だってそれしかやれることなんかないから。
だってそれはデキるから。
コレ以上に当たり前なこともないってくらいにあたりまえ体操なことを口走りやがりました僕です。
だってさ、
やれることしかできないんだから。
「出来たかもしれない」ことばかり考えるから。
だいたいこの「あたりまえ体操」が必要になるのはそんな時。
なにか漠然と「焦ってしまう」とき。
「後悔」とも、
「望んだ結果でなかったとき」とも、
「あっちにしておけばよかった」
「こっちじゃなかったら」
「アレもコレもソレもやれたのに」
でも出来なかったでしょ。
出来てたらやってるし、
マジで言ってるなら「じゃあやればいい」って話なんだけど、
実際には「やって出来なかった」か「他を選んだ」か。
「できなかった」には理由がある。
その理由を蔑ろにして、
ただ「望んだ結果」を駄々こねしたってそりゃダメだよね。
「理由があるから出来なかった」のであって、
「やれたのにやらなかった」わけではないから。
その場合もあるけどさ。21の時のオレみたいにさ。「なんで今までやってこなかったんだろう。もう明日には死ぬっていうのに」という日々があったけどさ。(これにも理由はあれど)
でも大体は理由があってそうなっている。
やらなかったのは別のことをしたからだ。
「おまえはこれを食べただろ!!」
みたいなことで。
ウチの姪共もよくやってる。
梨のアイスを貰っといて、
弟のチョコミントバーを「えーずるーい」とか。
自分で選んだのによ。
どういうことやねん。
それどういうことやねん。
どういうつもりやねん。
いったん落ち着こう。
ね。落ち着きましょそういうときは。
「おまえはこれを食べただろ?」
って具合に落ち着こう。
そうしていつかは死んでいくのだ。
「ナシのアイスを食った経験」をし、
「チョコミントバーを食えなかった経験」をして死んでいくのだ。
すべてのことはムリなんだ。
信長だって天下統一は出来ていなんだ。
全ては無理だからね。
むしろ「今できたこと」がすごいことなんだ。
欲があるなら動けばいいが、限界もあるから。
限界なんか創るなHERE WE GO!
まあそれは素晴らしいお言葉でありがとうございますというわけなのだけれど。挑戦したい時はいいけれど。
「出来ない」とされることを「やってみて」から「出来なかった」から「じゃあ次どうしよう」
っていう事ならいいだろうさ。
でも「出来ない」し、「動けない」し、「チャレンジすら出来ない」ことは考えるだけムダって話さ。
だって出来ないんだから。
それはもう「過ぎ去った過去」のことであったり、
「もう選べない」ことだったりする。
つまり後悔はするなみたいな話なんだけど。
そう思うなら出来ることは3つだけで。
「忘れる」か「納得」するか「戦略練って再チャレンジ」の3つだけ。
※「再チャレンジ」の対象はなんでも良い。行動の結果から何事かを学んで何事かに活かすという話だから
いま目の前にあって、
「自分が動かせることを動かす」のが一番いいと思うね。
だってそれは動くから。
それは望んだことを得られる可能性があるってことだからさ。