ニートアカデミア(哲学)

「つなげる」という人類史の高等概念がようやく心でわかった

2017年10月4日

私は常に2年先のことまでしか考えない。

ナポレオン・ボナパルト

 

「2年先のことを考えている」じゃなくて「2年先のことまでしか考えない」というニュアンスだったような記憶でいたらネットでは前者のほうが多かったけれど、もうそういうふうに刷り込まれているからいいでしょう。

 

40歳の自分に仕送りしてる割には。

仕送りは別。

 

 

「今を生きろ」ではしっくり来ないから

 

キャッチーでキレのある名言「今を生きろ」でありますが、「今」を消費していくだけのイメージがなんともやる気を無くさせてしまう。個人的に。

 

「消費するだけならやらなくてよいか」だなんて思う人間だから。

 

 

「未来に生きる」ならしっくり来る

 

「繋がる」気がして。また「目指せる」から。

 

でも未来のことばかりではどうにもならないという現状がある。

 

未来なんて不安要素のオンパレードだ。

 

裏を返せば「期待要素のカーニバル」だなんてこともいえるけど、「大した事が起きなかった今までの人生を経験していると」どうにも思えたもんじゃないし、

 

そもそも「物事を考えすぎるエスパータイプ」には、「あまりにも未来を想像しすぎるのは動けなくなる決定的な原因」にもなる。

 

つまり「未来に生き過ぎても困りモノ」なんだね。

 

 

だから2年先以上のことはほぼ考えなくていいんじゃないか

 

実際には。仕送りは別だし。あくまで実際に具体的に動こうという場合には。

 

とはいえ大雑把なイメージくらいは必要だろうし、というか考えずにはいられないだろう。

 

だからこそキホンは「漠然とした良いイメージで進み」、悪いイメージには「何かしらのゆる~い対抗手段を講じて(これすなわち仕送り)あとは開き直る」くらいでちょうどよいと思うね。

 

まだ未来は存在していないわけだし実際には。

 

アランみたいな事がほとばしっておりますけれどもニートです。

 

未来はまだ存在していないし、過去はもう存在していないのだから。

アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)

 

よく云われていることで、「まず目の前のこと」「ついで中期計画」「そして長期計画」みたいなアレで。

 

 

 

「今」が「未来」になっていくわけだから

 

今日をどれだけ楽しめるか。

 

それが一番良い気がしてきた。

 

結局のところ、「どれだけ未来に繋がっていようとも、それは今日の積み重ねでしかない」わけだし。

 

今日がなければ明日もない。

今日がなければ50歳の自分もいない。

 

そんなこの世のキホンですよこれは早い話。

 

 

今日を楽しんで、

 

気づいたら数年後で、

 

そのときに生きていたら、

 

「2年先戦略」「はるか未来にゆる~く対策を講じた作戦」をつかって、

 

またそのときの今日を楽しむ。

 

 

今日に全力を振るのも「ただの消費的な行為」だからやる気が出ない。よって「余力は未来に送る」戦略。

 

というか繋ぐ。というか目指す。

 

しかしそれだけだと「悪いイメージ」やあまりにも「確定情報のないイメージに踊らされすぎて何もできなくなる」ので、

 

やはり「主戦力は今日」に投入する。あとは未来へ送る。

 

貯金の話。

 

 

だから「終わる」ってこういうことなんだなって

 

今日は確実であり

 

すぐに動かせてやる気も出て

 

そしてそれは未来にもつながっているので生きがいにもなる

 

 

そんな方程式。

 

 

それはまさに森とか山とかの自然のごとく繋がっていくわけやでこれは。

 

 

「逆さにしたら森が出てくる」と云われた世界遺産都市である水上のヴェネツィアも、それだけ利用できる森を刈り尽くしてしまうことはなかった。

 

 

それをしたら終わってしまうからだ。

 

 

誰にもどこにも何にも繋がっていかない。そこで終わってしまう。

 

「それがいいんだ」ということもあるけれど、「輪廻転生」だとか「前世」とか「生まれ変わり」だとかの思想が普遍的に紡がれて信じられてきた歴史。あるいは「子供をつくる」ってな日常的で家庭的な行為すら実はそこにつながっていると思える。

 

つまり人は終わるのが怖いらしい。実は。何処かでそう思っている。

 

絶滅。

 

「種族の盛衰なんてほっときゃいいのになんで保護だとか何だとか介入するかね」なんて思うけれど、それはこっちの理屈であり、いろいろあるわけだよね。

 

もちろんなんやかんやと何億年の調整の果てに一時的に行き着いた「数千年のバランス(地球の)」を保つためにそのピースを欠かさまいと考える部分もあるけれど、

 

まあそれだけではないでしょうね。種族の保全活動というのはノアの方舟やリンダキューブじゃないけれど。

 

いつかは終わってしまうこの人生や、

「自分が今まで血反吐を吐いてやって来たこと」が、

 

 

「継承される」とか「繋げる」という意味を見出すことで系譜を紡いできた。「だからやれた」ところがあると思う。

 

 

「そう思えるからやれた」ところがあると思う。「意義がある」と思えるから。「価値がある」と思えるから。

 

人類史が無理くりにでも生み出したそんな高等概念を軽視するわけにもいかないのだ歴史好きとして。と言うかどうしても考えてしまう。

 

「なにもやってこなかった」のなら終わることはわけないが、

 

 

実際、「終わる」ってそういうこと。

 

自分が今まで血反吐を吐いてやって来たことが無に帰すってこと。

 

 

もっと意味はあるだろう。意味のない人もいるだろう。「意味があって意味がない」人もいるだろう。もうわけわからへんが、ひとつにはそう感じるよ。

 

オレの感性はそう捉えたよひとつには。

 

だって「歴史」ってつながってるから面白いんだから。

 

それを歴史好きという人間がお取り扱わないだなんて「ポケモンにポケモンがいないようなもん」だからね。

 

 

そしてキホンは「今日」でしかない

 

そして皆さん、いよいよ「今日」の「その時」がやってまいります。

by松平定知アナ/その時歴史が動いた

 

 

「その時」は毎日起きている気がしないでもない。

気が気でなくなるから意識高すぎはしんどいがね。

 

 

「今を生きろ」って名言も結局はこういうことを言っているんだろうとオレは思うわけだから、意味としては同じであるだろう。人それぞれの捉え方ってのもあるしさ。でも言葉というのは伝わらなければあまり意味はないし、そして伝わるにはそれぞれの伝わり方もあるものだからこんな記事になっているという具合。

 

 

実際には「今日だけ」が動ける。

 

未来になにかを送れるのも、実際には「今日だけ」だろう。

 

だからすべてのことは「今日だけ」やれる。

 

 

実際には。

 

 

ココらへんの言い回しは哲学的なことであったり言語的なものなので、それがしっくり伝わるかどうかは人次第なのだろうね。自分にはこれがしっくり来る「今を生きろ」だもんで。

 

 

今日やったことだけが未来に到達する。

 

 

そんなジョジョみたいなセリフになってきましたけれども。別にこれはただ言いたかっただけ。

今日ポチったAmazonだけが明後日に到達するのだ。

 

 

今日のうまい飯も美味いスナックもうまいアイスもジョギングも漫画も映画もミステリー小説もドラクエ11も地元旅もぼーっとして飲むカフェオーレもお風呂もおねんねタイムも全部ちゃんと今日楽しんでおくのがOKってことで。

 

 

先のこと心配してそれが楽しめなかったら超無駄。

 

 

あとは勝手に死んでるんだし、それ以外にやることってないよねまったく。

 

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