2016年諏訪の奇祭・御柱祭へサイクリングで向かった観光旅の記録。
「ウサギとカメみたいになった話」と「さつじんトンネル」のこと
ログポース。これぞブログっぽい。そういうやつでございます。
よいさ~よいさ~よいさ~ということで。
とりあえず地元長野で「日本三大奇祭」とされるお祭りが開催されるとあっては、ただただサイクリングを楽しみたいだけのついでではあるものの、行かざるをえまいというわけで向かったのだった。
よいさ~よいさ~よいさ~ということで。
大の大人たちが木に登って滑り落ちながら喜んでいる異様な光景の「木落し」映像は有名である。そんなことはいつから始まっていたのかといえばもうよくわからず「1000年くらいじゃないの」っていうくらい続いているのだ。
※世にある有名な俗説のうちに「イスラエルの失われし13氏族が日本をつくった」という根拠にもなる日本とイスラエルの文化風習の酷似現象の1つにこのお祭りがあるとかないとかともされる御柱祭。
が、
初行は雨に阻まれる。
そして一ヶ月後にリベンジを果たして向かった「あとのまつり」だった。下社の里曳きという最終イベントにぎりぎり滑りこんだ格好。
よいさ~よいさ~よいさ~ということで。
ナガノグレートぼっちチャリンジ「No.2諏訪御柱祭Ver.あとのまつり編」
2016御柱祭へと向かう動画。
そのまんまな説明でね。うん。
確かに向かうけどもつって。
もうちょっとあるやろつってね。
ママチャリ自転車でサイクリングしながらツーリング旅で御柱祭に向かうよっつってね。
だってもうそれしか言うことがない。
だってそうなんだから。
御柱曳行ルートを辿って、山の裏手からそのまま進入するという計画であった。
当初は。山から木が切り出されて街へと降っていく工程を辿ってみようということでさ。
しかしそのルートへと向かうにはさらなる頂きへと向かわねばならなかったのであった……。
それは敵レベル平均90超えの「美ヶ原高原」通称ビーナスラインの起点となる高地。ただでさえ山道にヒーヒー言うとるなかでさらに標高を上げる事が果たしてできるのか!?
あとの祭りオンバシラ観光地アクセス
距離自体はそんなに長くはない。ただしお約束のトレイルチャリンジに辟易。
地元マッピング「“三大奇祭” 信州諏訪御柱大祭」
さて行ってまいりました。木落し映像はないけれども。
“あとのまつり”
そういううまいこと言って趣きをだそうと必死こいてるわけですけれどもね。基本は出遅れただけ。そして人混みも嫌だ。そういったイベントレポーティング能力皆無な人がこういう企画をやってるわけですよ。
のほほ~~んと旅したいわけですよ私は。
名所名祭はあくまで“旅の肴”ですからね。チャリこいで地図見てスーパーのお惣菜かじって休憩して公園にシートひいて寝転がって風にふかれて雲に揺られてゆ~らゆ~らって。
ついでだからね名所巡りっていうのはさ。
だから御柱祭の豪壮な「木落し」映像とか、そういう修羅場の中をアクションカメラ持って臨場感MAXをお伝えするとかそういった映像とかはないですからね。
おすすめ木落し映像
さらにいうとぎりぎり「里曳き」というパレードには間に合ったとか言ってますけれども、そんな映像すらないですからね。
そんなことで流石に「画にパンチがなさすぎるな」という認識のもとにアラサー男子がAmazon号にライディングしてのスライディング映像をご用意させていただいたというわけですよ。とんでもない茫漠感を醸し出すことに成功しておりホッと胸をなでおろす日々を送っておりますよ。
しかしね、
歴史を感じる「下社里曳き前夜祭」と「木遣り唄&太鼓」!!
