デスペラードな愚か者時代 ニートアカデミア(哲学)

【ニートの憂鬱】自分の力で自立しなさいという眼。

2015年10月14日

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「おまえニートなの(笑)」
 
ニートになると一番憂慮することはきっとこのことだろう。
 
 

 

自分の力で自立出来ていない。

ということ。
 
経済的な理由よりもこの精神的な理由が活動力を鈍らせる。
 
あるいは自活。
 
 
自分の食い扶持を自分で稼ぐ。そして世に貢献する。
 
 
それはごく自然なことであたりまえな感情で価値観だろう。
 
 
だれだってそうする。そうしようとする。 みんなそうしてるからね。
 
 
「ニートとは何か」では自分の力で生きている奴などいないとしたし、
 
それは事実思うことだが、
 
実際は自分で自分を責めることになり憂慮すべきことになるのは変わらないのだし。

 
 
このことは、

論理的にも、何かに頼るパーセンテージが低いほうが安定的だし、貸しもつくらないし、自力でなんとかしやすい。
 
感情的にも、「それだけの力」はあるという風に自信になるし人からもその分は認められる。
 
 
 

何かに「寄りかからないで生きられる」というのはあらゆる困難に対して決定的ですらある。

 
 
自分で働いて稼ぐ。そして生活する。そして社会に貢献する。
 
そうすることで世間に認めてもらえる。と思っている。
 
それが基本。
 
 
そしてそれは事実で、
 
くの人は苦労してその状態を保っているし、
 
それならば同じ境遇の人にはその苦労がわかるものだから、認めるし、
 
そうすることで自分をも認めるという具合に。
 
あるいは所属するコミュ二ティに貢献しているということで。
 
 
自分で自分の生計を立てるというのは至極当然に思えるし、
 
それが力を持って一人前になるということの1つであり、人にも認めてもらえるし、
 
それだから自分も堂々とできる。
 
 
 

しかしニート状態はこれをできていない。

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だから人の目が怖いし恥ずかしい。
 
そして自分に非があることを認識しているために、
 
堂々とはできないで肩身の狭い思いをすることになる。
 
二ートの憂鬱である。
 
実際には世の中さまざまな考え方、
 
価値観、生き方があって当然だが、
 
 
ニートにとって都合の悪いことの最たるものがこの「働かざるもの食うべからず」というものだろう。
 
 
確かにすべてはそればかりではない。
 
それだけの考えがすべてではない。
 
考え方はさまざまであり「誰に頼ってでもどんなふうにでも生きて最後に貢献したら良い」などと考えることもできるし間違ってることなどはない。
 
だが
 
「自分の力で生きていない生きられない」
義務
 
との羞恥は事実だ。
 
そこに恥があれば、
 
「そうじゃない」と抵抗するのが普通。
 
「自分はそうではない」と抗って行動するのが普通。
 
「もっとやれる人間だしそういう風に生きる」と戦うのが普通。
 
 
理想のために頑張る。
 
頑張ろうとする。
 
ダメならどうか?
 
頑張る。
 
それでもダメなら?
 
頑張る。抵抗する。
 
 
こうしたいこれじゃダメだこうでありたいオレはこうする!!!!
 
 
それでもダメなら認めざるをえない。
 
それができないのだと。
 
そうしないと進めないから。
 
それが実際の行動であろうが心の抵抗であろうが、
 
認められないから頑張ってみたがダメなのなら認めるしかない。
 
だから認めなくてはならない。
 
そうしないと有効な抵抗や打開策がないのに自分を受け容れられなければ、
 
 
おかしくなるか死ぬしかないから。
 
 
大事なことだからもう一度言うけれど、
 
 
抵抗できないなら死ぬか発狂するしかないからそれが嫌なら認めるしかないのだ。
 
 
圧縮された空気があいている方向へ向かうことで破裂をまぬがれるようにこの世のすべてのものはなんだってそうするけど、
 
人だけが自分で自分を潰してしまう。
 
理想は結構だしハードルは人を高みに上らせるけれどそれができないなら潔く認めて順々にやっていくしかないはずだ。
 
 
だから認めることが必要だ。
 
 
そしてそれは最初の決定であって最終的なものではないし成長するための一歩で展開の1つにすぎない。
 
 
それはつまり別ルートへの一歩だ。
 
 
「多様で多彩な考え方」はそれからでいい。
 
都合が悪くてみっともない自分を認めてしまったほうが次に進みやすい。
 
そうしたらその別ルートで都合のいい考え方」が必要になる。
 
だからそれは認めてしまうこと。
 
 
 

二ートな極意

ニートに生きる「ニートのシリーズ」を踏破し「ニートの恐怖」で赦されない「ニートの極意」の超然思考。そこをみてからのページ!それは最後に笑えたら勝ちの世界。

それにどうせ戦争になっても自分たちでは戦わないって人間はいくらでも出てくる。

国が戦争でも起こされて侵略受けたときには国民全員が血潮吹いて戦わねばならないとしたら誰も逃げないだろうか?

国にお世話になってるくせに。

義務があるくせに。きっと逃げるだろう。多くの人間は。とくに今の日本なら。

それが義務だけなら。

ぜんぶ軍人に任せて文句ばっか言うよ。

理由ばっかつけてな。

 

人を殺したくないだって?

ブタは殺すくせにか?

生きるために殺すんだろ?

じゃあ守るために殺せよ。

同じことだろ?

同じことじゃない?

それはお前の価値観考えだろ。

それが認められるなら民主主義だな。

じゃあオレも認めろ。

認められない?

最初に攻めてきた奴とどう違うんだよお前は。

死にたくないから逃げる?

オレもだよ。

 

結局人なんか置かれた立場で変わってくる。

 

自分たちが弱い立場になった時のことなど棚に上げて好き勝手いうような世にどうこういわれる筋もないから自分のペースで手の届く回りのことだけ気にすればいい。

 

自分にとって都合の悪いことは都合が悪くないようにするか、
できないなら、認めて、次に進もうとすればいいと思うのだ。

 

理屈じゃなくて経験として。

 

そう考えることで自分は動けたから。

 

意味があったかどうかは別として。

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★ニートの自伝

 

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「不登校×少年労働」編

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やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

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