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ニートの生活費 無職長征一万光年旅記

【月2000円でどれだけ生きられるのか?】“大低収入時代”の生き方。月30万円の呪縛を解き放て。(ニートの実家暮らし②)

2016年9月19日

2000円ニート

 

ニートブログの収益と実家ぐらし第2弾。

 

【ニート・ザ・デッド・オア・アライヴ】などと称し、

 

生きるとは何か?どうであれば生きているといえるのか?金はどれくらい必要か?生きがいは大事か?我々にとっての生きるとは?

 

みたいな哲理に踏み込もうとしたはいいが、

「収入が上がる目処も立っていないので全く更新されないだろうな」

と思いきや、

 

思いきや、

 

先日、数千円の収益が発生していることを確認。

 

平均として大体2000円というらしい。

 

 

リアクションに困る数字だぜっ。

 

 

 

【ニート・ザ・デッド・オア・アライヴ?】月2000円でどれだけ生きられるのか?

「ニートの生活収益録」ニート・ザ・デッド・オア・アライヴ

存在意義を賭けてまで暴露するこのコーナー。

最早ニートでもなんでもなくて「ただ単に収入がバチバチに少ないだけの人」に成ってしまうことも厭わず、今日もニートのブログは収益を発生させるのである。

 

その額2000円。

 

日本円であることだけが救い。

 

ジンバブエドルじゃないことにだけホッとしよう。

 

サーバー代を満額支払って、なおかつ楽天モバイルデータ通信プランが申し込めちゃう。

ということで前回の「800円時代」は2つのブログのサーバー代、

エックスサーバーの1000円に届かないとかどうとかで、

労働奴隷時代のポケットマネーによる赤字補填でしのいでいたわけで。奴隷でも給料はあるというローマ時代の奴隷だね。それが底をついたらこのブログ活動も潔く畳んでしまおうとかどうとかいうてたわけやけどもね。

 

サーバー代がなんと出てしまったのである。(月1000円)

 

そしてネット代金も支払えてしまうのである。(月1000円)

 

楽天モバイルで月3ギガのデータ通信プランでネット環境が手に入るということに。1000円やから。

親のスマホを楽天モバイルで契約した時から密かに「これええやん」と思い巡らせていたモバイル環境。※端末はゼンフォーン5。1年で壊れました。シャープのアクオスクリスタルはその身をケンシロウのごとく弾痕のような亀裂が入ろうとまだ稼働しているというのに。

いわゆる格安スマホ。

もう正直そんなにガッツしネットに繋いでいなくともいいし、

記事上げるときだけ、

調べ物するときだけにネットを使えば3.1ギガでもかなり戦えるという目論見。

外にはセブンWi-Fiなどの無料スポットもある。

重要パスワードを使ったやり取りをしないネットサーフィン程度なら無料でネットが使える時代。

 

外に転がっていてもブログ更新ができる状況に。

 

これはちょっと面白い事態やな。

 

まあ食費とかガン無視ですけれど。

食費とかね。

これさえクリアすれば完全合法ホームレスですよ。むしろホームレスネタに困らないということで、世の射幸心をくすぐるタイムリーな記事を量産してウハウハ出来るかもしれないと言ったことさえ可能。

まあやらんけど。そんな時間はないからの。誰かがやるだろうことはパス。

でもまあ食費とかね。

 

例えばスーパーで一個50円のおにぎりを買うとしよう。

50円のお茶もだ。

これで1日100円。

 

ひと月で約3000円である。

 

計算が一気に飛躍したけどね。

キング・クリムゾンの発動を疑った人も多いのではないでしょうか?

ふむふむと、

聞いていたと思いきや、

まさかそのままフィニッシュとは。

 

この栄養素では早晩、力尽きそうな予感はするものの。

 

まあ出来なくもない出来なくもないといった仮定。

 

いちおう2週間飲まず食わずの経験があるからなんとなくは想像がつくけれど、長期となるとどこまで持つかは不明瞭ではありますけれど。

 

寝床問題。「自然享受権」のない我が国。

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あとの問題は寝床。

 

いちおう「合法」にこだわると、

そういった場所が日本にはないのかな?