「下社里曳き前夜祭」というイベントに遭遇したことでグッと「御柱祭にいってきたよ感」が増して映像が引き締まったよね。
木遣り唄や木遣り太鼓といった伝統の民族詩のような妖しくも自然を感じさせる音楽を聴くことに成功。声の張り具合などは現代音楽ではあまり聴くことのない出し方で。これ以上この音階でいったら不快だなあ~というすんでのところでしっかりと返してくる。人の耳にここちの良いメロディラインというのはいつの時代も変わらんものですねえ。
だからそれで満足というか、撮れ高が多くなりすぎて大幅カットカットの嵐が吹き荒れてしまうのですわ。
だから里曳きに関してはこっちで書く!!
御柱祭の概要のあと記事の下の方で書くとしよう。
『御柱祭』とは?
・7年に一度の天下の大祭たる神事。
・日本三大奇祭。
・平安時代から1000年以上も続く歴史をもつ。
・正式名称は『諏訪大社式年造営御柱大祭』
長野県諏訪市&茅野市で行なわれる神事。
樹齢150年を超える選ばれしモミの木から切りだされた大木を祀ってお祝いする奇祭。これに連動する形で諏訪以外でも各地で小さな御柱祭は群発する。
死人も出るほどの豪壮なおまつり。
木落しという奇行。
それでも諏訪の人たちにとっては大事な神事として1000年以上も継承され続けている。平安時代から続いているとされているが、基本的にはあまりにも古すぎて正確な起源はわかっていない。それでもなんとなくやり続けていたらもう止められない諏訪人のソウルフェスへと至っていたといったところでしょうか。
木が神様。
御柱(おんばしら)とは"木”の尊称。
つまり"自然信仰”なのだ。それが擬人化し神格となって神となる。そっちの方が親しみを込めやすいからか。故に、「木をお祀りする」という話になっていく。水や木々に対する自然への感謝はふつうの気持ちなのだ。それでも奇祭というのは今の時代だとなにかおかしいからではないかね。それが1000年も続いてしまったから。だから今では奇祭。木に乗るからかも。わざわざ。
そして御柱祭は「諏訪大社」が司るお祭りである。
神社 「諏訪大社」
・全国にある諏訪神社の総本社。
・国内最古の神社の1つ。
全国区の有名神タケミナカタを祀る諏訪神社
「諏訪」は長野の名前というより神様の名前で、それは「諏訪大明神(タケミナカタ)」という神様。日本神話の神様で日本で最初の相撲をとったことでも有名。だからそれを祀る神社が日本全国各地に存在する。メガテンなんかのゲームでもよく見るかもしれない。でも負けキャラだからあまり作らないかもしれない。しかし現実ではかなりの有名神なのだ。
4つの宮からなる諏訪大社はとにかく総本社なのだ。
それが諏訪大社。「上社本宮」「上社前宮」「下社春宮」「下社秋宮」4つの宮から成り、「上社本宮」がタケミナカタを祀っている。他は奥さんである八坂刀売神(やさかとめのかみ)。細かくいえばそうらしい。でもあまり気にしないでほしいらしい。
さすがに迎え入れられたばかりの“御柱-オンバシラ-”は異彩を放って浮き出ている。「あっ、オンバシラやで!」って感じになるね。
「四社巡り」
今回一応、前宮、本宮、秋宮はめぐった。春宮に行けば「四社巡り」というグランドスラム的偉業であったとかどうとか。
タテに長い「前宮」
前宮はとにかく階段を登るたてのストロークが長い。そんでもって途中で民家の立ち並ぶ道に出て行くというトリッキースタイル。訪れたのが午前3時4時であったために暗くていろいろとわからなかったのが傷。
Theオンバシラ「本宮」
そんで本命の本宮。ここでの撮影に最も時間と気を使ったが、あまり使わんかった。撮れ高が多かったために諏訪大社映像をほぼ使わずに動画編集が出来てしまうという事態となってしまった。
いっぱい寝た「秋宮」
そんで秋宮は通行路上に存在するので3回ほどお邪魔させて頂く。お寝んねもさせていただいた。
スルーされた「春宮」
春宮はというと、「前宮が暗くて撮影できなかったから四社めぐりできないし」ということでモチベが上がらずついぞスルー。
本殿はなくて、やはり自然そのものを祀る。
秋宮はイチイの木を、春宮はスギの木を、上社はお山そのものを御神体としているとか。そしてタケミナカタ神ということか。そこは全国区の神様をね。奥さんはどこいったのか。
山木に包まれる神殿
本宮の自然に囲まれてる感はなかなか趣がある。カメラのレンズ内には収まらない360度の上半分を森と空に覆われて、下半分は神社というシチュエーション。パノラマというほど壮大ではない、不思議な空間を感じさせる。
祭神 「諏訪大明神(タケミナカタノカミ)」
・東国第一の軍神。
・そのくせ日本初の相撲で敗けた負けキャラ。
・風・水・狩猟・農事を司る五穀豊穣の神でもある。
こんな感じらしい。
パズドラだとこうなるみたい。
かませ犬やられキャラの元祖?
