『天国へ行く方法』があるかもしれない。
おい妙な顔をするな。私の言ってる『天国』とは『精神』に関わる事だよ。
精神の向かうところ……。
死ねってことじゃあない。
精神の『力』も進化するはずだ。
そしてそれの行き着くところって意味さ。
きみなら私の言ってることがわかると思うが……。
本当の幸福がそこにはある。『天国』へ行くことができればな。
幸福とは無敵の肉体や大金を持つことや人の頂点に立つことでは得られないとわかっている。
真の勝利者とは『天国』を見たもののことだ。
どんな犠牲を払ってでも私はそこへ行く。
DIO 「ジョジョの奇妙な冒険 第6部ストーンオーシャン」
「ジョジョの奇妙な冒険(ストーンオーシャン)-6巻-」コミック版(モノクロ)×Kindle電子版(カラー)
感じたぞッ!!
『位置』がくるッ!!!!
ジョジョの『天国に行く方法』をあえて実践。
地元マッピングコラボ連動でJOJO『ひきこもりの聖地トガクシ』
パワースポット関連ということで、さらにそのパワーが『自己覚醒』となればまっさきに浮かんだのがDIOによる『天国へ行く方法』である。それは精神の行き着く先。
『ジョジョの奇妙な冒険』という漫画の中のお話である。
簡単に言えば「ラスボス中のラスボスである男の目標がそういった電波思想だった」ということで色々と話題に上るのである。
勿論これは漫画の中でのお話。
エンターテインメント上のお話。スタンドとかいう超能力が実体化して実現するお話。
だがジョジョは『哲学』のお話。
あえて我々に照らしてみるのはどうだろうかというお話。DIOの言う『精神の行き着く先』であるという『天国』に行く方法を実践。
精神のはなしだというのなら実践できなくもないッ!!!!!
・「ジョジョの奇妙な冒険 第6部-ストーンオーシャン-」荒木飛呂彦/集英社
・「『天国』へ行く方法の研究」あらき100% さま
・「プッチの14の言葉についてくそまじめに考察してみた」ぽむ@ヘタレ さま
・「『天国へ行く方法』の手牌構成を考える」天国へ行くための136の方法 さま
・「「14の言葉」考察」CMRV さま
・「天国考察が(ry②」腐腐腐な日々 さま
いくぞッ!!
【第1節】必要なものは『わたしのスタンド』である。
『ザ・ワールド』
我がスタンドの先にあるものこそが人間がさらに先に進むべき道なのである。
ー『天国』へ行く方法
『個性』=スタンド
スタンドとは作中に登場する生命エネルギーの実体化能力。「幽波紋(スタンド)」。まず1部から使用された「波紋」という太陽×生命エネルギーを操るチカラが登場。そしてそれが実体化した能力(とも)として第3部から登場した。
このスタンドが持つ特殊な能力を用いて奇々怪々でドッキドキな駆け引きバトルが繰り広げられるのがJOJOの魅力のひとつ。
何やらおかしなことが起こり、
だんだんとそれが迫ってくることで、
静かに戦いが始まって緊張感を煽る…
ドドドドドドドド……
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
キャラクターそれぞれに個性的なスタンドがあるのだ。
だから「必要なものはわたしのスタンドである。」という節は、
「その人の個性」と考えても差し支えあるまい。
必要なものは『わたしの個性』である。
【第2節】必要なものは信頼できる友である。
彼は欲望をコントロールできる人間でなくてはならない。権力欲や名誉欲・金欲・色欲のない人間で、彼は人の法よりも神の法を尊ぶ人間でなくてはならない。
いつかそのような者にこのDIOが出会えるだろうか?
