デスペラードな愚か者時代 ニートアカデミア(哲学) 一巻『愚か者よ』

「死に盛りのオレたちへ」のはなし。

2014年3月6日

bandicam 2015-03-10 13-07-18-706
 

「死の一つ」について

ここまでを書いたなら。

最後にコレだけ書いておかなくてはならないだろうと思う。

それは、

 

あまりに魅力的に美しく描かれた世界や物語や物事は

現実で生きる気持ちを失わせる。

 

という事についてだ。

それについてはその通りであろうと思う。

そもそも自分がそうであった。

 

どれだけ魅せられてもその世界で生きていくことなどは出来ないのだから。

これはこういう事に縁のない人からすれば 理解できない事に付いての言及だと思うことだろう。

(その手の人がコレを読むとは思えないが)

 

しかし私などはそういう事があるのである。或いは何かの不幸と重なった末の感情かもしれない。何にせよ、この事は基本的にはその本人の気持ち次第となる。ここまで来たらもうそれしか無い。

 

それでも、

それでも、

「何かしていきたい 」のような、

或いは自分のように変にやる気だけが出てきてしまったような場合、

とりあえずすべてを諦め、

そうしてすべてを捨ててかかると、

こんなクソみたいな世界でも ゲームやマンガの3分の1に満たない世界でも

なにかできることや楽しいことがあるかも知れないと思える時がある。

 

 

それは例えば、

 

死ぬほどの空腹時に飲んだバナナセーキの味だったり、

壮絶な不安感の中で食べたサケおにぎりであったり、

夜明けと共に死を受け容れて、

失うものは何もない、

あとはやっただけ丸儲け。

 

そんなことを思える時がある。

 

 

大事なものを失った時、


もうそれは手に入らないと絶望した時、


とてつもなく落ち込むことだろう。


人はそれで死ねる。

 

落ち込むと死ぬのだ。人は。

 

正直それはそれでいいと思う。それ以外のことをする予定がないなら別にその想いと共にしたって構わないだろう。 万全の人生なんてないだろうし。だからそれをどうだこうだと言う気もないし、それに対する特別な考えもない。

 

「だがそうなったら辛いことはすべて止めることだ。」

 

とだけは言える。

 

なぜならば、意味が無いからだ。

 

死にたくなるほど落ち込むような存在を失ってなお、

一体何のために苦しむというのだろう。

割に合わないではないか。

そうだろう。

 

人類の美徳? 国民の義務? 人に迷惑をかけるとかか?

 

そんな物、 自分がギリギリの時になってまで考える事なわけがない。重ねて言うが、基本は別になんでもいいと思う。都合よくそんなことを理由にして死んだっていいし、自分が良ければ。それが自分の貫いてきたプライドだからとしたっていいし。

 

それをどうこう言う気は全くない。


どんなものであろうと自分の意志で決めたことは美しいと思う。

 

中には、そういうことを視てるのが辛くて止める人も居るだろうし、純粋にその人のことを必要として止める人もいれば、コレまた純粋に自分の正義を押し付けて止めようとする人も居るだろう。それもまたなんでも良いだろう。

 

ただ、自分がなにか言えるとすれば、

それは「辛い」と思っている人である。

 

そういうことならやはりとにかく面倒なことは即刻やめるべきであると言おう。

 

そして楽しいコトをするのだと。

 

細かい言い方になるが、 確かに雑事に追われ忙しいほうが余計なことは考えずにすむという。 それはそれでいいだろうが、 根本的に嫌なことはハッキリやめることだ。

 

合わない仕事なんかはすぐにだ。

何故ならば割に合わないのだから。

 

此処で重要な事は、自分が言いたいのは、生かすためとか、生きるためにとかじゃあない。

「辛くないように」 である。

この場合の自分の立場はココであり、
さらに理由はシンプルで、

「辛くなる必要はない」から。

 

だって割に合わないのだから。

 

人間として立派に生きるのが本当に自分が価値あると思うことか?

社会が決めた人間として立派という姿は自分を責め抜いてまで守るものか?

そのためにまた、

自分を殺すのがそんなにカッコイイことか?

