ニートアカデミア(哲学) 無職長征一万光年旅記

【最初は全部の半分。】オレは跳び箱を飛ばなかったんだよ。

2015年3月24日

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オレは跳び箱を飛ばなかったんだよ。

 

いきなりだけど。

「完璧主義者」っているよね。

 

完璧主義。

程々の状態で世に出すことを良とせず、あくまで自分が納得するまで仕上げることにこだわる。

なんて聞こえはいい。アニメの宮崎駿監督なんかそうだと言われてるね。芸術家に多いような、ちょっとかっこよさげなタレント。

完璧主義。

でも自分の理想に追いつけず妥協も出来ないままに抱え込むことが多いということも。

詳しくはウィキペディアでも見たらええじゃない

 

 

立派な考え。

何でもそうだけど良い考えを持っている人っているよね。

それは素晴らしい考え。

人道的だし、効率的だし、男前だし、孝行的だし、 芸術的だし、魅力的だし、知的だし、道理にかなうし、

 

立派だ。

 

でもそれを実行できるかどうかは全くの別。

だよね?

良い考え持っていても実現できない人はたくさんいる。

 

結果的にせよ。

 

それが良い考えから発せられても結果的に悪いことを起こしてしまうということじゃない。カエサルが言うような。

 

単純に力不足なために実現できない理想ということ。

 

宮崎駿に力が無かったらその理想に押しつぶされて、 だからそうじゃない自分が恥ずかしくて、 引きこもって、 そんな力も無いし、 つてもない場所からじゃあ遂には一歩も動けず。 なんてことあったり。

 

いや宮崎駿ならそんなことにはならない?

 

さあそれはどうかな。

 

それはいいとして、


そして今のオレは怠惰な思考を持っているけれど

∑(ノ∀`)ペシッ

 

だから自分の言い訳はしないが、

 

「自分の理想が高く立派な考えを持っているがために、 それを実現できない、頑張ってみても遂には出来なかった為に、 恥ずかしくて自信も持てなくなり身を隠したり動けなくなる」

 

という人が殆どだと思う。

 

完璧主義。

非柔軟。

または非合理主義。

 

もちろんその努力や頑張りは「やるだけやった!」などという主体的な目的の末での自己満足などではなくて、

むしろ二義的な”社会的見え方”のために、反射的に、あるいは受動的にやった努力であることも。

 

「つまり美意識や責任感が強いために人の目を気にしてした努力に過ぎない」

 

ということ。

だから恥ずかしい。

べてが。

出来ないことも、

そんなこと気にする自分も。

 

心の底から自分が好きだと思えることのために出した「全力の惨めな自分」じゃないし。

 

まあとにかく“一歩も動けず”ってのは、

意外にも怠惰であるよりも責任が強かったりする人に多い。

変な言い方だけれど、

その人に力があったら何かのリーダーになれるくらいに責任感や考えが強いのだから。

まあ力とか才能なんてゲームみたいにステータスで決まっていることじゃないからそんな簡単には扱えないことなんだけどね。

あくまでも、

”こういう表現が許されるのならば”ということで。

 

「努力してないからだろ」

 

とかで片付けられる子たちはそれでいいがな。

それならお前は人のこと言えるのか?

 

「ああ言えるよ。」

 

となって自分でハードル設定しちゃうんだよ所詮君もさ。

( ´ー`)y-~~

 

だから泣き出したい時も、

弱音はきたい時も、

誰かに頼りたい時も、

 

言えないんだよ。

 

だって恥ずかしいだろ?