浮浪者排除条例的なものまであるみたいだし。

世知辛い世の中よ。

こうしてチャリダーの人たちも肩身の狭い思いをしながら日本一周を行うのである。

河川敷などもダメ。道の駅でも迷惑モノ扱い。公園でもダメ。テントとかダメ。

でも実際はやっている。

そういう肩身の狭さ。

 

北欧のような「自然享受権」などないのである。

 

「管理者の損害になるようなことをしなければ自然を享受する権利がある」という自然享受権。

まあ、国によって違うからしょうがないか。

税金高いし北欧は。

 

でもちょっとくらいは認めてほしいぜ。

 

怪しいかどうかは別途確認すればよくないか。

普通に考えて河川敷にテント張ってあっても「あ、自転車旅の人が寝てるのか」ってなるし、今年4月のチャリ旅でテント使った際も公園で普通に子供連れのお母さんとかテントのことを子供と話題にしてくれていじってくれたぞ。我が妹の家の前の公園にもチャリダーテントが出現していたらしいが特になんとも思わなかったというがそれはオレの奇行に慣れているからかもなー。去年6月の東京ダービ旅でも警察の人はこっち側の心配してくれたし、「じゃあここでいいのね?」という認めたというわけではないけれどそこは実情に鑑みてなあなあでこう柔軟に対応してくれたというか、そのまえに持ち物をちょろっと確認したり、目的問診をするなどで「危険はなさそうだな。若き日の青春チャリ旅かあ。」とか納得してくれた体でうまいことやってくれたしさ。

 

まあ人の価値観によるか。

 

5、6年前ショッピングモールのベンチで寝てたら警備員に「シッシ」されたし。

エロビデオショップ店の駐車場の縁石で座ってうつ伏せてたらなんか超心配されたし。

 

それは生きているといえるんか?

まあ人それぞれだよネってな話。

「ただギリギリ生活が出来ている」というレベルで?

となるのはよく分かる。

 

だが自分はこんなんでも良かったりする。

 

“自分がやりたいこと”は、別にスーパーで買えるものでもないし、家庭を持たなければいけないものでもないから。

 

21くらいからいろんなことにチャレンジしてきた成果なのかもしれないけど、「その時間があるならやってみたいこと」は割りと出来てきた。

「やりたいことは何かやっていないと見つからない」とは思ったけどまさか本当に見つかってくるとは。そこは自分でも少しびっくりしている。

そしてそれはまずはそれほど金はいらないものだったりする。まずはね。

 

別に『志』が低いから満足できるってな低次元の話とは違うんだよ。

 

高価い家を買うことや、高価い車を買うことに何にも魅力を感じないんだよ元々。

元々が身の回りにクソみたいなものしかなかったからなのか、

本当にやりたいこともなかったし、

「なんでこんなモノのために嫌な仕事をし続けなくちゃならんのだろうアホか死ぬのが勝ちやな」

ってくらいだったわけだから。

 

むしろ『志』は中2病レベルで激高なんだからねオレは。

 

元々理想主義完璧主義者だし。

ストレングスファインダーでも『最上志向』があるように。

 

ただ『生活費を稼ぐ』という視点はむしろ新鮮だった。

 

うん。それとこれとはもう別次元なお話である。

2000円か、2億か。

そういった両極端なアレでねほんと。

 

「生活費」と言うなら必要最低限あればいいし、

「資金」というなら大きな金を動かす『商売』をしなくちゃならんだろうし、

ってな意識で。

 

だって最低生活費だけでも「知性が働いている限り」はゲームも作れるし、ブログも書けるし、本も書けるだろうし、とにかく「何か表現したい」ってなことなら。

 

オレはそんなんでいいのよ。

 

オレはさ。

 

だって商売やないもんねこんなもんは。

こんなブログは。

 

