ニートアカデミア(哲学) 不登校ブログ

【ひきこもりと教育③】目的×手段=成果の方程式「やる気がなければ戦は出来ぬ。」

2015年8月2日

仮定で進める教育シミュレーション
『やる気がなければ戦は出来ぬ』

ニート教育 やる気
 
「1×10=10」
 
「100×10=1000」
 
言いたいのはこういうこと。
成長って希望だよね。
 
ということで「勉強して自分を成長させようとする教育は良いことだ」となったわけである。
 
そしてここで考えてみたいのが、
 
「何にとって良いのか」
 
ということ。
 
教育を受けたり勉強をすることは何にとってどう良いのか。
 
良いとか悪いとかは所詮主観だから何にとってどう良いのかを少し考える必要がある。
 
 

全般的な「良い」

※幸せとか意訳しても可

【動物論】食欲×性欲×睡眠欲

人間は生態の本能としていくつか欲求を持っているとされる。だからこれ等が不足すると非常に苦しくなるように設計されているわけだ。

だからこれ等を満たそうと行動するように出来ているし、またそれ等がある程度満たされるなり提供されるなりすると、生態的にはそれほどの問題は生じないとも言える。
 
したがってこれ等を満たせる活動及び成果が一つには「良い」とも言えるね。

換言すれば、

「美味しいもの食べたり、エロいことしたり、風雨をしのいでよく寝られる場所で寝たり」

そうであれば生態的に不満が出るということもあまりないのかな。

つまり現代人間社会では「お金を稼いで万能な決済手段たるお金でもって人間的生活を営む」わけだ。

 
 
 

個人的な「良い」

※幸せとか意訳しても可

【人それぞれ論】生き甲斐×目標

知性の高さが生み出すのか、魂の叫びか、どうかは判らないがとにかくあえてこうして分けるのなら我々は個々の欲求を作って持っている。

換言すれば、

「野球選手になってスーパースターになりたい、偉大な小説が書きたい、介護士になって人の役に立ちたい」

など。

これ等のことも、功名心や公徳心や人間の持つ欲求を基本とするかもしれないが「その大小はそれぞれの人間で大きく異なってくる」。

つまり人それぞれってこと。この場合の達成の仕方には割と様々な仕方があるかもしれない。そしてこの点での目標を定めることは困難なのかもしれない。

つまり「俺って何がしたいんだろう?」というアレだ。

 

 

2つの欲求。

こうしてみると、

就職競争

全般の幸せは目標は定まっているが手段の競争率が激しいという点で困難である。 

幸せてなんだっけ

個人の幸せは目標すらなかなか定まらないという点において困難というか複雑と言えそうだ。

 

だから個人の話は取り敢えず置いておくにせよ、

全般の話については取り敢えず就職しやすいことを出来るだけやっておけば良さそう」に思える。

きっと義務教育として一律に展開している学校とはこのことに役立つように教育しているのだろう。

「就職に強い」のだから。

あくまでそう言われる限りでは。

 

 

 

仮定
「やりたい事が最初から決まっていればやることも決まってくる」

仮定の話では人間がこの全般的な欲求しか持たないのであれば、

生まれた時からこの欲求を満たせるかどうかという点にだけ集中して教育をすればよいのかもしれない。

勿論時代によってビジネススタイルは異なり、特に技術スキルは顕著である。

しかし本質的に効果的と思われるような対人スキルや物事の道理などを教育するのは効果的なのかもしれない。

 

だがこれ等の教育の仕方についてはここではあまり問題じゃない。

 

それは仕方の話だから。

コレに各教育機関は苦心しているわけだけど。

つまり「今どき何が就職に強いか、プログラムか?英語か?」など。

 

だがここでは次の事だけ仮定しておけば良い。

すなわち「やりたい事が最初から決まっていればやることも決まってくる」ということ。

あくまで仮定としてね。

 

 

仮定
「やりたい事がなかなか決まらない」

しかし人間とはやはり個人としての欲求も持つわけだから、

これもそう長く脇に置いておく訳にはいかない。

精神と肉体を別々に切り離して考えることは困難だ。

 

1、肉体的欲求が全般の幸せ

2、精神的欲求が個人の幸せ

 