ー『天国』へ行く方法
『自分にないもの』=信頼できる友
これはそのまま現実世界においてもそっくり通用する節であるが。が、友達に頼ったらもうそこで終了である。友達とか居ませんからね。可能な人はそのままの意味でGOすればいいだけのことでありますが。
しかーし、
あとあとの節を見てみるに、ただそのまま「友」と解さなくてもよいのではないか?との思いに至るわけでございますよ。
そもそもここで要求されている条件ではあまりに「無機質」というか、聖人君主すぎるのだ。友情は素晴らしいとはいうが、こんなハードルを求められる方も困ってしまうだろう。「いやオレそんなんじゃないし」って。つまりこの条件はあまりに「非人間的」なのだ。それがDIOの好みだったといえばそれまでだけど、この条件はむしろあまりに理想的すぎるし、というかまったくこれが理想と考えるのもどうだかなあって思うよ。独身アラフォー女子の結婚相手じゃあるまいし。
むしろ「素晴らしい徳の一面」と捉えるべきではないか?と。
それならば、「人間的な欲求も完全に無くなれば困る」けれども、やはり通常はそういった欲にまみれて汚らしく映ってしまうもので、だからこそ、「そうではないものを賛美する心」がある。
しかしそれは天秤のようなもので、「どっちもがあるから互いによく映る」わけである。
そしてその素晴らしいと思われる一面に対しての価値を知る、または「求めようとする心」がまずはここでは重要ではないかというわけである。
だから「必要なものは信頼できる友である。」という節は、
「自分に足りないものはその一面なのでは?という心がけ。」と考えても差し支えあるまい。
必要なものは『自分にはない徳や考え』である。
【第3節】必要なものは『極罪を犯した36名以上の魂』である。
罪人の魂には強いパワーがあるからである。
ー『天国』へ行く方法
『失敗』=罪人の魂
この節をそのまま「リアルに実行してみた」なんていったらただのサイキッカーなこと受け合いなもんで絶対ダメ。社会の法的にダメ。基本的に裁くのはスタンドでもなんでもなく法廷。当たり前。ダメ。9割の人はわかっていただけるかと思います。
精神の話、そしてそれは進化する、それこそは「精神の行き着くところ」であるわけ。
DIOは「罪人の魂にはパワーがあるからだ」と言っている。人の世界の罪は行動したことで発する。それはある意味では行動力となる。そして行動すれば失敗もする。DIOにとっては善悪は自分で決めるものだからそれがどこから来たエネルギーであろうと関係ないので罪人のパワーでもいいわけだけどさ。
やはりこれもあとあとの節をみるにつけ、「行動力=パワー」と解せるのだよ。
とにかく人は行動しなければ経験もできないし、誰にも何にも影響を与えないし、失敗もないけど成果も得られないし、とにかく何も起こせない。しかしそれだけならまだいい方で、悪いことはどんどんやってくるというのが「人生ゲームのルール」なわけである。だから結局は「行動するにしくはない」ということで。でもやっぱり失敗はする。
恐い。恥ずかしい。キツイ。また。意味ないかも。また。やっぱり。また。どうせ。また。疲れる。また。もう。また。
「失敗」それ自体は、自分の人生に大きな影を落とす「罪」だろう。時間も奪うし、気力も奪うし、自信も奪うし、その後の人生を棒に振ってしまうほどのダメージを負うことだってある。それ自体で終わってしまったなら。
生まれてから一度も失敗していないでうまくいく者もいるかもしれない。それがこの世界の現実。それは科学的なことだから。でも大体は「行動して失敗して何かを得て試行錯誤して進んでいく。」そしてこれも現実である。
だから「必要なものは極罪を犯した36名以上の魂である。」という節は、
「今までの人生のうちに犯した36以上の大きな失敗。」と考えても差し支えあるまい。
必要なものは『多くの大きな失敗』である。
【第4節】必要なものは『14の言葉』である。
わたし自身を忘れないようにこの言葉をわたしのスタンドそのものに傷として刻みつけておこう。
ー『天国』へ行く方法
『哲学』=自分自身を忘れないための言葉
さてこの「14の言葉」こそは最も騒がれたパスワード的工程。ミステリックで暗号的なこの節はみんなが大好きである。カブト虫が多すぎのもウケる要因である。6部はテーマがキリスト教な故にいろいろと考えられている部分。DIOがなにを意味したのか?ということで研究が進められている分野でありますね。でもまあここでは「こっちの世界で考えるなら?」というわけだから。
「自分自身を忘れないように」刻みつける言葉なのである。
自分とは何か?みたいな深層に飛びこんでしまいそうになるけど、基本的には「自分らしさ」みたいなものじゃないかな。そしてそれは個性とはまた違って。人は生きているなかで色々と経験するけど、それは必ずしも科学的ではない。
つまり、「80%成功する」ということを3回連続で失敗した人は、次に選ぶときは「残りの20%」の方を選ぶことがある。
確率的に言えばやはりそこはまた80%の方に行くわけで、そもそも80%を3連続で失敗してる次点でそれはもう80%ではないのかもしれないけどまあまあそこは。
