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ニートの生活費 無職長征一万光年旅記

【月9000円でどれだけ生きられるのか?】ひきこもり無職ニートの問題は貧困じゃないからね。(ニートの実家暮らし④)

2017年3月1日

9000円ニート

 

ニートブログの収益と実家ぐらし第4弾。

 

ベーシックインカムで世の中からブラック労働が無くなるとしても。

 

さあ前回、

・【月6000円でどれだけ生きられるのか?】遂にごはんが食べられる。

においてはホームレス状態の“馳夫スタイル”であっても『放浪しながらご飯が食べられる。』という試算と相成ったのである。

 

※馳夫(はせお)…

ストライダーとも。北方王国は人間の王エレンディルの子イシルドゥアの世継ぎに連なるアラソルンの子アラゴルンが野に伏せる際の呼び名。

「金はすべて光るとは限らない。放浪するものすべてが迷うものではない。」

『指輪物語』J・R・R・トールキン

 

それから約3000円ほどの増益ということで。

 

なんでそうなのかは全然わからないが、

とにかく増益ということで、

「ホームレス放浪スタイルでさらにどこまで快適になるか?」

あるいは、

「実家住まいな現状のニートスタイルではどれだけの物が支払えるのか?」

なんかをさらに試算だ!

 

 

月9000円でどれだけ生きれるの?「ホームレス」と「ニート」のばあい。

野性味あふれる外で寝転がりスタイル

「ホームレスポンシブドリフタースタイル“馳夫ライフ”」
通信費ネット/モバイル1000円計2200円
ドメイン200円
サーバー1000円
食費スーパーのおにぎり1個50円×30日
★増量
1500円
★3000円
計3000円
★6000円
スーパーのお茶缶1個50円×30日1500円
清潔費銭湯- -
洗濯- -
エネルギー費電気 -
ガソリン- -
暖燃料- -
寝床テント泊 -

※前回までの収益では黒文字、今回の収益によるプラスは★橙文字

食費が増量。マックやスタバで電気エネルギーを確保か。

今までの月6000円時代から3000円増ということで、やはり栄養失調まっしぐらな食事へ戦力資金投入が図られるでしょう。

そうしてマックやスタバへ潜り込んで『お電気』を分けていただくという戦法になるでしょうな。

「暖燃料」という項目は、まあ冬になると何かと暖を取るのに何かしら必要かなというわけで。ガソリンは使わないけれど、バイクなどに身を包む馳夫(ストライダー)スタイルの場合には要るのかもしれない経費。オレは要らんけどやな。

 

実家の大臣スタイル

「アドバンスドホームチャンセラースタイル“ジ・ニート”」
通信費ネット/フレッツネクスト光★6000~円計7200~円
ドメイン200円
サーバー1000円
食費米/日2食30日2000円計2000円とx
食材x
エネルギー費電気--
ガス--
水道地下水汲み上げの為に無-
税金国民年金-(約16000円)-
健康保険--
住民税--
地球市民税プライスレス-

※前回までの収益では黒文字、今回の収益によるプラスは★橙文字

「フレッツ光」の家ネット代も払えるかね。

と言ってもまだまだ現役の“家宰相”を務めている身としては、『実家暮らしバージョン』が基本となるわけである。まだまだ居座るのである。長期政権なのである。

まあ、一応ネット代も支払える様になったのだという。

うむ。意外と「ぽっかりまとまった額」になるネット料金であるからして。家と食費と税金の他に存在したネットという料金も自らの収益で賄えるようになったとは感慨深いようななんというか。

かつて「オンラインゲームをやりたいけど、稼ぎもないしなあ」なんて無気力していた時代が走馬灯のように駆け巡っておるよ。

大航海時代Onlineがやりた過ぎたけど「その資格なし」とばかりに封じていた頃が懐かしい。

「そして今はそんなことしてられない」という時代になった悲恋。

だからこそ子供の頃にやったゲームたちの記憶の何たる甘美なことよ。「ただ楽しかった」が存在した時代よ。

 

しかし払わないけどね。

賄えるからといって、だからといってネット料金は払わんけどね。そんなことしてたらなけなしの運用費が消し飛んでしまうからね。今は普通にフライングニートマン号のブログ活動運転資金へ投入するのである。

税金問題はまた別にやろう。

 

 

とにかく“あのニートが”さらに自炊可能になったということ。

ニート・ザ・デッド・オア・アライヴ

 

わりと現実味を帯びたリアルな経費をつついてみたけれど。

 

月800円の頃ではそんなところはあやふやに煙に巻いて注意を逸していたものだけれど、さすがにこうとなれば書くことも無くなってしまうため、詳細につついていって白日のもとに晒されざるをえない。

 