好きなことして、ちょろっと広告枠を提供して、好きなことして、溜まったノウハウや臨床データをアウトプット放出してのちょっとした世界貢献。

 

それで生まれる価値だし。

なんでも自足しなけりゃキリがない。

金が欲しけりゃ商売しなきゃあかんよまったく。

出来るとも思えないけど。

もうすでに本気出してるからねオレときたら。

 

実家のすごさ2

アイ・アム・ホーム

 

とは言えオレはニートである。

 

親父が株やるために繋げたはいいが全然使いこなせなかったために放置されているネット環境(5000円くらい)もあるし、飯はあるし、という環境である。

 

あとオレにやれることと言ったら、

 

「それ以外の何かを生み出すこと」と世界市民としての世界貢献というくらいである。

 

全く忙しいね。

 

でもさ、

 

今の世の中って本当に「月30万円」を稼ぐのがしんどいと思わないかい?

 

月30万円の呪縛

月30万円を単純労働で稼ぐにはどれだけの時間を費やさねばならないんだろうかと。

 

そして更には、なかなか辞めることもできない。

家庭をもって子供ももってしまうと「最低生活費」がグンと向上するから。

 

共働きで経済的にクリアしても、育児の負担は甚大なものがあるのでやはりキツくなってくる。(子供は本当に宇宙人レベルではしゃぐ。姪と甥がいるからわかる。)実家との関係が良好でなおかつ近ければ子育ても少しは助かるだろうが、

月30万円の就職先のために都会になんか出てきてしまったらそれも厳しい。

 

そして更には、なかなか辞めることもできない。

このストレスは人を強くもするだろうが、

それには様々な条件が必要で、配偶者の浮気や、子供との折り合いや、仕事のやりがいなど、「天秤」が取れない釣り合わない状況になればなるほど、

それはただの重荷になっていく。

 

あえて言うが、

重ねてあえて言うのだが、

 

高度経済成長期の

「とにかくなんでも仕事があったなんでも成長した働けばそれに見合う収入があった」

なんて時代とは比べ物にならない時代が今なんじゃないか。

 

というかよく言われていること。

人類の歴史を通覧してみてもそれはいつもある。

 

世界恐慌から世界大戦は起こったのではなかったか。景気というのはそれだけ影響力があるわけじゃないか。

 

「あの屈辱的なヴェルサイユ条約を破棄してくれるなら、我々はそれがたとえメフィストであろうと支持をするぞ!!!!!!!!!!」

 

ってな具合に。

 

世界恐慌下の社会に、「それしかしてこなかった教えられてこなかった」軍人たちが一斉に放り出された果てに。

 

良いときに調子に乗った奴らが悪いときの人間になにを言おうとそりゃ説得力の欠片もない。

 

どの時代も「頑張ってない奴」ってそんなに居ないもんだ。

 

家賃ってバカ高い

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家賃が諸悪の根源だ!

 

なんてキューバ革命のフィデル・カストロが言ってたかも。言ってなかったかも。

しかし確かに家賃って高価いと思いませんか。

ただ住むだけなのに。

「いやこんなに高いなら野宿しますわ」って言う選択肢も事実上禁止なわけだから、

家賃はほぼ強制税金みたいなものじゃないか。

 

たしかに土地は有限だし価値があるし高価いのはわかるけどね。

高価いもんは高価いという話で。

 

月数万とか、かなり持っていかれるよね。その他のエネルギー料も含めて。

 

これを一人で払うとなるとやはり求められる収入のハードルは上がってくるわけである。この時代に。

 

でも家なら共同生活だから。

ニートは「共同」してへん事が問題になるのやけれども。

 

まあそこは、家族の好で、段々と、順々に?ゴミ出しから?家事から?掃除から?でもええやないのということでね。

家族の価値観次第ではありますけれども。

 

もしその家を相続するならば、

新築買うより遥かに経済的なわけだし。

 

実際、

2,3千万の家を買ってローンが30年とかすごくないかい。

もうとにかくすごいとしか言わないでおくけどね。

 