とも言えるから。

そして正にこの点において我々は「やりたい事がなかなか決まらない」のである。

 

つまりまた

「俺って何がしたいんだろう?」

というアレである。

 

この肉体と精神の2つの欲求によって一人の人間が形成されているのならば、

そのどちらとも折り合っていかなくてはならないとは普通の考えだ。

 

一つの部屋に二人の住人が住んでいればそれぞれが互いに尊重しなければ共同生活は難しいだろう。

一方が一方を支配すれば良いかもしれないが、

 

自由な世界ではそんなことされた側は出て行ってしまうことも多々ある。

 

そうして入れ替わり立ち代りどっちかが主導権を握ったり離したりとせめぎ合うことくらいはあるだろうが、

 

普通に考えれば共同作業だといえる。

 

ちょっとわかりづらい例えか。

 

 

仮定
「そのどちらものやりたい事が決まっていればやはりやることも決まってくる」

我々は常にどちらとも言えない中でもがいている。

そしてまたここまでを仮定した中で、 さらに仮定してみるとそれは、

「そのどちらものやりたい事が決まっていればやはりやることも決まってくる」

ということ。

 

「肉体」「精神」
「全般」個人」
「生活」「目標」

 

そのどちらをも満たすやりたい事が決まっていれば。

 

換言すれば、

「子供を野球選手にする」

というようなものに代表されている現象だ。

 

「野球選手」ともなれば

日本のスポーツ娯楽では最大手で給料も桁違いだし、

それ自体が人生の目標になりうるだけの羨望の対象になることは多い。

 

だから一つには今まで仮定してきた2つの要素をどちらも満たすことの有りそうな目標だしね。

 

「子供」というのは

小学生や中学生の時期にやることを決めて 早い内から取り組んでいるという点において効率的な教育といえる。

 

ボクサーはよく子供の頃から親父の情熱スパルタ指導にて世界王者になってる印象がある(笑)

勿論この様な分野は競争力も激的であってそんな簡単な話ではないけど、

あくまで仮定で例えのはなし。

世界王者の絶対数は少ないけれど、

理屈としては次の話として不思議ないと思うがどうだろう。

 

さあここまでを仮定したならば、

「教育は希望なんだよ」

という話を取り出したい。

 

仮定
「早い内からその分野において効果的な教育をすることはその分野において有効」

時間は有限で、特に少年期などは親の庇護に頼っている現状であって、それらの支援のもとで力をつける環境がある。

時間が経てば経つほどそれらの環境は次第になくなっていく。

何事にも限りがあるから。

他にも人間の特性の様なものに関して色いろあるだろうが、

「早い内から」

と言うのは一般的認識だろう。

だから教育は重要視されているし、

自分も最初に結論付けたように教育は希望で重要と認めているのだ。

 

つまり

「手に武器を!」

この世を戦場とするなら武器も持たずにうろつくことは即刻の死を意味するのだから。

 

やることが決まっていれば、さっさとその分野の教育を受けて自分を強化するのは良いことじゃないかということ。

 

勿論様々なことを経験した方がどんな分野にも活かせるということは素晴らしい考え方だからそういうこともある。

実際は活動力が雲散霧消してしまって散り散りになってしまって30、40で無職ニートなんてことも多そうだけど。

(∀`*ゞ)テヘッ

でもあくまで仮定の一つとして考えると早くからやることやっておいた方が良いと考えるのは普通だしおかしな話ではない。

しかし、

実際にはやることはなかなか決まらないのが実状ではないかな。

先に仮定しておいた限りでは。

 

 

確認
「目的×手段=成果」

そしてそれ等の仮定を見てみると、

 

どうやら「やることが決まる」という点が起点になっている事になる。

 

目的×手段=成果であるという仮定。

 

逆算すると、

成果を得るには手段をとって行動しなくてはならないが、それをどうするのかは目的によるという仮定の図式。

あくまで仮定の話だが今までの仮定で確認してきたことを見てみるとそう無理のないものだと思う。

 

※手段は常に多く使用するものだから、目的の値が決まっていることで成果も変わるということから掛け算たる乗算にしてみたよ。

 