「ホームレス馳夫スタイル」においてはかなり生き延びることができそう。

あとはそれプラス、人生のテーマになりつつある「知的欲求活動」が可能かどうかという点だね。しかしそれを達成しようとすると、『寝床の完備』が必要にもなるから、必要経費がグーーーンと上がるわけで、

ちょびちょび更新されるこのシリーズにおいてはこれ以上目新しい出来事は起こらない気がするぜ。

「定期的に銭湯に入れる」とかくらいなものだね。

これが日雇い労働やバイトの兼用ならばまた違うだろうし、生き方も「その日暮らし」的な「刹那の快楽を貪って男らしく生きて死のうぞ!」的なもので良いなら満足だろうけれどもね。

そうであるならニートなんぞしてないから言っても詮無きことである。

 

「家宰相なニート」においてもそれなりに資金を確保できたらしい。

「家にお金を少しでも入れると肩身が狭くなくなる」という効能を得ることが出来る身分となっていたわけである。払わないけどね。家はまあそういうのは良いみたい。うん。感謝。自分の活動に投入しよう。

 

 

とにもかくにも『おまんまが食えるようになってきたね』ということよ。

 

経済的にも、

精神的にも。

 

それ以外の『人間的価値』とは。人生の“生きがい”と“仕事”って?

人生の生きがいって

前回の

「【月6000円でどれだけ生きられるのか?】遂にごはんが食べられる。ベーシックインカムの答えはニートにあり。」

ではベーシックインカムという「国民皆ニート制度」について考えてみちゃったけれど、

 

最低生活費が保証された世界で、

「仕事」をする必要がなくなった世界で、

また、

「仕事しなさい」と言われてきたこの世界で、

それが亡くなったならば、

 

人間はなにをするのか?

 

という点がしゃべくられたわけである。

 

働かなくていいなら何するの?

ってことだった。

「ベーシックインカムが導入されるとみんなの労働意欲がなくなってみんなアホになる」

と言われるからスイスでは否決されたみたい。

実際、

みんな今現在は食ってくために働いている人がほとんどなのだろう。それで精一杯。帰ってきてちょっとテレビでも見てプッチンプリンでも食べて寝ればもう仕事だとかさ。

やりたくてやってる仕事じゃない。

 

ではそれが解禁されたなら

 

よしなにやろう。

 

じゃあなにやろう。

 

さあ、やるぞ!

 

よし、やるか。

 

ん…やるかな

 

・・・・・・

 

自分のやりたいことがわかりません...

「教えてGOO」

 

というわけじゃん。

 

何してもいいと言われても何したらいいかわからんわけじゃん。

 

参考「太平洋?おっかねえよそんなでっかいもんは。『ショーシャンクの空に』」

参考「やることない体験記」

参考「【プロフ】最後の余生時代(ひきこもりニート化/06年暮れ~09年春/18~21歳)」

 

 

①まずは『消費』

でも金は貰えるからとりあえず消費すればいいわけで。

んでそれだけで幸せって人は大勢いる。

テレビ見て芸能人をいじったり、

2ちゃんに書き込んだり、

美味しいもん巡りしたり、

ゲームの発売日を今か今かと待ちわびたり、

 

とにかく消費行動まっしぐら。

 

自分自身の労働で歳入を管理していた時代ではないのだから、

いくら使ったって悪くないのだ。

使えば使うほどいいし、

むしろ使うために渡している。

※額にもよる

 

つまり今までの人生でやっていた半分の「キツイ時間(義務)」がなくなり、

 

もう半分の「楽しめる時間(権利)」を全部の時間で楽しめるようになるというわけである。

 

別に自らがクリエイターにならずともただ単に消費者で良さそうということで。そうすれば消費も増える。

 

と思ったら意外と間違いで、

そんなに支給額は高くない。

あくまで最低限の生活費くらいが現実的なのだとか。

 

まあ実際経済学者さんたちの中では上で挙げたような「どんどん支給してパーッと使ってもらえ」って言う案もあるみたいだけどね。確かにこれは興味深いけど。

 

まあそこらへんはその時の政策の程度なんだろうけど。

 

『楽しめる権利』のハードルが上がり続けるジレンマ。

 

そして「楽しむ権利の時間をフル稼働してしまうと」

結局「ハードルは上がり続けて」、

「少しのことでは喜べなくなる」事態も発生する。

 

いままでは「必死にやり繰りして残った僅かなお小遣い」で食べるからプッチンプリンがあんなに染み渡ったわけである。

 

それが「当たり前に食えるものになった」らどうなるのかということなのである。

 

この2元論的な背中合わせのバランス論は不思議ですよまったく。

 

②ふつうに『働く』

 

だから結局はさらなる金策の方法を模索するのではないか。

 

貰ってるだけの額じゃあ足りねえよって。

これはベーシックインカム支持者たちが展開する理論でもあるよね。

「貰ったって金稼ごうとするよ」って。

 

