これはあるはずがなかった前回の続き。
その行動については「デスジャーニー」でやっているわけなんだけど、
これから還ってきたのが今の自分の人生でこのブログのおはなし。
この旅についてはまだ書いていない。
だからその理由は「ビビって帰ってきた」でも「やることみつけて帰ってきた」でもなんでも好きに思っていてくれればいい。
とにかく還ってきたということ。
そして無職で、ニートで、人生の価値や生きがいをもって「活きている」。
これは「あるはずがなかったその後」のおはなしなのだ。
もう一回はおわった人生。
もうすでに一度死んでいる身。
理想も現実も希望も絶望も欲も辛さも喜びも悲しさも可能性も、
すべてひっくるめて納得したうえで終わりを決めた人生。
一巡してるんだ。
いわば。
だからこれより先は「なにしたっていい」というあとは楽しむだけという新しいもの。
何かにとらわれる必要もなければ何かと比べる必要もないまったくの別物ってくらいに。
新しい人生。
だからすべて好きなことだけやればいい。
もう一度死んだ身なのだからなにも我慢することも嫌なことを耐える必要もないというあとはやるだけ丸儲け主義的なもの。
いや実際のところは「それまでの人生のこと」だって記憶にあるし、
転べば痛いわけだけど。
でももうすでに死を決めた身がなにを怖がるのかというおはなし。
どうなったって一度死んだ身。
うまくいかなくたって元々なかった延長戦。
じゃあ楽しもうよって話じゃん。
綺麗な記憶、
楽しい思い出、
大事な想い、
偉大なる理想。
全ては一度終わったこと。
すべてはもうそこに置いてきたこと。
もう一度言おう。
すべてはもうそこに置いてきたこと。
一度はフィナーレで終えたこと。
それとこれとはもう地続きではないということ。
今なにをしようとなにがあろうとその世界が汚れるということはないということ。
良い思い出も。
「それがなんなの?」
とか思うかもしれない。
鬱のような人でないならば。
でもソレが恐怖を呼んで動けないってことにもなるのだ。
自分の「今まで」との損得勘定で考えることがあるから。
つまり、
「理想はここに置いていける。」
上手く生きれなかったことなどはもうここに置いていけば良い。
そんなキレイで素晴らしい世界ではないし、
自分すらそんな存在でもないから。
もうこれからは。
もっと気楽に、ハードル下げて、プリン1つでも楽しんで、そういった「地べた」から歩いて行く世界だから。
そういう人生だからこれからは。
だから期待なんかしなくて、
すごい綺麗な理想となんて比べなくて、
でもだからこそ程々で、
やれることをやれるだけやれたらやっていくようなスタンスで、
「歩いていけばいいんだ」って。
何かを失ったのなら整理すればイイし。
得られないのなら諦めればイイ。
殉じたいのなら殉じればイイ。
好きにしていいのであって、
こうしなくては駄目だ。
ということは何もない。
参考『死に盛りのオレたちへ』のはなし。/ゲームをすることで人生を動かすという経験
セカンドバースデーみたいな「産まれ変わる」っていうより、
ただ単に「あるはずがなかったifのはなし」って感じ。
これからのことは。
あるいは「延長戦」とか「ロスタイム」とか「その後のおはなし後日談」的なものだと思えばいい。
「ここああしておけばよかったー」なんてのも、
「じゃあやっちゃえばいいじゃん」
ってプレイできるものと思えば。
だって元々無かった人生なんだからこれは。
なにを気負う必要があるのかって話。
ここでちょっと話が戻るけど、
「鬱」ってのもこんなリヴァイヴァルな良さも持っているのだ。
それ自体は自分のやっている事や居る場所とが合わなかったがために引き起こされた異常なのであって、
だからこそ自分を根底から1から見なおしてやり直すためのスタートだった。
自分にはね。
「無気力」が奪う時間と気づかせてくれる時間。
「鬱」が生む破壊と創造。
「死」の人生に対する恐怖と輝きという二面性。
何でも考え方しだいなんじゃねってことじゃないか。
「理想」という先があると「現実」という今をたのしめる。
次のステージに行くと「行動」というものがある。
生きていれば必ず行動していくわけだから。
いや、行動しない人生は一度終わったんだし。
この「行動」に関しても一度人生を終わらせているとおもしろい。
掛け値無しに理想が持てるのだから。