「こっちのほうがうまくいくよ」とされたことをやって失敗したときのダメージと。「自分にとってこうすることが大事なんだ」と思えることで失敗したダメージと。それらはきっと違うものだろう。そもそもが目指すものも違うのだから。
「答え」が結局わからないならば、「どんな理由でそれを選ぶのか」といったその人らしさ。
そういう時に出てくるものが「その人」になるんじゃないかと個人的に思ってる。個人的にね。それが幾つか連なれば人と被ることのない「その人」が出来上がるといった具合に。DNA構造が人と被ることがない様に、幾つもの条件で指定していけば被ることはないからね。それが「精神的なもの」となればそれは「哲学」的なことなのではないか。哲学とは考える事そのものを言う。
「答えのない問に対して答えられるモノ」
それは「生きている中で得られた実践知。」だったり、一般化できないかもしれないけれど、自分ならこう選ぶといった「教え。」だったり、自分が「人生で大事にするべきもの。」だったりする。
物事は考えれば考えるほど複雑に絡み合って、何が何だか、何がよくて何が良いのか悪いのか何がしたくてそれは何の為で、そもそも何がしたかったのか何であればよいのかわからなくなる。
そんなときに我に返ることができるのはシンプルなもの。
だから「必要なものは14の言葉である。」という節は、
「自分の人生で痛いほど経験してきたなかで得たシンプルな人生訓。」と考えても差し支えあるまい。
必要なものは『人生哲学』である。
DIOの人生哲学14選?(ジョジョの14の言葉を考察)
さてこの14の言葉を人生哲学とした場合に「DIOとジョジョに見るとそれとは何であろうか」ということもついでにやってみたよ。
おまけの「OVERHEAVEN(オーバーヘブン)とは?」
・「DIOの言う天国を歴代ラスボスたちに照らしてみてみるッ!!」
そんなDIO自身の天国とはなんであったのか?メイドインヘブンでなければどうなったのか?スピンオフ小説も出ているらしいけど拝読しておらないので考察しよう。
【第5節】 必要なものは『勇気』である。
わたしはスタンドを一度捨て去る『勇気』を持たなければならない。朽ちていくわたしのスタンドは36の罪人の魂を集めて吸収。そこから『新しいもの』を生み出すであろう。
ー『天国』へ行く方法
『成長』=変わる勇気
勇気は人間の諸徳の中でも古代から尊ばれてきた。それはどんな未開の民族でも、未開のヤンキーたちにでもこの勇気の価値だけは落ちることがない。しかしここで言う勇気とは、ジョジョの言う勇気とは、生命を軽いものとみるとか無関心であるというその人が生まれ持った生来の「剛毅」とか「異常」のことではない。人の精神的な動きによって発せられる「勇気」。つまり意志によって生み出される「勇気」のことである。
「成功体験」
新しいものに対する抵抗、退廃性、保守性、非活動的、それらのものが時に人を動けなくしてしまう。なぜならそれは「今までをうまくやってこさせていたモノ」だから。
「成功の体験」は一般にその人の自信をつけさせ、行動的にさせて、進ませていくエネルギーだ。そしてそれこそは「自分の本領だ」と確信させるだろうし、得意になることだろう。それ自体はまず素晴らしいことなのだ。みんなそれがまず欲しい。その分野で活躍できることは「その人の個性」でもある。
しかしまたそれは「変化への恐れ」をも同時に醸成してしまう。
「新しい考え方」や「新しい技術」、「冒険」や「挑戦」、などの「これからもしかすると自分の個性に取り込めたかもしれない」といった可能性を拒絶する。
それはまだ個性の芽が小さなときならば守っていく必要のある「外威」だろう。そんなときにこんなチカラに当てられたならすぐさま吹っ飛んでしまうに違いない。「自分を持っていない人間」には「迷路を増やす」だけだから。あるいはあまりに遠すぎての「自信喪失」。だからそれから「守る」必要がある。
だが同じ事だけではいつか「頭打ち」となる時が来る。
それで足りればそれ以上を行うことはない。そこから先は「それ以上を望むのならば」という話ではないか。
だから「必要なものは勇気である。」という節は、
「新しいチカラをも手に入れるために、今現在のスタイルを一度壊してみる」と考えても差し支えあるまい。
必要なものは『進取の精神』である。
「生まれたもの」は目覚める。
信頼できる友が発する14の言葉に知性を示して…
『友』はわたしを信頼し
わたしは『友』になる
ー『天国』へ行く方法
『新しい自分』=新しいもの
まず自分の強みとなる「個性」があって(スタンド)
自分自身の「個性」。生きるすべ。スキル。得意分野。好み。性格。性質。それを把握し育てていった「強みとしての個性」がまずは必要。
そして「大きな失敗の数々」を経験したことで得られた経験(罪人)
そんな個性がさらされる、「現実の批判や成否のなか」で、自分という存在が「この世の中でどんな存在か?何が出来るか?」といった経験を、より「現実に即した形で経験する」さらなる「実践知」を得る。
経験してきたことで培われた教訓的な「人生哲学」(14の言葉)
