「世界がオレに興味がないからオレも世界に興味が無いんだ。」
で、いい。
なんぞ女々しい愚痴みたいな響きだけれど、
特にそういったことでもないのである。
一応「これからの進路に必要な宣言」となるだろうから、
言うとかなきゃあかんということで。
「ヤフートップニュース」と「ブログの関連記事」を今年は読まない。
この世界がオレに興味が無いのだから、オレも世界に興味がなくなるよ。
さあ、
この3年間は特にネット漬け&パソコン漬けの毎日を送っていたのだ。
かつて中流階級ジャパニーズ聖児時代にそうであったように、
飯を食べたらすぐゲーム三昧。
飯を食べたらすぐ友達と遊びに行く三昧。
宿題お掃除ほっぽりだして遊び三昧中華三昧。
そんな楽しい時間をこの20代中盤、
とりわけ「人生の黄金の中盤」と呼ばれる時代に同じようにして謳歌してきたのだ。
それで10キロ太ったから。
飯を食っては、
とにかくPCやブラウザの中の挙動に慣れるべくかじり付き、
寝て起きては、
ブログのHTMLやらCSSやらのシンダル文字に慣れるためにかじり付き、
冬は寒いからカーボンヒーターをお側に置いて冷える指先でカタカタと打ち鳴らす。
クリスマスも正月も誰も観ていないゲームプレイ記をせっせとこしらえる。
ラ王を食っては、
せどりの流れで一度やってみたかったプレミア品オークションに参加し、ヤフオクでモンハン限定版を一つ競り上げていた。終了前15分で一気に値上がる世界にハンターハンター脳のドーパミンは溢れ出す。
ラ王は味噌味が好き。
そして気づけば10キロ増。
なんとかこの2016年に「ニートダイエットのおかげで20キロダウンのナイスボディライフスタイルを手に入れることができた」けれども。
ボディ
フェイス
ハゲはほっとけ。
オレが前進している証やでしかし。
30になったら刈り上げて仏門に入るかなこれはまったくいい加減にしろ。
ともあれ、
こうしてネット修行時代は過ごされたというお話である。
めでたしめでたし
とはいかないのが人生で、
死ぬまではしっかりと続くからね。
最後まで生き切るとしよう。
どこまで本質的な影響があっただろうか?
ネット旅で得たもの簡略版
「オレに無関心のこの世界」を眺め歩いて観て、
受けた影響とは如何ほどのものだったか?
そんなネット観光旅の成果としては。
・ネットの世界観や文化圏などをそれなりに知って世界観が広がった。気がする。
・ネットスキルやPCスキルを高めてこの世界で戦っていく術が少しなりとも身についた。気がする。
あとはこの活動期を通じて、
自分の人生のテーマだったりなんだったりと、「人生迷宮ラビュリントス」を埋めるのには使われただろう。
活動ができたから。
フック船長はフック船長しかやりようがないんや。
これがコンビニのバイトや就職の面接しかやることがなかったなら、
きっと、
と言うか確実にオレは活動なんてできっこなかったのだ。
コンビニのバイトはオレにしてみたら風俗で働くのと同じなんだ。
あえて価値観世界観が「イスラム教」と「17歳教」的に違う人たち向けに言うとさ。
普通の人は風俗店で働くのは嫌だろう。オレも同じ。
たとえそれしかなくて食っていけなくても「できないもの」はみんなあるはず。
コンビニの店員さんは尊敬する。助かるし。いなきゃ世界が回らん。兄貴もやってたし。
風俗嬢さんも全然尊敬できる。セクシーやし。最古の職業とも言うし。
だがオレにはできん。むしろできないから尊敬する。価値もわかるし。
※夜な夜な小動物という自分より確実に弱くて確実に反撃をしてこない相手をいじめるやつは軽蔑する。価値を感じないし。そしてオレにはできん。
理解されようとされなかろうとできないしやらないって決めてるし。
手がフック船長だからね。オレの手は。
オレの手はフック船長やからレジは打てんのや。
そういうことやで。
フック船長はフック船長しかやりようがないんや。
分かったかまったくこのやろうが。