 

そんなに?

 

とにかく辛い時には楽にしたらいいと思うのだ。

それで辛くないようになる。

そしたらまた何かすればいいんじゃないの。

 

何かを失ったのなら整理すればイイし。

得られないのなら諦めればイイ。

殉じたいのなら殉じればイイ。

 

好きにしていいのであって、

こうしなくては駄目だ。

ということは何もない。

 

でもそれが分からないから悩む。

どうしたら楽か。

どう整理したら、

どう諦めたら、

わからなくなる。

 

時にはその辛さでさえ抱いていたくなるというのもある。それが美しいのだと、 それこそ自分がこの事のためにするべき事なのだと。

それが殉ずるという事だろうし。

この気持はよく解る。自分はこの手のタイプだった。 何にせよ自分としては 同じような苦しみを持つ人がいたら なんか言ってあげたくなることは確かに事実である。

 

或いは どうせ死ぬんだったら、

死ぬ儀式でもやって、

死んだ気になって、

新しく生きてみて、

オレの力になってほしいとか思う。

 

意外とこの儀式ていうのは使えるのでね。

 

これで整理できちゃうのだよね。

不思議と。

考えに考えた末じゃないと駄目だが。

 

区切りやきっかけにはなるのだ。

 

自分は全ての「死」について言っているわけではない。

そんなこと知らないし。

 

あくまでも「自分の知っている死」に対してである。

それに対する経験から来ること。

大事なことのために苦しむことは美しくすらある。

それはそれだけそのことを想う証だから。

だからそのために悲しみたいなら好きに悲しめばいいんでしょう。

それ自体はもう好きにやればイイ。

 

 

ただ、

 

 

単に辛い時

こんなことに悩まされる自分に

気づけば自信を失い

こんなことさえどうにもならない

この人生に希望も感じられず

こんなことが永遠につづく気がして

面白いことなど何もなく

ただ義務と責任と見栄のためだけに動いているようであれば

 

それにはもう、
全てを捨ててしまえばいいと言う。

 

自信がないならこれから成長すると思えばイイ。

どんな英雄もそうしてきた。惨めでなかった時など無い。チンギスハーンの家族はネズミを捕まえてなんとか生きながらえた頃があるし、ナポレオンも学校でハブられていたし、バイバルスは奴隷であった。

 

希望がないなら今を愉しめばイイ。

それが基本だから。腹をすかしてプリンを食えばイイのだ。コンビニで。汗をかきまくって水を飲めばいいし。 毎日食ってるクソマズイめしもスゴイことになる。泣きたくなるほどに美味いのだこれが。 いや、マジで。サンジじゃないけど。

 

こんなことが永遠につづく事はない。

いずれ死ぬ。放おっておいても皆いつか必ず死ぬ。つまり、いつでもいいのだ。 だからあとプリン一個食ってからでもいいんだ。

 

死にたくなるほど辛くて希望が無いくらいに何も持っていないというのに、

何を守るのか?

 

義務を果たし、

責任を背負い、

見栄を張って見ず知らずのどうでもいい他人を威嚇するのは一体何を守るためなのだろうか?

むしろ何も無いのがいいんじゃないかよ。

辛くて死ぬよりは、

楽しくしながら死んだほうがいいと思うがね。

 

自分の考えや流儀や美意識に殉じたいというのなら別に何も言うことはないがね。

ただ辛くて死ぬというのはヤだろ。

 

どうしてもというのなら死んだ気になって、

 

死んだ儀式でもやって新しく生まれ変わったら。

 

コレは自分に言ってきたことである。

誰に届かなくても、

 

 

自分を今この場でこうさせているのはこの考えと言葉であったのだ!!!!!

バアアアアーーーーーーーーンンンン!!!!!!

 

 

※自分の体験記! やることない体験記 タイトル画 小 

※これからの生き様を高らかにウタウ。
推して参る。

義に死す トップ画
ゲームからシゲキ(刺激)を得て 動く快感を得て活性化して向かうここではないどこか。
 
”全滅と勝利への歌”
 
を歌います。
 

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★ニートの自伝

 

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やることない体験記

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その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

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