【ニートによる可能性ゼロの挑戦】まずはその舌の根から焼き尽くしてやろう。

可能性ゼロの挑戦……!! 
 そもそもボツられたからって「夢幻戦記」の魅力ないとか悪いとは思わないんだ。
 
そんなこと思ってたらこんな無謀な挑戦してないから。
 
私が愛さずに誰が愛すというのか。
 
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 随分と舌に脂が乗るようになったものだ。
 

趣旨
「そこそこのやる気で一体どれほどの高みへ到達できるか。」

舌の根から焼き尽くしてやろう1
技なし 学なし 金なし 友なし 愛なし 脈なし 

というドシロート。

加えてそれほどのやる気もない!

そんな状況で目指す『史上最高のRPG(ゲーム)』創り。

人生に明確な目的など無く、

究極的な未来を考えた末に絶望しか無かった人間が持った小さな主張。

それはやがて野望となった。

そこそこのやる気で挑む高みを目指す人生の至上命題。


たった一つの考えを軽い気持ちで行動していった人間の記録。

ただし続けた記録。

 

サイト3大テーマがひとつ
【目的】

 

「そこそこのやる気で一体どれほどの高みへ到達できるか。」

 

やる気はそこそこ。

「何が何でも何をしてでも絶対に成し遂げなくてはならない!」

等というものでない。

妹が人質に取られている訳でも姉が病気な訳でもないし瀕死の兄に使命を託された訳でもない。

元々生きる気力も無いような不敬な輩。 バイトもしなければ専門学校入学なんかも目指さない。

やれたらやる。

「やれるならばやる。」

という精神で挑む記録。生きているし動けるのならば何かしようという考えにて、行ける所からやれる事から大きな壁があれば迂回して強敵が出てくれば逃げまわりそれでも進める方へ向かっていくという挑戦。 もう何もしないでボーっとして浦島太郎になるのだけは御免だ。

大きな一歩の影響はたしかに大きい。

立ち向かう。戦う。弱さと向き合う。

それは同時に困難も伴う。

そうして動けず10年20年と経っていく。

ならば小さな一歩でも良いではないか。簡単に。気軽に。楽な気持ちで。 最初の一歩を踏み出して進んでゆけば。 それで良いかどうかは勿論わからない。今やってる途中。そこそこのやる気は一体どこまで自分を連れて行ってくれるのだろうか。とにかく動く。

 

 

挑戦の記録

2011年~若き熱病

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すべての始まりは「RPGをたすけてください。」という一つの思い。 私の言うRPGー 怒りと悲しさで綴った論理の断片を繋いで論文を書くという暴挙。 熱で病床に臥せった正月にふと考えてみる企画。それはあまりに面白かった。「だが何もしないよりはマシ」だった。

自らの運命に問いかけた「エンドウォーズ」の熾烈なる戦いの後に続いたしばしの放心状態。 その後とにかく「何かしたい」との思いが出始めていた21の初夏。 本を読みゲームを漁ってシゲキの日々。 何かしなければ何かしなければと腐乱に何かをして不安をかき消した。

ゲームだけは次第に許せなくなった。

「あれ、なんだか全然面白くないぞこれ。ゲームだけ面白く無いぞこれ。」

何かしなければとなんでもいいから漁っていた男にさえ気づかれてしまう。

RPGはもう面白く無い。

怒りと悲しさが其処には在った。「自分ならどうするか」 正月の病床にて考える。ああアレが良い。ここはこうだ。

 

熱にかかった頭の所為でそれは始まった。

 

副産物

切手の買い方を覚えた。郵便局のおばちゃんに頼むことが出来た。 コンビニのコピー機を使えた。店員さんに頼むと紙補充してもらえるという隠しイベントを達成。 妙な目標を持った。
 
 
 

2011年~大企画時代

熱病の床にて産み出された企画。 考えに考え、ルーズリーフに書きに書き、送りに送りまくった企画書テロを敢行する。 大企業に返還用郵送代を出費させるにとどまる戦果を記録。 「1人の人間にとっては小さな一歩だが、全ニートにとっても小さな一歩だった。」

企画を書きさえすれば実現できるかもというあまりにも若く青い衝動。

「何もすることないしやってみるか

という軽い行動。

自分にも割と暑くるしい想いがあるのかと驚いた。

「貴君の益々の繁栄を心よりお祈り申し上げます」

そうやってお祈りしてくれる大企業さんたちのためにも送り続けた。

そっちで繁栄するからって。繁栄を謳歌するからって。

その後、ふてくされたり、似た様なゲームをファミ通で見るたび焦ったり、憤ったり、 全く別のことにチャレンジしたり、

「だが何もしないよりはマシだ」

と高らかに思っていた若き衝動の日々。

 

自らの人生を切り拓くことに夢中だった。 

 

副産物

タイピングとWordを覚えた。それまで全く関わってこなかったネット&パソコンの世界に触れていく。ぼくは体育会系だもの。ひきこもりとセットになりがちなこれらの神器もまーたく持ち合わせない聖児だったボクだもの。何してたか?
 
