「ママチャリじゃあ重いしギアもないからしょうがなきこと山のごとしだよ」ということで新チャリ選びに舞い上がっていたのだった。
しかし
「ダウンヒルブレーキ化」でブレーキ交換などをしていると自分でいじって調整するのが楽しくなってきてしまうのだった。カスタマイズは男のロマン的なそういうのとかあるやないの。
しかし
新チャリもいいよなあ。
が、
いろいろと調べているうちに私の脳裏に浮かび始める1つの”可能性”ー
「これイケるんじゃね?」
ママチャリの足周りまるごとカスタム。
ということですよ。
メカニック経験は当然ながら持ち合わせていないニートでは到底及びもつかないその考え。ただいろいろと自転車のことについてネットの文献を漁っているとたどり着く可能性があったのだ。
それはママチャリの存在そのものを否定しかねない危険極まる方法。
禁忌ともいえる手段。
しかしそれは確かに存在したのだ。
んでさ、
26Tから34Tに変速した時くらい話の変速落差がはげしい
ママチャリとスポーツ自転車では規格がまるで違う!
最初は「ホイール(車輪)もギア(変速)もクランク(ペダルを漕ぐところ)も全て規格が違うので無理!」とかなんとか記されまくっていたから、
「あ、じゃあ無理なんだ~へえ~そうか~じゃあしかたないな~」と脊髄反射をしてそれ以上踏み込もうとはしなかったのだ。
しかしいくらか情報に触れていくうちに「……これいけんじゃね」というところへとやってくる。
いや、
やってきては、
また戻っていく。
波が寄せては返すように。
だって新チャリのほうがいいじゃん。
せっかく必然的理由までとっつけて買う気満々のところだったじゃん。
しかし、
この可能性が完全に否定できない以上、
新チャリを手にすることはできないのではないか?
そう思うに至ったわけである。
まあニートだし。
そんな贅沢もできるわけでもないし。買っても多少は蓄えがあるけれども。貯金額はテキトーに記しているから実際はまだ多少はあるもんね。20代最終クールに行われる思い出作り的なチャリ旅なわけだからそれなりな機体で挑んでもええもんね。
しかーーし、
奴はまだ生きている。
我がブケパロス号はまだ生きているんだ。
13年の月日を我ら兄弟に仕え、
これを支えてきた忠臣。
されどもはや老骨。
まあ正直、捨てるわけじゃないから家のドックにでも入って静養してもらっていればよかったわけで。別に山にまで引っ張りまわさなくともいいんだよもう。
それにそんなにウソップみたいな感情とかないし。
「何が何でもゴーイングメリー号に」的な感情とか持ちあわせてはいないし。
むしろ船員があまりにもオンボロ船に愛着を示して変えられないもんだから、秘密裏に自ら竜骨に亀裂をいれて沈めさせたキャプテン”サー”フランシス・ドレークがごとくにやっていきたいですものね。そういったペリカン号みたいにやっていきたいもんね。ドラゴンの異名をも持つ世界周航者のごとくいきたいもんね。
しかし金がないのも事実。
うーーん……悩ましい。
ということでせっかく決めたというのに、
まーたお悩みタイムがご到来。
だってママチャリはママチャリで良い性能なんだよね。
今更に思うと。
改めて感じるママチャリの良さ。「汚れない壊れない乗りやすい」
こうなってくると「ママチャリはママチャリとしてすごい機能を持っていたんだなあ」と見なおしてしまうものだ。そういうものでしょ。なんでも。
「内装ギア」は風雨を寄せ付けずノーメンテノートラブル(言い過ぎ)
まず変速機においてだが、クロスバイクなどのスポーツ自転車では「外装○段」といったギアが使用されている。7段変速、8段変速と多段ギアが基本装備。
スポーツ自転車のギアは外部に晒されている。
しかし外装ギアは外に晒されているためにトラブルになりやすいのだ。それだから「何かに当たった時」、「倒れた時」、トラブルが起きやすい構造になっている。まあメンテ出来るだけの最低限の知識があれば手入れをしやすいというメリットも有るんだって言うけど。