自分で言っちゃったんだから。

 

人の目が気になってくるぞ。

(▽Д▼@ )

 

もう君は檻の中にいるんだ。

すでに。

もちろんこいつがすげえ奴ならそのプレッシャーを跳ね除けて、努力して、うまいことやるかもね。

確かに。

そういうワンマン社長居るよね。

豪腕型のさ。

歴史上にもよくいるけど。

でも人の気持ちがわからないから後が続かない1代限りの覇王君主タイプが。

もちろんそれで十分すぎる人生だろうけどもね。

 

ただ多くの人間はそうじゃない。

 

それは色々な繋がりからも、

とにかくそういうことになったり、

いろいろな仕方で、

動けなくなったりすると思うんだ。

 

一歩も動けず。

本当に久しぶりにふと思い出したのだが、

私は13歳の時に跳び箱を飛ばなかったんだよ。

理由は簡単。

 

失敗するのが怖かったから。

 

だって恥ずかしいじゃない。

女子が見てる前でさ。

 

それに私は暴君だったから仲間たちに示しがつかんのだ。

(∀`*ゞ)

 

カッコつけたいお年ごろMAXだろ。

 

まあそれはみんな一緒だと思う。

完璧主義がどうたらとかじゃなく。

体育が苦手な奴はそれが嫌いだろうし、

失敗するのが分かってるから恥ずかしいのが解るから。

でも得意分野じゃなければどうということもないのかな。

嫌いなだけで。

よくわからないけど。

 

いや、国語の朗読とか嫌だったわ~オレ~そういうの~
超苦手だし嫌いだし恥ずかしかったわ~

(▽Д▼@ )

 

そしてこれ面白いのが、

 

私は運動神経は良かったということ。

 

と言うか基本体育会系なんだ。

だから暴君たりえた嫌なガキ。

今タイムワープできたらただ殴りたいというクソガキ。

理由もなくただ殴りたいとゆう。

(▽Д▼@ )

 

運動神経しか無い。

 

と言ってもいいくらいの。

だから当然、

跳び箱は余裕で飛べたし、

もちろんトップ段のものを飛べた。

今は出来ないがバク転とかもやっていたんだ。

12くらいに。

 

だが更に色気ついた13歳位の頃の跳び箱は飛ばなかったんだよ。

 

なんで?

 

「……飛び方とかダイジョブかな~……。」

 

なんで?

 

「そのあと前転とか入れないと他よりもよく見えないな~……。」

 

なにが?

 

そういうことでハードル上げた結果、

 

「いや、面倒くせえからいいわ

(´∀`;)」

 

となるわけ。

こういうこと言ってる奴はそういう闇を抱えているから気をつけろ!

下校中にバラモスと頭のなかで戦ってるから気をつけろ!

 

 

一歩も動けず。

 

 

もちろん跳び箱飛ぶかどうかってのは、

それは人による話。

別に体操選手になるわけじゃなし、

健康を保つための体育ならラジオ体操程度でも良いのだし。

重要な事はここ。

 

 

「最初は全部の半分である。」

 

 

誰の言葉か覚えていないのでアレだが良いフレーズだ。

最初の一歩をはじめなければその先は全くないということなんだ。

もちろんそのあとで創意工夫、

試行錯誤なんかが必要なんだけど、

考えてみるとすごいことで、

 

始めなければ、始まらないんだよ。

 

足を曲げようとしなければ曲がらないんだよ。

ケツは拭かなきゃ、

拭けないんだよ。

 

あたりまえ体操みたいになったけども。

 

膝を~曲げて~腰を~下ろすと~~~~~~座れる♪みたいになったけども。

 

息の吸い方教えてやろうか?

でも息の吸い方って深いんだよね。呼吸法というのがあるし、何より人間はいつも息を吸って吐いているんだからそこの部分に何かしらの神秘が隠されているのかもしれないし。

 

目の開け方教えてやろうか?

なんか哲学的。深い。

 

なんにせよ、

 

始めないと成っていかないってことじゃない。

 

すごい偉人とかにせよ、

他の分野のことは全然知らないでしょ。

たぶん。

普遍的に博識だったりする人もいるけど。

世界を動かしたような人だってRPGのこと全然知らなかったりするんだよ。

こんなちっぽけな自分すら知ってることなのに。

 

なんてことあるでしょ。

結構すごくない。

この事実。

 

人はなんでもやれるわけじゃないという事実。

 

大天才だろうがおっぱいRPGとか作れない事実。

 

それはその人がそれを始めてないから。

 

そして一歩も動けず、

ビビって、

あるいは恥ずかしさのためにそうしていたならば、

 

何も身につくことがないのだ。

 

26年という時間を見よ。

 

何が出来るんだよそんな時間あったら。

25週年とかで最近オレと同じくらいの歳のゲームシリーズのイベントとかやってるけどいろいろ。

ドラクエかな?サガかな?

