ニートアカデミア(哲学) 無職長征一万光年旅記

独創的すぎた。【②ムラクモアカデミー2年目修了でむかう無職ニートのこれから】

2016年1月21日

2015年無職ニートのアカデミー2年目
「独創的すぎた。」

ニートアカデミア2

ニートにしたって

「就職めざしてニート脱出」

とか判りやすい話じゃなくて

「自分だけの価値かでなければ死を。」

という非常に独創的な生き方をしたい私だ。

 

まずSEO的に絶望的なのだよ。

 

だから本来ブログ媒体というかネット媒体において効果を発揮しないよね。誰が検索するかねまーたく
┐(´∀`)┌

と言ってそうしようとしたものならば、

ただ人の役に立つだけのつまらない教科書を作成するだけになってしまう。

「タイトルには数字を含めよう」とか何万回書かれとんのかって話を何万回書くのだろうかこのネットのページはってくらい。

どれくらいiPhoneのことが書かれとんのってくらい

あとあれでしょ?ドラクエ10とグラブルとパズドラのこと書けばいいんでしょ。あとエロと金稼ぎと健康でしょ。あとあれだ。

iPad。

あとMac。iPhoneとか使わんしな自分。

アクオスクリスタルしか使わんしな。

アクオスクリスタルのことしか書けんものな。どんな民族の人が見るんやろかそれは。

 

だから正直そういったアクセスを集めてなんたらかんたらという代物も向いていない。

 

さあ、この2年目はね、それだから

「徹底的に自分の中に入り込んで何かを生み出そう

という職人気質な感じで自分がとことん面白いと思うものを創ろうってな具合でスタートしたわけだけどね。

 

自分が作りたいのは世に無いもので、でも世に無いものは検索されないからそんなこと記しても仕方ないから創ることにだけ集中して一生を過ごそうてきなね。うん。

 

しかし2015年の年始め早々イレギュラーなことが起きて、それによってあれよあれよと違うことをやりだすわけ。いやもうそれ自体はいいんだけどね。結果的には。いつかはやる予定だったんだし。

ゲーム創ろうとしてたけどさ。

ここでは最初「史上最高のRPGをつくるためのブログ」とか言ってゲームのブログを始めたのが最初だ。(3日経って「日本のRPGをどん底から復権させるためのゲームブログ」に改称されたけれども。)

それはなぜかといえば、

死の旅から帰還してとりあえずゲームをやってて、そのなかで「もっとこうしたらいいのに」という思いが芽生えて、次に「こんなゲームあったらなあ」と思い「こんなゲーム作りたいかもなあ」ということで企画書を書いて送ってみたりしながらここまでなんかなんとなく来ていたからだった。

 

 

 

創ることにだけ集中してゲームとの決着?

だから史上最高のRPGを作るというのをなんとなく目標にしていたのだったわけだよ。

しかし段々とこう思うわけだ。

「オレってそんなにゲーム作りたかったんだっけか?」と。

なんかいろいろその気になってそういうプレイでブログに書いてたらなんかものすごい意気込みがある人みたいになってたから段々その気になってたけど元々そこまでじゃなくない?とね。いや「我が主張論」にあることはホントに思っていることなのだけれどさ。

 

別にRPGが復権したからといって何なのかって話だもんね。うん。時代は流れ続けるというのに。ね。いやでもRPGは好きだからその歴史を追ったり何かしら関わってるのは好きだからいいんだけどさ。うん。

 

なににせよよく判らなくなってきていたわけであった。

 

アカデミー1年目で色々とするなかで色んな物をみたりやったりして世界を広げると、それなりにやりたいことも増えてくる。

 

だから何がほんとにやりたいことなのかもよくわからないってわけ。現在、世にある人気のゲームはオモチャ系のゲーム性ばかりのもので自分がやりたいこととは違ってきているのも知ったし、名作を追うなかで色々と過去の少年時代の記憶に触れたり、ケツから血が出てガンについて考えさせられたり、「やっぱり人間っていうのはいつ死ぬか分からんなあ」とか改めて思ったり、そんななかで自分が本当にやりたいことはゲームを作ることなのかという疑問もあったり。

 

更にはやはり一人ではできない部分が多すぎるということがあった。

 

といって言い訳してなにもしないのはダサすぎるのでやれるだけはやるけれど、最終的には絶対無理なのだ。なぜって作りながら自分がもう「あ、ダメだな」って思ってしまうのだから。特にシナリオは絶望的だ。もともと自分が書く予定など無いのだからそこはしょうがないのだけどね。我が主張論でもシナリオに関しては触れてないのは、自分はシナリオをつくる自信がまったくないから。ゲームデザインだけアホほどの自信があってそれは今も折れていない。でもシナリオとキャラクターは100パームリなのだ。これは自分の心の問題からくるものなのだ。自分ではつくれないのだ。だから自分の頭のなかにある「史上最高の」を創ることは一人では不可能なのことはもうわかってるんだ。

