①計画
【1日目】5月30日の早朝(3時位)
~5月30日の暗くなる前(19時位)に埼玉の熊谷に着く予定。 (計140㌔)
【2日目】5月31日の早朝(4時位)
~東京競馬場開園時間前後に(10時位)に到達する予定。 (計60㌔)
※3日目以降はひたすら心を殺して還る。
うん。 レース観るだけだったら当日発走時刻の15時40分辺りでもいいんだけれど、 東京競馬場を見まわっておきたいからできるだけ早め予定。 めちゃくちゃ早い時間から並んで良席を6時間以上保持して良い映像を収めるということは全然しないのがムラクモクオリティ。
そういった珍しい映像撮りとかは全然目指さないのがこのサイトの怖いところ。
3日かければそれなりに余裕は出そうだけれど中途半端に時間を持て余しそうだし、 ということで2日計画。 一般的にクロスバイクの時速は20㌔だというから1時間で20㌔進む。 140㌔なら7時間ほど。
しかーし。
事前のテストで20㌔区間を1時間半というレコードタイムを記録した我が脚だもの。そんなノロい脚だもの。&老いたチャリだもの。
さらーに。
実際は、路面状況や風の向きなどによって影響を受け、平均時速は10㌔程度と読んだ私は、
『早朝3時位から遅くとも暗くならないうちの19時位までに着けばいいよプロジェクト』
を1日めに設定したのである。
つまり140㌔を朝3時から走る場合
普通なら、
昼10時に着くところを夕方17時に着く予定。
さらには余裕を持たせて暗くなる19時までならオッケー。
(暗くなると寝床が確保しづらい確認しづらいのでね)
そういうゆとり計画にて万全を期して挑んだのである。
だってオレ運動不足やもん。
軽く運動はしているけれども、基本はデスクワークやもん。ニートやもん。
チャリで200㌔ってのがどんなもんか全然知らんもん。
未知やもん。
こういうのって全然準備もしないで超ぶっつけ本番で挑んで様々なアクシデントに大仰なリアクションとかして愉しむものなのに、
超準備万端で挑むからね。
だから特別なんにも面白いことは起きません。
ただの完全試合を目論むだけの企画。
②「ビバ幸村ビジネス」 城の中に小さい畑がある変な城。
早々に出遅れて30分のハンデで迎えた区間走。
そんなアドマイヤグルーヴが如くな出遅れ。
ぎりぎりの時間になるとあれよあれよと時間が進んでしまうからねうん。 そういうことで上田に到着。 なんかここまでの区間は路面状況があまりよろしくないのだ。 凸凹してるし、段差が激しいし、自転車の通れる幅は狭いし。
しかし何にせよ上田に到着。
と言っても見て回るとかしないね。時間的にね。 この区間は事前テストしていたからまあ順当なタイムで抜けましたわ。 ねえこれ何の話してんの
③「仙石秀久って誰。」 仙石秀久より『あの夏で待ってる』推しになっていた小諸だった。
でもどの夏で待たれていたのか知らなかったオレでした。2011年?12年?
予想外にスローペースに。
時速10㌔すらキープ出来ていない気配が漂っている。
それもそのはず歩いていたのだから。 予想外な上り坂に膝周りの筋肉が軋み始めて遂には歩くという事態に。 普段ならそれほど苦ではないような上りなのだがこの日この時ばかりはそうはいかなかった。
調整を見誤ったのか?
