ニートの新未来。その将来は金かクロムかニッケルかエルロンド卿か。
「このようにして人生を謳歌することが出来るとすれば、それは“新たなる生き方”としても活用される。」
それが新種ニート理論なのである。
それは「低収入で人生を謳歌するライフスタイル」。
「人材活用」の最後の道。
NEET(ニート)の原義は『人材活用政策』の対象名。
「若者」=「やり直し可能な人材」=「だからまだまだ見捨てず教育ができるようにしましょう(英国)」
参考「【Newニート論誕生】低収入で人生を謳歌するライフスタイル。我々はそんなには求めない。だから我々からそんなにも奪うな。」
そもそも欧州はグレートブリテンにおいて我々ニートが誕生したのはこのことであった。
すなわち「人材活用」。
そして新種の底収入ニートの定義はこれに同じくするものである。
ニートが本来持っているその「可能性」と「未来」と「将来」の行き着く先の価値とは。
ずばりニートを活用すると未来的にこうなる。
【個人的価値】これによって『ニートがよく生きれる』ようになる。
およそどのような状態からでも活動が可能となることで、『人』として、あるいは『自分』としての人生をまっとうする『精神状態と期間を持つ』ことにもなると信じる。
「ニートだからよく生きれない」だなどとはならない。
結局のところ人はいつか死ぬわけであるのだから、
「人生の目標に向かって、経験をして、そして死ぬ」しかないわけである。
そうであるのならば限られた時間の中を「どう生きるのか」ということにしかなりえず、それだからこそまた、ニートという状態ですらそれくらいのことは可能であること。
工夫次第で「活動し、生きがいを見つけ、行動し、うまい飯を何回か食べ、何回かよく寝て、何事かを経験し、そして死ぬ」ということは十分果たせる期間を得ることが出来ると。
すくなくとも我々の認識としてはそうである。
よって、「社会に溢れ出す無力者が減る」であろう。
こういった個人の「生き方をまっとうする」道が拓けることで、「世界」としてもこういった効果が期待できるのである。すなわち
「何もできない存在が世に一斉に溢れ出ることによる“北斗の拳状態”回避。」
このようにしてそれを懸念するがゆえに行われる社会保障費増大や、究極的な社会破綻である“北斗の拳状態”なゼロサムワールドの発生を食い止めることになる。
「ただ働け」とばかりの無用な対策では効果がなかった、
われわれ無職ひきこもりニートたちにも、
「それならば自分なりの仕方で進んでいけ」という指標が生まれるのである。
それが、
世に一般に言われるような「末路」などではない、
ニートの持つもう1つの「未来」に到達せしめる。
黄金の生きかた『やるだけやったか。』
参考「【ニートの極意】やるだけやったか。」なぜならば「可能性」があるから。
その状態からでも自らの望みに行動できる可能性があるからである。
やがて活力が生まれ、行動力が生まれ、何事かを覚え、スキルとなり、実績となり、あるいは収益となり、最低限度の生活費が賄えるくらいにはなるかもしれない。
そのなかで、その現実の中で、自らの何かしらの望みを実現できる様になるかもしれない。
とにかくそうしていれば人生は忙しい。そして究極的なことを言えば、その志半ばで家というパトロンを失ったとしても、
人生に対する満足感は存在するはずである。
「自分のやりたいことが出来た期間」を持てることはすでに幸福であると信じる。
どうせ効果がないなら別ルートを征くが良い。
ただそうして立ち止まっているよりは。
これは遥かに建設的で期待の持てる行為である。「ただ働け」とだけ圧力をかけて追い立てていくことよりも。
「それで動くもの」と、
「そうでない者」とが在り、
そして「そうでない者」がただそのまま立ち止まっていて無力者となり、その価値をただただ失墜させていくよりは、
このような考えのもとに動いていくということは。
「ただ働け」とだけ圧力をかけて追い立てていくことよりも圧倒的な価値があると信じる。
参考「【ニートの極意】やるだけやったか」
あるいは戦略予備としてもこのことは重要である。
基本ヒマだから家の掃除もできるというもの。
「予備兵力」とは戦争において用いられるスーパーサブの兵力であり、開戦のさなかにあっても待機して英気を養っているのである。
ナポレオンの如き軍事的天才を持ってすらその戦局はすべてを見通し難く、
万事に備えて、そして最大の好機に投入する戦力の保持としてそれは保全される。
そしてひとたび戦機が訪れるや投入されて遂には勝敗を決するという決定力を有するのである。
「黄金の生きかた」はこうなればアップ運動みたいなもので、世界に突如そんな予備戦力の投入が必要とされた際の予備役的な状態でいられるという非常に重要な任務でもあるのである。
嫌なことはしないけど。
参考「働かない働きアリ集団存続に必要 働きアリだけは滅びる」毎日新聞さま 参考「働かないニートに意義がある」id:rayban73 さま
【世界的価値】これによって『ニートからイノベーターも期待できる』ようになる。
無職ひきこもりニート的な人材層から、スティーブ・ジョブズの如きイノベーターが輩出されるやもしれない。
HAHAHAHAHA!!!!!