で、

 

せっかく親父が死ぬ思いで30年40年ローンを払った家が、

誰にも使われずに野ざらしなんてもったいないじゃない。

あ今そういう問題流行ってるらしいよまったく。

 

 

せっかく「相続」という概念、

つまり「自分がやってきたことを引き継いでもらいたい」という継承の概念のために、いつかは死ぬ人生に、「繋げる」という意味を見出すことで系譜を紡いできた人類史の高等概念を軽視する結果にもなるんではないかねどうかね。

 

だったら受け継いでやろうじゃないかと。

 

思ったとしてもそれは何ら不徳な事ではないと思うのだがどうかねまったく。

 

確かに、「自分で新天地を開拓する」とか、「自分の力だけで城を建てるんじゃ」とかそれは立派だけど、別にそれだけじゃないよねってことで。人間そんなに立派でなくともええやんかって。

 

そもそも自分だけのチカラなんてないのだし。すでに。

 

だから自分たちは「強くてニューゲーム」みたいに、

「家をすでに持ったままプレイ」が始められるというのも一興ではないかね。

 

たしかに、

 

それを達成する面白みはないかもしれないけれど、

 

人生はそればかりではないのだ。

 

むしろもっと広い世界に目を向けて。

 

「自分が本当に価値と意義を感じられることに賭けてみるんだ」

 

とそういったことにもなるよねまったくこのやろうが。

 

んでそんなやり方でも消費にでも回せれば世界経済に貢献できるし。

 

どんな形でもゴミになるよりはるかにマシでしょ。

 

なんか言っててこっ恥ずかしいね。

次男だしね。

 

一言で言うと「ただ脛を齧る」と言うだけだしね。

 

子供なんて産みたい人に任せておけばいい

 

子供は国の宝である。

 

っての常識だけど、

やはりあえて言うが、

 

『生命』だってコスト計算されるから多すぎれば価値はなくなってしまうんじゃないかね。

 

だからどこでも歓迎されない。

だから働かないアリが生まれるといった具合に。

 

これは精神論とかじゃあ無くてもう科学的なお話である。

 

今の時代、と言うかギリシャ時代からそうだけど、知性が発達してきて様々な楽しみ方が可能となったときから、家庭&子供一極端の幸福は存在しないんじゃないか。

 

だってオレはそうだもの。

 

オレが特殊異常者だと言うならそれはまあ仕方ないことだけれど。

でもそんなに珍しいことでもない。

 

つまり今はやることやれることがいっぱいあるのよ。

 

漫画でもゲームでもSNSでも本書くことでも動画編集してニコ動やyoutubeに投稿することでもバーチャルというこの世界と並行するもう一つのデジタル世界も生まれてしまったし。

 

なにも家庭をもって子供をつくることだけが問題ではない。

 

というかそれはなんでもいいのだけれど、

それに価値を感じられない人間には、

その呪縛をかけて苦しませるよりも、

「そうじゃなくていい」という価値観こそがその人を生きさせると思うんだよ。

 

これは過程として。

 

そういう過程を踏むことで、

そういう人がチカラを持てたとしたら、

それはやがて結果として、

家庭を持ったり子供をもつ余裕というか、あるいは育てる余裕というか、あるいはそういったことに興味が持てるようになるだとか、

 

そしてまたそれは国家の人口にもちゃんとした形で寄与できるという具合に。

 

まあそうならなくてもいいとは思うけど。

子供が欲しけりゃいくらでもつくってる人から養子でもらえばええんやない。

「テラへ」みたいにもう養子だけとか?

 

でもニートって「自分の子供だから」家に居てもいいんだよ。

 

みたいなこともあるから不思議なもんやね人間の情というのは。

 

まあ社会的体裁のために家に閉じておくとかも理由としてはあるだろうけどさ。「ブラックジャックによろしく」の精神患者編でそれの描写があったけど。

 

そんなんどうでもよくないか?

