脈々と受け継がれてきたブリヂストンサイクルの枯れた血を持つ自転車や!
【とりあえずの愛機】通学用自転車といえばまだしも結局ママチャリ
ブリヂストンサイクル アルサス(2003年型)カスタムバージョン
やはりやはりの兄貴から譲り受けし13年モノなビンテージ通学用自転車である。通称「ブケパロス号・改」は兄弟2代に仕えしアルミ重馬である。「府中にチャリで逝っちゃおう」から引き続いて老骨に鞭打たれる。ブレーキもイカれはじめ、そろそろ替えてやれとのもっぱらの評判。
見切れた画像しかない昔感
元の自転車情報&スペック
重量 18,7kg(重すぎる) ギア 内装三段(壊れたためワイヤー&シフター換装 byデイツー) 最大特徴ハイパーサスペンション だから重い。でもこういう機構がなんか好き。 マイティロードタイヤ すでに換装 byデイツー iパネル 故障放置 グリーンLED点灯虫 寿命離脱 BSロックS 故障放置 追加リアキャリア 通常のものが付けられない構造のため、シートポストに付けられる軽量のモノを取り付けている 追加シートポスト 長いものに変えてライドポジションの改善を図っている。 追加LEDライト キャットアイの最強アイテム点滅リフレクターを前後。主砲として「ジェントス閃」を搭載。
アルサス歴史
ベルトドライブという新星「アルベルト」
VS
アルミとサスの2刀流「アルサス」
による
ブリジストン通学用自転車戦争
にて敗北を喫し、
歴史の闇に葬られた怪物
それがアルサスなのだ。
※と言っても自分で買ったわけではないため何が何だか分からなかったのだが、ネット上にはアルサスオーナー様たちがその貴重な資料を展開してくれていたのである。
血統表
生産/BRIDGESTONE CYCLE(ブリヂストン・サイクル)
世界のブリヂストンが挑んだサイクル自転車界への挑戦。それがブリヂストンサイクルであるとか。あの「仮面ライダー」の改造サイクロンなどを模したヒット作を飛ばし、ついに仮面ライダー劇中にまでブリヂストンサイクル車が登場していったとか。
そのなんともいえない情報に感謝
親系統/ブリヂストン・スーパーライト系
アルミフレームの祖
軽量化の宿命を背負った自転車業界の常識を打ち破ったとかどうとかのブリヂストンサイクル「アルミフレームの祖」であるとかないとか。
系図
父/ニュースーパーライトS
ブリヂストンサイクル公式
父父 父母 アルミグラ サテライト とにかく脈々と受け継がれて洗練されていくシティサイクルの正統血統。 「点灯虫」って語呂はとんでもないよなあ。 父父父 父父母 父母父 父母母 75年スーパーライト カマキリ ポタリアン内装三段変速機 ボレロ242 とにかく始祖 「アップハンドル」の祖?カマキリハンドルとかよ。 「内装変速機」の流れか。 もうなにをやってるのかわかんなくなっちゃった
王道シティ&通学用自転車の系譜か。
母/La'Cushion(ラクッション)
ブリヂストンサイクル公式
母父 母母 MT.カヤック ミッドシップサス ロネッソシティサス こういったブリヂストン発明の「ミッドシップサス」機構が受け継がれていったようだ。前サスでも後ろサスでもない中サス。 さらにイタリアの至宝ACミランを巻き込んで欧州血統を導入し続けてオサレフレームに磨きをかける。 母父父 母父母 母母父 母母母 なんだろうね なんだろうか なんだろうもうなにをしてるのか解んなくなっちゃった プロヴァンス ブリヂストンレディサイクルの血も流れる。フランス南部の名前をつけて憧れのヨーロッパを印象つけていく作戦か。オサレにオサレに。
ブリヂストンサスペンションフレーム中興の女傑。
ミッドシップサスは世を席巻した。
その両親から生まれた異端こそアルサス
ALSUS(アルサス)DX(2003年)
両親にグッドデザイン賞受賞車を持つ良血。
近親に通学用自転車の王者「アルベルト」をもつ。
※当然ながら血統表は超テキトーの当てずっぽ。
脈々と継承され続けてきたアルミフレームシティサイクルの血と、
野心の象徴である新機構ミドルシップサスペンションとの融合。
さらには可能な限りオサレに。
それらの究極思想が混ざり合ったのがブリヂストン・アルサス。
しかし通学用にはオーバースペックであった。
そんなもんは学生にはいらんかった。
我がブケパロス号(ALSUS-アルサス-2003年)の歴史
2003年 兄貴の高校入学とともに納車される。
自転車通学ということでブイブイいわしてやろうと兄貴が調子に乗って購入。兄貴の才能を高く買いすぎていた親父が兄貴に株でも儲けさせようと預けた資金を投入したためにめっちゃ怒られる。単に入学祝いだと思ったらしい。