とはいえ、
しかし、
そうそうわかったもんじゃないのである。
『新たなる鉱脈』の誕生。あくまで人材は人材。
「最も感じやすいものだけが、最も強くなれる。同時に、その心を固い甲羅で包んで守ってやらねばならない。それがしばしば重い荷物になるとしても。」
ゲーテ
考えてもみれば、
ただ「無職でひきこもりでニート」というだけである。
それだけである。このライフスタイルによって邁進し、人生を経験していく中で、であれば、
成長も可能である。
とすればそれはただの人材である。人材層である。
「ニートの問題」とやらをクリアしてしまいさえすれば、それは個性のある人材である。クリアしなくとも人材ではあるところにきて、
これらの不都合を対策してクリアしてきたというのだから尋常ではないのである。
「ニートは才能がある」と主張しているのではない。そのままの意味で単純に「人材層である」と主張しているのである。
そうであればあとは単に「確率」の問題なのである。
単純に人材層の分母が広くなるという主張なのである。
狭く小さい土壌から採掘するよりも、広大な鉱脈から掘り当てるほうが『金』は産出するだろう。
すくなくともそう考えはするだろう。勿論、その場所が適当でないのならばどれだけ広くてもどれだけ掘っても一つも出やしないだろう。逆に見込みがアレばどれだけ狭くとも産出する。
たしかにアメリカのゴールドラッシュのようにラッシュするポイントはある。
だが実際問題それがどこかはわからない。
「経験的背景」=「固有の鉱脈」=「フロンティア」
アメリカ人、日本人、フランス人、インド人、無職ひきこもりニート
などなどそれぞれの文化的背景や、経験によっても変わるだろう。それぞれ特有の感性や特徴によっても、
発想や生み出すものは変わってくる。
だがそうとなればニートだって、いや、こうしてやってきた新種のニートだって、その特有の経験を持つという点では非常に希少だ。
無職でひきこもりなニートという鉱脈。
そこから『金』が産出されないだなどと誰が言えようか。
もし出るとすれば、
それは単純に世界にとって、
これ以上もないほどの人材活用になるだろう。
そしてそれはニートの未来と将来も変える。
『金じゃなくともいい』というこの世界の多様性。
そして何も『金』が産出されずとも良い。
要は、
「何かできる存在」
があればいいのである。
鉄だったり銅だったりクロムだったり
なにかに使える性質のある物がそこにあるなら使えばよいのであるから。
ニートの未来も将来もその価値次第。
何かできる存在とはそういうことであると此処に信じるものである。
ニートはニートであることを辞めるわけではない。
【個人主義的だし】ニートが集まって何かするわけではないのだと思う。
「ニートが寄り集まって理想郷を形成するんだ」ということはない。
人材レベルが向上したからといって「ニートが寄り集まって理想郷を形成するんだ」ということはないと思われる。我々の見解としてではあるが。基本的にニート気質というものは
「個人主義的で、ひとりで浸ってる方が性に合っているのが基本」
であるように思うのである。重ねていうがあくまで我々の見解に過ぎないにせよ。
勿論、何かとのつながりをまったく忌避するものではなく、しかし、かと言って密なつながりは消費が大きいというわけで、
いわゆる「ゆるくつながる」という程度が最も適切な距離感になるような種族なのではないかと我々は考えているからである。
これには同意せざるを得なかった。
つまり、集まっても連帯感は基本的に生まれないんですよ。そこでね、現実との接点っていうのをね、いきなりそんなリアルの顔見知りとかいう濃い関係を期待するのも難しくって、別にみんなで集まってゆるい連帯感を感じてればそれでいいんですよ。だってコミケだってそうじゃないですか。
参考「川上量生氏「ニートを日本の資源にしたい」 ネット文化先進国・日本の進む道とは?」ログミー さま