タケミナカタの概要としては「国譲り」というお話に登場する。
天上の神々(天津神)VS地上の神々(国津神)
天上の神々の子ニニギの来臨に際して雷神タケミカヅチが、地上の神々の長であるオオクニヌシに対して「国を譲りなさい」というある種ペリー的な圧力のかけ方でもって威圧。
そこで噛ませ犬的に飛び出していった次男坊こそタケミナカタであるとか。
ガタイは筋骨隆々の巨躯、力持ちの大男、いかつい形相といった漫画で言えば、かならずフリーザ最終形態みたいな「パワーが凝縮された主人公格」のキャラクターにぶっ飛ばされて紆余曲折の果てにそいつを「兄貴」と慕うキャラクターの元祖みたいなことになっていくのだった。
でもこの場合はタケミカヅチも相当のやんちゃだったので「やめておけ。もはや闘う意味は無い。」みたいな徳の高い行為を行なわないのでタケミナカタも仲間にはならず。
負けキャラ!負け犬の星!
あの勇名を馳せる日本最強神の一神でもある「タケミカヅチ」との相撲に敗けたとされる。それにしてもあまりの敗けっぷりで、逃げに逃げて諏訪湖までやってきた挙句に、恫喝され、ここから一生出ないように誓わせられたという。
なんという負けっぷりか。
そのさまはあまりに惨め。
こんな画にするメガテンもメガテン。
しかし彼は諦めませんでした。
その地にて次々に土着の神々をなぎ払って君臨。そうして新天地にて新生デビューしたということですね。高校デビュー的な。そんで「アイツちょっと信州で意気がってるらしいぜタケミカさん(笑)」的な流れでしょうね。
ファン多数!有名な偉人たちからも信仰された!
それにしても後の"天下人”徳川家康や、"戦国最強”武田信玄、さらには"征夷大将軍”坂上田村麻呂などにも厚く信仰されたというから、「敗けたっていいんだよ!」というメッセージ性をも持った神様ということになる。そのご加護は歴史上にあって際立っていて、田村麻呂の「東夷平定」や、あの大モンゴル帝国の襲来「元寇」において、元(モンゴル)の船団を嵐に沈めた「神風」こそはこの諏訪大明神のお力なるらしい。こうして軍神としての地位を築いたのだった。
日本最強の神々を抑えて東国一の軍神?