【例】1×10=10

 

・目的が具体的に定まっていればいるほどその数値も増えていく

・目的の値が1で手段の値が10なら成果は10みたいなさ。

・この場合は「やることが定まってないからやるべきことも分からずそれでも10回くらい行動してみたけどあんまりうまくいかなかった」みたいになるか。

・目的が具体的に定まっていればいる程その数値も上がるので手段の値が多ければ多いほど、 つまり行動すればするほど成果も上がっていくみたいなさ。

 

一々回りくどい言い方をしたがつまりこういうことだ。

 

『やることを決めてしまうのが最も効率がいい。』

 

従ってまた重要である。

だからこういうことが言えるのではないか?

 

 

仮定
「理由とやる気がなければ大して身につかない。」

我々にはこういう壁が立ちはだかっているわけだ。

 

「肉体」「精神 」

「全般」「個人」

「生活」「目標」

 

という「2つのやることを決める」というのは早々出来たものじゃない。

 

ただ「お金を稼ぐ手段すら何が一番いいかすらわからない」状況で、

さらに「自分の人生の目標」まで加えるとなると難しいに決まっている。

 

その中で、

ただ全般のもろもろの何に使うかも分からないような数教科を教えてもらう教育にどれほど価値が有るのか?

 

それでも何もしていないよりは良いかもしれないし、

その経験者達には様々な利益があったことだろう。

 

「勉強の仕方を覚えた」

「部活で色々学んだ」

「学園祭でなんやかんや学んだ」

「専門学校に入るにも基本的な学業が出来ていなければ入れなかった」

 

などなど。

それはそれぞれ各自が好きな様に自分の経験を良いように捉えて力とするべきことだからなんでもいいのだよね。

 

でもそれって結果論で、

それをやってる正にその時には「何のためにやってるんだろう?」という疑問が常に存在する。

 

注目すべきは意味が有るのか無いのかではない。

意味が有ると思えるか思えないかだ。

 

何か将来が見えていて或いは私のような人間をみて「ああはなりたくないから」と猛勉強したり実践勉強したり 特にやりたい事もないけど「恐怖心から」何か身につけておこうとするような人も居る。

 

自分は20の時にそれがあったかな。

 

でも大体はそれがよく分からずやる気も嫌々で意識を持てることがないから、

向上心も無くただ

 

「こなす」

 

だけになってしまうのではないか?

 

自分の経験上絶対的な法則だった。

ネット上の人を見ているとそういうのが多かった。

それでも人間生来の対応力やらでなんとか生きていくという状況か。

やはり自分が強く考えるのは、

 

「ただなんとなしに目標も持たずに普通学校に入ることにどれだけ価値が有るのか?」

 

ということなのだ。

とにかく何としてでもこのレールにしがみついてそのスタンダードに則ることにどれほどの価値が有るのか?

その中でやる気をも満たせる物を見つけられるか?

 

見つけた時に手の届く場所にいれるということはある様に思う。

取り敢えず学歴もあったほうがバイトでも雇われやすいとか専門学校にも入りやすいとか。

それに関しては別に自分がどうこう言うことは何もない。

事実そういうことはあるだろうし。

 

ただやはり問題なのは、

その程度の薄弱な理由で普通学校にどうしても居座る理由があるのか?

ということ。

 

殆ど結果論的な理由のために、

「どれほど人って頑張れるのだろうか。」

 

という現状もあるということ。

 

というか事実そうなる。

 

再び結論
「教育は重要。やりたい事を見つけることは更に重要。」

従ってこういうことになる。

 

「やる気の出せるものを見つけてからその分野の教育を受ければいい」

 

自分の考えになる今の結論。

 

理想論になるものの。

 

困ること

なぜなら実際には教育機関というものはなかなかピンポイントに存在しないからだ。

だからそうした自分のやりたい事をやるにはどうしたって個人的な修業が不可欠になる。つまりあまり国家の社会的な制度の支援を受けられない。なかなか自分自身を律するのが困難であったり右も左も分からないなんていうことは多々あるからね。そんな制度や環境のなかでやれたほうが効率はいいかもしれない。

 