やれるだけはやるけどね。別に制限時間があるわけでもないのだから。それが「やれたらやる」の真骨頂。キツイ時は休み、やれるときに全力でいいという奥義ね。うん。

 

しかしどこまで目指しがいがあるのかということもまた事実。

 

だからこの1年全て使って今現在の全力で1作完成せよう。

それがうまくいったら続けて、ダメだったらとりあえずもうやりようがないのだから一時的にはきっぱり終わらせようということで「ゲームとの決着」をつける年にする予定だったわけ。

 

でもそうはいかずになんか色々とやることになったわけねうん。ちょっと何かあると気が変わってそっちへいってしまうからね。まったくね。やんちゃやね。

 

でもどうせなにか創るんだったら色々経験して考えを広げてからのほうが良かったし、まあいいかと。

 

我王再臨「やりたくないことが多すぎた。」

我王

はいまた出てきましたよ我王が登場ですよええ。

この年ではとにかく「色々なことを色々なやり方でやって適正を知ろう。」ということでやってきたわけだね。色々やったよね。

旅動画から企画物のチャリ旅から、なにかを題材にしたまとめ記事的なことから世のネタに対して何かを書いてみたり、ノウハウ的なことを書いてみたり、ニートの過ごし方を書いてみたり、プロフを充実させてみたり、ゲームを実況してみたり、映画の感想を書いてみたり、競馬を熱く語ってみたり。

 

そのなかで色々知るわけだよ。
何が得意で何が苦手かね。

 

アカデミー1年目が「とにかく自分がやりたいことをやりまくる」という欲望アーマーに乗ってひたすら活動するのに対して、今度はそれで進めなかったところを進むためにより強化したアーマーに乗る必要があるということでね、じゃあ「得意なことややりたいことは何なのか」という武器探しのダンジョン周回が始まったわけだよね。うん。いわばね。うん。

 

そうしたらほとんど苦手(*´艸`*)

 

「こうしたらもっとうまくいくんだろうなあ」というやり方の殆どはオレにはムリ。

実際ムリかどうかというかやりたくない。そう、これは

 

「絶望的に追い込まれた人間が何が何でも無我夢中でよじ登るというスリリングなお話」

 

ではなくて、

 

「やれたらやる」「そこそこのやる気でどこまで行けるか」というほのぼの珍道中なのであった。そういうロンゲストでカオスな旅路なのだ。そりゃあ「ほんとうに長い長い遠い遠い回り道」にもなるというもの。

 

でもまあ意外と口惜しいところもあって、「こういうのが面白いんだろうなあ」なんて考えては見ても実行者が居ない企画を思いついた時の虚しさよ。うん。でもまあ出来ないもんはできないんだししょうがないけどさ。うん。そういうところ無理しませんよ私は。

 

誰が見たいこんなブログ(*´艸`*)

無理しないエンタメ。

 

でも意外と自分ではそれが新鮮で楽しいのだ。

 

新しい試みじゃん。逆に。やれたらやるでどこまで行けるかって。逆に面白くない?はしゃぎ通すのはテレビでやるじゃん。もう沢山見たじゃんみたいな。うん。

 

だから自分では依然として自分のブログに興味があるわけだけども。

 

今までは出来ることすらしてこなかった無気力夢遊中2病の私が?なんと?出来ることをやるというのだからね。こんな大ニュースはないよ。うん。そういうことで。うん。なんとあの出来ることをやるというのだから。うん。じわじわくるでしょ。

 

 

むらくもは
「やりたくないことが多すぎたし独創的すぎたをみつけた!」

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とにかくこのアカデミー2年目は「やりたくないことが多すぎたし独創的すぎた。」ということがはっきり認識できた年であったかと自分では認識している。

勿論、「自分がやりたいことをとことんやる」ということも継続して消化しているし、何が得意で、何がしっくり来て、自然と続けられそうで、固有の価値かなあ、とか感じたり考えたりするものもあったりなかったりしている。

 

なんとか成長している気がするようなどうやらということで。

 

「死がやってくるその時まで僕の死生観をすべて話そう」でも書いてるようにもともとがダメ元でやってることだから別に焦る必要もないし、気落ちする必要もないのだけどね。うん。理論上は。でもそれでもそういうことは起きるから。人間として感情を持って生きている以上はさ。でもこの記事に書いたようなことを自分で認識すると心が軽くもなるし。人には価値ないみたいだけど自分にはものすごい影響があるんだよ。あたりまえか。自分で感じたことなんだし。

 

ハイレア「弐代むらくも」は

スーパーレア「真打むらくも」へ進化した!!

ムラクモアカデミー2年目修了。

単位「自分がやりたいことをとにかくやる(金無し)」
80/100
単位「やりたくない苦手で不得手なこと&やりたくて好きで得意なことを知る」
80/100

スポンサーリンク/記事直下型2連装無職砲

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

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なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

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