究極の七頭
-歴代三冠馬一覧-
1941年
「三冠馬」セントライト
1964年
あとはカルビーが「かっぱえびせん」を発売。
「ナタの切れ味」シンザン
1983年
「天馬二世」ミスターシービー
戦績
「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 ミスターシービー」
「ミスターシービー競走馬データ」
エピソード
「―三冠馬の栄光と挫折 ミスターシービー本紀」
紹介動画
「20世紀の名馬100 ミスターシービー」
「The WINNER 2012年 JRA CM 菊花賞 ミスターシービー」
1984年
なんだろこれ。
「皇帝」シンボリルドルフ
戦績
「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 シンボリルドルフ」
「シンボリルドルフ競走馬データ」
エピソード
「―皇帝の時代 シンボリルドルフ本紀」
紹介動画
「20世紀の名馬100 シンボリルドルフ」
「2013年 ジャパンカップ THE LEGEND JRA CM 30秒ver シンボリルドルフ」
1994年
「シャドーロールの怪物」ナリタブライアン
戦績
「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 ナリタブライアン」
「ナリタブライアン 競走馬データ」
エピソード
「―孤高すぎた王者 ナリタブライアン本紀」
紹介動画
「20世紀の名馬100 ナリタブライアン」
「2011年JRA CM 菊花賞 ナリタブライアン」
2005年
「英雄」ディープインパクト
戦績
「ディープインパクト競走馬データ」
レース
「ディープインパクト全レース 武豊」
エピソード
「ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 」」
「The LEGEND 2013年 JRA CM 天皇賞(春) ディープインパクト」
2011年
「暴君」オルフェーブル
戦績
「オルフェーブル競走馬データ」
レース
「オルフェーヴル 三冠達成」
エピソード
「震災の年に勇気をくれた馬、オルフェーヴルのエピソードまとめ」
「暴走 2012 第60回 阪神大賞典」
クラシック三冠
若駒たちの晴れ舞台。
「最も速い馬が勝つ」といわれ、4月末に3歳限定芝2000㍍の中距離で開催される三冠競争第一冠目。 一着賞金9700万(2015年現在)1939年に英国の『2000ギニー』をモデルとして『横濱農林省賞典四歳呼馬』が開催されたのが始まり。 現在世界で最も重視され、多くの馬の適性距離でもある激戦のミドルディスタンスにおいて、 良質なスピードと全体のレースセンスが問われる。「JRA2015年度皐月賞」
競馬の祭典。
「最も幸運に恵まれた馬が勝つ」といわれ、5月末に3歳限定芝2400㍍のチャンピオンコースで行われるホースマンの栄誉。 一着賞金2億円(2015年現在)1932年に英国の『ダービーステークス』をモデルとして『東京優駿大競争』が開催されたのが始まり。 世界最強馬を決める大レースのスタンダードである、最も権威と格式を持つ王者たちの距離でその歳の頂点を決める。 「JRA2015年度日本ダービー」
長距離で世代決着戦。
「最も強い馬が勝つ」といわれ、10月半ばに3歳限定芝3000㍍の長距離で開催される最期にて最難の一冠。 一着賞金1億2000万(2015年現在)1938年に英国最古『セントレジャーステークス』をモデルとして『京都農林省賞典四歳呼馬』が開催されたのが始まり。 近代競馬の起原とも言える三千の距離で、そして今日では一流ステイヤー決める三千の距離で、 最期の三冠戦としてトップを決める。
兎にも角にもこの三つをすべて獲らなければ三冠馬には成れない。
なんでそんなことになったんだろう?
