さあ春クラシック2冠馬ドゥラメンテの秋は可能性に満ちている。
三冠を頭上に戴くか、凱旋門を潜りに行くか。
伝統の8頭目になるか、悲願の1頭か。
日本競馬界全馬未踏の悲願の舞台は、
世界競馬の頂点『凱旋門賞』だ。
あとひとつの順位 -凱旋門賞日本馬の成績-
端的に言えば、 世界芝レースの最高峰『凱旋門賞』に日本から出走した馬の最高成績は2着である。
第78回1999年10月3日 エルコンドルパサー2着 蛯名正義
相手は歴史的名馬モンジュー。仏ダービー、愛ダービーの二カ国ダービー馬。 この『凱旋門賞』を制した後も『キングジョージ』を制して2回目の欧州最強の名も手に入れた。
レース 「1999 凱旋門賞 モンジュー エルコンドルパサー」
第89回2010年10月3日 ナカヤマフェスタ2着 蛯名正義
第91回2012年10月7日 オルフェーヴル2着 C.スミヨン
第92回2013年10月6日 オルフェーヴル2着 C.スミヨン
レベルが日に日に向上している日本競馬が、
世界に迫ることが許されている距離。
2着。
進化を続けるのは世界も同じ。
『凱旋門賞』もまた進化する。
凱旋門賞
凱旋門賞 -Prix de l'Arc de Triomphe-
1着賞金2,857,000ユーロ (約3億~4億程度※為替レートで変動するため)
画・cBenh wiki/File:Arc_Triomphe.jpg
1920年に第一次世界大戦後に衰退したフランス競馬再興を掲げて誕生した国際競走である。 ヨーロッパのみならず世界中のホースマンが英国ダービーやケンタッキーダービーと並び憧れ、 勝利を目標とする世界最高峰の競走の1つとして知られている。
cwiki/凱旋門賞
何故こんなにも世界最高レースとされるのか。
凱旋門賞が頂点である理由
この二つ。
・高額賞金であるのはその成り立ちからして意気込みがありフランス競馬界全体で推進したこと。
・時期が良いのは歴史が古いからであること。
ではないかと個人的には思った次第。 その状態が長く維持されて今の『凱旋門賞』があるのだろうか。
2015年現在凱旋門賞の1着獲得賞金は、
芝レースで世界最高を記録している。
時期も他の大舞台と重なることも少ない時期であるため強豪馬を取り合うということがない。
※それにしてもウイポプレイ時には凱旋門賞の賞金はそんなに高くなかった。名誉と栄誉のレースだったのだが、此処最近賞金額がグーン上がっているらしい。スポンサーが変わったとか増えたとかどうとか。 名も実も金も兼ねるホンモノの頂点と化していたのだった。
歴史
-あのアウステルリッツ会戦に参加していたというだけでそれは勇者だと返ってくるぞ-
欧州列強国を同時に相手取った内線作戦の最高傑作『アウステルリッツ三帝会戦』の戦勝を祝う目的で、その英雄ナポレオン一世により建設が始まった。
凱旋門自体は。
※これによりフランスは大陸を制圧してしまうんだねえ(▽Д▼@ )ウルム及びアウステルリッツでオーストリアが、イエナ及びアウエルシュテットでプロイセンがそれぞれ降伏した。というやつだねえ(▽Д▼@ )我が先生はイエナで捕まったんだねえ。ロシアへ行ったんだねえ。モスクワの大火を見たんだねえ。
そういうのはいいか。
1806年~1836年に完成。
それがフランスの「エトワール凱旋門」だ。
凱旋門というモニュメント自体は古代ローマの凱旋門に起源を持っている。
※馬に馬車を曳かせて競う「戦車競走(チャリオットレース)」も開催されており、
凱旋門とは民衆が偉大なる戦勝を祝う喜びの号砲を轟かせる場所であったのだ。
欧州古馬大レースの祖 1920年、始まる。
『凱旋門賞』というレースの起源はそう古くはない。 英国『ダービーステークス』の様な1700年台クラシックスではなくて、 1920年の創立。
それまで3歳戦が熱かった!