まあそのくらいの頃に家庭用ゲームはよく出ているからそうなのかな。

 

ドラクエならどれだけの人の青春を担い、

想い出となってきただろうかという25年とかそのくらいの時間。

サ・ガだったかな。

 

オレは何が出来るだろう。

 

(▽Д▼ )

それを痛切に考えたのが20の時だった。

 

 

ロンゲスト・マーチ

なんとなく17くらいから気にし始めて。

はっきりと認識したのが20。

「何にもできねえよ俺。」と。

17くらいなんてまだガキやない。

まだ魔王討伐の旅ができるかもとか期待している頃やないギリギリで。

 

いやサンタは来ないよ?

居ないし?

それくらいは知ってるよ幾つやおもとんねん。

でもアレフガルドには行けるじゃないですか?

 

どこかでなにかが起こってなんやかんやなるのかもしれないとか待ちわびている頃やない。

 

そんなものを永遠に待ち続けることになるとも知らずに。

 

そのままなら。

 

最悪の状態で最悪の事態を迎えなければいけないだけだというのに。

 

さすがに、

「おいおい20になっちゃいましたけども~

(´∀`;) 

……あれ精霊ルビスさま俺んちの住所知らなかったかな~

(´∀`;)」

 

となるよね。

18くらいで綺麗な女の子が空から降ってくるんじゃなかったっけ?

アレ?おかしくない?アレ?

実際どうか知らないが。

空からそんなんが降ってきてスペクタクルファンタジー突入した聖戦士もいたかもしれんが。

 

俺にはナシ。

 

10年。

 

さすがに気づきます。

 

そして襲ってくる言いようもない不安と恐怖。

 

すごいよこれ。

浦島太郎のキモチが手に取るようにしてわかるというもの。

いきなり歳くっていたという間隔。

実際、世の中的には20なんてホント餓鬼じゃない。

その頃の大学生なんてサルの時代なんて揶揄されるし。

もちろん今の自分もそう思うし、

26の今もそう。

 

30代で鼻垂れ小僧。

40過ぎから脂が乗り、

50でようやく一人前。

 

なんて言葉があったようなどうか。

もちろん実際は20ともなれば社会的責任が付与されるし、

そもそも我が家は15になったら働くもんだと親父にずっと言い聞かされてきたんだ。

 

まあ13で働いてやったけどな

(▽Д▼ )

 

予想外に麒麟児出てびっくりだよ親父も。

そしてニートだものな。

早熟の天才過ぎたものな。

ナリタブライアンかってな。

 

まあそういうのはとりあえず自分の都合のいいように考えるのが一番だ。

こう考えるのは今の自分に取って都合いいからね。

まだまだ若いてのはさ。

それでいいのだが、

 

でも20のその時はそんな風に向き合っていなくていきなり突きつけられたという具合で、意識と覚悟がなかったのだ。

 

だんだんとは知っていたんだ。

兄貴が大学に行くために家を出た時とか。

周りは変わっていくんだよ。

 

その空費を、


「死ぬから」ということだけで片付けて棚上げして耳をふさいで目を背けてたわけだ。

 

でもそれを目の当たりにした時、

その事実は、

すぐ思考停止して考え思っていただけのものなんかじゃあなくて、

もっと、そう

 

リアルだった。

 

死ぬとか、

怖いとかそういうんじゃない。

それは考えとそんなに変わらない。

結局。

 

だがそれはあまりにも”惨め”だったんだ。

 

もっとカッコイイと思っていた。

何故か。

いやそうまでは思わなくても。

 

惨めで悲惨な最後だったんだ。

 

これはまだ20の餓鬼が、数年ぶりに昼間の外に出て瞬間的に感じたイメージにすぎない。

 

暖かいところから寒いところに出た時の温度差にすぎない。

慣れれば落ち着いてくる。

 

だがそのイメージが自分を動かした。

 

やりたいこともないのに、

ほしい物もないのに、

好きなことも、

もうないのに、

 

 

…………何しよう?