利点

しかし家に居たって勉強はできるということ。「独学在野の精神」で。

本やネットで調べることはできるし活動をして実践知を積むことも出来る。本当にあらゆる意味で自由なんだ。学校にいなきゃ勉強できないとか教育を受けられないなんていう規定概念を持つからできなくなるだけで、やろうと思えば出来る。たとえ上記の困難があろうともそれはどこでもなんでも同じ。困難は付き物だ。だから工夫したりするし勉強するのだから。

 

ひきこもりは「自分を育てる時間」にもなるというわけだ。

 

特にまだ色んな良い影響を受けていない時期ならなおさらで、

その不遇に対抗させられる考え方や哲学や思想などがないから。

「心のなかで戦うにも武器がない。」

心や気持ちの中でも敗けてしまってもう自分の心では受け止められなくなってしまう。

「【中2自殺】退路が絶たれたらもう万歳突撃特攻しかなくなる。」

 

実状

しかし「孤立するとか鬱になるとか病む」などそんな不利も勿論あるだろう。

人は一人で自分の小さい頭のなかで考えているだけではどうしようもなくなる時があるものだから。

 

だけどそれは他でも起こりうるようなモノじゃないか?

 

例えば、

「面白くもないような学校の環境に居ることで自分を隠したり守ったりすることに精一杯で 自分のやりたい事を見つける暇なんてありゃしない」

という様な。

コレは妄想でも仮定でもなく自分の経験だ。

 

ましてや「いじめ」などによってのものならば、

 

なんで君やボクの人生がそんなクズ共の為に無駄に浪費されねばならないのだろうか。

 

そう思わないだろうか。

 

それだったらひたすら楽しいことをして

その中で刺激を受けて影響を受けて

 

自分の将来を熱望する。

 

どうしたらやれるだろうか

こうしたらいいかも

 

よし出来た!

 

それが本来は人には出来るのに。

 

と言うかそのために産まれたんだよ。

断言する。

我々は人生を楽しむために産まれたんだ。

「いじめには立ち向かえ」というのならそれは出来るならばやったらいいと思うよ。

でもそうして戦い終わったあとには 別に家に引き篭もって独自の活動をするのもイイと思うということなんだよ。

その場合の戦いは別に「既定の場所に戻るというためじゃあ無くて」、あくまで「自分の精神衛生上」のものだと考えるから。

 

確かに自分に自信を失っているよりはイイと思うから。

でもそれは社会が決めただけの場所に留まる理由じゃないと思うのだ。

 

「自分のやりたい事を見つけてその為に生きる。」

 

ということが一つには最大目標だと私は思うから。

そして、

 

そうして「自分を生きた時間」は何よりも大きい財産だと思うから。

 

1年でいい。

 

そんな時間が1年あれば良い人生だと思える時だってある。

いやそう思うと楽。

 

どうせ生きるか死ぬかしか無いのだ。

失敗したって死ぬが成功したって死ぬのだ。

 

何が本当にいいかは人それぞれだけどね。

でも立ち向かえなくても別にいいんじゃないかな。

人生は長いといえば長いし。

短いといえば短いがそんなこと言ってたらキリがない。

考え様だ。

逃げて取り敢えず生き延びるのもまた一つの展開じゃないかな。

 

そして一番思うのは、

「そうじゃないとダメだ」なんて考えるよりも、

「その状況で何が出来るだろうか」って考える方がいい。

 

「人は巡りあった環境を意義たらしめるのが肝要である。」

 

なんて言った人がいるけど、

たとえどういう状況で家に引き篭もったとしても、

やれることは一杯あるのだ。

意識次第考え方次第やる気次第。

別にそうなったからってどうってことじゃないんじゃないか。

全然説得力のない私の状況だって

なる人はなるからね。

 

別に「問題」はそこではないんだよ。

人生の問題はさ。

 

そしてこの仮定シミュは問題解決はしないし。

問題の姿を多少なりとも簡略にしただけだし。

 

「どうやって見つけるか?」というのは全然ないから。

やりたい事の見つけ方①「シゲキを受けまくる。とにかくヤリまくる。」

 

でも 「それがどれだけ重要か?」は多少わかるかな。

 

そんなこと解ってるよって?

 

マジで?

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