フランスの大レースは、3歳馬の頂点を決める『ジョッケクルブ賞(仏ダービー)』、 仏国と英国のダービー馬の対決を構想して『パリ大賞典』が在った。
年寄りにもチャンスを!
そこで古馬が活躍できるビッグレースが創立し『凱旋門賞』が生まれた。 ※古馬レース=4歳以上。(凱旋門賞は全年齢対象) それから古馬のビッグレースとして今日までその座に君臨している。 欧州のビッグレースはこれより凱旋門賞馬を招待するべく開設され、 また凱旋門賞との時期を重ねない様に位置する。
正にクラシック以降に現れるビッグレースの
起点
となっていると言えるのではないだろうか。
今や世界芝競馬の大三角を形成する一角『(通称)キングジョージ』も同時期開催であった所の競合を避け、 夏に行われていた「クイーンエリザベスステークス」と統合。夏の欧州最強馬決定戦『キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス』として並立している。
舞台
-世界で1番美しい競馬場-
戦いの舞台は世界でもっとも美しいと称されるフランス『ロンシャン競馬場』。 それまで存在した2つの競馬場、 「シャン・ド・マルス競馬場」は軍事演習場でもあり荒れやすく、 「シャンティイ競馬場」ではフランスの中心パリから離れ過ぎている為に人の足が遠のく。 ロンシャンはパリ郊外森近くの平野に新競馬場が作られた。
つまり、近い!綺麗!デカい!
※「ジーワンジョッキー」という騎手レースゲームでボクは覚えました。(▽Д▼@ )確かにロンシャンは雄大だが魔物がいるぞ。ジーワンジョッキーならね。
最強
-史上最強馬が決まる-
最高のメンバーが集まり、最高のサラブレッドが勝利する。そうなれば最強馬の勲章もその馬に冠しやすくもなる。手っ取り早いというわけだ。すべて倒すのだから。
”永遠の翼” シーバード 1965年度第44回凱旋門賞馬
「~世紀の海鳥~〝地球生誕史上最強馬〟」
”シャドーロールの王” ミルリーフ 第50回1971年度凱旋門賞馬
・夏の最強馬決定戦 『KGVI & QES(キングジョージ)』
・ロンシャンの頂上 『凱旋門賞』
同一年にこれら全ての王座に座ったのがミルリーフ。日本では俗に「欧州三冠-ヨーロッパトリプルクラウン-」と呼ばれるが、 あまりに浮世離れした事象のため現実の日本競馬界で視野に入ることもない。 その王座に座ったサラブレッドは史上2頭のみ。1頭が最強王者ならもう1頭は神だった。 ※ミルリーフの血は日本にも流れ、 ミルジョージを通じてイナリワンやロジータなど名馬となって顕れている。
”不敗のイルピッコロ” リボー 第34、35回1955、1956年度凱旋門賞馬
”欧州を震撼させた最強の末脚” ダンシングブレーヴ 第65回1986年度凱旋門賞馬
”神の馬” ラムタラ 第74回1995年度凱旋門賞馬
『ダービーステークス』を勝利。
『キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス』を勝利。
『凱旋門賞』を勝利。
引退。
勿論凱旋門賞に敗戦した史上最強馬もいる。
その評価は人それぞれだよね。
海外へのあこがれ
フットボールの世界でも海外クラブに移籍するのはステータスだ。
野球なら日本の野球はすでに世界一レベル。
大和魂 -挑戦の系譜-
外国産馬
-日本調教馬が国際G1を勝利するという快挙-
ホクトベガが『ドバイワールドカップ』で競走中の事故により安楽死となるなど 次第に遠征の鬼門ぶりが目立ってくる。
が、
後に日本競馬界に「最強世代」という時代がやってくる。
フランスの大レース『サンクルー大賞典』を勝利。
日本の競馬はもう世界に通用する。
だが、
これらは全て外国産馬による活躍であった。