天井見てた。
 
※12の時には親父が兄貴にパソコンを買い与えた為存在していて、自分もネットでゲーム攻略情報を高速検索したり(当時は電話回線だかで固定費ではない)、ペイントソフトで落書きして印刷したり遊ぶがそれきりだった。 三国志全巻も買い与えていたぞ。
 
 
 
 

2013/秋 サイト爆誕 「これでダメならもうゲームとは一切関わらないでおこう」

という怒りの元に、

最後にネットサイトでも作って賛同署名募ってゲーム会社に叩きつけてやろうと画策。

しかしそれは忘れ去られた。

後、金稼ぎ目的という別ルートにて、

或いは行動の一環として、

2013年晩秋にこのサイトが爆誕する。

 

「私の言うRPG」とやらを近年プレイした中から現在の眼で列挙してみる。 至高のRPGと銘打っておきながら鬼の少なさを記録。 最近全然やってない。このコーナーはこのままでいいのか。

自分がRPGというジャンルに何故これほどに拘るのか。

その唯一性は?何故それでなくてはならないのか?

そんな物が改めて自分でも見えたような気がした。自分がやるべき事が少し定まった気がした。

わざわざ書いて伝えたかったのか?誰に?何を?何のために?「それでも何もしないよりはマシだ」

とまだ吠えていた。

 

様々な活動の末に疲れきった頃、思い出した自分のキオクたちに感動を覚える。 様々に影響されて、そこには感情が溢れていた。

 

副産物

ヤフーメールが使えるようになった。ネット銀行口座を持った。楽天で買った2500円のロックマンゼロシリーズの売れ残りをAmazonで売ったら7000円で2つ売れた。オークファンでネット相場のチェックをしだすようになった。あるゲームを6月に仕入れて8月終わりに売ると3千円ほど利益が出た。ヤフオクでも売買をしたイオンの店舗で見かけたファミコンウォーズを売ると2000円の利益が出た。毛嫌いしてなおかつ関わりたがらなかったネットの世界で、あろうことか金品のやり取りをして利益を出せた。 せどりに飽きた。いや別に総じて稼げたわけではないし。

 

 

2014年5月~9月 第一期 名作を追え!

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【第一期】日本のRPG名作列伝 創初期~黄金期の終末

好奇心で調べてまとめ上げた名作ゲームシリーズ列伝

「日本のRPG(ジャパニーズロールプレイングゲーム)」の歴史を追ってしまう。 とても愉しい。 せどりという中古転売を少ししていた頃に様々なゲームを見るととても懐かしかった。その歴史が知りたくなって大風呂敷を広げてみたものの手に負えずにRPGのみとなっているぞ。

世に名高き名作たちとの邂逅。

誰が、いつ、誰と、いつ、どうであったか?誰かにとってなんであったのか?

それとは名作。

「私の言うRPG」など関係がない

「誰かにとってなんであったのか?」という価値。それをひたすら追った。 何のために?何かになるのか?

「それでも何もしないよりはマシだ」

とまだほざけていた。

 

「誰かにとってなんであったのか?」という価値。

 

副産物

HTMLとCSSに慣れてきた。吐きそうだった謎の文字列の羅列も始終見てると慣れてきてしまった。今では少し楽しい。ほんの少し。

 

 

ついに過去3回の挫折経験があるRPGツクールに手を染めてしまう。 ふとクリックして立ち寄ってしまったツクール新作の広告。 それから気になりつつ遂に遊んでしまう。

「自分には無理だ」、「自分にはこういう技術系は無理だ」

そう決めつけていたが、見ると興奮して腹の下あたりがムズムズしだす。エレベーター降る時みたく。

「作るってやっぱいいな」

とイジってみると

「こいつ…動くぞ!!!!」

小6の頃月刊コロコロでみた田中太郎なんとかというマンガがツクールで作られている企画を見て購入。 クラスの人間をキャラ化して皆で笑うにとどまる。 15、16くらいの頃に兄貴と構想した戦記小説のイメージとして試みるも原作が出来ていないというニアミス発生により封印。

