「俺らが食えなくなっだろー!!!!!良いビジネスなんか要らねんだよおーーー!!!!」
と言ったお声はどう聞こえるでしょうか。はいニートですよ。この寒い2017年1月中旬の笑えるほどの寒さの中で執筆させていだだいております。いかがお過ごしでしょうか。キャスター気分でね。いかさせていただきます。ニートです。
「働けなくなるからその良いサービスやめろ!」
「そんな便利なことしないでくれ!仕事にならん!」
「そんな面白いことされたら仕事なくなっちまう!」
仕事ってそんな感じだっけ?
※このニートコラムは無職のニートが疑問に思ったことを表出して、それの問題点を整理しながら考え、そして深めるというニートの知的好奇心を満たすためのものである。
仕事は価値を生み出していくことかな。
新サービスの到来。新たなる価値。
NHKの番組で放映されていた「新種のタクシー」業態。バリバリのジェントルマンなダンディドライバーではなく、普通の人達がドライバー登録をし、その時々の利用者が、やはりその時々でドライバーを探し、そしてマッチングしたらすぐ乗れる&乗せられるという業態。
「普通の人が気が向いたときにタクシーやってお小遣い稼ぎ。」
そんなことが巷で生み出されているようである。
ええやん。
ステキやん。便利やん。
タクシードライバーの文句。低下した価値。
だが老舗タクシードライバーたちにとっては商売敵である。
「食いっぱぐれるわボケ」
というわけでこのようにデモなどが引き起こっているとかいないとか。
仕事ってそんな感じだっけ?
「価値」が「人にとっての価値」になった時、『お金』になる。はず。
という認識ではある。
けっして「日々汗水流して動いていれば神様が授けてくださる」というものではない。
あくまで人が『価値』を生み出し、
その交換手段の万能なる決済手段として、
『お金』になっていく。
という理解。
「仕事」がそんなに大事なのに「仕事についてあまり考えない」よね。
学校でも親でも仕事についてのなんたるかを教えるようなことがあまりないけれども。そんなに「仕事仕事」いうとる割には仕事できるようなスキルや思考を教育しないけれど。
まるで
「仕事は天から与えられているから、あとはそれをやればいい。やらないのはおかしい。だって仕事は天から与えられているのだから。」
みたいな雰囲気満々であるから。
いやいや天から与えられていないじゃない。
「上手いこと経営者が起業し、着実に利益をあげて、従業員が雇えるようになって、さらにはそれを維持してようやくにして、仕事が生まれる」
わけじゃない。
つまり価値あることを生みだして初めてこの世に「仕事が出現する。」
それなのにそのことはあまり教えられず、
ただ「仕事に就きなさい」という圧力しか存在しないような雰囲気あるよね。
その価値あることを生み出す教育をしたらええのにとは思いますけれども。
まあそこは基礎的学問をやらして部活で汗を流させておけば自然と身につくという
「赤ちゃんはコウノトリが運んでくるのよ理論」でなあなあなのだね。
セックスしなきゃ赤ちゃんは産まれないのにさ。
セックスしなきゃ。
となれば「仕事できないのは誰のせい」なのか?
あくまで人が『価値』を生み出し、
その交換手段の万能なる決済手段として、
『お金』になっていく。
という理解。
この理屈だと、
「従来のタクシードライバーは価値を提供できないか著しくその価値を低下させているんだから食えなくなった」
のであって、それで文句を言うのはおかしいじゃないか。
「自分たちより上手く価値を生み出している者たち」
に文句を言ってどうするんだ。
「おめえが頑張れよっ!!!!」
「国に文句を言うなボケッ!!!!」
「働けっ!!!!」
とか。
「移民の問題」でも同じようなことになる。
移民が来たから仕事がなくなった。
だから移民が悪い。
仕事を奪ったから。
仕事って奪えるの?
「仕事」が争奪戦なら、みんなが働くことなんて出来ないじゃん。
さあさあ。
これこそがニート正論化の引き金を引きそうなフレーズとなって全世界を駆け巡りそうな予感もありつつ?ジョージ・ソロスなんかが?旗とか作ってくれちゃって?くれないで?くれない方向で?
検討されつつあるとかないとか。
勝負の世界なの?