ママチャリのギアは内装式で内部に格納している。
外装6段をもつ有名格安ママチャリ「マイパラス」などもあるが基本的にママチャリは内装ギアだ。とにかくトラブルが圧倒的に少ない。実際自分のアルサス自転車もシフターが壊れただけで変速機そのものには何もトラブルらしきものはないで13年間来てしまっている。
自分で使う分には外装でも良いが、
「もし誰かに使わせる場合には内装式のほうが都合が良いのではないだろうか?」
なんて思ってしまうんだよねえ。
そういう今現在無い話で迷うという愚の骨頂なんだよねえ。
でももしかしたら姪とかが継承するかもしねえか。
「チェーンカバー」&「泥除けフルフェンダー」もナイスガードだ。
自転車のチェーンが丸出しか何かに覆われているかで乗り味はだいぶ違ってくるし、泥除けフェンダーも雨の日と言わずとも雨上がりや小雨の日の出動にも威力を発揮する。
スポーツ自転車はノーガード戦法。
スポーツ自転車だとチェーンもむき出し。
外に出ている。これだと少しダボ付いたパンツや、長めのスカートであると巻き込んでしまうことがある。だから自転車乗りはバンドを巻いたりレーサー服に身を包んで左サイドを支配するべく出動するのだ。※前ギアガードはついている ※あとから付けられるアイテムも存在するにはする
さらには、
スポーツ自転車は泥除けがフェンダーない。
これがないと雨の日や砂がタイヤに巻き上げられて背中にびしゃあああああああっとぶっかかる。簡易のものは取り付けられるが足元などは心もとなくなるものが多い。フルフェンダーを用意されている「ブリヂストン・シルヴァ」なども存在するけれども。
ママチャリはチェーンガード&泥除けフルフェンダー完全装備。
とにかく汚れないように、
自由な服装で、思い立ったら自転車に乗っかって買い物へと行けるように、というクイックレスポンシブライディング。日本が産んだシティライドの聖母こそがママチャリなのである。
自分で使う分には乗るまでに多少の手間はかかっても良いが、
「もし誰かに使わせる場合にはママチャリスタイルのほうが都合が良いのではないだろうか?」
なんて思ってしまうんだよねえ。
だって服装とか制限されたら困るじゃん。オレもロードバイクに憧れないのはみんな同じ仮面ライダー化してしまうからであるのだしさ。
でも「誰がこの先使うっていうんだよ」という謎もあるし。やはりそういう今現在無い話で迷うという愚の骨頂なんだよねえ。
でももしかしたら姪とかが継承するかもしねえか。
しかーーし、
ママチャリという1つの完成体
なんだかその「ママチャリの設計思想の美しさを壊してしまうのはどうだろうか?」などとここに来て考えだしてしまうのだった。
ここに来て。
「あれ、ママチャリってすごくね?」というところに今になって思い至るというよくあるあれ。いやこれは「なくなって初めて気づく」というアレではなくて「途端に細かいところが気になって決められなくなる」というアレだ。
しかし、
人だってそうだ。
1個の存在としての形をもって生きている。
そしてそれは、
そう産まれたものとしての使命を持っているのではないか?
オレもいつも考えている。
「そう産まれたのだからそう生きよう」
と。
「自分の形にあった自分だけの生きかたをしよう」と。
他人の人生を生きて自分を殺さない様に生きようと。
それはもはや使命感にも似た感情だ。
学校だ、会社だ、結婚だ、なんだかんだと「こうあらねばならない」と世に押し付けられただけの義務ではなくて、自分の人生を生きるということ。
それが自分の命に対する使命であると。
そう決められたからではなくて、
そう産まれたのだから、
そう生きよう。
まあ逆説的な表現だね。
自分の意志=
それこそは自分の自然な性質=
そう産まれたのだからという表現。
自転車は買うのか?