だが齢25にしてようやくスクリプトを把握できることに。

というかそんなもの必要なくなっていた。 企画書を書いていた頃はどんなに無視されようとも、

「いや企画書の書き方は知らないからまあイイ。ゲーム自体は面白いに決まってる。」

との若き謎の自信にて心折れること知らず、 なんとか完成形をイメージできるようにと紙で作るボードゲームを考案。それは未遂に終わり事なきを得たものの。受付担当の方にとって幸いであったものの。

「だが何もやらないよりはマシだ」

と心がまだ燃えていた。

 

しかし今やツクールが使える所まで来た。

 

欲を出さねば十分に自分の構想を表現できるところに居るはず。 ルーズリーフ企画書よりはマシだろうか。 企画書なんて書いて分からず屋共に阿るより 最初からこうすればよかったんだ。

 

副産物

動画制作や画像編集などデジタルクリエイティブな技術に少し慣れてきた。 出来ることが増えるにつれて「言いようもなくどうしようもない不安」は消えていった。 敵ははっきりと見えた。

 

 

2014年10月~ もしも最後なら。

2つのツクール試作を経て着々と試作は重ねられた。今作もそのつもりだった。だが思うのだ。もしも最後なら。 自分の人生で創りたいものは2つのみ。この作品はその1つのシリーズになる。自分の人生の最後に作れればそれでも良いという本質的な価値を持ったものだった。さらに自分を成長させ、感性を磨き、知識をつけ、知見を得て、さらに勉強する必要が出てきた。しかし小説を断念させた「壁」がここでも立ちはだかるのだった。

さすがに一連の行動も5年ほどを経ようとしていた。

21の頃に生きて還り活動の矛先となってきたこの「史上最高のRPGつくりを目指す」行動。 はっきり言えば活動しているだけでよかった。 元々何としてでも成し遂げなければいけないモノの無い身だった。

だから終わらせたかったのだ。

しかし自分は何かしたいと底で思った。何故かはもうどうでもいい。とにかくそう思った。 だから行動して行動して行動してきた。浦島太郎はもう御免だから。 つまりなんのことはなく、 後悔しない様に何かしら活動していればそれでよかったのだ。 目的を果たそうが、成功しようが、金を稼ごうが稼がまいがいつかは死ぬし元々望むモノの無い身。 贅沢だがそうなのだからこれは仕方がない。死の底を見てもそうだったのだから仕方がないのだ。 そして活動して焼き切れたという感情も抱くなどそれなりに感情を持って活動してこれた。

そして5年間を振り返れば楽しかった。

人が羨むような事象は一切起こしていないし手に入れてもいないのに。 振り返れば単純に楽しかった。

ああ私はなんと恵まれているのかとさえ思った。

5年間も好き勝手に自分のやりたい事を本気で全力に近い形で取り組むことが出来たなんて。 もう自分は21の時から自分の力では生きていないし総ては家がくれた命と時間だ。 恥ずかしいが感謝しか生まれなかった。野心は消えていた。 様々な活動も、 様々に苦手なこと得意なことを教えてくれた。 ほとんどは苦手なことであったが。

1つのきっかけだが血便が出て癌のことを考える時があった。

正直本気で癌だと思った。大腸がん。病状は見事に当てはまった。 よくある話だから今思うと笑えてしまう。体重は増えていたのに。 そして思ったのは

「先ず余命があるならばどれくらいだろうか?」

という関心だけだった。 それによって今後の行動を決める必要があるからそれを知るために病院へ13年ぶりくらいに行った。 少なくても半年はあるだろうとか思った。末期でもそれくらいはあるらしいから。 そして正直がんでも良かった。 この先何も出来ない存在として老いていくだけより話が早い。 というか元々そんなことを考え続けていた身だから。人工肛門の方が嫌だった。 むしろ

「ようやく終わるのか……。」

とすら思ったほどだった。 やはり活動は疲れもするのだ。 少し、働き詰めで死ぬことだけが救いのようなラットレース状態時の感覚に居るのが変なのだが。 ただ、それなりに自分が時間をかけて、それなりには悔しい思いや惨めな思いを経て、 取り組んできたことがあったわけなのだ。考えていたものが。