でもさ、日本最強のいくさがみといえばこのニ柱、「”雷神”タケミカヅチ」と「"刀神”フツヌシ」がおわす。「葦原中つ国」をこの2神でもって平定したという2トップ神。フツヌシは千葉県の香取神宮に主に祀られている。つまり東国。タケミカヅチは奈良県の春日大社や茨城県の鹿島神宮が主に祀っている。奈良は日本の中央地で初期の王土というメジャーステージ。さすが最強神。しかし地方ファンにも交流しようとしてかもう一つのステージは茨城(常陸)、鹿島神宮はめちゃくちゃ東国。
「やばいよやばいよ~タケミカくん関東来たってよ~やばいよやばいよ~」
みたいな状況だったんじゃないの諏訪大明神様は。
※日本の神々はイジってもアリなので弄くり倒すぞ!!敬意は持って!感謝もして!でもイジるぞ!あと基本的に日本神話(古事記や日本書紀)にでてくる神様はいわば日本全国区の神様である。主に祀られている神社とは言っても、同名の神社は日本全国にある。その中でも総本社とよばれるところがあるというはなしよ。
土着の神々の集合神でもあるだろう。
ミシャグチ神、蛇神ソソウ神、狩猟の神チカト神、石木の神モレヤ神
などの諏訪地方の土着の神々などがいるらしいという説もある。あとからまとめて全国区のタケミナカタに集合されたとか。
神話ってそういうのがあるんだ。
ギリシャ神話の神々もヘシオドスの「神統記」というもので体系化されただけで、元々はそれぞれ土着の神様がいて、それが政治的な理由で統一を図るために利用されてまとめられる。だから1つの神様に多くの属性があったりする。ポセイドンといえば海神だけど馬の神でもあったりする。神馬アレイオンの化身とか。わけわからんし結びつかないし。でも神の数をリストラするためにそういうことになっていくのだ。
メガテンはこういった土着の神々まで掘り出してきては片っ端から辱めている。
なんだか”木”を祀るまつりだってことを忘れそうになる。
うさぎとカメみたいになった5月の下社里曳き。
動画でもご説明している通り、御柱祭というのは2ヶ月超にわたって行なわれる。「里曳き」とは山から木をおろす「山出し」の後に街なかでパレード調に繰り広げられるお祭り。お里にひいてくるから里曳き。
里曳きは神様の歓迎会
そうやって町の中に迎え入れる“神様”の歓迎会みたいなことである。そうして諏訪大社に奉納されて7年ほど諏訪の町に鎮座するのである。そしてまたその後、新しい御柱が迎え入れられる。それを1000年以上繰り返してきたというのだ。
昨日の木遣衆による路上パフォーマンスが朝から開催されていた。
昔は女人禁制だったというが、現在では女子がバリバリ活躍する神場へと変貌しているとか。この木遣衆たちの木遣り唄的なものは3人の女声がよく響いていた。
梶の葉と武田菱
武田菱が入ってるけど、これは武田支配の名残なんだろうかね。基本は「梶の葉」の紋所が象徴であるとか。信玄公の支配によっていろいろとテコ入れをされたという諏訪大社。信玄公が諏訪大明神のファンだから「もっとこうせいよ」って感じに。
「諏訪大社の御神紋」
人を見るなら御柱
それにしてもこれ朝7時か8時くらいからやってるんだけどまだそれほど人はいなかった。この通りの家々が窓を開けて2階から眺めたりして呑気なもんだよ。
オレは野営だぞ。
もう気分的には「もういいよなあ」という感じだったのでとっとこ登って諏訪大社(下社秋宮)方面へ登ってしまう。だって人混みにまみれに来たわけじゃないんだものさ。「人を見るなら御柱」やのにね。
どっちにしろでもこの時間帯じゃ見れない。
人いない。
どっちにしろ人なんかぜんぜん見たくないからね。
この先関わらない人を見てもしょうがないからね。
「これからパレードもいろいろと踊りとか何やら始まっていくのでそれに合わせて人が集結してくるのかな」
ということでオレはとっとこさっさと帰ることに。人が来る前に帰るという鉄則。それをめでたい祭りの場でも実行していくぶれないひきこもり精神。
ワイワイしているところで寝休憩
野宿では2時間ほどしか寝ていないのでまあ寝れる寝れる。
枝葉のタープで天然日陰のなか、木のベンチ的なところにシート敷いて、里曳き通りの頂上である下社秋宮にて
祭りの真っ最中に寝るという背徳感がたまらんですね。
そして眼が覚める。
「まああまあ寝たかな」
というくらいで11時、12時くらいであった。2,3時間寝っ転がっていたようだ。
「これで帰るとだいたい夜20時くらいには家に着くかな~」
という計算の中に入る。ということでゆっくりシート撤収などをし、寝ている間に失われた水分も補給し、軽くなった体に爽やかさを覚えながら
「まあいい旅だったなあ」
という思いを胸に帰路に立ったのだった。
そうしたらあの木遣衆たちがもう通りの頂上までやってきていた。
「もうそんな時間かあ~」
との思いをこの旅の哀愁と混ぜあわせながら爽やかにアクエリアスを飲んでいた。
坂道だというのに足が軽い。
「休んだのが良かったな」などと私は気分がいい。
風も感じ、暑い日差しも爽やかに感じた。
「この人たちはどこに行くんだろうな~」とこの後のお祭り模様にさえ思いを馳せながら、
それらの賑わいを前に飛び立つ私は渡り鳥。
「あはは トイレも渋滞してやがらあ」
まったく賑やかなことだ。
こんな雰囲気を肩で感じつつ漕ぎだしていく自転車旅もいいもんですなあと、充足感を背中で感じて帰路に向かう。
帰ったらゆっくり寝よう。
なんでやねん。
たちはだかる「人を見るなら御柱」をどう切り抜けるか!?