ニート正当化はアレとしても、人類の義務的イメージがこびりついた「仕事」という聖業ですらやはり争いの世界なのであるね。
勝負の世界に勝者と敗者はつきものだ。
あとは、
「誰でも座れるイスを取りあう勝負に参加するか」
「自分たちだけが座れるようなイスを作る勝負にその身を投じるか」
というだけで。
そうは言ってもそれじゃ困るから「社会保障」があるわけやろ。
戦ったら勝者と敗者は生まれるわけであるから、勝った方には義務を重くし、敗けた方には義務を軽くし、
なんていう「よく出来たカードゲーム」のルールの如きバランスでもって社会構造が成り立っているのだろう。
「商売がうまくいったがための高所得者たち」は納税額が増えて、
そのお金で、
「商売がうまくいかなかったがための低所得者たち」の納税額の減額や失業手当などの何かしらのサポートが為される。
といった具合で。
競馬の「敗けた人の金で勝った人の配当が賄われてる」の逆みたいな。
これがゼロサムワールドなら敗者は殺されて終わり。
「喰うか喰われるか」という野生の如き世界なら勝負に敗ければ即死を意味する。
勝者の100と敗者の0があるのみのゼロサムゲーム。
しかし、
人間はそんなに単純ではない。
タクシー業で商売敵に勝てなかった人でも、
他のことや他の分野ではどうだろうか?
マクドナルドの熱烈なファンで、熱心に新メニューを食べ歩いてそのために投稿したフェイスブックから宣伝をしている場合もある。
単純に他の仕事に就いたら上手いことやれたとか。
家に帰れば家族にとってかけがえがないひとりのこともある。
稼ぎが薄ければ大体は煙たがられるけど。
あとは意外と「いい声」だとか。
そして消費者でも在りうる。
消費されなければどんな素晴らしい『価値』も『お金』にはならない。
そしてさらに何と言っても、
数はこわいんだぞ。
『国家』で『社会』だから人が尊重される。
ゼロサムワールドの世界なら、
「一番強いやつしか生き残れない」
ことになる。
「人類70億分の1の漢」にならなければこの世で生きていけない理屈。
だがこの人類70億分の1の漢も、人類が70億人いてくれなければこの称号も成り立たないように、
「ひとりじゃそれ以上なにも出来ないからつまらん」
という状態になるわけである。
このような場合に「いい声」で歌が流れてきたらどうだろうか。
「あ、ステキやん」
てなるやないか。
「あ、タクシードライバーとしてはダメだったがいい声で歌うとうとるやんええなあ。」
だからその人は必要になる。
それに何と言っても
「こういった人が群れをなして群衆となって立ち上がれば戦争になる」
わけである。
いくら商売で勝って金があろうとも、
この群衆に対抗するためにその金で雇うのは誰か?
それはやはり人である。
今のところは。
世の「経済格差が縮まる唯一の現象」は実は「戦争による破壊」なのだ。
キングボンビーが付いて3週もすればもうやり直しは効かないからゲームを終わらせるしか道はなくなるわけだし。
いわゆる『人はひとりでは生きていけないから』理論。
プラトンの『国家』にあるように、
やはりすべての生業や行動が価値になり得、そしてそれらを享受することで人は効率的に生きてきた。
病気に対抗するために医者がいて、効率的に栄養を得るためにか、楽しむためにか、調理が発展し、
もういろいろ。
「なにがなにと因果関係があって…」などと考えていたらアタマが爆発するくらいに、
「なにがなにに影響を与えたか」など把握はできず、
「つまり何かしらしていることが何かしらに何かしらの影響を与え続けている」
という具合なのである。
勿論これが世界規模の話ではなくて、ちょっとした組織や家や自分の財布のことであれば、決定的な影響というものは判断出来るだろうし、して良い。
だが世界的なレベルで言えばこれは決めることが出来ない。
だからやっぱり、
「その場面での敗者たち」もリベンジしてもらう「チャンス」が必要なのである。
だって何かしら影響を与えてるわけであるから。
だから「仕事がなくなったら困るよね」ってことで。
世界は巡り巡って形成してるわけだから。
世界はこうして回っている。