事前のテスト走行をもう少し早めにして疲れの残らない状態にすべきだったかと、 「本番」の恐ろしさを感じるのだった。 ねえこれ何の話してんの
④「もうバックミラーなんか二度と見ない!!!!」 遠くを見つめる淡い瞳に。
さあもうほとんど歩いていた区間。
軽井沢への道のりは8割上り。
タブーを犯した菊花賞ミスターシービーが如くな「上りの一気で先頭に立つ。」とかは出来ない。
もう歩いちゃう。
坂はもう歩いちゃう。そういうタブーは犯しました。
一応作戦としては、テスト走行にて昼間の日射を浴びまくり熱中症になったわけだから、 対策はしていても、昼はできるだけ走行を避けようということで、 昼までには軽井沢に着いてお昼休憩とでもしゃれ込むかということでなんとかかんとか漕いできたわけ。 それにはギリギリで間に合ったかどうかというところ。 しかしもう日差しは降り注いでいたところ。 帽子が英雄的働きをしてくれていたところ。 それでも予想通りに喉が渇くところ。 ココらへんから「あ、コレ金かかるわ」との確信を強くするところ。 水分補給代がバカにならない。
軽井沢で大型休憩をひとつ取る予定であったが、もう少し進んで碓氷峠の湖の湖畔にてピクニック的休憩にすることに。 まあ碓氷峠の行きは転がってくだけだからね。楽だからいいでしょと。
ミニイベント
途中でママチャリ乗ったおっちゃんに「18号?」と訊かれる。
クシャクシャの地図を見せられる。
垣間見える鼻毛も見せられる。
中国語の様な表記だったから「チャイニーズ?」と聞いたら「台湾」と言われる。
普通に台湾と言われる。
せっかくそれっぽい発音で訊いたのに普通に「台湾」と言われる。
クシャクシャ地図だけではよく解らなかったので、
持参していたアンドロイドスマホを振りかざして完璧な測位を見せつけてやった。
「おーソーリーソーリー!」 と言われる。
※親が孫との交信用に依頼してきたので用途検査の結果、 いわゆる格安スマホに目をつけて、 「楽天モバイル」のデータ通信SIM契約にて、 月々高速データ通信3,1Gで1000円コースなスマホを用意していたのだった。 (コレで十分なのでびっくり。家ではWi-Fi使えばいいのだし。出先でそんな使うこともないだろうし。通話はラインやスカイプがあるし。)
んでそれを今回持ち出し
V(▽Д▼ )
旅っていうのはこういう突然の人との出来事がイベントになるんだよね。
まあ全然撮れてはいないんだけど。
そ~いうの苦手だな~。
人にカメラ向けるの苦手だな~。
(▽Д▼ )ヤメチマエ
でも少ししたら引き返してチャリで転がって来て「あきらめ(笑)遠い(笑)」とか言って消えていった。
なんであんなに鼻毛生えていたんだろう。
軽井沢に観光に来た人がレンタルチャリで碓氷峠にある名所を観に行きたかったということだろうか。
なんであんなに鼻毛生えてたんだろう。
観光ってそんなお手軽にやってこれるものなのかね最近は。コンビニ感覚で。身だしなみとか忘れるくらいに。 今や日本と台湾の距離は家とコンビニくらい近いのか。良いことだ。 持ってったスマホも台湾製だしね。
中華民国万歳。SIMフリー万歳。
大型休憩 魔の坂にて
それにしても碓氷峠はひゃっほーだったね。ひゃっほー。
ハチロクに遭遇。
⑤「ヨネヤマティ国立公園」 熱く火照った車体に水をぶっかけて冷却するというテク。 意味があるのか逆効果なのかそんなことなどお構いなし。雰囲気で。
正直もうココらへんのタイムを覚えていないのだが。
碓氷湖で軽く仮眠を取ったりしてたし。 ゆらゆらと下ってきたらあれよあれよと着いて16時前。 時速10㌔ペースならもうそろそろ初日の目標である熊谷まで着いているころになっているお時間に。
明らかに遅い。
うんまあ休憩タイムあるし。予想外に碓氷湖でグッタリしていたし。 それでも「早く行かなくては」ということで来たわけだけどそれでもなんか時間ギリギリ。
なんかキツくなってきたな。
という感じ。 公園でのガリガリ君グレープフルーツ味がたまらなくひんやく爽快であった午後16時。
この時期暗くなるのは19時以降。
