あらすじ(1994年公開)
妻殺しの罪でショーションク刑務所に終身刑のお勤めをすることになった銀行家のアンディ。壮絶な刑務所ぐらしと、囚人仲間レッドたちと見るショーシャンクの空は如何に。
みどころ
「道具が手に入りすぎる。」
なんでも手に入りすぎじゃねこの人たち。
ってくらい色んな物が持ち運ばれすぎている刑務所「ショーシャンク」。
嗜好品はまだしも普通にハンマーとかロープとか完璧な凶器やないの。
昼食のサラダに出てくるドレッシングの油を抽出してランプをつくるとかチキンの骨を削って尖らせて持っておくとかそういうことはあまりしないで外から普通に輸入してしまうリッチなショーシャンクの囚人たち。
たしかにそれが一番。
メインキャラのレッド(モーガン・フリーマン)は調達屋としてその辣腕を振るう。
勿論、
それが通用するのはこのショーシャンクの塀の中だけだったが。
はい、
「ショーシャンクの空に」という映画は稀代の名作として映画史にその名を刻んでいるという。
興行収入こそあまり無かったが、
映画を観た人たちの口コミによってその評価を今日も伸ばし続けているという。
雨に打たれてハイになッて「ウィリイイイイイイーーー!!!!」している画が有名。
でも自分はそんなにでもなかった。
だってこれ自分の状態やもん。
この話知ってるもんね。
オレのやつやもんね。
あとプリズン・ブレイクも知ってるもん。
プリズン・ブレイク知ってるとちょっと印象が薄くなるのが困るところ。
モーガン・フリーマン”レッド”の述懐で物語が語られるところは小説的で落ち着きながら、「事」を「読む」ことができた。つまり「本」がそうであるように、「考えさせられながら」観ることができる点がとてもイイ。予算が低いと必然的にとられそうなスタイルかもしれんけどね。
シゲキ
オレの刑は何年だろう。
27年か、13年か、2年か、一生か。
自分の家に居る割合は9・9割を越える。
自由があっても金もなければそんなに活動もできない。
結局留まることになる。
「出られない」とむしろ規制されれば外の世界に憧れようもあるけど、
「出られる」となれば意外と出て行かない。
多分一人の人の行動半径をたとえ2キロとしたところで殆どの人は困らないことだろう。
あくまで「出て行ってはいけません」と言わなければ。
殆どの人はあまり出て行かない。
行ったところですぐ帰ってくる。
そんなものじゃないか。
地図を見るといつも思うんだけど、
この「点みたいなところ」からオレは27年近く動いていないってことだ。
それが「どう」ってことじゃないけどね。
ただ「そう」ってこと。
動けるのに。
そんなに必要ないからそれはいいんだけど。
ただ「そう」ってだけ。
家の中ならオレは若殿だ。
その家の次男坊。父親の3人しかいない子供の一人で、母親の3人しかいない子供の一人で、妹の2人しかいない兄で、兄の1人しかいない弟。
家の中ならオレはデキる男だ。
近くにネットを使える人間がいないからソレ関係はいつも頼られる。 コピーから調べ物から買い物からネット関係は自分だけしか使えない。
勿論、この塀の中だけのことだ。
「太平洋?おっかねえよそんなでっかいもんは。」
「今はこの塀を頼りにしてる。」
塀から出て「自由」になっても「なにもない世界」では生きる意味が無いってなってしまう人もいた。
50年も塀の中に入っていれば「つながり」は塀の中にしかないわけだから、
外に出ることがたとえ自由でもそこに「つながり」はなくて、
やりたいことがないのだ。
その世界には今まで餌をやっていたカラスもいないし、
ずっと務めてきた図書委員という肩書もないし、
友達もいない。
塀の中では
”調達屋”のレッドも、
外に出れば
”何もできない40年ブタ箱に入っていたオッサン”だ。
でもそれはサメだって陸にあがればただの肉の塊なんだけどね。
囚人に限った話じゃないってのが怖いところだよ。
自分で自分を縛り付けて自分で作った折の中に入っているとほんとにヤバイ。
それはもう「意識の囚人」なんだから。
参考『意識の監獄』自分から勝手に檻の中に入ってきて出てきやしない。あの子もアイツもそこの子も、どうせみんなニート行き。
一仕事を仲間たちとやり終えてビールを飲む彼らは本当に気持ちよさそうだった。
やりがいと生きがいと報酬と分かち合いがある。
やるべきことを与えられてやるべきことをやっているだけの安定。
でも外に出たら何をしていいかわからないし何をやるべきかもわからないしどうしていればいいのかもわからなくなる。
だから何かに依っていたくなる。
太平洋?
おっかねえよそんなでっかいもんは。
って感じで、
大航海時代でも陸つたいに移動するのが常だった。
何も指標がないところに放り込まれるとほんとに何もわからない。
でもそれが最初に手に入れた時の
「自由」
なんじゃないかね。
自分が仕事を辞めた時に手にした「自由」はまさにそれだったから。
太平洋にぽつんと浮かんでいる感覚か。
どっちを向いて
どっちを目指して
どの風をとらえて
どの星を見て
どの海流にのって
どう進んでいくかは全て自分次第。
我が強くなかったらやっていけない世界ではないか。
そうであるなら望むところってわけで、
今の自分にとっては良い環境でもある。
そしてその方向はすべて希望が決めてくれる。
なんとなく泳いでいればなにか見つかるかもしれないし、
見つかればそれがすなわち希望。
自由ってそこから意味を持つし、
価値を持つと思う。
だから金がないからとかしょっぱいこと言って理由つけてないで、
「どんな状況からでも目指す方法はあるし、よく生きる方法はあるんだ」
って思って
「その状況を楽しみたい」
って思わないと。
いつかは死ぬんだし。
つまり、
いいからやりゃいいんだよ。
『レ・ミゼラブル』の舞台フランス革命であそこまで渇望された「自由」も一筋縄ではいかないという『ショーシャンクの空』だったということだね。