そんな面倒なことに。
「馬」
※勿論のこと諸説あり、これは一説。
西方文明の興隆
ヨーロッパにおいても馬産は主要事であるため発展した。 鈍く光るプレートアーマーに荘厳な装具を纏い、 勇壮に馬にまたがって威並ぶ「騎士」の姿は中世ヨーロッパの花型であった。 必然的に愛馬を競わせる催しが開かれ、興隆する。
1776年=近代競馬
その様にしてやがて注目され、
自慢の馬たちが多く集い、
重ねられていくレースが生まれていく。
『オークスステークス』(3歳牝馬)
『ダービーステークス』(3歳牡馬)
『2000ギニー』(3歳牡馬)
『1000ギニー』(3歳牝馬)
などはセントレジャーと合わせていつしか5大レースと目されるようになる。
これらは後にクラシック5戦となる。
※オークス・ダービーはいずれもダービー伯爵等が自身の馬たちを競争させることに始まった。
※ギニーというのはかつて存在していた英国の金貨の名称で、数字と合わせて賞金を意味するレース名である。
つまり元々考えられて創設されたわけではなくて、
自然と大きなレースとなったものを制した馬が、 いつしか三冠馬と讃えられる様になったようだ。
何にせよこれが本家英国の三冠。 ※3歳牡馬限定を2つ、3歳牝馬限定を2つ、 そしてセントレジャーステークスを制することでそれぞれ三冠及び牝馬三冠。
クラシック
クラシックとは、「古典」との意。格式のある、長く時代を越えて規範とすべきもの。
音楽の世界では「クラシック音楽」とか言い、わざわざ現代ジャンルとは分けて扱う。 芸術や文学の世界でも「古典主義」などと言ってやはり類別する。
それは1つにはその時代の象徴的なものだからではないか。
或いはまた象徴するものだからではないか。 その時代特有の価値観、運動、意識、議題、様々な世相や文化が集約されているから。 それ等があって、今へと続いていく。 多くの者達がそれを表現し、工夫し、研鑽してきた。
「形」は違っても、そこにいた「人間」は変わらない。
そこにいた人間たちの挑戦や工夫の精神はまさしく時代を超えて規範とすべきもの。 そんな価値だとも言えるかもね。クラシックというものは。
ほらオレ歴史好きだから。
(▽Д▼@ )
難易度
それでは三冠を達成するのはどれほど困難なのだろうか。普通に考えても競争力の高い栄冠を三つ勝つということでも困難な事である。
スペシャリストたち
同一シーズンにおける三つの主要タイトルを獲ることで三冠王と呼ばれる。打者なら打率王(首位打者)、打点王、本塁打王を獲得した選手は04年の松中信彦が最も新しい。それ以前となると86年の落合博満、ランディバースがそれぞれのリーグで生まれるという奇跡のみ。
それはそれぞれがスペシャリストの分野だからではないか。
日本世界問わず最も有名な野球選手の1人といえるイチローも三冠王には成っていない。
ゴジラの愛称で親しまれた日本屈指のパワースラッガー松井秀喜も三冠王には成っていない。
マニアックな例えだね。
うん。 じゃあ、
「八代将軍吉宗」徳川宗翰 役 「GTO」吉川のぼる 役 「ごくせん」内山晴彦 役 「花より男子」花沢類 役 「クローズZERO」主演 滝谷源治 役 「岳-ガク-」主演 島崎三歩 役 「ルパン三世」主演 ルパン三世 役 「信長協奏曲」主演 織田信長 / 明智光秀(二役) 役
1人の人間が兼ねるようなもの。
と言えばいいだろうか。 かなり大げさであるけれども。 言いたいことの視点を分かり易くするために誇張が過ぎるのは否めないところであるれども。
小栗旬とビスマルク?
ともあれ、
「異なった三つの頂点を極める」
というのはまさしく困難で、あたかも法外な重量を背負ってその重心を失わまいと務めるが如くだよね。
難しいってこと。
英国のクラシック三冠馬 -もう半世紀近く現われず-
本場英国の牡馬クラシック三冠馬は、 1970年にニジンスキーが無敗で達成して以来今日に至るまで顕れていない。
アメリカの三冠馬 -37年ぶりにようやく-
片や主流コースがダート(砂)で行われるアメリカ競馬の三冠馬はなんと、 2015年度にアメリカンファラオが37年ぶりの三冠馬となった。
伝統
「伝統」というものを説明できる人もそう居ないと思われるある種謎な言葉。 もっと正しく言えば「その価値」。
よくゲームや漫画では「伝統がなんだ!」といったようにそれまでの常識を主人公特有のパワーでいともたやすく破ってみせたり、 常識となった伝統に犠牲に捧げられるヒロインをこれまたいとも簡単に助け出す。
「伝統がなんだ!お前はお前だ!」
そんなものを観たり聞いたりしていると、その「常識や伝統」とやらには全く価値が無くてただ重いだけの存在のように感じてしまう。 あまりにも簡単に軽んじられるものだから。 まるで主人公以外の人間はあまりにもバカで主人公の視点が天才過ぎるが如く。
しかし実際には、 常識や伝統というものはとてつもなく巨大なのだ。 自分の所属する世界、 学校や職場の価値観に異を唱えることがどれだけ無謀かを思い致すだけで理解できると思うけど。
良くも悪くもとにかく大きい。
現実では。 良くも悪くも。