なんか趣旨がおかしい子たちもおるしで。なんか色んな種族の方たちが集まってきちゃう御柱祭。
そして立ち往生。
まだオンバシラが町に入る真っ最中に遭遇してしまった。
朝早かったんで余裕ぶっこいてカメのごとくに寝ていたらこういうことに。
帰るルートが塞がれる事態。
※事前に交通規制情報はあったんだがそんなんしらーーんわすれたーーん
どうしようー
ホントは帰りは前回の高遠城址公園から帰ったルートから行こうと思っていた。だってあの殺人トンネルが嫌だったから。しかしまた引き返して10キロ余も移動するのはなんか不自然だしこのルートにしたのだがちょっと困った。
まず進退としては、
①引き返して大きく迂回し前回の「白樺湖ー大門峠」間を通って帰る。
②このままココでやり過ごして嵐が過ぎ去るのをひたすら待つ。
となる。
①はなんかやだね。
ここまで来てまた戻るんかってなりますよね。
だから②を選択。
あろうことかもしかしたらめちゃくちゃ間近でいい画が撮れるかもしれないし。ここの壁に体を預けてひたすらアストロン状態でね。
しかーーし、
こういう疑問が湧いてくる。
「もし、ものすごい時間がかかったら?」
「あるいは、ものすごく押し返されたら?」
この行列がどうなっていくのかの情報がない。スマホもネットには繋がっていないから調べようもない。人にも訊けない。ここから離れて看板探しに行くとこのポジションが危うい。
ということでどこかに抜け道はないものかとスマホのオフライン地図(MAPS.ME)を眺めていると何かある。
瞬時に目の前を確認。
路が少し開いた。
すかさず考えるより先に本能が囁いた。
「衝け!」
条件の良い避難所確保。
横道に自転車ごとダイブするとこういう道に到達。
行列をみる気がないならここでよし。ここを登っていけば抜け道となるがものすごい坂なので少し待機。再度やり過ごしを図ってみる。
しかしここなら
「あるいは、ものすごく押し返されたら?」
という懸念は潰せる。
あとは時間がかかるかどうか。オンバシラ行列が過ぎ去ってくれれば道も空いてくるだろうとの読み自体は今だ健在であるのだ。
地元の消防団も立ち往生。
いやそれは知っといてよ。そこは知っとかないとまずいでしょ。把握しといてよ。
ほんで行列は曲がっていった。
ほんでね。
過ぎ去るどころか、向こう側へと曲がっていったという。
これじゃあむしろ
上からくる人たちと下からくる人たちが合流してさらにこの地点で大群衆が出来上がるという寸法ではないのかい。
上からくる人たちと下からくる人たちの合流の起点として一層栄えてくるのではないのかいこの地点は。
交通の要所としてますますの繁栄を謳歌してくるのではないかい。
あーーもうやってらんねえよ登ろっーーーと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
獣道を迂回して敵の背後に進出する作戦を奏上。
地図を眺めているとこういうルートが見えたのであの横道に入ってみたのだ。
しかしとりあえずはやり過ごす線も残しておこうと待機していたわけだ。
しかし最終的には恐らくはやり過ごせないだろうとの判断。
ということであの山エリアに伸びている道に足を踏み入れることに。
まあ登りだよね。
こうやって確認しながら未知なる道を進む。