とにかくネット界における経験を色々と積めた。
いいことやん。ねえ。スキルアップやで。世がなんと言おうと、自分の中ではスキルアップのキャリアアップ。
ゲームも作ったし。
いろんな記事を書き遺したし。
動画も遺したし。
ブログから収益も出ているし。
数年前には「ブログから月5000円以上の収益を得ているのは全体の5%」なんていわれとったんやからな。まあええ方やで。今では収益化やる人とそうでない人の住み分けがしっかりできてきたろうからそんな低率やないやろうけどもな。
そんなん自分に都合のいいように考えとったらエエねん。
キモチの問題やからな。
でもこんなのほとんど『自分発信』だったで。
自分のプレイが何か影響があってどうにかなりましたみたいなことなんてなんにもなかったわ。
「ニートがブログを書いていたらスカウトされました」なんてことはねえやんか。
いや、いろんなお記事様には世話になったからそういった人様の情報発信には助けられ申しているけれど。それは感謝やで。そういったことは何回も言うとるけれどもやな。
だが別に世界に何か届くわけでも、
返ってくるわけでもそんなないやん。
特に自分が一番価値を感じることに対しては。あってもそうでないものばかり。
だからそういうのは「世界貢献記事」ということでカテゴリ分けて「利用する人は好きに利用されたし」としている。
それで少しでも役に立っているなら「これ幸い」ではある。
しかし「自分が一番やりたいことがインパクトしないんだったら」、
結局それは「自分の個性が活きる」にはならない。
最後に必要なものは『場所』である。
天国へいく方法「ジョジョの奇妙な冒険」
「自分が動いたから」こそ手に入ったもの
感謝の話はおいておくにせよ、言いたいのはこれなのだ。
自分が始めようとして、
自分がなんとか最後までやり通し、
自分が敗戦処理をし、
自分がなんとか凹まずにまた歩きだして、
自分がなんとかこの無常に意味を見出して、
自分が楽しんだ。
限りにおいて手に入ったんだ。
このことを形作る力というのは様々あるし、
自分だけでどうこうできることではないのは当たり前で、
あるけれども、
結局もっとも大事だったのは「自分の気の持ちよう」で、
そして自分が「やるかやらないか」だった。
「実践知」としてそうだった。
「自分がやるかやらないか。」
自分が信用できる情報が大事なんだ。
この世に正解というものがあって、
正しい道があるとしても、
その方法がわからない事はある。
そうであるならその方法を探すだろうし、学ぶだろう。
そしてそうである限りにおいて、
そこから得た物によって、それぞれ考察し、判断し、
決断して進んでいくとしたら、
そしてそれを判断するには十分でなくとも、
時間は有限の中の有限で、その限られた中で得た知識や教訓や情報を得て、
やはりそうして進んでいく限りにおいて、
必ずしもうまくいくとは限らないし、
正解に到達するとは限らない。
今この時点で自分が信じられることをするしかない。
結局はこうなる。
それが間違いだったとしても、
それは実際的には結果論にしかならずで、
いくら最善を期そうとも、
「その時の最良の判断」
の結果以上にはならないから。
つまりどんな馬鹿な判断でも、
そいつが「それがいい」と判断している以上、
そうせざるしかないんだよ。
信じる道ならば進むのでしょう。それが人の性なのですから。
セラ「幻想水滸伝Ⅲ」
好きなゲームの名言とリンクできてホッとしとるよ。
「好きなこと」と「痛み」を信用する。
「自分が信用できる情報」は正解のことじゃない。
「好きなこと」だ。
ほぼほぼ。
そうとまでは断言しないけど、
ほぼほぼそうやで。
好きだから、
正解じゃないとしても、
信用できるんだ。
あと経験則。つまり実践知。
自分がそれなりに苦労して動いてあるいは楽しんで心動かされてきたからこそ信用せざるを得ない。
そういったものが積もり積もって自分の哲学になっていくというわけ。