三冠の価値 - 本場英国では堕ち、米国では走れない -
本場英国(或いは欧州)ではクラシック三冠の価値は激減している。
最も古いセントレジャーステークスの価値が落ちているのである。 まず近代スピード競馬と呼ばれる時代によって競走馬の距離適性が分けられ、 それらは特に中距離を主戦場にしていること。
そして同じ時期である秋には凱旋門賞というビッグレースが存在することなどが挙げられる。
つまり
「長距離G1なんて獲っても種牡馬として売りにならないし、 凱旋門賞に勝ちたい。」
というような事になっている為、 そもそも挑戦馬が非常に少ないのだ。 (居るには居たがやはりそもそも3つ勝つのはハードルも高い)
故に「クラシック三冠」の存在価値は形骸化している。 セントレジャーではなく、エクリプスステークスを三冠にしてしまおうか等という話まであった。 つまり三冠馬という名前はそれなりな価値があるから、 もっと挑戦なり達成なりする余地を持たせるために別の競争をそれっぽくしちゃおうということか。
つまり価値が低くなってきた。アメリカの三冠は同期間に立て続けに開催されるために、3歳馬はとりあえずそのレースを目指す。
それだけに参加率も高いのだが、 それでも37年間三冠馬が出なかったのは驚きもあり、また納得もするのだ。三冠は難しい。
アメリカ三冠レースはたった5週間の内に3つとも開催される鬼のようなキャンペーン。
三冠はもとより三つともを走る馬がいればそれだけで賞賛されるタフ過ぎるレース群なのだ。
つまり走ることすら難しい。
日本の三冠は今なお尊重されている。
欧州は英国、仏国、愛国、独国、伊国が競馬を開催し、多くのレースがある。 とりわけ競争力の高い近中距離戦も多い。選ぶレースが豊富である。 日本は島国で、 海外輸送には多大の労力と疲労が伴うため必然的にその殆どは国内戦。
ガラパゴス化といえば今風かもしれない。 ※他と隔絶した環境下で独自の生態系を持つガラパゴス諸島になぞらえて、 グローバル化の流れの中でもやはり独自な文化を持つ日本の特徴をそう呼ぶとか。
そのために3歳の若駒たちが目指す大舞台は、
おとこ馬(牡馬)なら皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三つが当然になる。
後にNHKマイルカップという短距離戦も整備されたが、 何にせよそれらを外せば、あとは成熟した歴戦の古馬を相手取るしかなくなるのだから。
100年を越える歴史を持つ古馬戦の最高峰が一つ『天皇賞秋』を3歳馬が勝ったのは1996年が初。 世界では近代スピード競馬が疎外した長距離G1菊花賞も、その勝ち馬からの出世も多い。 春のクラシック戦線を戦った馬たちが夏の休暇にある頃、 デビューや仕上がりの遅くなった馬たちが夏を走り、最大目標とするG1でもある。
それだからか、
日本のクラシック競争は三つとも未だ目標であり得るといえるね。
春クラシック二冠馬の道
1941年セントライト三冠達成
「クモノハナ」1950年 菊花賞2着
「トキノミノル」1951年 破傷風により菊花賞前に死去
「クリノハナ」1952年 故障で不出走
「ボストニアン」1953年 菊花賞2着
「コダマ」1960年 菊花賞5着
「メイズイ」1963年 菊花賞6着
1964年シンザン三冠達成
「タニノムーティエ」1970年 菊花賞11着
「ヒカルイマイ」1971年 屈腱炎で不出走
「カブラヤオー」1975年 屈腱炎で不出走
「カツトップエース」1981年 屈腱炎で不出走
1983年ミスターシービー三冠達成
1984年シンボリルドルフ無敗三冠達成
「トウカイテイオー」1991年 骨折で不出走
「ミホノブルボン」1992年 菊花賞2着
1994年ナリタブライアン三冠達成
「サニーブライアン」1997年 骨折で不出走
「ネオユニヴァース」2003年 菊花賞3着
2005年ディープインパクト無敗三冠達成
「メイショウサムソン」2006年 菊花賞4着
2011年オルフェーヴル三冠達成
「ドゥラメンテ」2015年 その行く先やいかに……。
まずこれだけの春二冠馬が居て、「こんなに居るのか」というより、
「これほど達成できなかったのか」
というところ。
とにかく故障による不出走、
そして敗けてしまう壁。
ガラスの脚
トウカイテイオーは無敗の2冠を達成して王手をかけたが、 骨折により菊花賞へは走ることすら出来なかった一頭。
何にせよ故障や不出走にも一頭一頭のドラマがある。
距離適性
ミホノブルボンはスタートからゴールまでを 常に先頭で駆け抜けた超特急のスピードホースだった。
ネオユニヴァースは若き日の鞍上ミルコ・デムーロに導かれて 21世紀最初の三冠挑戦馬となった。
何にせよどんな敗戦にも一つ一つのドラマがある。
春二冠馬が生まれる時、距離不安が話題となるのは近代になってからだろうか。 スピード競馬によって磨かれた速さは、ステイヤーたちのそれをいつも中距離では突き放してきた故に。 「長距離で勝てるんだろうか?もうそんな風に作られてはいないのに…。」
しかし、
『短・中・長のすべての舞台を勝ってこそ究極のサラブレッド。』