そうしていれば嫌でも得られていく教訓。これは良くも悪くも、その人の価値観やスタイルを定めていく。上手くいったスタイルや考え方は、研鑽され、昇華され、自分の武器となって「生きかた」になる。これは良くも悪くも。だからこの個性やスタイルが「悪くなる場合」には絶対に近づかないし、そんなところでは戦わないし、そんな場面になることも、それが露呈することも避ける必要がある。
そんな教訓を「自分にはない徳や考え」という新しさと客観的な視点で見る(友)
生まれる「経験に則した個性のチカラ」を、「別の視点や別の価値観や別の考え方の批判に晒す」ことでそれはさらなる進化の可能性を持つ。
確かにこれはリスクかもしれない。
確かにせっかく「ようやく見つけて、時には守り、失敗を重ねて育て上げたモノ」を、また別の価値に触れさせることはリスクがあるかもしれない。そういった「有象無象の中から、自分の個性を確立して、ようやく戦える分野を切り拓いた」というのに。
だから信頼できる友からの物というのかもしれない。
自分とは違った視点や考え方を持ってはいても、「どこか信頼できる存在によって」ならば、「それは自分のモノとなる余地はあるかもしれない」。彼がいうのならば。
※ここで言う「批判」は、非難のことではない。成否や良い点悪い点などの判断を押し比べて判ずるという意味である。レビューに近いね。
そうした限りにおいて、どうしようもなく訪れるであろう変化を受け入れ、ときには積極的であれる「進取の精神」(勇気)
一度、「自分のスタイル」を、これによって改めて、また、「全面的に見直してみる」という行動。「一度壊して再構築する」という行動。
やがて「何か新しい方針がうまれる」(新しいもの)
それこそは「新しい自分」ではないか。
『友』はわたしを信頼し わたしは『友』になる
こうして『新しい考えは自分のモノとなる』のである。
すなわちこれが『成長までの道程』である。
【第6節】最後に必要なものは場所である。
北緯28度24分西経80度36分へ行き……
次の新月の時を待て……
それが『天国の時』であろう……
ー『天国』へ行く方法
『30歳までにOVERHEAVENする』=場所
といった具合に、
『天国へ行く方法』を精神世界での成長過程に当てはめた場合の考察はスデに終わっているわけである。
あとはもうアレなことで。
「地球上でも『重力』の少ない場所」
「北緯28度24分西経80度36分」=ケネディ宇宙センター
ということでもう決まってるしね。地球上でも重力の少ない場所なわけで「飛び上がる」には絶好の場所。「NASAのスペースシャトルが打ち上がる」わけなもんで。
というかDIOもわかってることやのにね。座標で書くというね。わかってるくせに「あたかも何かの暗号を紐解いていったらこの数字にたどり着きました」的な書き方とかするもんだから。
「地球上で最も『引力』の強い日」
「新月の時」=そのままのことで月が新月になる日
新月と満月の日に月からの引力によって満潮になったり何だったりして「引っ張られる」わけである。なかでも新月は「物事を始めるのに良い」とされる。なんでかね。
ということで、まさしく天上にきらめく『天国』へ行くには絶好の場所という具合いである。
だからこれはまあ何ごとも「勝ち易きに勝て」という孫子的なことだよね。
「いい場所で戦おう」みたいな。「自分を評価する場所で」みたいな。そういうことでしょうこれは完全に。
この『場所』っていうのは思ってるより『ずっと大事なこと』なのだろうと思うよ。
評価されなければ
市場がなければ
続けることも発展させることも出来ないからね。
活きるべきところで生きる。
というやつで。
でもあえて『新月の時』を考えてみるならば、
30歳=新月
ともみれる。
月はひと月をかけて地球を一周する。
新月に始まり満月を経て新月になるまで一周。
その間隔日数はおおよそ15日。
産まれ出て齢0が新月
ひとたび成って齢15で満月
そして岐路に経つ齢30にして新月
人は30歳をめどに新たなる人生の岐路に立ち、新しいことを始めて旗を立てる。
みたいな。
意外とロマンチックなね。
いままで散々論理的に展開してきてね。
最後はそういったロマン理論で。
アラサーおっさん誕生を出来るだけロマンティカルに描こうというそういったことでありますよ。
『天国をみるために30歳までにやっておきたい6つの事とオーバーヘブン』
みたいなね。
でも30過ぎてもまだ45もあるし、60もあるし、ね。そこはもう自分の好きなように。「自分の良いタイミング」で。ね。そういうことだからきっと。「場所である」というのは。自分が「イケる」と思えるいいタイミングが重要ということですよ。ね。45は満月か。ね。というかまあ「普通に新月の日」でも良いんだろうし。毎月あるし。あくまで「ちょっとした目安」。げん担ぎ的な。ね。わかるよね。そこはもうわかるよね大人なんだから。ね。
『天国』=『精神的成長』
ということで。
スッキリしたな。
けっきょく一言。
あんまり個人的にDIO様のこと目標にはしてないんだからね。
若かったとはいえ犬に轡をはめて暖炉の中に閉じ込めるとか
そういうことをやる人を尊敬とかできないんだからね。
・【おまけ】『DIOの言う天国』をジョジョの歴代ラスボスたちに照らしてみてみるッ!!