♪『夢やぶれて』
作詞・アラン・ブーブリル
劇・「レ・ミゼラブル」原作・ヴィクトル・ユーゴー
これほどハッキリと宣言出来るだけやりきったのか。 どんな気持ちなんだろうか。 よく人の夢は笑われるけどさ。 だが一個の人間が本気でやって敗けたらどんなでも悔しいだろう。
この「夢やぶれて」はミュージカル『レ・ミゼラブル』のお歌ということで。
最近ミュージカル映画としてもよく話題になっていたね。 ヒュー・ジャックマンやラッセル・クロウ出演なんかで。
フランス革命が背景のお話ということで観ていても良さそうなのだが観ていない
∑(ノ∀▼)ペシッ
ナポレオンのことしか知らん
∑(ノ∀▼)ペシッ
「ナポレオンはネーやミュラーをどう思っていたのだろうか?」
なんてことが実は最近の知りたいことだったりするむらくもさんです。
どう思っててもいいだろてね。
ミュージカルという物をそもそもよく知らないから。
サクラ大戦やって入っていってみようかな
(▽Д▼@ )
嗚呼、激動の近代ヨーロッパよ。 オーストラリアと名前が被るとかで オーストリーになったとかどうとかの栄光のオーストリアがまだ勇躍していた時代よ。
150年この方ヨーロッパを威圧し続けたところの驕慢を再び繰り返そうというのなら、 我々はこのようにして彼の国を打倒する用意がある。
またこれによってしか彼の国は打倒できないであろう。
この様にしてのみ我々はフランス3千万の人口に対する、 我々同盟国側7千500万の自然的有利を活かせるのである。
要するにパリの彼方、ロワール河畔においてのみヨーロッパの安寧は得られるのである。
ただし1814年のシュバルツェンベルグのように、 国境を越えるやいなや一時の略奪のために軍を放射線状に拡散するなどという愚を犯したならば もうなにもかもお仕舞いである。
1814年に最悪の事態にならずに済んだのは、一重にフランス軍の無気力の所以である。 攻撃は力つよく打ち込まれた楔に比せられるべきものであり、 徒に膨れて破裂するようなシャボン玉のようなものであってはならない。……
フォン・クラウゼヴィッツ『フォム・クリーゲ(戦争論)』
と「戦争論」の最後篇である第八篇「戦争計画」で熱弁してたわ~(▽Д▼@ )
クラウゼヴィッツ先生が~。
全然関係ないけど~。
言ってたから~。
なんか思い出しちゃった。後の大戦でもよくフランス侵攻に使われるこのシミュレーション。 そりゃ地理が変わらない以上そんなに変わらんわな。 核より抑止力があるんじゃないかっていう大モルトケが、 人生で最も影響を受けたという聖書とホメロスと「戦争論」。
俺もウケました∑(ノ∀▼)ペシッ
意味もなく。
そこは2007年の日本でした∑(ノ∀`)ペシッ
でも戦争論は軍学じゃなくて哲学だと思う。
我々もまた人生という名の戦争をしているのだから。
だってホラ、この私もこのブログでいろーんなことやりすぎているじゃない。 これこそ正に軍を放射線状に拡散している愚ということだからね。 集中の原則に反しているわけだものね。
不肖の生徒で申し訳ありません先生
∑(ノ∀▼)ペシッ
それにしてもそれによってでしかフランスは打倒できないと言わしめる。 3千万の人口と7千5百万の人口。 この圧倒的差を持ってしても一歩間違えば全く勝てないという。 それ程にフランスの民衆は意気盛んだったということか。
2万3万で戦っていた所に、 突如として20万の軍隊が現れた―
と言われる革命期。
自由。
ってすごいね。 持っていない人からすれば。
自由が無ければ夢にやぶれることもないというのに。
そうしてその権利を放棄した時代も在ったというのに。
「だが人は決めることが出来る!」
とかテイルズでやってそうだな(▽Д▼@ )
よくさ。 まあ今も人それぞれで永遠のテーマ的なことかね。
夢など無い中で「全力」を尽くしたことはもうある。
やる気をもってして「全力」で挑んだ時にどんな気持ちになるだろうか。
悔しいのか
情けないか
恥ずかしいか
みっともないのか
やらなければよかったか
どうだかw