何もしなくなるやつも要るだろうけどねそれがニートですかまったく。

ニートにもいろいろあんだけどねまったく。

ただしやはりそうなると

 

収入の差や、

何かのステータスの、

最低ラインが

 

かなり引き上がった世界を生きることになるんではないか。

「そんな世界はとうに戦っておるわ!!!!!」

と言うのも事実であろう。

「女のロッカールームは見栄の弾が飛び交う戦場のメリークリスマス」だって聞いたもんね。

参考【ベーシックインカムの答えはニートにあり】「何をしていないか?」じゃなくて「何ができるか!」で自分を語れよ。

 

 

ちょっとここからシリーズが分岐するぞ。

 

→「生きがい論」

 

→「お仕事シリーズ」

 

 

 

「行動してるだけですごいやない」という結論だった。

どうせ人間は仕事がなくなればみんなやることなくなって「皆ニート化」していく。

だからあとは「ニートとしてどう生きるかしかない世界になる」という極論である。

そしてそれの良し悪しは結果論的な評価にすぎないから、「働いているいない」の責任論では振り分けられないので、

「行動してるだけですごいやない」というあやふやな評価世界が誕生というお話であった。

 

ひきこもりニートの問題が貧困でないとすれば、

それは結局のところ『生きがい』にあると思っている。

 

それぞれの『生きがい』があるのに。

これはニートや無職に限らず人間全てに言える普遍的なことだけれど。

なぜならば、

他との関係がそれなりに存在する人はそこまで厳密に生きがいなるものは必要ないことが多いから。

なぜならばまた、

人は三大欲求などのわかりやすい欲求をも持っているし、それなりにいくらかが満たされれば良い様にできているからだ。

人間生来の適応力の凄さである。

 

だが、

他との隔絶がはげしいひきこもりニートや、

あるいはそうなるべくしてそうなった気質の持ち主たちは、

 

身近にあるようなものに“生きがい”を感じられなかった。

 

少なくともオレはそう。

 

だからなにもしてこなかった。

 

少なくともオレはそう。

 

だいたい生まれたときから周りにあるものや、

周りが見せてくるものは決まっている。

 

現代日本では、

学校の勉強で良い点数を取るとか、彼氏をつくり彼女をつくるとか、部活がどうとか、洋服がどうとか髪型がどうとか、それなりな企業に勤めて嫁さんもろうて旦那さんもろうてマイホーム建ててなんやかんやであるとか、

そんなもの。

 

「生きがい」というほど尽き詰まったものでなくとも、

「興味」と言っていいようなもの。

 

高次元だとか低次元だとかいう話ではなくて、

単純に「興味があるモノ無いモノ」という世界。

 

結局のところ「生きがい」がないと「生きようがない。」

これはなにも何かへの責任転嫁論的なものではなくて、

 

単に「そうであるならば」

「それが問題だ」というのならば、

 

じゃあ「興味のあることのために何かしていけばいいではないか」という話なのだ。

参考【デスステ鬱特急】そのままだとひきこもりニートは無気力鬱号でおさらば駅までまっしぐらだい。

 

あるいは「まずはそれを捜していけばいいではないか」という話なのだ。

参考【ニートの活力】ひとは生まれながらに楽しむことを欲する。

 

「なぜ探し、何かをして、生きなければならないのか?」というのならば、「では死んだら良い」という話なのだ。

参考【ニートの恐怖】おまえ生きようとしたな?

参考「死に盛りのオレたちへ」のはなし。

 

そして「なににせよ生きるとするならば、生きるとするならば、やはり興味が有ることがなければ生きられないし楽しめないだろう」という話なのだ。

参考やりたいことを死ぬ気で探す。やりたいことがなければ人生は苦痛だから。

 

そしてこれらのことは裏を返せば、

 

無職引きこもりのニートと言っても、

「たったそれだけのこと」だったりするんだぜ。

 

って話なのだ。

 

だから「自分のやりたいことがある世界で」

参考【無職ひきこもりニートが地元をひとり旅した結果】好きなことがある世界で生きて死にたい。

 

「やれる仕事があるのならば」

参考月800円でどれだけ生きられるのか?やれることはやれるしやるけど、やれないことはやれないしやらない。

 

その望みに応じて、

 

「やるだろう。」

 

参考人生でやりたいことxリスト「無気力無職ひきこもりニートのやりたいことってな~んだ?」

参考【無職ニートを10年続けた結果wwww】冒険商船フライング・ニートマン号の2017年度ブログ総会

 

という話なのだ。

とにかく話をしている。

 

 

『とあるコンビニの乱』シミュレーション

でもあれだよね、

 

「働けるんかな」っていうのも思うよ。

 