 

 

少なくともそれを見据えようとは思えた。

生きるにせよ終わるにせよ理由を見据えようとはしたんだ。

こうして「やることない体験記」で記しているジ・エンドウォーズという名のイミフな頑張り儀式になるわけだ。

そしてそういうところから、

自分の活動は始まっている。

 

 

これら今に至る一連の運動を総称して”ロンゲスト・マーチ”という。

 

テストに出るぞ。

 

「銀河英雄伝説」という田中芳樹の名作にある銀河帝国と自由惑星同盟。銀河帝国の植民星で労働のためだけに使役されている人間たちが、1万光年をかけて新たな恒星群にたどり着いて自由惑星同盟を創るまでをそう呼ぶのだ。(たしか)

 

長征一万光年 ~ロンゲスト・マーチ~

 

光年ていうのは光の速さで1年かかることを1光年というわけ。つまりロンゲストマーチは光の速さでも1万年かかるというわけ。 監視されてる中だから脱出艇とか調達できないわけだよ。 しかし、

そこで無邪気にもドライアイスの破片を小舟にして遊ぶ幼子たちの様を見て、青年ハイネセンに天啓が浮かぶ。

 

「ドライアイスをくり抜こう!」

 

的なやんちゃな発想。その星は天然のドライアイスがめちゃあったんでそういうことになった様子。あとは推進力をちゃちゃっとつけてGOしたというわけでしたね。

そして銀河帝国は1万光年の距離の旅路を経て、 ハイネセンという首都を持つ自由惑星同盟となった勢力と邂逅の刻を迎えるのであった……。

 

うん。面白いから読もう

V(▽Д▼ )

 

これも丁度この時期に読み返していた。

自分のルーツというかやりたいことはなんだろう?とか、

 

「何も出来ない自分」が怖くて、せめて知識だけでもと本を読むようになっていたから。

 

少しでも興味のあることはできることはやったし、

 

その時、

 

本やゲームはすぐ手に届いた。

 

ゲームはもちろんだが、

本はどんな名作だろうとブックオフで100円で売っているし、

兄貴の部屋にわんさかあるし。

 

ゲームは何に成ったかといえば、

 

何もない。

(∀`*ゞ)テヘッ

 

ただ、

 

目的を持つこと、

持っていない時、

意義を何度も反芻して覚えられた。

 

と思ってはいる。

まあやれば解る。

我がメモリーズたちを。

 

そして動けば変わるという快感。

 

あとは本当に良い物ならばそれは普遍的な物なので世界観は広がる。

あるいはより深く知ることも出来るかもしれないね。

自分で動かすために理解をしてしまうから自然に。

それくらいかな。

基本はオモチャだから。

遊べたら楽しいってな具合のさ。

 

「私の言うRPG」以外は。

 

そしてあくまでも私にとっては。(ここ大事だが)

 

って

 

そんな風に、自分の考えを持たせてくれて、そして紛いなりにも自分を動かしてくれているのかもしれないのが、 あの時とにかく何やればいいか分からなかった時に、

 

自分でも始めることが出来たゲームの価値だったかな。

 

今は自分の野望みたいになっているのだし、一応。

行動ということを直接引っ張っているのはその野望だからね。

本はいろいろ識れていいな~ということだけどさ。

 

まあ意外と繋がってきているのかね。

よくわからないけど。

ただひとつ言えるのは、

今はしっかり自分を見ているということだ。

60とか70の自分も見れているということ。

1年とかどうとかの単位で見ていない。

 

もちろん予定が立ったとかそんなリア充なことじゃない。

 

当たり前だ。

覚悟が出来たというだけ。

やるだけやってダメならばという。

明日死んだとてやるだけやった。

そして、

 

少なくとも40になっても同じことしてるとかありえないと思えるわけだ。

 

これは別に40になっても何も出来ないという状態がどうということじゃないんだ。

その時気づいたならその時動けばいいのだから。

まあ理論上は。

10年訓練して10年で何か成せばというね。

それで60だし。

細かく考えたらアレだけど。

 

ただ自分には20の時にした重大な、自分にとっては重大な戦いがあって、

 