外国産馬とは外国で産まれた仔馬がセールなどで日本に持ち込まれて競走馬になった馬のこと。 出走馬欄の名前表記に記されるマークからマル外とも通称する。外国で産まれて日本で調教されたサラブレッドだ。
外国産馬アグネスワールドが欧州の短距離G1『アベイユドロンシャン賞』や『ジュライカップ』を制した。
日本産
-日本産馬による国際G1勝利-
世界の競馬は芝コースなら欧州、ダート(砂)コースならアメリカがトップと言っていい。 日本からすれば海外G1というのなら日本でなければ全て海外であるから勿論レベルの低い海外もあるのだ。
そうした中で香港やドバイは価値が高い。 欧州、米国の開催時期と異なる12月開催の香港国際カーニバル。同じく3月終わりのドバイミーティング。 これらは主に高い賞金と開催時期の都合の良さにより、 本国で競馬の開催されない時期に遠征できる要所としてその価値を高めてきている国際レースだ。
一流の欧州馬や米国馬も乗り込んでくる価値あるレース。 その中のG1制覇は価値のあるものであった。
しかし、
日本が元々仰ぎ見ていたのは本場欧州の競馬。
ハイレベルなアメリカの競馬。
海外遠征
-日本最強馬の挑戦-
しかしこのレースの注目度は凄い物があって深夜にライブ中継された視聴率は関西瞬間で28%を超えた。
「ディープインパクトでもダメなのか。」
そもそも海外遠征というものは競走馬の能力を削いでしまうらしい。
実は憧れの欧州一流馬が日本の国際招待レース『ジャパンカップ』で勝てない状況が続いている。
1、遠征疲れ、環境の変化に弱い
2、日本馬が強い
他にもあるが此処ではこれ。 やはり欧州だろうが日本だろうが環境を変えたり長距離輸送をすると大きなハンデとなるようだ。 それでも初期のジャパンカップで勝たれていたのは日本馬のレベルが低かったからなのだろう。 ジャパンカップの一つでは歴史的名馬モンジューさえ返り討ちにした日本馬。
日本馬のレベルは相当に高い所に来ている。
「日本馬による欧米トップレース制覇」
それはもう日本馬の強さや馬産の向上の成果ではなくて、 単なる憧れなのかもしれない。 世界一の野球国に産まれ最新の環境で育ってもメジャーリーグを夢見るかのごとく。
遠征時代。
多くの日本馬たちが国際G1を制した。
05年シーザリオが『アメリカンオークス』を勝った。※米の主流はダートであるが
06年ハーツクライがドバイミーティングの『ドバイシーマクラシック』を勝利。
06年コスモバルクが『シンガポール国際IC』を勝利。
06年デルタブルースが豪州長距離G1『メルボルンカップ』を勝利。
07年アドマイヤムーンが『ドバイデューティーフリー』を勝利。
多くの国際G1ウィナーが産まれた。
そういう時代になっていた。
そして2010年には宝塚記念馬ナカヤマフェスタが『凱旋門賞』に挑み2着する。
限りなく勝ちに近い2着。
日本馬はどうしても勝てなかった。
砂の頂点
-世界最高峰ダートレース『ドバイワールドカップ』制覇-
日本産にして春クラシック二冠馬ネオユニヴァースを父に持つ ヴィクトワールピサが世界最高峰ダートレースを制した。 日本の皐月賞馬が勝ったのだ。 とんでもない快挙だった。
憧れた頂点へ
同2011年、オルフェーヴル。
この年「三冠馬」が誕生した。 再び日本は最強馬にて世界の頂点を目指す機会を掴む。 日本競馬界が常に範とし目指してきた欧州競馬、本場の競馬。 その芝レースの権威への挑戦。
父ステイゴールド(日本産日本調教馬)
母オリエンタルアート(日本産日本調教馬)
母の父メジロマックイーン(日本産日本調教馬)
日本馬産界の代表と言っていい血を持っていた。
「そんなものはどうでもよい」 そう、拘ることさえしなければ。 その活躍で馬主には賞金を与え、牧場に栄誉を与え、騎手に経験を、調教師に実績を、 ファンにロマンを与えてくれる馬ならなんでもいいはず。 だがそれでもこの馬は日本馬産界の結晶でありクラシック三冠馬なのだった。
