あらすじ(2013年公開)
19世紀ヨーロッパは市民革命の嵐吹き荒れる激動の中心地フランス。 パンを盗んだ罪で監獄生活を送っていたジャン・バルジャンが逃亡生活の果てに、生きがいを見つけ出し、辛い世の中を生き抜こうとしたお話。そしてそれはみんな同じだった。神との対し方、教会との対し方、国とは、人の生き方とは、自分自身を取り戻すための自由への行進、レ・ミゼラブル。
みどころ
「ラッセル・クロウの歌声」
ラッセル・クロウの美声が響く。
主人公格の男ジャン・バルジャンを追いかけ回す法の番人ジャベール警部。でも個人的な反省会を開いて歌ったりするかわいい面を持つ今回のラッセル・クロウであった。マール王国の人形姫のやつみたいな。「どうしてわたしはこんなにダメなの~♪」みたいな可愛さね。
なんかいい声だよね。
ラッセル・クロウ出演作を観ることが何故か多かったけど、最後にこんなラッセルを見ることになろうとはね。
今作はミュージカルを完全映画化したということで有名。
最初、「トラファルガー/世界の海を護った戦い」的な映画でもはじまるかと思わんばかりなセットでいきなりラッセル・クロウが歌って「喋る」わけ。
超違和感。
まあ普通じゃあ考えられない違和感とともに開始する本作。映画のセットから歌をうたう役者が物語を繋いでいくその様は当初異様な光景だった。
なんで小説原作を映画化しなかったのかね。
なんでミュージカルの映画化なのか。
ミュージカルなら舞台でやればいいじゃない。
だからこそああいう劇になっているわけだからさ。
それをスクリーンでやる意味。
正直私にはわかりませんよ。
もう幾つかあるからかね。
まあでもみんなええ声してるわ。
というか日本語で歌ってもらわないとダメなのかねやっぱ。
だからミュージカルをみようって!
ってことか。 日本人は。
みどころ
「死んだと思ったら死ぬシステム」
死ぬキャラの理由が全然わからない状況。
なんかそういうシステムみたいよ。
そういうことでハケてください的なことらしいよ。
いやもちろん原作やミュージカルでは説明されるんだろうけど、 なんか端折ったのか全然わからない。 でもなんとなくめっちゃ読み取ろうと集中すればわからないことはないぞ。
シゲキ
フランス革命という「自由」のための時代。
その革命期が舞台として描かれる名作レ・ミゼラブル。 もうナポレオン崩御の後なのね。
ナポレオンによってそれは頂点にまで高められた―
と教わったけれど。 つまりあくまで軍事的な才能に導かれていなければ、戦国期であるこの時代の列強国のオーストリアやプロイセンなどの王府の圧力に敗けていただろうってことで。でもナポレオンが己の権力欲のために彼らを率いたのでここまで大きくなったと。
2万3万で戦っていたところに突如として20万の大群が現れた―
あのベートーヴェンもナポレオンの解放戦争を讃えて捧げるための作曲にとりかかったくらいだった。しかしナポレオンが皇帝に即位すると「この◯▲俗物◆◯が!!!!」と超キレたとか。「けっきょく皇帝になるんかーーいっ!」てズッコケたとかどうとか。
まあナポレオンは別に自由とかどうでもいいんだろうしね。かつて故郷コルシカの独立のために必死で戦って汚された彼にそんなものはどうでもよかったのだろうか。
古代に封印されたものを取り戻そうとした戦い。
日本では明治維新というただの軍事クーデターによって250年以上続いた幕府が終わるという「絶対的なモノの終わり」を経験したことで窓がオープンになった気持ちに、
この「自由」という名の世界を駆け巡った市民革命スローガンの風が入ってきて議会政治的なことまでやりだした。
ドイツのビスマルクは「日本にはまだ議会は早い。それでもやるなら予算審議権は渡してはならない。」と言っていたとか。
そんで実際それを巡って何も決められず薩長側が軍事力を背景に押し進むことにもなって軍閥ができて……そんで軍が……その後……みたいなさ。
そういうことかーー。
そういうのを感じるための映画だったか今回はーー。
でも正直映画ではなにをやっていたのかよくわからなかったよね。 フランス革命あんまり関係ない話がメインやないの。
でもアン・ハサウェイの鬼の歌顔。
ラッセル・クロウの美声。
そんな迫力はあった。
↓レ・ミゼラブルのテーマ「夢やぶれて」を紹介した記事
「 嗚呼、激動の近代ヨーロッパよ。 『夢やぶれて』今、人生は終わった。夢やぶれて。」
予告ムービー
とにかく歌がいいよ。
人々がうたう歌が。
壮大感、歴史観、全て大きく盛り上げてくれる盛大な合唱が。
たましいよ歌いたまえ。