それでもまだ40になっても同じことしているということはあまりにもダサいということ。

何かしよう!とかだけ言うのではない。

んな青春ラグビー部じゃない。

だってそういうキモチじゃない奴はそんなの意味ないとしか思えないし。

17の私のように。

まともに考えられるだけの状態だとね。

まともに考えたら理由になんかならないことだらけだよこの世は。

 

ただ「何かした方がいいかな」って思えている時には、

「まず始める」てのはデカイよねって話。

 

「そう言われてもな~(´∀`;)」

って俺でもなるわ。

そりゃそれができたら苦労しねえよって。

確かに。

 

今の自分は価値観が変わってるから初められるということだ。

 

つまり

 

「失敗するよりも、何もしないで更に何も出来ず、遂には何もしなかった人間になってしまう」

 

事のほうがよっぽど恥ずかしくて惨めだと。

 

そういう価値観に成っている。

 

自分では何も挑戦せずに、

人のことを批評ばかりして日々を消費している人間どもよりもなんとマシなことだろうという価値観。

そういう生き物をネットやなんかで見かけるたびに誇らしく思える価値観。

そしてそういう生物には一瞥もくれてやる価値がないという価値観。

※何もしていない人間ではなくて、故意かつ悪意を持って他者の足を引っ張る生き物を指す

 

それよりは遥かにマシだという気持ち。

だから動けるようにはなったんだ。

今でも、そして自分の特性とやらに「最上志向」というものあるように、

今でも完璧主義ではあるんだ。

いわゆる、

完成じゃないものは見せたくないということ。

まあある程度はみんなそれはあると思う。

 

そうして一歩も動けず、

遂にはなにも出来ないことになる。

 

 

飛べっ。

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だから私はロマンシングローマというゲームを作った。

あえて。

 

ただの練習作で、

一ヶ月と書いてあるが、

病院行ったり医龍観たりで事実上2週間で仕上げたというもの。

 

シナリオなんてないし(笑)

 

やりたいことなんてできていない。

そもそもやろうともしていない。

それ以前に把握しなくてはいけない要素があるのだから。

バトル計算式やらマップチップの構成やらイベントコマンドがどれだけやれるのかとか。

 

それを全部一気にやろうとすると心が折れる。

 

だから段階的にやろうと分けたし、

 

その一段目の練習台がロマンシングローマ1なのだ。

 

そもそもキャラも出す気はなかったようなもの。

最終的な目標がハンニバル戦記の第一次&第二次ポエニ戦争だったために、

それならその前のローマの世界観を少しは把握できるようにお話やキャラもつけちゃおうというくらいな考え。

 

ただそれでも、

始めると様々な知識が得られるし、

経験になる

色んな発見がある

 

それが

 

 

”最初の芽“

 

 

だ。

 

そしてその芽を摘むことは誰であろうと許されない。

 

もう一度言う。

 

許されない。

 

神であろうと。

 

芽が出なければ育てようは無いのだから。

 

そして同時に、それを育てるのは、

 

最初、自分しかいないんだ。

 

その芽を信じてくれるのは

他のだれでもなく

自分だけ。

 

よほど人に恵まれない限り、

その芽の真価を信じられるのは自分だけだということ。

 

誰が見たって非難するだろう。

たとえ自分が人の“芽“を見たって批判するだろう(笑)

すぐ摘みたくなる(笑)なにこれ?と(笑)

 

摘んじゃえっつって

Σ(´∀` )

 

それは人からしたらただの生えている草だからね。

 

誰も肥料をくれないし水もくれないし協力してもくれない。

自分でやるしかないんだ。

出来るところまでは。

 

別に誰かに頼ったっていいんだけど。

やり方なぞ。

 

ただし大体は摘まれる。

 

だから自分が育ててやるしかないし、

信じることしか出来ないわけだ。

 

せっかく自分の中に出てきた芽を、

どうでも良い人間に摘まれることほど勿体のないことはない。

 

ただでさえ何もなかったというのに。

 

育てるには始めるしかないんだよ。

 
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これ何が生えてんの?
 
(▽Д▼ )

ていうお話。

あーやる気出たわ~。

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

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「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

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「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

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