それまでに熊谷あたりの公園を物色していい感じの寝床を探したいというところ。 やはり暗くなると視認ができなくなるので、細かな地勢を読みにくい。 尚且つ、目立たなく、人の目に付きづらい場所の選定などが安全性を高める上で重要。
17世紀のヨーロッパでは行軍と宿営の名手であったリュクサンブールを持ってしてもかかる地形の選定にはあまり頓着されなかった。 重要事は容易に宿営せしめるということで、 自軍の背面を敵軍に向けて宿営することさえ珍しくなかったのである。 それ程に当時はまだ、その戦争の形態が苛烈ではなく、 相手が野営を張るときには自軍もまた無条件で休むということが慣例であった。
「戦争論(フォム・クリーゲ)」著フォン・クラウゼヴィッツ
しかーし、
一度外に出ればこの日本といえど当然のように危険である。 唯でさえ無防備になる就寝事。 できるだけ戦略的背面及び側面を天然障害物に委託するという形で持って視認されにくい状況を求めるわけですはい。 ※公園の樹林などに隠れてテントを張りたいということ。 そういう細かい選定はやはり明るい内がいいかな~ということだから。 他の準備も色々と。気持ち的にも。テント張るのにも。 予行演習は家でやってきているけども。 姪が遊んでたけども。
「何やってんだろこの人」
とか思う時が来るでしょうね。怖い怖い。
⑥「タカサーキジャンクション」 しかし群馬はかなり自転車道の整備が進んでいる様子。 自転車道先進国であった。快適。
とはいったもののもう時間と体力がキツイことに。
ここまで大体100㌔ほど走行してきていたのだった。
ニートがチャリをせっせと漕いできたのだった。
なんでだろうか。
まともに考えるとコレしか出てこないので見て見ぬふりして漕いできたのだった。
正直時間はもう初日の到達点に近づいてきているわけ。
しかし予定より40㌔、
熊谷さん家まであと40㌔足りないわけ。
(▽Д▼;;;; )
今の状態やコレまでの状況から考えるに7時間はかかるんじゃないかという距離なわけ。
キビすーーーーーー。
キビすーーーーーーーーーー。
いやもういいだろって。 まともに考えたらこの高崎近辺で宿営地を探すべきであり、時間帯もベストな頃合い。 夕飯も探して、食べて、色々準備して寝るという余裕を持った時間帯。 100キロも進んだのだし。小諸軽井沢の坂道消耗を考慮すれば十分ではないか。
二度と長野県をチャリで巡るとかしない!
ナガノなめてた。起伏しか無い地形なめてた。
しかーし!
コレで寝て、どれだけ寝れるのかは知れないが、できるだけ寝たいわけ。 競馬場着いて疲れるとかは春の東京旅でうんざりなわけ。 じゃあバスで行けよとか言っちゃダメなわけ。もう100㌔漕いだわけ。 だからできるだけ寝たいわけ。 じゃあココらへんにテント張ってなんやかんややって19時ころに寝て、 深夜2時位に起きて、なんやかんや準備して、 明るくなる4時位に出発か?
しかーし!
それだと競馬場までは100㌔近い距離になる。 何時間かかるのかという距離。 朝4時から時速20㌔で走って10時間かけても14時位に着くという発走時刻に迫る時間に。
(15時40分位が発走)
競馬場着いてから何も出来ないし。どっちがメインだよて話しだし。 時速20㌔なんて今の自分には現実的ではない時速を出せたとしても汗だくだく、足パンパンやわ。 普通に時速10㌔付近ならもう完全に間に合わない。
じゃあ、
早く起きて夜の内から走るかということになれば、それはイヤ。 夜はトラックビュンビュンしとるからね。めっさ危ないからね。 まだ最後に一つだけやることあるからね。ここでカラスの餌になるのは少しだけおあずけしたいところ。
⑦「埼玉の熊谷さん家」 朝方の様子。
もうびっくりした。
疲れたとかいうよりもうびっくりした。
全然着かないのなんのって。
タカサーキから全然着かないのなんのって。
結局、恒例パターンで高崎駅周辺で小休止する予定だったのが、
それをまるまるスルーして最短距離でコーナリング。
一路、埼玉の熊谷へ無心で舵を切るのだった。
もうとにかく漕いでれば着く! 何も考えずに着くまで漕いでれば着く! 着く!