「それをやりたい。」

人工肛門になってもやれる限りはやる気だった。 元々「死を覚悟している」とは言ってもそれと少し距離を置いているとやはり感覚を忘れてしまう。 感覚が麻痺してそんなところとは無縁のような感覚に陥ってしまう。 が

それはいともたやすく突然やってくるものなんだよ。
いつそうなるかなんて解らないんだ。

そしてまたそれが近くに来ると細かなことは殆どどうでも良くなってしまう。 変に活動して、俗世に触れていき、妙に欲の出始めていた頃がまた価値を落とした。

「もし1年後死ぬなら今日は何をしたいか。」

それは後悔がないものか。 恥ずかしくないものか。 もう結局それしか無かったのだ。 元々要らないものばっかりだった。 クソみたいなものばかりだった。どうでもいいものばかり。

要らないから。

「自分はこれをしていたい。」と思えることをやろうと思った。

心底。

 

「男児たるもの朝起きて障子を開けたその時から「今日は自分の番だ。」と心しておけ。」 (藤堂高虎)

 
5年も完璧な時間をもらってどうにもならないならもう才はない。
 
ただし、
 
やるだけのことは、
 
やれるだけ、
 
生きているだけやり続けるのだ。
 
どんな最後になろうと後悔だけはしない生き方がしたい。

 

後悔のしようのない生き方だ。

幸せな生き方でも傷つかない生き方でもなくて後悔のしようがない生き方。

その時点で考え得た最良の道を進むこと。

 

自分が最後にやりたい事は「自分の好きなことを突き詰める」ということのみ。

 

その表現の手段は色々あった。 その手段になんのことはなく都合のいいゲームを選ぶ。 今の時点では、それが都合がいい。

 

立ちはだかる壁

元々ゲームは企画だった。 つまり自分はプロデューサーでありディレクションだった。 ここであまり深くは考えなかった壁にぶち当たったのだ。 元々プロに作ってもらおうと都合よく始まった行動なものだから、 デザイン以外は全て人任せな企画だ。

なんということだろうか。

シロートは全く困る。 その壁とやらは書かないことにする。 世に出ればそれが何か判るし、 出なければそのまま人目にも付きたくない。 何にせよその壁は困ったもので、自分が行動の中から導き出した「自分の本領」を侵すだろう要因。 つまりその所為で全力投入できないということになる厄介な要因。

「自分の得意なことで徹底抗戦」という5年の行動の答にヒビが入るわけだった。

小説を断念するのはこのためだが、やはりゲームでもそれは大きな要素であり、 というより「私の言うRPG」とはその要素が最も大きいのだから。 そしてまた、

もうステップだとか試作だとか温いことは辞めにしてこのタイトルに今の全力をぶつけようとしている。

だからもっと自分を成長させなくてはならないと思った。 ブログなんぞどうでもよいこと書いとらんで行動し始めにそうであった様に自分を創る刺激を与えなくてはと考えている。

 

「後悔しようがない生き方」に引き篭もって徹底的に研ぎ澄ますという手段を選んだ。

 

副産物

画像編集にハマるようになる。有名なアドビのフォトショップを駆使しだす。 Word→ドット絵ツール→フォトショップという長い旅路だった。 自分が人に教えるなら3日で良いというレベルに一人で到達するのにこれだけの工程を要したというわけか。

 

 

2015年4月~ 日本のRPGから受け継ぐものは。

アラサーという30代に入ろうかというこの時期に挑むファイナルファンタジー。イベントの構成、バトルの雰囲気、全体設計、そんな今の「あたりまえ」が作られた時代にRPGというジャンルを飛び立たせた飛天の名作。ファイナルファンタジーに触れることで「壁」にすこしでも躙り寄れはしないかと画策。

そんなことを言いつつ名作RPGを遊びたいというだけ。まったく自己内向的企画にて内へ内へと入っていくこのサイト。それでいいそれで。ともあれ引き篭もって研ぎ澄ます年にするはずがイレギュラーな事が年明け早々に起こる。 また春にはドゥラメンテ3歳牡馬鹿毛母アドマイヤグルーヴがG1制覇してしまうなど妙なイベント続きで翻弄され全然本来のスタイルで出来ていない2015年。

 

結局色々やっている

(∀`*ゞ)

 

いや、

まあ色々塗りつぶしてしまった方が後々の為だし。

そんなこんなで2015年現在まだ取り敢えず続いている―

 

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いいから、

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早くやれ!!!!

2016年1月17日

執筆者: フライングニートマン