それが最初に三冠が持たせられた本来の意義。
ゲームとは違うのだから全てが一発勝負。 距離適性など全てのことは分からないし、他の路線を行けばよかったかもしれない。
その暗闇の中で、である。
二冠を達成した馬たちは全て、
クラシックロードを歩いたし、
また歩こうとしたのだった。
引用
『全て遠き理想郷』
デムーロ騎手の母国であるイタリアにも、 かつてはイタリア2000ギニー、イタリアダービー、イタリアセントレジャーからなる「イタリア三冠」が存在し、 Niccolo dell'Arca(1941年)、Botticelli(1954年)の2頭が完全制覇を果たして三冠馬となっている。 しかし、世界的な三冠体系の衰退のあおりでイタリアでもこの概念は形骸化し、 ついに1996年にはイタリアセントレジャーが廃止され、イタリア三冠自体が消滅してしまった。
略ー
あまりに困難なるがゆえに、 本場では誰もがあきらめ、 忘れ去り、 そして本当に失われつつあるサラブレッドの究極形。
略ー『後生へ伝えること』
だが、私たちは忘れてはならない。 新世紀の競馬界に初めてクラシック三冠という王道を甦らせ、 私たちにクラシック三冠の意義を再認識させたのは、 まぎれもなくネオユニヴァースの功績である。 確かにネオユニヴァースはその最後の段階で敗れて夢を果たせなかったが、 選別の結果として敗者が生まれるからこそ、勝者はより美しく輝く。
20世紀最後の年に生まれたネオユニヴァースは、
「三冠」という王道に挑み、
そして敗れた。略ー
それが困難なものであればあるほど、それを成し遂げることはもちろんのこと、それに挑むことの意味もより重いものとなる。 だからこそ、新世代の星たちよ、願わくば知ってほしい。過酷な王道に挑むことの美しさを。その王道の果てにある物語だけが持つ重みを・・・。
2015年現在、
春のクラシック二冠を制した日本のサラブレッドで王道から逸れた馬は一頭も居ない。
三冠競争が始まった1939年から一度も一頭も居ない。
これを『伝統』と呼ぶ。
聖火のごとく受け継がれてきたもの。
「賞金を稼がせるつもりならまだ使えるのを、 惜しげもなく引退させてしまう。ああ云う所は実に立派だ。 天下の名馬も、彼の如きに認められて、はじめて終わりを全うし得るのかも知れない。」
セントライト
クモノハナ
トキノミノル
ボストニアン
コダマ
メイズイ
「シンザン、どうした。三冠はもうだめだ。」
「俺は目が見えなかった。
お前がこれほどの大物とは知らなかった。」
「コダマはカミソリ、シンザンはナタの切れ味。ただしシンザンのナタは髭も剃れるナタである。」
「シンザンを超えろ!」
タニノムーティエ
ヒカルイマイ
カブラヤオー
カツトップエース
「驚いた、もの凄い競馬をしました。 ダービーに次いでもの凄い競馬をしました。
坂の下りで先頭で立った9番のミスターシービー!」
「ミスターシービーはボクのアイドルでした。」
「競馬には絶対はない。
だがシンボリルドルフには絶対がある。」
「イギリスでもこれだけの馬はちょっといない。ヨーロッパに遠征したときは、ぜひ私に乗せてほしい。」
「あの馬はバケモノだあ。」
「日本でもうやる競馬はありません!あとは世界だけ! 世界の舞台でその強さをもう一度見せてください!」
ミホノブルボン
「じゃあウチの馬に乗ってダービーを勝ってくれないか。」
「この馬は、兄を超えますよ。」
「まず2000メートルの競馬を走って勝って、 そのまま別のメンバーと1000メートルの競馬をやってブッちぎったようなもの。」 「全然勝てる気がしない。ナリタブライアンに負けても仕方がないと納得してしまう。」 「ナリタブライアンなら、もっとすごい勝ち方をしていたはず。現時点でもナリタブライアンの方が上。 あの馬の強さはケタ違い。」
「弟は大丈夫だ。弟は大丈夫だ。」
「ナリタブライアンは理想の馬だな。 ああいう馬を作りたくて苦労してるわけさ。 馬体のバランスも、筋肉の質も、走り方も、すべて理想にかなってる。」
ナリタブライアン
「ブラックタイドの下に乗りたい。」
「この馬、ちょっとやばいかも。」
「いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。 走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」
「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」
「時代が悪かった。しょうがない。」
ディープインパクト
「当時はイレ込みが凄くて、競走馬になれないかと思った。」
「謙一とオルフェーヴルを信じている。」
「オルフェーヴルという 人を魅了する力強い馬がいたことを語り継いでほしい。」
オルフェーヴル
幾千のドラマを産んで、 あの皐月をみて、
あのダービーをみて、 あの菊をみて、
あの三冠をみて今日までが創られている。
三冠を往くというのは、
その物語の中に自分たちも登場させたいからなのかな。
あの感動の中に入って行きたいから。