2006年 すでにオンボロとなってその役目を終えるかに見えた。
3年間ほぼ毎日兄貴が使用していたためにかなりガタが来ていたようだ。当時チャリですれ違った妹が「なんかキーキーいってた」という評を寄せてくれた。それでも兄貴はメンテをしない。オレはいったんだ。「一度に多くの苦労をするより、少しづつやったほうがいいじゃん」と。現ニートが。そしたら「いや、一度の方がいい」と言いつつ遂には一度もメンテをしていかなかった。そう、それがブリジストン通学用サイクルの最低条件「3年ないし6年メンテ不要で乗れる」であったのだ。そしてそのためにカスタムしにくいのだ。
2007年 超絶問題児な2代目様に仕える。
2007年となればようやく全てから開放されていた我が余生時代。「生きるべきか死ぬべきか」の時代。なんとなくチャリで街を徘徊に繰り出すほどになったのでこいつになんとなく乗ってみた。すると「こいつ、走るぞ!」という感じで「ママチャリを腰を落としてハーレーダビットソン乗りするのがかっちょイイ」というアホ時代をぶっ飛ばして「真の速さはスリルすら拒む」ということを教えてくれたのだった。
~それからしばらく2代目様にいじめをうける~
なんでか単2電池懐中電灯をワイヤーでカゴに吊るされるという辱めを受けたりする。いや~無知っていうのは罪ですね。電池代がかかるかかる。あるいは錆びついた真っ赤なチェーンをそのままで乗っていたり。まあ~外れる外れる。そのたびにチェーンをはめるはめる。最初は絶望感漂うチェーン外れもやり方を覚えると2秒なことを識った。そして極めつけは繊維の出てきたボロボロつるつるタイヤで爆走を繰り返したためにパンクの嵐に遭遇。風の日も雨の日も雪の日もパンク修理に明け暮れる毎日。棘が刺さったままで修理を終えるからまた同じ所がパンクする。そしてまた修理。しまいには空気入れ担いで街なかポタリング。どうあっても自転車屋に持ち込むまいと必死なひきこもり。
2010年代 なんやかんやと人生の契約延長に伴なって乗り続けることに。
ホームセンターに行くたびに「これ買おうかな」と2万円以下のクロスバイクとやらに目が泳ぎだす。しかし「まあいいか」ということでスルーを続けた結果なんやかんやと乗り続ける羽目に。
※チェーンを窓拭きする洗浄液で洗ってオイル刺してやるともう外れなくなった。変速機が壊れて変速できずに常に1速の超低速ライドに励んでいた時代は変速機の交換とともに無くなった。というかだいたいオイルを挿してやればキーキー言わなくなってそれなりに動いていった。タイヤもホームセンターの安物ながら新品に換装される。若さが蘇っていった。ライトもようやくLEDの本格派を装着されてひと安心の我がブケパロス号。
2015年 東京へ思い出の馬を観に征くために改良。
我が思い出の継承馬「ドゥラメンテ号」の日本ダービーを観に行くために改良を施し、ツーリング仕様に仕立てあげられた。「何だまだ結構いけるじゃん」と思った。その後は週1に乗るか乗らないかという程度なので十分役目を果たしてくれていた。
2016年 そろそろ壊れてくれないか?
「ニートダイエット」の始動によって繰り返される出動命令。サイクリングの頻度が激増。さらにそんななか老骨を震え上がらせる企画「ナガノグレートぼっちチャリンジ」がはじめられる。が、トレイル・キングダム・ナガノの旅は想像を絶し、車体重量約19㌔、3段ギアでのヒルクライムは絶望的状況となってしまったのだった……。
2016年夏 ブケパロス・オウガ(700Cタイヤ×外装8速化)が竣工!!!!
ええやろ。
ママチャリカスタム闘山伝説
「牛馬が山を駆け抜けるまでの4748日以上」
「地元チャリ巡り旅」にあわせて山道攻略カスタムを施さねばならなくなったのだった。これは山の王国制覇のためにサイボーク化した1頭の悲しきアルミ馬のものがたりである。
①愛機の限界。
②鈍重なる脚。
「車体も重くてギアも少ないとなると山登れないんだもの。企画倒れになってしまうのだもの。」
③新機種。
「路側帯は地雷原だからマウンテン系の耐避雷設計がいいと思っているけどなあ。」
④男ごころ。
「とりあえずブレーキまわりの交換と調整でダウンヒル対策!!!!」
⑤逝けるとこまで。
「それは"ママチャリならざるナニカ”への変貌。もうその世界では走れなくなってしまうだろう……。ありがとう、そしてララバイ。」
ママチャリカスタム闘山伝説 -「鬼脚化計画」
その後も改造は続き…
いまではこんな。