なぜならば自分自身がそうだったから。
ツイッターをしても、ブログをしても、YouTubeをしても、
基本的には自分主導で動いている。
ただそれなりに影響していることには満足したり、しかしそれほど密に大した意味もなく関わるということは求めていない。こういった関係は自然の中の自然であるべきだと考えるし、
密に繋がるなどという場合はオンラインゲーム上で同じ組織に属するか、同じ仕事や目的に向かって共闘する、
などでなければその必要性を認められないのである。
近中距離戦が最も苦手なのである。
遠距離なら気にしない。中距離戦なら共有するもので雰囲気を楽しめる。近距離なら連帯感も出よう。我々にとっては、
この当たり障りのないライトミドルレンジの関わりこそが最も苦痛なのである。
そんな高度の社会性を全面に押し出すことができたなら「ひきこもり」という形態を採ってはいないのだ。
ニートだからといって、自然性の権化ともいうべき「友達」などというように、共有するものなどそれほどはないのである。
それとこれとは別なのである。
ニートの苦悩も痛みもそれほどにパターン的ではなくて、かなり固有のものも多いし、と言うかそういったものの共有は退廃的な関係しか生まないことが多いし、
個人の趣味となればさらに千差ある世界なのだ。
革命運動など一時的に熱狂するシロモノなら別だが、
ゆったりとした基本生活体系の中においてはやはり自然なつながりこそが価値を持つのである。
故に結局のところ、
「ニートが成長を遂げてよく生きれるようになった」
からと言っても、それは大体が
「自分主体な活動の範囲に収まる」だろうし、
またそういったものであると言える。
すべてがこの限りでない事はわざわざ言を持つべくもないが。
そしてつまりニートはニートであることを辞めるわけではなくて、
ニートとして進化するのである。
【イノベーターニートなら】銀河の中心を生み出す。あるいは星の1つとして形成する。
だから、ニートは、別にニートを集めるわけではないのである。
あくまで「自分はニート出身」というだけで、
それはあたかも「アメリカ人」や「日本人」や「インド人」や「ドイツ人」や「ニート人」があつまって何かするという具合なのである。
あくまでその人が固有に生み出すパワーに、
それを必要とする存在が集まって、
あるいは自分がそれに集って、
さながら銀河のようなコミュニュティを形成するという具合なのである。
別にニートだけで寄り集まった銀河ができるというわけではないのである。
なぜなら先に前提しておいたように、
ニートはニートであることを辞めないからである。
イノベーターニートは『力』があるから参画できる。
しかしいくらニートの本来的な気質が個人主義的であるとはいえ、イノベーターニート的な存在にまでこれを実際的なレベルで適用することはない。
なぜならこのようなニートは力と自信を持っているからである。
彼は遂に何事かが出来る存在となって、
さらにはそれが世に認められることで、
そしてまた求められる価値となって、
また実績となった経験が彼の精神を推し上げるのである。
つまりこのような状態であればコミュニュケーションのハードルも下がり、他の人種との関わりもそれ以前よりは格段に図りやすくなるからである。
こうとなればニート気質であることなどはなんの弊害にもならないであろう。
いわゆる「NEET-HAI(ニート・ハイ)」状態である。
人類のスタンダードになるわけではない。
「200年後のワールドスタンダードな人類のライフスタイル」
などと銘打ってはいるが、基本的にそれはない。
あくまでも「200年後のワールドスタンダードなニートスタイル」である。
やはりこの道はリスキー。危険極まりないので普通の人がやってくる環境ではない。