無理して雇わなくても良くなるわけでしょ会社も。あるいは無理してでもしがみつく労働者もいなくなる。

いやベーシックインカムの話だけど。

そうなって国民皆ニートとなっても、資金調達としてか、生きがいとしてか、労働の戦場に出向く人はいるわけでさ。

その仮定としてさ、

 

「本当に楽しくてやりがいを感じる」

 

っていうコンビニ店員さんしかいなくなるというわけだ。

 

いきなりブチ切れて辞めるような奴らがいない、

『妖精のような店員さんたちしかいないコンビニ』の誕生である。

 

いい加減に入ってきて、面倒になったらブチ切れて暴言を吐き散らして簡単に辞めるやつもその過渡期には現れるだろうが、いつか駆逐されるだろう。

 

いや、どうだろう。

 

やってくるのは欲深いが無責任なヤツだけかもしれん。

「嫌なことあったらソッコーで暴言吐いて辞めたるわ」

ってなことで。

「だって最低生活費はあるもんね」と。

 

しかし店長にもそれはあるのだ。

 

だから「そんなやつが居て閉店に追いやられてもまあいっかだって最低生活費はあるもんね」と。

 

最低な店やな。

 

いやでも店長はそれなりに開業資金はリスク負ってるわけだからね。さらにはライバル意識もあるでしょうどこかしらと。

 

この世界はもう人としての尊敬ラインが引き上がっとるわけだから。

 

志があるからこそわざわざリスクを負って起業しているわけだからさ。

 

となると結局はいろんなパワーがひしめき合ってそれなりにバランスとって拮抗するんかね。

 

となるとなんともつまらん考察になってしまう。施策の意味が。

 

面白いのは、

「本当に楽しくてやりがいを感じる人だけが働く世界」

なわけで。

 

嫌ならやらなくて済むわけだから。そういう奴らは他のやりたいコトしてくれていればいいわけで。

 

なんかこれって「もしバイオハザードしてゾンビが街に溢れたら?」ってほど面白いシミュレーションやな。

 

最低な店が増えるか、最高の店が増えるか、それは人次第なのか、制度によるのか。

 

『やる気ある人フィルター』

会社の起業も元々貧困問題を抱えているからって理由でする人はいないだろうし、

 

起業なんて失敗したら

「人前でフルチンですっ転んだ」

くらいに公然と晒されてしまうわけ。

 

そんなリスクをわざわざおかすのは「志」がないと出来ないだろう。

 

そんで彼らは「自分の貧困問題を解決しに来るだけのやる気のない人間」なんて周りに居てほしくないわけじゃない。

やる気というより「その分野が好きだからこそ生まれる創造力」というのか正確には。

貧困問題の解決にもやる気自体は出るから。

「でもアイデアまで出るかな」ってことで、

 

最低生活費が保証されている中で、

わざわざ、

「リスクをおかして行動するやつはやる気があってさらにそれがどうしようもなく好きなやつ」

 

というフィルターかけられるのはいいのかもしれないね。

 

仮定として。

 

あとはやはり『ブラック労働が無くなる。』

かもしれない。

だって「最低生活費が保証されている」わけなのだ。

つまり「生活費を人質に取られていない。」

だからわざわざブラックな環境にすがらなければならないということも無くなる。

そうするとどうだろう、

 

労働力が必要な場所ではブラック環境だとその労働力が確保できない。

 

そして経営ができなくなる。

ならば必然的に、

「ブラック環境を改善して労働力が確保できたところだけが、生産性が上がって、競争に勝っていける企業になる。」

そしてその結論は、

「労働者の労働状況は改善し、就労しやすい職場が誕生する」

ということなのだ。

 

ブラック環境というのは企業にとって都合よく低賃金で長時間使役させられ、なおかつ使い捨てがいつでも効いて使いやすく、保険的なものなどの配慮が必要ないという無双状態の資源。

だから企業はブラック環境をしばしば作り出す。

そしてそれは労働者側にとっても需要があったから。

そんなことをやりたがる優秀な人間はいない。だからこそ空きができる。そして競争に敗けた人たちがそこに渋々やってこざるをえない。だから企業はブラック環境でも働かせることが出来てしまう。

 

つまりベーシックインカムを導入するのは、

 

「労働環境の改善を引き起こさせて、働き手の活動力を向上させて、生産性を向上させることによって、より良いものが生み出される世界をつくる。」

 

という価値を期待するが故なのである。

 

のではないか?

 

こういった具合に理論上はとてもきれいな仕組みとなるわけである。

 

ただ「これからはこういった労働力はロボットに代えられる」という時代でもある。

 

だからどうなんだろうねそこのところは。

 

 

→というわけで次回は

「ニートが“仕事”について考えてみた闇の企画」

が連載するぞ。

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ニートブログの下

 

 

フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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