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ニートの生活費 無職長征一万光年旅記

【月800円でどれだけ生きられるのか?】東南アジアなら生活できるって?(ニートの実家暮らし①)

2016年4月7日

800円

 

ニートブログの収益と実家ぐらし第1弾。

 

なんやかんやとブログ収益化をはじめて、

 

月800円くらいになっていた。

 

ね。

 

うん。

 

ね。

 

 

嫌なことをせずに稼いだ800円の価値とはいかに。

ということですよ。

いくら800円とは言ったってね、収益は収益。

ご立派なものですよ。ええ。

それだけのために行われたことではなくて、好きにやってる事で出ているわけだから。まあいいでしょう。いいということにしとこう。よろしくお願いします。

 

サーバー代は割と出ている。

エックスサーバーなんてどデカい所と契約しちゃってるんだけど、その力の片鱗すら魅せてはいないであろう我がブログのアクセス負荷。名前もわからない300円位のでよかったじゃんってくらいの状態ですけれどもね。しかし「どうせやるならサーバー移転とかめんどいし」ということでとりあえずエックスサーバーさんにて月1000円。

 

200円足りないけど。

そこはポケットマネーで赤字補填するから。

労働奴隷時代の遺産からちょろちょろと。

これ無くなったら大人しく辞めまーす。

ニートに人生攻略は無理だったというデータだけ残して。

(ノ´∀`*)

 

ニートじゃないんじゃないか?という疑惑の目を向けられる。

厳密な定義にはもう当てはまらなくなってしまっている我がニートライフ。収益も出てしまったから。うん。「元々そうなんじゃないか」という疑惑もあったけれど。

しかしあれだよね。

もうこうなると「ニートだから」という異次元感や一種の浮遊感はゼロになって、ただ単に「収入がバチバチに少ない底辺のひと」ってことになるね。

なんというおそろしいことに。

(ノ´∀`*)

 

経済貢献しちゃってる。

800円とはいえ。

ね。しちゃってるよ。ねえ。すくないとはいえ。サーバー代に使こうとるわけやから。

すくないとはいえ。

それは単に自分のそういう能力がとんでもなく低いがために引き起こっている悲しき出来事なだけであって、貢献はしているわけだよ。

気持ちが大事なんだ!的なね。

そういうことでお願いしたいよね。お賽銭的なね。ベストセラー作家のあれに比べたら普通の人には限界じゃん。そういうのじゃん。これが今のオレの限界じゃん。そういうのじゃん。

 

会社に頼らずに。

嫌なやつに頭下げずに。

 

その分の収益は少ないけれど。

 

その分の不利は「自由と時間で報酬もらってる」と思えばね。

 

どうよ。

 

自己肯定感というものがむくむくと湧いてこないかい?

 

800円でも。

だって働いてないもん。

金は稼げんもん。

 

ということでこれが今の自分の限界。

 

やれることはやれるしやるけど、
やれないことはやれないしやらない。

 

自分のやれないことを責めて立ち止まっていてもしょうがないし、

自分のやれることでなにかやるっていうことならやれる。

そのためだけにしていることではないけど、

その端材のようなものでも世の役に立っているのならそれはそれでいいことじゃないか。

 

 

【ニート・ザ・デッド・オア・アライヴ?】どれだけ生きられるのか?

ニート・ザ・デッド・オア・アライヴ

 

月800円で。

 

なんとなくこの稼ぎでどれだけ生きられるのか検証してみようと思う。

 

さあ行こう!

 

サーバー代1000円に飲み込まれる。

 

ということで終了です。

 

ブログからの収益なわけだから、サーバー代がかかっているわけでそれの納入で終わりました。

むしろ200円の借金。さらに実際にはネット代としても最低1000円くらいはかかるだろうし。

無料Wi-Fiスポット使えばいいのだろうか。でもセキュリティないからWordPressログインなどをすると危ないのではないかね。どうなんだろう。

 

まあこんなもんだよ。

 

月800円じゃ生存できませんねまったくこのやろうが。

 

あと「生きるとは何か」という知的生命体ならではの命題なども控えているし、どうなったら人は「生きている」といえるのだろう。という感じの企画でやっていきたいよ。ニートザデッドオアライヴ?は。

 

そういえばここ最近ニート押しなブログになってるけどぜーんぜんグーグル神からニート認定受けないんだけど。

 

ニートブログとまでつけているのに。ブログ名打ち込んでも出てこないんだけど。存在を認知されていないんだけど。

 

ニートブログとまで付けてこの有様じゃあ切なすぎて泣きながら笑っちゃうんだけど。

 

どうしてくれようこのブログ。

始末に負えない。

名作ゲームコーナーは切り離しているし。

このブログ一体何やってんだろうね。

 

マレーシアのジョホールバルとかに行ったらどうだろう?