参考「底収入ニートの悲哀とジレンマと。」「家ストレス」だけ見ても明らかなように、通常であればこのような不都合的理由から自由を求めて一人暮らしなどに飛び立っていくものである。
我々のそれはあくまでもひきこもりの結果、「そうなった」というわけである。
そして「そうなったもの」が「よく生きて死ぬため」の、引き返してなんとか復帰する道と対をなす「最良の道のさいごの1つ」というわけなのである。
親が死んだり家がなくなったりすれば直ちに破滅へ直結する環境なのである。
ぞろぞろと好き好んでやってくるべきところではないのだ。
「そうしなければ他に道はない」という我々のみが戦う道なのである。
全てはそうして限られたときの中で最良の生き方をし、
「遂には運命をこじ開けるか、敗れるかしよう。もう宙ぶらりんだけはゴメンだから。」という黄金の旅程である。
ただ、『「低収入(月数万)」でも人間的な生活が可能』という点だけは世界的価値。
そうなると各労働業界において「稼がねばならないハードルが下がる」ので、
一人ひとりに負担がかからないような人材状況になる。
それはひとりひとりが独立して一家をつくって「ひとりの大黒柱がその家庭を支えることなく」、
「家族単位」なある程度の共同生活が実現する。
「多くの人々が家賃をフルプライス払わなくて良い」し、「光熱費などのエネルギー量も低減」が可能だから。
そして「ただ生活のためだけに労働をする時間」が大幅に減少する。
かもしれないね。
だからか、同時に人手不足の運送業界なども変わるのではないかな。
その仕事だけで一家の大黒柱的な給料を貰う必要が無いのだから、バイト感覚で短期参入してくる者が増えて、これらのフリーター的な人手不足も解消するかもしれない。
もしかしたら。
それが「低収入で人生を謳歌するライフスタイル」の社会的な価値でもある。
「200年後の未来」=「ニートが動きやすい稀有な時代。」
200年後の世界ではテクノロジーの進歩によって、「世界の構造」が大幅に変化している。
すでに今現在でもそうであるように、人間の生活スタイルというものや、世を覆うパラダイムな空気感は、その次代の技術によって変化していく。
力仕事主体の時代から機械が導入されて女性や子供が労働市場に進出したように、
高度経済成長期に日本の「労働の鬼リーマン」たちの神聖労働観が蔓延したが、
やはり大幅な技術革新によってこれらの気風が様変わりするに違いない。
たしかに物事の本質はいつも変わらないけれど、
たしかに変わるものもある。
いや変わりやすくなる。
航海技術の進歩が大航海時代を生んだ。
そして世界は広がり、
その衝撃が宗教世界に封じ込められていた扉を開いてヨーロッパ中を駆け巡った。
イタリアではルネサンスが引き起こって「裸の命輝く芸術文化」が再生された。
神との新しい自分なりなつながりを持つプロテスタントが誕生した。
それまで対イスラム戦争に明け暮れていた世界が欧州大陸同士で覇権争いを起こした。
あるいは日本でも明治維新の軍事クーデターによって徳川250年の世が覆った
「今までの当然のものが変わる」
という体験が日本の世の中に、ヨーロッパを席巻した「市民革命という風」を吹き入れさせたのであった。
そして人間たちの興味が「物理的な欲求」から「精神的な欲求」へも大きくシフトしている。
働けど働けど飯を食べていくのが精一杯で、
それ以外は何も出来ない労働社会。
いやそれすら困難になりつつある時代は、
すでに労働の鬼たちすら絶滅の危機へと追いやっている。
そして人間たちの興味が物理的な欲求から精神的な欲求へも大きくシフトしている。
古来から連綿と続き、遂にはローマ時代に頂点を極めた覇権争い。
やがて、戦いに次ぐ戦いの無常な世界に絶望した人類は、
神の支配にその運命を委ねたが如き疲弊の観を呈している、
現代労働戦争社会。
労働に次ぐ労働。
そして、
面接に次ぐ面接。