「オレはAmazonでしか買わんと決めてるよ。だって大体のものはあるし、値段もだいたい最安だからね。他を探したり、最安を探し回ったり、毎回会員ID登録して毎回ログインするなんて時間と労力の消費だから」
何ていう意識高い系のナイスアイディアだって、
最安を探し回ってくれる人がいるから成り立つわけじゃない。
だからこそ価格競争が起きて、
Amazonでも値段が最適になり、
ひいては自分がほかを見回らなくてもAmazonで最安の品が探し回らなくてもワンクリックで買えるわけで。
Amazonでしか買わない人が支配的になったら独占的で殿様商売な値段になるわけだよ。
かつて一時的にもコショウ貿易を独占したポルトガルが如くに。
こんな風にこの世のことは巡り巡っているわけじゃないの。
だから「そんないろいろな人を食わせてる仕事が奪われたら困るよね」ってことに戻るわけで。
だから「良いビジネスなんか要らねんだよー頼むよー」なんていう叫びも、
「しょうがない」ところがあるというわけで。
ビジネスも勝負の世界なわけだから勝者と敗者は出てしまうというわけで。
かと言って敗者がすぐ他の仕事に移れるわけでもなく(それも勝負だから)、
さらに勝負を挑んでやはり敗けることもあるわけで。
別にパチスロの話じゃないわけで。
しかしだからと言って「社会保障」的な度合いが強すぎれば『つまらない世界』に。
敗者がいるから勝者の価値が高まるわけである。
だからこそそれを目指すようになって、工夫や努力をして、そうして様々なものを生み出していって大きな価値を創り出していく。
ただ与えられたものだけの世界の中では目指し様もないから。
それは、生きれるけれど『つまらない世界』。
別に人間が贅沢というわけではないし、
誰がそうしたのかはしらないけれど、
「人間とはただ生きているだけでは物足りない生物」
であるからこれは仕方のないことだ。
両極端な「資本主義」VS「社会主義」?
この2つが壮大に相打つ時代もあったほどこのテーマは根深いもので、
ゼロサム的な競争世界では一番強いやつしか生きれない。
着る服も食べるものも結婚相手すら決まりきった「つまらない世界」では人は生きていけない。
このバランスを取るのが難しいから、
あっちへこっちへ、
あっちを立てればこっちが立たず、
という具合で押し合いへし合い、
『なんとかやっている。』
という具合。
いわゆる『政治』というやつで。
結局バランサーがいるのだ。それは『いろんな人たち。』
参考「【なんで人は働くのだろうか? 】世界のバランサーは誰かそうですニートです無職です。」そんなバランスを取るのに必要なのが結局は「多種多様な人たち」で、それらの人達が生み出す多種多様な文化や行動やそれの影響するところなわけだと思われるのである。
つまり世界が回るためには『いろんな存在が必要』だ。
一つのことしかない世界じゃあ、それがおもんなかったら終わってしまう。死んだ目で生きているだけになってしまう。だからいろんなものが作られる世界が良い。そしてその「色んなもの」は「いろんな存在が生み出す。」そしてさらにそれだから「色んな人が楽しめる。」生きれる。
そのためには
「一番強いやつだけが生きるゼロサムな世界」はダメ。
かといって
「面白いものが生まれないつまらない世界」もダメ。
だから、
いくら仕事が「価値あることを生み出す」事とはいえ、
その価値を高く維持できなかった者たちがそれを失う訳にはいかない。
だがそれは競争でもあるからある程度はしょうがなく、
その心の叫びとして
「良いサービスは中止せよ!仕事する余地をのこしてくれお願い!」
「この椅子は誰でも座れるから!移民が来たら困るから来ないで!オレが座りたいんだから!」
というのも仕方ないか。
ある程度は。
「他にやれることもないし」なんて言い出した日にゃあ、
「もはやニートと変わらない」事になっている仕事業界。
オレと変わらんやん。
「自分がやれることはやるけどやれないことはできん」というオレと。
まそれもしょうがないということにしていただくとありがたき幸せではあるけれど。
しっかし理屈としては、
「その仕事がさらに価値を持てるように工夫する」
というのが理想ではあるだろう。
あくまで理想としては。
そしてそれもオレと変わらんやん。
→次回