 

結局見る人によってどうとでも見えるんだし。

自分がそう見えてしまったことが問題なのであって。

 

じゃあ自分の意識を変えればそれでいいのだし。

 

自己肯定感というものは、

なにも人による反応だけではなくて、

自分自身が認められるようなことを挑戦しただけでも高められるものなのだ。

 

それだけはこの底辺ニートの活動ブログでも証明できた。

 

世の中には何もしないで文句ばかり言ってて人をディスっている生物もいるのだから。

それよかなんぼもマシ。

まあそれは低次元な話なんだけど。

世の中にはイチローをディスる阿呆もいるのだから考えてもわからんしね。

 

ある人が私を軽蔑したらどうだ?

だがそれはその人の知ったことにすぎない。

私の知ったことではない。

マルクス・アウレリウス

 

あ、でもこの話はひきこもり限定だけどね。

外に居たら嫌でも人の評価を気にしなけりゃいけなくなるから。

 

それにしてもこんな事を言ったり考えたりなんて17くらいのときからイメージするとちょっと考えられないね。

 

これとは対極の「神聖労働観」に縛り付けられていたのだから。

 

でもいざ自分が活動するには邪魔だったからこれも必然かな。

 

神聖労働観が悪いってわけでもないんだろうけどね。

 

その為にオレは子供の頃に面白いゲームや漫画を楽しめていたんだから。

 

豊かな日本の上で産まれたものにさ。

 

でも今のオレにはちょっと邪魔。

 

まあ、だから「低収入でも実家で自分にしか出来ないことをする生き方もいいよね」ってお話。

月30万とかしんどいしんどい。

1日拘束時間10時間とかしんどいしんどい。

それでいて条件のいい会社を見つけるのとかしんどいしんどい。

それでようやく見つけたかと思ってしまうともったいなくてそこから動けないからしんどいしんどい。

さらにそうなるとドンドン弱みに付け込まれて権利を侵害されても泣く泣く従うことになるとかしんどいしんどい。

それこそはブラックだったと気づいてみてもしんどいしんどい。

もう38だよしんどいしんどい。

この会社以外の仕事知らないよしんどいしんどい。

そんでそんなの当たり前だよとかいう風潮がしんどいしんどい。

 

「それくらいはやらないと人間じゃないよ なに甘ったれてんだ」ってしんどいしんどい。

 

これやってる人達は本当にすごい。

これは皮肉でもなんでもなく心から尊敬できる。

うちの昔の親父がそうだし。

 

だからオレがいるんだし。

 

親父は自営業だけど。

自営業でも嫌な客でも頭下げなきゃいけないし。

そう簡単にやめられないし。

てか辞めなかったし。

これは本当に。

 

でもオレには出来ません。

出来ないもんは出来ないんだからしょうがなし。

 

だからまあそういうのは、

「子供を作るとかは、それが本当にやりたい&目標だった&生きがいを感じる」

って人に任せておけばいいんだよ国の人口問題なんて。

 

それぞれ違うんだから。

動物の比じゃないよ人間の個性は。

「種族の中の個体差」なんてレベルじゃないから。

同じ種族だからって関係ないから。

この知性というのが人を更に個別化しているんだから。

 

見た目が似てるからって言っても、

中身は全くの別物よ。

 

 

だから別にフリーターレベルのバイトで月数万円でもいいんだよ。

その分の『時間』が生まれるんだから。

「そこでなにができるか」

って話じゃん。

 

 

人と同じことしたって同じイスの取り合いだよ。誰も得しないよ。二酸化炭素の交換に等しいよ。だからそういったイスは子供をつくって育ててくれる人にご提供しておくのがいいんだよ。国家公務員待遇ですよまったくね。(別に簡単って話じゃないぞ。そういう人たちに使ってもらえばいいしやってもらえばいいというだけの話。)

 

という風に考えてみると、

 

低収入でもやれることはあるやない。

 

って思えるやない。

 

だからニートでもええやない。

 

家賃は固定資産税だけやで。

 

2000円でここまで語れるのも珍しいで。

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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