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東南アジアは一昔前にはこんな風に謳われていた。

 

「日本で稼いだ金を持って行きゃあ余裕で遊んで暮らせるぜ!!!!」

 

ということで途上国ならではの物価の安さに目をつけたものたちのセカンドステージとして目指されたという。

※他にも開放的な雰囲気や、日本みたいにカッチリしていない気風がなんかやりやすいかも的なこともあるとかないとかと

 

「海外に行け!!!!」

 

みたいなことでゴール・D・ロジャーばりな感じに言われたとか。

 

「さがせい!!ニートの未来をそこにおいてきた!!!!」

 

みたいな感じに言われたとかどうとか。

伝説と語り草の”海外ニート”さんなんかがいたらしいよ。

ニートの伝説。

 

ニートの伝説?

 

東南アジアの成長

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しかしいまやもう世界中が手を付けてしまっていて、もはや東南アジア(ASEAN諸国)は新興国。

オレも22くらいの時に家店の秘伝のマーボー豆腐を流通させようとかしてたくらいにみんなが目をつけていた。秘伝の焼き肉御膳のタレで屋台でも引いてやろうかとかオレも考えていたくらいに。

まあそれも面白そうな企画だけどね。

テレビばりな。

 

とにかく東南アジアに行ったとしても、

家賃が激安なわけでもないらしい。

 

かと言って野宿に注意を払うコストが高いという治安の低さを考えると、むしろ日本のほうが野宿はしやすいのだ。

さらにいえば家賃のかからない「実家が最強」との結論にいともたやすくたどり着く。

 

実家のすごさ。

ニート街
元画「ハンター×ハンター」

 

けっきょく実家は安い。

 

安いっていうのもなんか違うんだけど。

(ノ´∀`*)

 

土地に縛られない収益があるのならば基本的にはどこに居たっていいわけだ。

何事も土地に縛られるから限定される。

それが良いとか悪いとかじゃなく。

遊牧民には遊牧民の、定住民には定住民の善し悪しがあるし。

個人的には定住民が生み出す「文明」が好きですけれども。

 

厳密には家賃はあって、それは家と土地の固定資産税などがあるけれど、まあとりあえずそういうことを考えても仕方がないので置いておこう。まだそのステージは早過ぎる。

 

ニートの種類

それにしてもニートと一括りに言ったってやはりさまざまな違いがあるものだ。

家庭内の状況にしたってだいぶ違う。

基本的には「家に居られるというだけでも恵まれている」という点では同じなのだがそんなこと言ってもアレなのでこれも置いておこう。

 

まず、

 

「家の人との関係が良い」ヴァストローデ級ニート

 

「家の人との関係が悪い」それ以外ニートとで分かれてくる。

 

理解があってなおかつ責め立てない急ぎたてない言い募らないという「触らぬ神に祟りなしタイプ」の家族である場合の前者の場合には、あとは自分の気持ち次第となる。私はこのタイプ。だから自分自身の精神統一こそが大事となる。そして基本的にこのブログではそのための手法をテーマにやっていくことになろうかと思う。自分がそうだから。

 

この逆を行っていて関係が悪くなるのが後者のタイプ。

 

このタイプも2つに別れる。

 

「理想押し付けタイプ」アジューカス級ニート

「家のお金がないタイプ」ギリアン級ニートだ。

 

前者の場合はそんなことは無意味だからとっととやめていただきたいものである。言うだけではどうにもならない世界なのだから。こういうお家はできるだけ距離をおいてやり過ごすしかなかろう。結局どっちに対しても言うだけではどうにもならないのだし。

 

その間に自らの運命を切り開くなりやるだけやって燃え尽きるなりして自分の人生を全うするべく務めるしかない。それはヴァストローデ級たる私も同じことなのだ。ただし何かあればすぐ爆発してしまう要因を強く持っているという点で、

 

このタイプのタイムリミットはすこし短いといえるだろう。

 

まあそれだけのことだけど。

 

そして、

 

後者の場合はもう完全に正論。

(ノ´∀`*)

 

もう正攻法と言ってよろしいかと思う。

むしろ王道。

だって当たり前だもん。

「金ないからさっさと働け」

的なことはさ。

あくまでニートライフはなんだかんだと最低限の生活費が出るご家庭にしか実現できないライフスタイルであることは自明の理であるわけ。

 

と言うか大体のニートは中流階級出身者によって大勢が占められるというのはすでに研究から明らかとなっているようだし、超極貧家庭で育つニートはそもそもあまりいないと思われる。

 

その状況下では、「ニートやるほど暇じゃない」というほどのハングリーさが育つと言うしね。実際のところはどうなのかはわからんけども。

 