最高の戦略が取られた。
凱旋門賞優勝経験のある騎手への乗り換えという鬼の決断。デビューからオルフェーヴルに跨っていた日本の騎手は引きずり降ろされ、 世界トップジョッキーが据えられた。
勝つための決断。
レース中に補佐する馬の出走登録までする徹し様。
本来凱旋門賞に出るべくもない帯同馬を出走させてオルフェーヴルの補助をしようというのだ。 出走登録するだけでも相当の出費になる。 勝ちに徹する欧州競馬にそのやり口にて真っ向勝負を挑んだ。
勝つための戦略。
他馬を恋しがる異質な三冠馬が外に膨れないように壁役になるというアヴェンティーノの動き。 内側スタートで、直線までに外へ外へと持ち出し壁になろうとする。
幻の直線
遠い遠い頂上。
2013年オルフェーブル。
あれから1年後、雪辱期すため再びロンシャンの頂上に挑んだ日本の三冠馬は競り合うことさえ許されなかった。 2着だった。今でも日本競馬界が誇れる最高着順であることに変わりはなかった。十分に誇ってよかった。
ただあまりに遠い2着に夢を持つことすら許されなかった。
たった一年で時代が変わっていた。
女傑トレヴはその翌年に連覇を達成する。
欧州競馬史にも稀な”本物”が登場してしまった。
2014年度凱旋門賞に日本から参戦した優駿たちはことごとく払いのけられた。 再び遠のいていく世界の頂点。 進化する頂点。
「1カラットの血」
2015年に3歳で凱旋門賞挑戦も視野に入れられている春クラシック2冠馬ドゥラメンテ。
3歳ならハンデ重量を背負わなくて良いという好条件の為に近年日本の3歳馬の出走が取り沙汰されている。
「三冠か、凱旋門か」
これからも春2冠馬が出現するたびに話題にのぼり続ける嬉しい悩み。三冠と違い凱旋門賞は古馬でも出走できる。もともと古馬戦だ。普通に考えれば3度のチャンスは有る。3歳で出走するのは重い重量を背負わないためと、機会のため。何が起こるかわからない競馬故にできるだけ出走しようというところか。
ドゥラメンテも、 父のキングカメハメハは日本調教馬(マル外ではあるが)。 母もアドマイヤグルーヴで日本産日本調教馬。 それぞれの馬の活躍を観ていた日本のファンも多い。
そして日本の三冠馬を突き放した女傑トレヴの3連覇の阻止。
否が応でも期待は高まる凱旋門賞の制覇。
進化を求めて高みを伸ばしつづけるロンシャンの頂点に日本の競馬が立てるか。
ドゥラメンテの挑戦とはそういうことになる。
おそらくは多分、
『悲願。』
「ノーザンダンサーの血の一滴は1カラットのダイヤモンドに匹敵するという。」
それはノーザンダンサーの血なくして今の競馬は語れないからだ。 だがそんな名血も、その血を受け継いできたものたちの活躍なくしてはありえない。 そして、 そんな名血を超えんとする馬たちが明日の名血をまた創る。 byみどりのマキバオー
ドゥラメンテにもしっかりと母系から流れるノーザンダンサーの血がある。
社台ファームの吉田一家が輸入を見込んで購入したその直仔ノーザンテースト。
それは日本競馬界のレベルを一気に引き上げた。
ダイナカールはオークスを制した。
凱旋門賞に勝利したトニービンが日本にやってくる。
エアグルーヴは牝馬にして天皇賞を勝利する。
吉田善哉が死に際に遺したサンデーサイレンスは日本を変えた。
アドマイヤグルーヴが3代G1制覇を成し遂げた。
そして日本ダービー馬キングカメハメハがドゥラメンテを輩出する。
挑戦する意味なんてあるのかと思う時もあるし、
日本だけで走っていればいいと思う時もある。
様々な危険を犯してまで挑戦する意味はどれほどあるのだろうと。
高みを目指せばきりがないが、
走り続けなければならないのだろう。
俗説だが、
走らなければ体に血が廻らないサラブレッドそのものと同じで。
止まったら死ぬのだろう。