし、「いいね」されればフェイスブック界にも飛んでいくし、LINE界でもコミュの肴にされる。
だからツイッターが得意な人はそこから口コミで広がるだろうし、いろいろな露出の仕方があるんだろうね。
Google検索以外の世界は。
と、そういったことで。
オレはそんなんないからどうしたもんかと。
あえて、
あえてこれだけネット漬けした数年間を挟んで思うのはさ、
「近さの価値」。
ネットはどこからでもどこにでも一瞬でつながる。
だからこそ広すぎる。あまりに広すぎる。
誰にもどこにも到達しない光が幾星霜の状態で。
でもすぐ近くの人にはすぐ伝わる。
この言葉も、存在も。
その近さは、
物理的な近さというだけじゃなく、
文化圏的な近さというのもある。
英国人がドイツより東南アジアのほうが言葉が通じるがごとく。
ネットで世界がつながると言って駆け巡った時期から、
「巡り巡って結局は銀河みたいに渦を巻いたコミュニュティ群が形成されて」、
それぞれを隔てているということを、
なんだか如実に、
不意に、
まじまじと、
直感的に、
そして論理的に、
痛感した年だった。
だからどうしたいかといえば、
Googleが検索できないおもしろい世界をつくって悦にはいってたってええじゃないどうせいつか死ぬんだから。
っていうことやで。
狂気やで。
やっぱり私の最もやる気の出る原子核とは「やりたいこと」だったのだから。
それ以外は全て2の次3の次なのだから。
いつ果てるともしれない人生の中で、
セーブ&ロードのない一発勝負の人生の中で、
今選ぶとしたら、
今歩いていくとしたら、
やっぱりこういう仕儀となっていくわけ。
この秘境だからこそ、
やってきた者は盛大にもてなそうじゃないか。
そういった裂け谷みたいな?
知る人ぞ知るエルロンドの館みたいな?
そんなんでいいわもう。
もういいわ。
しっかしGoogleとはこれからも付き合っていくわけでね。
それは。
一応ブログをやっている以上はいろいろなやり方を試し試しやっていなければ飽きてしまう性分やし。
ただこれからははっきりと「力をつぎ込む対象ではない」という、
「舵取りをするよ」って話で。
「Googleの世界に取り入ってうまいこと乗りこなしていくというのではなく」、
それ以外の世界を作って、
「否が応でもGoogleが認識せざるをえない銀河系の形成を目指そう」
というそういった自由惑星同盟ばりなプロジェクトというわけで。
うん。
そういうテンションのほうが合ってるわって。
「好きなやり方」のほうが後悔はしないんだぜ。
むらくもは
「“自分ギャラクシー”することにした!」
スーパーレア「真打むらくも」は
ウルトラレア「薫むらくも」へ進化した!!!
単位 | |
「自分がやりたいことをとにかくやる(金無し)」 | 95/100 |
「自分がやりたいことをとにかくやる(金あり)」 | 5/100 |
「やりたくない苦手で不得手なこと&やりたくて好きで得意なことを知る」 | 95/100 |
「自分の分野を創る」 | 20/100 |
「人生のテーマを決めて旗を立てる」 | 10/100 |