守るものがないのだから計算する必要もなくただ漠然と理想がもてる。
「本気の理想」じゃなくていい。
だってそれはもう「置いてきた」んだから。
その重圧やプレッシャーや「そうじゃなきゃ生きる意味なんて」なんて比べるようなものではない、
「やれたらいいかな理想」でいいから。
「あれがダメかもしれない、これでダメだったら、あああんなことにさえならなければ…」
なんていう計算をする必要はない。
なぜなら、
もうダメだったんだよ(笑)
だから一回死んだじゃん(笑)
もう死んだ身なんだよ。
それなのに「何か」が得られたらそれはすげえことじゃないの。
元の人生でみた理想を一度あきらめて、
目指すものも一度終わらせた身が、
なにを夢というのかね。
ただなんとなく「やれたらやろう」でいいじゃないの。
いちおう目指し甲斐はあるから。
だからそうならなかったら「全てが終わりだああ」なんて思うのはアホだ。
だって一度全て終わらせてんのに(笑)
むしろこの延長があることそれ自体が奇跡的なことなのだからそれ自体を楽しめるってのがすごいだろうに。
だから理想はもっとこう。
無理そうとかダメそうとかそんなこといまさら計算する必要もないんだからテキトーに理想を持って掲げておいたほうが良い。野望でもいいし夢でもいいし目標でも「やれたらいいなーランキング」でもいい。
理想がなければ今も楽しめない。
なぜならば、比べるから。
理想があれば今をたのしめる。
なぜならばまた、比べるから。
「今」しかない人間はその「今」にすべてを求める。
もう一度言うけど、
先を見ない人間は今もっているものにすべてを要求する。
100円のプリンに人生のすべてを期待するのだ。
「100円のプリンのためになんでこんなに頑張って生きなければならないのだろうか?」
これで無気力鬱号超特急のプラチナ席チケットが手にはいりましたね。
何千文字前のオレの状態に戻るんだというわけです。
だが、
「先」をみる人間は「今」にすべてを求めない。
もう一度言うけど、
先を見る人間は今あるものにはそれなりの要求しかしない。
100円のプリンはそれはそれで美味しくいただけるのだ。
「だってそれがすべてじゃない。まだこれからがあるのだから。 だったらコレはコレで、ソレはソレで、楽しんでおこっーと。」
無限ループイベントからの脱却おめでとうございます。
こういう攻略法でしたお疲れ様です。
だから理想を持ったほうが「良い」と個人的には思う。
なにが良いのかといえば「今も楽しめるし未来も楽しめる」から。
目指すものがないから今がすべてであり、
それに満足できなければすべてがつまらない人生になるから。
そして長丁場に強い。
「続ける」ってことが。
それが良いかはわからないけど。
「今にすべてを求める」ってのは裏を返せば一瞬一瞬を全力でやるということにもなって物事が成りやすいのかもしれない。
でもなぜか、
大体は、
燃え尽きる。
なぜかね。
才能がないからなのか運がないからなのかは知らないが。
なんにせよ一度人生を終わらせたのはその為であったかもしれない。
「できなかった」んだよね。
まあそれができるならやれば?
っていうことではある。
自分には無理だったから自分は自分のやり方でやってる。
でもそうすると今もそれなりに楽しめるし、
未来にも向かう理由が生まれるし、
なんか長く続けられそうなんだよ。
今を楽しめるからやり続けられるってわけ。
そうすると成長する時間も確保できるし、失敗も致命傷にはならないし、とにかく続けられる。
だって好きなことをしてるからそれ自体が楽しいわけだから。
まあ続けてればうまくいくのかはわからない。
それは今やってる途中だから。
ただし理想に押し潰されるってこともない。
だって一度死んでんだし(笑)
そんなに大事なら生前に叶えとけよって話じゃん。
もっと頑張っとけよって。
だがそれが出来なかったわけじゃん。
1から1000まで考えた結果にそれで納得したわけじゃん。
なにが「オレはもうダメかもしれない」なのよ。
もうダメだったじゃん(笑)
ここは「あるはずがなかった世界」なんだよ。
だから平然と「やれたらやろう」でいいんだ。
でもそれなりにはキツイことも辛いこともあるけどね実際は。
だけどいつ死んでも後悔はないかなとは思える。
だって一度死んでんだし(笑)
裏ワザで特別扱いでワンモアプレイさせてもらっているわけだし。
感謝せずになんとしよう。