ニートアカデミア(哲学)

「ほぼキャベツ無双。」やらないとうまくはならないという10年と試行錯誤。

2015年3月20日

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私は今現在までにおいて、
 
キャベツを何玉血祭りにあげたことだろう。
 
 
 
たぶん4千じゃすまない。
 
 
一日3から4玉を切って切って切りまくっていたからね。

うん。キャベツ切り上げ機だよ俺は。
 
俺はキャベツ切り上げ機だったの?
 
どうもキャベツ切り上げ機でした。
 

なんだかんだで6年位か、

10年位かもうよくわからないが。
 
開き開きの飛び飛びでやっていたから。
 
 
じゃあそんな俺はさぞ包丁さばきがうまかろうと。
 
ね。
 
そんなに10年も包丁握ってたんならさぞテクニカルな包丁さばきができるのだろうと。
 
思いもするがね。
 
 
そんなん全然ないから。
 
 
魚の3枚おろしとかできないから。
 
人参の意匠切りとかできないから。
 
 
10年もやってても。
 
 
そりゃそうだよ。
 
 
だって魚さばいてねえもん。
 
人参を桜の形とかに斬るとかしてねえもん。
 
 
キャベツ切ってただけだもん。
 
 
10年も包丁握ってたって使っていたって、
 
何にも向上心というものがないから。
 
 
うまくなろうとか、
 
この人の技を盗んでやろうとか全然思わんもん。
 
 
ただ無心で包丁を上から下にキャベツを挟んで下ろすだけ。
 
 
これをずっとやっていただけ。
 
だから千切りすらうまくはない。
 
なぜかって?
 
やってないからさ。
 
千切りもやっていない。
 
ぶつ切りだけ。
 
炒め用の。
 
 
ただ芯をめっちゃ薄くスライスできるけど。
 
 
火の通りがアレだからと芯も揃えなきゃならんからね。
 
それを見分ける速度とスライスする速度は半端ねえけども。
 
なにそれって感じなスキルだけども。
 
死にスキルだけども。
 
ぶつ切りにするだけなら目をつぶっててもできるけどね。
 
だが千切りなんかもうまくないし、
 
魚も3枚におろせないし、
 
人参でジョージ・ワシントンの顔とか造れない。
 
 
なぜかって?
 
そりゃやってねえから。
 
そういうことを。 
 
 
ゲームみたいに一律で「熟練度」が上がって、
 
好きにポイント割り振りして、
 
「魚三枚おろし」とか「人参意匠切り」やらのスキルを手に入れられないんだよ。
 
「キャベツの芯めっちゃ薄くスライス」が手に入るだけ。
 
 
だってやってねえんだもの。
 
そういうことそのものを。
 
 
それをやりたいなら、
 
それをやらないと。
 
ということ。
 
 

 