これを変えてしまってよいものか?
シティライドの為に産まれてきた1つの完成体をどうこうすることはどうなのか。
良いのか悪いのか。
善いのか兇いのか。
イイノカワルイノカ。
街乗りの段差ももろともしない36mm幅のタイヤ。
雨の日でも小雨の日でも雨上がりの水たまりの中でも毎日オールデイズ走れる装備。
買い物用や運搬用のフロントとリアのキャリアを搭載。
重量増で車体の剛性を高めて安全に。
加えてそれを下に持ってきて低重心化で安定に。
スカートでも乗れるように出来たトップチューブダウンフレーム。
街なかの信号ストップ・アンド・ゴーが繰り返せるように姿勢を落として足がつくスタイル。
このママチャリという自転車は街なかでこそ全ての能力を発揮して輝く。
そう産まれたものをどうこうするのは善か悪か。
もう二度と戻れないんだよ。
その場所には。
「街なかを快適に走る」という世界には。
本来そう産まれた世界には。
もう戻れなくなってしまうのさ。
そしてそいつはきっとな、
”ママチャリならざる何か”
なのさロック。
ママチャリでもなく、
クロスバイクでもなく、
何にも成りきれない哀れなアルミの獣。
しかしだ。
そう、
だがしかし。
オレは金がない。
金がないんだよロック。
オレが普通の人間で働いていればもっと簡単に買えたかもしれない。
普通に働いて、普通に上司に怒られて、普通に給料を貰っていたかもしれない。
だがそうならなかった。
そうならなかったんだよロック。
だからこの話はここでおしまいなんだ。
いいか絶対に話をぶり返すんじゃないぞおしまいといったらおしまいなんだ。もちろんドラッグやいじめにも反対だ
「あの山を昇らせてください。」
あと一つだけこの自転車に求めることは。
確かにブリヂストン通学用自転車アルサスという品種はシティライドとして産まれた。
街乗り用ママチャリ。
だが同時にウチのチャリとしても産まれた。
この私の機体なのだ。
先代より乗り代わって早々に単2電池の懐中電灯を針金でカゴにくくりつけられるような主の家に産まれたんだ。タイヤがヘタったから交換って言ってもその際にどさくさに紛れてリムテープにはガムテープ(布)が巻かれるんだよ。
オレはこいつに山を昇らせてみせるぞ。
ここまで来たらもう逝くしかねえんだよ。
街ナカなんて未練はねえさ。
もう十分死ぬほど走ったろ。
せっせせっせと毎日毎日乗せて走った先代はもう立派に歴史の先生だ。日本の未来を背負う者たちの教育のために尽くしていらっしゃる。
役目はそこで果たしたはずだった。
何の役にも立たねえ「いや今はまだ余生だから」とか抜かしているニートを乗せるはめになったのはただの気まぐれ。
それからあれよあれよとここまで乗り続けてしまった。
ここまで来たら行けるとこまで行ってみたくなっちゃったのさロック。
オレはこいつに山を昇らせてみせるぞ。
もうママチャリなんかじゃなくていい。
もう一度言おう。
もう二度と戻れないんだよ。
その場所には。
「街なかを快適に走る」という世界には。
本来そう産まれた世界には。
もう戻れなくなってしまうのさ。
そしてそいつはきっとな、
”ママチャリならざる何か”
なのさロック。
ママチャリでもなく、
クロスバイクでもなく、
何にも成りきれない哀れなアルミの獣。
しかしだ。
そう、
だがしかし。
かわいいかわいい我が自転車。
そいつだけは変わらねえのさ。
オレはこいつにママチャリを辞めさせるぞ。
ママチャリを辞めるぞJOJOおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そこはロックじゃないんだ