こうとなれば流石に「ただ働け」とは言っていられない時代も来ようというもの。
ロボティクス時代はその手始めにスーパーやコンビニからレジ打ちという仕事を奪うだろう。
太陽光発電や地熱発電風力発電のパワーが高まって、
あるいは水素社会が幕を明けてオイルマネーは回らなくなり、
中東を中心に社会不安運動が増大する。
宇宙時代となればもう何がなんやらわからないといった具合。
働いても手に入らないなら、
それ以外の方法で、
それ以外のものを。
将来、世界の「普通」や「当たり前」が揺らぐ時がくる。
そのときにすでにニートは誰にも気にされないだろう。
ニートのことなどもはや珍しくもないはずだ。
なんだかんだとただ働く存在ばかりではなくなっていて、
何が普通かなんて定まっていない時代なのだ。
社会構造が一旦収束して停滞期に入る際にようやく新たな時代の「普通」が定着するだけで、その過渡期において、
それはない。
普通も当たり前も測れない時代。
ニートが動きやすい稀有な時代。
「ニート」は、今日の日よりもよくそれを生きるであろう。
2000年後の将来ならさらにわからない。
もうここまで来たらさらに予想だにしないことが数々と起きていることだろう。
ひょっとしたら人類は「死すらを克服」しているかもしれないのだ。
人類が存在していたとしてだが。
死ななくなった人類。
生物学的な「死」も、所詮は化学的な出来事の中で起きている以上、科学の力でもってこれに介入し、ついにはコントロールすることだって理論的には可能なのだろうから。
「死」は人類が恐れる最恐の恐怖の1つであるとともに、
最高の救いの1つでもあった。
そこには人類が生み出してきた数々の哲学や思想や宗教がある。
そして自然が美しいというのならば、
この円環する大自然のなかの「最終美」に相当する概念である。
終りがあるから始まりがあるのである。
そんな「当たり前」すらどうなっているのか判らない世界なのである。
面白いよね。
とはいえ『この生き方(底収入ニート)』は危ないんだよ。重要点はこの2つ。
当たり前な話ではあるが、いくら
「低収入ニート実家住まいで知的欲求活動をテーマに人生を謳歌して生きて死ぬ」
というライフスタイルであっても、
家がなくなったらその時点でゲームオーバーである。
だから重要なことは結局のところ次の2点である。
「それまでにチカラをつけること」
「それまでに悔いのない人生を謳歌してやるだけやること」
この2つである。
それまでに、
「あの運命」がやってくるまでにチカラをつけて対抗すること。
「あの運命」がやってきたときにやるだけやっておくこと。
そうであるなら、いや、そうでなくとも「人生はけっきょく死に至る」だけなのだから。
その間にあるのは『経験』のみである。
チカラをつけてまだまだ先へ進んで死ぬか。
やるだけやって自分の人生の経験をして死ぬか。
それだけなのだから。
とりあえずにせよ我々が生きている時代においては、幸か不幸かいまだ「必ず死ぬ」時代である事を忘れてはいけない。
これにて「禁忌」に名前を与えたり!!!!!
「ニート」と「底収入」のハイブリッドなライフスタイルを持つ存在。
人呼んで『ハーフニート(半ニート)』という。
それは「もうすでにどこかしらで誰かしらが名乗っていたり呼ばれていたりしているだろう名」であり、逆に言えばそれほど自然に古来から存在して紡がれてきた、
隠れた種族の禁忌の名。
ニートからも疎まれ、労働者からも軽んじられる存在。我々は、「その忌むべくもこの世がある限り確かに産まれいづる存在」に、先人たちがごく自然に呼び習わしたこの名に、
このようにして「いっそう明瞭で確かな性格と意味」を与え、
ここに堂々と名乗ることにする。
シリーズ【Newニート論 ~低収入で人生を謳歌する生き方~】
①Newニート論誕生!②半ニートが困ること
③半ニートと他種の違い
④半ニートの未来