同じことをそのままやり続けていてもそれ以上にはならないという経験。

あくまでも一つにはそういう事実があるという当たり前。

 
様々な試みをしてみて初めて、
 
自分のやってることに活きてくるし活かされるという事だと思うんだ。
 
あたりまえのことだけど。
 
頭では知ってるよね。うん。
 
 
「こんなこと意味ない」
 
「無駄」
 
 
とか思ってるものほどやってみたら発見あったりする。
 
そしてやる気さえあれば、
 
人参の意匠切りも魚3枚おろしも割りと早く習得するよね。
 
まあたぶん。
 
私みたいに何にも考えずに、
 
なんの向上心もなくただ無心に手を動かしてるだけでは全然覚えないよね。
 
 
でも私は別にそんなことしたくないからそれは良かったんだけど。
 
 
でもそんなんだから上達しないし、
 
だから力もつかないし、
 
だから失敗するし、
 
で怒られるし、
 
嫌になるし手な具合が15くらいにあったかな~と。
 
 
今はもうどうでもいいスピリッツだからそんな思考にならないけれども。
 
基本的にはそんなもんで、
 
だから自分自身がやる気になれる舞台で戦うのが一番なのだろう。
 
そううまくも行かないだろうが。
 
だが目指す価値は十分にあると思うよ。
 
 
やる気があって、
 
だから試行錯誤もして、
 
そして上達するから力もついて、
 
自信もついて、
 
やりやすい環境になる。
 
人にアドバイスとか出来る立場になったりして、
 
自分の辛い時を思い出すから「ああこの人には優しく教えてあげよう」とか余裕出てきたり。
 
 
ゲームでもあるよねそんなこと。
 
たかがゲームでもオンラインとかだとやっぱり力持ってたり上手かったりすると大きく振る舞えるというのあるじゃない。
 
それがないと怖気づいたり。
 
ゲームなのに。
 
それでも人間というのは非常に対外的な眼をもつ外交的ないきものだから、
 
例えゲームの世界であろうと優勢な位置になければ不安になって消極的になって受け身になって抱え込んでしまいがちだからね。
 
 
ゲームは嫌ならやめればいいんだろうけどさ。
 
かの有名なガチFF14みたいに。
 
だが現実ではそうそう簡単には行かないし、
 
「ここをやめたら次があるだろうか」とかもあるし、
 
究極的にはリタイアは死を意味するのだからね。
 
でどっちつかずであれよあれよとデスペラードだよ。
 
まあまだマシかも知れないがデスペラード化くらいなら。
 
愚か者と呼ばれるくらいならね。
 
 
まあそれはいいとして、
 
 
試行錯誤しないと”それ”は覚えない。
 
 
ということだったってお話。
 
試して工夫して、
 
そしてそんな向上心が出るようなやる気が出るような所を何よりも目指すというのは、
 
悪くない生き方の一つだと思うね。
 
発明王エジソンの有名すぎる言葉で、
 

私は失敗をしたのではない。これではうまくいかないという発見をしたのだ。
トーマス・エジソン

というのがある。

私は失敗をしない。何故ならば、成功するまで辞めないからだ。
トーマス・エジソン

なんてのも。

 
エジソンはまともに学校教育なんか受けてないんだけども様々なものを発明したね。
 
その特許権数は1,093件。
 
”電気の時代の先導者”と云われ、
 
白熱電球、蓄音機、映画なんかの有名発明に加え、
多重電信機、電話、マイクロホン、タイプライター、勝写版、蓄電機、電気鉄道、X線装置、送電システム。近代ゴム、セメントなど多くの発明に関わっているという。
 
こんな天才と呼ばれる人は正規の学校教育を2、3ヶ月しか受けなかったそうだ。
 
教師に「頭が腐っている」と言われたため母に言ったら行かなくて良くなったとのこと。
 
そして蒸気機関車の乗員アルバイトの最中にも実験をしていたとか。
 
そして叩かれて耳の難聴を患ったとか、
 
そうではないとか。                   

 
出典・「世界を変えた素人発明家」著・志村幸雄 
 
 
結局のところ発明王と呼ばれる程になり天才という形容詞しか思いつかないような人間を、
 
自らと比べるのは難しいかもしれない。
 
 
だが試行錯誤って重要だよねってことでいいじゃないの。
 
すぐに失敗のあと動けるといいよね。
 
 
失敗と認識する間もなく次のことやると。
 
 
ネジを左に回してダメなら右に回すかのごとく。
 
 
こんな時、左に回して動かなかったことを「失敗したー」とは思わんでしょ。
 
そう思うより自然に右に巻いてるよね。
 
でエジソンは常にこういうことが出来るように環境を作り上げていたんだ。
 
「発明システム」というね。
 
 
つまりそれに集中できる環境つくりからってことなんだ。
 
 
やっぱり人間も地球環境の一部であるように、
 
すべての中で意志というものは一部でしか無いんだ。
 
よくゲームとかで「人間の意志って素晴らしい」となるけど、
 
 
でも結局人間も運命の一部で、
 
意志の力って瞬間なもの。
 
環境に大きく左右されると思うんだ。
 
 
だから意志の力に頼って環境を作り、
 
試行錯誤するのがいいよねってお話。
 
 
うんそうだったわ。
 
そういうことだったわ。
 
脱線すごいけどよく戻ってきたわうん。
 
 
マイケル・ファラデーという素人さんもいたね。
 
 
「私はただのマイケル・ファラデーで居たい。」
 
 
by電気分解の法則、自己誘導現象、 磁場による光の偏光面の回転、 反磁性体などの科学界を震撼させる発見を相次いだ小学校中退のマイケル・ファラデー
 
 
最後も脱線。
 

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