ということでただひたすらコギコギしていたのであった。
しかし40キロの道のりは伊達ではなく、
10㌔20㌔ではない40㌔。
漕いでも漕いでも着く気配がない。
けれど漕ぐしかない。
もう完全に夜に入る。
よってもう思考は完全に夜の走行&これからの計画。 といっても夜間走行は後に付けてる自動発光リフレクターを少し車道気味にしておくだけ。 深夜でなければトラックはまだ少ないし。 そして熊谷付近でご飯を買ってすぐ食べようということで、 コンビニがいいかスーパーの惣菜が良いか、安いからスーパーの惣菜が良いかということで惣菜に。 探しまわる時間のロスを省くため走行途中に発見したスーパーでハンバーグ焼き肉パスタご飯弁当なる物を仕入れる。
何弁だよ。
結局何弁なんだよ。
そしてようやく到着。
宿営場所はもう大体検討付けてあって、前歩いてきた時も寝た場所、河川敷の公園に決定。 もう22時だからさっさと準備に取り掛かりたい。 夜だから地形が把握できないけれども、 いい感じに人の胸くらいの高さで樹立する木々の近くにテントをおっぴろげ。割と早く成功。
そして中に入る。
災害用にジェントスのLEDランタンが家にあったので持ってこようと思っていたが多少サイズがあるので取りやめに。 それくらいシビアな掲載量の我がブケパロス。 ということで自転車に装着もしていた普通のジェントスLEDライトを使ってテント内を照らそうと思っていたら電池がなくなってきていて涙目。 月明かりの下、テントから顔だけだして冷たいカオス弁当をもっさもっさ食べたとさ。
手でね。
軽く衝撃の発言だね。軽くね。 そうスーパーでは箸を取り付けてもらえず。レンジでチンとかもなし。 そういうサービス精神ゼロなスーパー。 後に出会うサービス精神の塊たる凄いスーパーもあったけども、ここではナシ。 いやそれが普通なんだろうけどね。我々みたいな客の方が珍しいのだろうから。
だから手で食べたよね。
インドカリーのごとくにね。いやインドカリーは専門店とか行けば手で食べれるから。そういう文化だから。 手で食べるのがマナーとかあるから。ちゃんと消毒とかするから。めっさ泡立てて手を洗ったから。その後アルコール除菌までしたから。 ウェットティッシュとかでしたから。
マイ箸持参すればよかったわ。
それにしてももう疲れ果ててたんでメシが旨く感じられず。 大量の運動の後ってそうじゃん。落ち着いてから減ってくるものじゃん。お腹は。 しかしさっさと食ってさっさと寝ないと寝る時間がなくなるわけ。もう23時なわけ。 4時に起きなきゃいけないわけ。ここから競馬場まで60㌔なわけ。6時間位なわけ。 4時に出てギリ10時くらいに到着を目論んでいるわけ。
てなわけで早速寝よう!
としたものの、河川敷公園って広いじゃない。そしたら変な車とかも止まってるじゃない。目的の判らないような車とかが。 いかがわしい行為にでも及んでいるのではなかろうかというようなライトだけ付けっぱなしの車とかが。 そんなのが気になってね。 でも疲れてたからすぐ寝ちゃったんだけど。 (寝袋も暑かったんでまくらになってた。結局1000円の寝袋は使わなかった。)
すぐ起きてしまう。
警戒心MAXなワタクシ。
少しの物音に反応する感じで。
完全無防備状態というのがどうも性に合わない。
うん。こんなの「奇襲してください」と言っているようなものだからね。 そういう戦史マニアのサ・ガとも言える特性のためにどうもそういう状態に身を置くのが落ち着かない。 気が小さい漢。 途中チャリの音が響いて、近くの水道にて洗濯をする現場にも遭遇した。 水場の近くをなんとなく保持していたのだが、こんな夜中にチャリダーがこの場所に2名以上存在するとはね。 あっちもテント見てびっくりしてると思う。 何にせよ寝れない状況。 朝見たらめんつゆの空ボトルが捨てられていたり相当マナーの悪いチャリダーだったことが伺えたが。
オレは今回ゴミを一つも出さなかったのにね!
ニートなのにね!
ニートはニートであるがゆえに訳のわからない所にプライドを持って対するという不思議。
「私の所からはゴミは1つとして出さん!」
という裏目標。
「私の軍からは1人の脱落者も出さん!」
みたいなね。
そういう小ささね。 ペットボトルとかねじ曲げて体積を小さくして収容してたからね。 分別ボックスまでそういうやり手だったからね。
でもまあ色々様々なその人なりな状況がありますからね。
止むに止まれず的な。
ニートって「許されている」存在であるからこそそれぞれの事情に鑑みる視点が生まれる。 自分を許すためか。都合がいいな。それもまた生きる知恵か。
ドラクエの「ふくろ」は無限なのなんでだろう。
しかし何にせよ結局2時間くらいしか寝れなかった模様。まあ体は休めたし、メシは食ったし、総合風邪薬も飲んでやることはやった。
いざ府中。