だからそういったことを前提でこのブログのニート項目は書かれているね。生きる意味がわからない的なめんどくさい思考の我々ニートの生きる道的な。ハングリーさとは無縁な感じの我々が人生を全うするには的な。

 

金ないなら「一緒に日雇いバスツアー」でも組んでカメラ回すくらいなら出来るかもしれないけれど、基本的には自分にはどうしようもないところ。

 

 

まあとにかく今は実家を利用させていただこうということ。

各タイプにおいてタイムリミットはあれど、

全く無いわけではないのだ。

ギリアン級ニート環境でさえも。

 

そんな状況においてもとりあえずは家に居られるというのはこのブログのテーマ的には好都合なのだ。

 

実際そんな状況だったらさっさと家を追い出してもらったほうが早いところ背水の陣(あくまで生きたい&死にたくないと思っている場合に限るが)を敷けるので"社会復帰”できる可能性は高まるかもしれない。そしてそれができる人も望む人もいることだろう。

 

しかし私はそれにもれなく外れる超社会不適合者である。

 

金が稼げたら良い、彼女がほしい、安定の生活がほしいとかまったく要らないという人種。

「自分だけの価値かでなければ死を」という人種。

"社会復帰”など眼中にもない。

社会がスタンダードだとは思っていない。

あったら助かるので(警察とか)できる範囲で貢献はしたいと思っているけど、自分の所属じゃない。

 

20の時の得も言えぬ恐怖を覚えた時に、「工事でもやって昼にはシャケ弁でも食って妹達とゲームでもしてるのもいいかなあ」なんてその価値を理解したこともあった。

けど結局はそれは恐慌が生み出した蜃気楼で、実際は時間を無為に過ごしてしまったことに怯えていただけだったことを「3ヶ月聖戦」の後に理解したのだった。

そして、

人の挑戦を見ているばかりで部屋の片隅で子供を抱いている自分の姿が嫌だった。

人に迷惑を掛けたくないから守るものができたら絶対挑戦はできない性分を理解してる。だからそんなものはいらないんだ。

 

とかいえば普通の人にも分かってもらえるだろうか。

 

基本はもうそういう性格でそういう人種だからとにかくそういう生き方しかできないということなんだけど。

 

そしてそれに今現在最も都合がいい方法が

「ひきこもって1年でも良いから自分の好きなこと目指したいもののために全力で生きる」

というやり方。

それには実家に居られることは好都合というわけである。

 

勿論、

虐待やその他の状況にある家に関してはまったくの別だ。

「孫子」いわく、

「囲地にあってはまず逃げよ」という。

これは危険な状態で戦ってはならないという意味。

そこから脱出することが第一であり、

その際にいくばくかの被害を被ろうと、そのまま全滅するよりは軽微な被害であり、体制を建て直してから戦うべしという。これは西洋の「戦争論」でも同様である。

もうこれはニートだなんだという話ではないね。

 

 

そして「死地にあってはとにかく戦え」という。

もう詰んだような状況ではとにかく余計なことは考えずに目の前のことに集中してやり通せばいいという話。私の状況はまさしく「死地」だ。

 

意図的にひきこもっている状態。

 

ガンパレード・マーチとはこのことだ。

 

撤退はない。

生きるか死ぬか。

 

どちらかしかない。

どちらか。

 

ひきこもりというのは、

他との関係性を排除してしまうという点で、伸展性や発展性を断絶するということでそういう点ももっている。外に出るのは慣れないし、人と話すのも慣れないので壊滅的な社会性が身についていく。

しかしそのかわり余計な雑事に煩わされずに集中できる環境が生まれるのだ。そうすると意外にもそのなかで自信を得られればそれだけで実は人とも話せるし活動的にもなれるし外にもよく出るようになる。

 

いろんなルートがあるのが人生だと思わせられる好例ではないかね。

「自分のやりたいことをやり切ることが目標」

という人生にはうってつけだとこのブログでは考えている。

 

 

とはいえ、

 

実際このギリアン級の状態にいる場合にはタイムリミット以前にそんなに落ち着けない場合もあると思う。

「今日か明日か」

みたいな状態なんて。いくら理論上は時間があっても気持ち的には、前向きに使うというよりは「心の準備をする」程度にしか使えないんじゃないか。

18の時のオレがそうだったからそれはわかる。

そもそも生きるつもりなんてないから困るということでもない次元なんだけどね。そんな逼迫した家の状況下で労働活動をしないでニート化してるなんてそもそも生きる気がないか何かの中毒者かくらいのものだろうし。

オレは前者だった。

だからまあ自分的にはなんの不満もなかったのだけど。

これも人によるか。

うん。わからん。

すべての状況なんてわからんよ。

 

800円じゃあとりあえず厳しいってことでしたね。

 

そういうことで強引にタイトル通りのオチへと誘導できましたね。

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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