良くも悪くも自分の基本的な方針の礎になる。
この世界が自分に何かしてくれるわけではない。
「馬鹿な判断の言い訳」はおいておくにせよだよ、
この世界にはいろいろなものがあるけれど、
別に「自分に対して何かしてくれることってのはない」んじゃないかと思うんだよね。
そこにあるから、
自分で取ってね。
使ってね。
って感じ。
これはさながら
世界がオレに興味が無いのは、
オレが世界に興味がないから。
というなんともパラダイムシフト的なコペルニクス的なうまい言い回しだろうけれど。
といって、
「じゃあ世界を振り向かせてやるっ!!」みたいな新進気鋭のモデルみたいなやんちゃパワーもりもりでユウキリンリンパワー全開なことを言うとるんじゃあなし。
それはそれ、
これはこれ。
一番言いたいのは
「自分が動かないと何もできない。」
ということ。
とりあえず世界なんかほっとこう。
「世界で起きたことがオレになんの影響があるのか?」
ってお話なんだよ。
そしてこれは実践知として得た信用できる情報でもある。
ネットの世界は色んな情報が渦を巻いている。
金が動き、
スターが生まれ、
話題のねとらぼ記事がヤフーで横流しされてくるけども。
おもしろいよねー。変なことしとるよねー。ツイッターはネタの宝庫やねー。
そんでアイドルがどうたらとか、
不倫がどうたらとか、
今話題の!!とかどうとか
どんな影響があろうか?
オレに。
今話題の話が人生のテーマになることもあるかもしれないが、
いや信頼できる「経験情報」によれば、そういったニュースはほぼ麻薬感覚で消費されるだけで、自分を本質的には創ってくれなかったからまあスルーで良くないかな。
という判断はできる。
なんでも勉強にはなるよそりゃ。
そこからトレンドアフィリなんていうものがあってさ、うまいことやればそれなりに稼げるんだよね。別に小銭のためでなくとも何かしらの訓練にはなるしさ。
なんでもとりあえずやってみるのがいいんだし。
でももうそれなりにやったぜ。
時間は無限じゃないし、
有限の中の有限で、
むしろ財産で、
その中でその財産を使っている以上は無限には勉強してられないんだ。
だからどこかで動くこともしなきゃいけない。
それが今じゃないかな。
世の中でどんなことが起きようと、
今のオレがやるべきことにどれだけの関係があるというのか?
実際問題として。
オレが何を言おうとやろうと何にもならない世界が、
どうなっていようと知ったこっちゃないだろうに。
という半ば駄々こね感のある理屈によって、
これからはさらに行動の度合いを強めていかなければならないと思うのだ。
さらに頑張るって話じゃない。
頑張りはしないさ。
そんな気力はないのだとうの昔に。
ただ、どうせ生きるなら、
どうせ生きるのならば、
やりたいことを目指したいし、
そのために今一番やるべきだと思うことを、
やって行動しなくちゃ絶対後悔するだろうから。
2017年は「ヤフートップニュース」を見ないし、「ネット記事の関連記事」は見ない。
つまりこんな感じにして、
「自分の時間という財産を集中的に運用していこう」という、
これまた“大きな舵取り宣言”記事なわけだった。
ヤフーのトップニュースはついつい見ちゃうし、さらに辿っていってしまうけど、何も残ったものがない。
実際は知見を得ているし世界の把握に関連してるだろうけど、まあ意識的にはないかなと。
だからここをカット。時間の節約。
ネット記事に到着した際にサイドに流れてキャッチーなタイトルで目を引く「関連記事」もシャットダウン。
やはり大したことは書かれてない。というか今は、要らないのに、「まあこれも何かの縁だし」とチャレンジ精神を発揮するのは良かったが、やはりカットするならカットできるだろう。だって今は要らない情報ばかりだもの。
みちゃダメ。時間の節約。
世界がオレに興味が無いなら、
オレも世界に興味なんかないんだからね。
もうしらないっ! ばかっ!