ちょうど太陽が一番輝く12時前後とあって日差しが汗を噴出させる。折りたたみ傘で凌ぐといい感じ。あるいは山から垂れ下がる枝葉の木陰に沿って進む。
なんか林道という、林業の方たちが使う道らしい。
関係者以外立入禁止らしい。しかし条件を守れば通っていいらしい。つまり「林業者再優先」だとか「雨量がこれこれの時」だとかそういった感じのやつね。だから俺は通っていいのね。そうだね。うん。そういう理解で通りましたよ。
こんなマウンテンバイクがお似合いな地形を進むことになろうとは思っても見なかったよ。
もうマジでトレイルじゃんつって。
ガチトレイルじゃんつってね。
抜けた。
わりと嬉しい瞬間。
コレで敵の背後を衝けるということ。
オンバシラを運んでいるあやつらの背後に進出して戦略的側面及び背面を脅かす。
そういう源義経の一乗谷の戦いが如くに。
ちょうど今回の地元マッピング動画でお楽しみいただいた諏訪の山(動画内の2:37秒辺り)の左手にみえる青く茂った山々を進んできたといったことらしい。
木落し坂にて休憩
ということでなんやかんやと「木落し坂」につながっていたことになる。
だからまた休憩。
昨日と同じ。同じ場所にベースキャンプを設営(シートを一枚敷く)して仮眠。これから普通にまた山1つ登らなきゃアカンから。
まったく余計に山を登ってしまったわけだから。
もうココらへんには御柱パレード行列はみえず静かなものだった。結局どうなってたんだろあの里曳きは。どういう経路で開催されていたんだろうか。知る由もない。
さああとは「さつじ○トンネル」を抜けて帰るだけ。
自転車手押しで歩いて山を登り行き着いたのはあの「殺○トンネル」である。お守り代わりに毎日つかっている反射タスキをかけて出陣。
座禅を組んでできるだけ精神を集中させる。
いつ死んでも悔いのない人生だったかを問いかけ、
いつだって答えはYESなんだ。
そういう生きかたをしているのだ。
抜けてしまえばなんのことはない。
しかしいつなにがあるのかは分からないのだから常にそれを意識するのは悪いことではない。うん。そういうことだかんね。
あとはお待ちかねのダウンヒル。常にブレーキをかけておかないといけない長い長い下り。ブレーキの握り過ぎで握力がなくなってしまうのが峠の下り。
街なかのブレーキングとは世界が違う峠のブレーキング。新品に変えておいてよかったといったところ。
前回は半ば壊れかけていたローラーブレーキだったもんだからマジで危険を感じたから。できるだけ前輪に負担をかけずにハンドリングできるように前カゴに荷物を載せないで背負ったりといろいろと気を使って備えたが、今回はだいぶ気が楽。
下りは相変わらず楽しいね。
旅の最後の晩餐
和田峠付近の道の駅裏手にシートを敷いてカレー。カレーしかなかったから。スーパーの惣菜のほうが安いが今回はセブンのカレー。
昨日トンネル料金潜入調査に協力していただいたセブンさんでね。
そうしたらその時の店員さんがお一人いたのだよ。
まあ、
別になんもなかったけど。
なんも言われなかったけど。
まあそんなもんね。
うん。
旅ってそういうのあるとか言うけど、そんなないよねうん。
こっちは旅テンションでも、向こうは普通の日常で早く仕事終わらせて帰ってポケモンやりたいもんね。
旅あるある。
オレだけかな。
まあ帰ってめっちゃ寝ました。
これが一番気持ちいかも。
このために旅をしていると言っても過言ではないやもしれない。