ニートアカデミア(哲学) 不登校ブログ

【中2自殺】退路が絶たれたらもう万歳突撃特攻しかなくなる。

2015年7月11日

 画・「生活ノート、担任への「叫び」記録…中2死亡 読売新聞 7月8日(水)16時5分配信」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150708-00050157-yom-soci&pos=2

・いじめで自殺
・学校及び担任の無為
・家族の悲しみ

という最早お決まりの方程式のニュース。 というより事象が起こったということ。 いっつも思うんだけど、

なぜ学校に行くのを辞めないのか?

ということ。 ※言うまでもなくこれらの死や命に対して侮辱を目的とするものではまったくない

 

 

学校や教員に期待するのもおかしい

学校の責任、担任の責任、などなど。 直接要因は加害者共であることになんの間違いもないだろうけれど。 しかし学校にそんな力があるのだろうか。

 

担任に。

 

担任と言ったって一公務員で一人間で自らの生活すら持っている。それをクラス全員分の命にかかわる瀬戸際までを全て背負い切るということは現実的でないじゃないか。 みんな金八先生のようなわけがないのだし。

 

そもそも期待するのも可笑しくなるというものだよ。

 

一教員でしか無い人に。人たちに。 私は13歳で学校に行かなくなったが別に先生に何かしてもらおうとか1つも期待したことなんかない。 当然負の感情も持つべくもないし、ただの教員という人たちという認識しかなかったのだ。

 

私の場合はイジメのような切迫したものでなかったから、 「助けを求める意識感情」というのでなかったからかもしれない。 そういうものを持つとそれが誰であろうと助けてほしいと願うものなのかもしれない。 20の時にはその感情を少し持ったのだったけど。

 

つまりあまり教員や学校を責めてもしょうがないではないかということ。

 

一律教育機関としてはやれることも限りがあるだろうし全ては平均値でしか無いだろう。 正直担任の方もそれなりに頑張ってるんじゃないの。

 

只でさえ殆どの時間を人の家の子供にかけてるんだから。

 

やれることも限られるのだろう。現場を知らないから私達は好き勝手なことが言えるけど。 これで今度は担任の先生が臥せって自殺なんてこともあるのだ。色んな物に挟まれてるのも確か。

 

もっと激しく加害者共に制裁なり強制力を行使するなりして排除すべきだったか?

 

少なくとも立派に起訴できる内容で少なくとも少年院には入れられそうな事をやっているよね。 まともに第三者機関の監査を受ければ確実に罰せられるだろうことを教育学校では平然と野放しにしているのは面白い事実だけど。 確かに大してトリッキーな立ち回りなどしなくとも、

 

証拠を集めて起訴すればいいのではないかとは思ってしまうね。

 

勿論私は学校や少年法の細かな専門家ではないので詳しくはわからないんだけど。 もう第三者警察機関を学校内に設置した方が良いのではないか。 勿論子供は多くの過ちを犯すから一々法に照らして裁判にしていたらキリがないという風で教育機関内の教条に則って裁量させているのだろうけど。

 

でもそうなったらどうなるのか少し興味が出る。 だがそれもそして後の祭りだ。

 

でも学校の先生だって一人の人間だし。そもそもそんなに期待していない。してもいけない筈。 制度上の関係だ。資質を問過ぎれば教員なんて居なくなるんじゃないかね。

 

「人間が最も成長する少年期の大部分を預かる大事な任務だからそれ相応の人材でないならばむしろ居ない方がいい」

 

という分野の持ち場ではあるかもしれない。医者など。

 

でもソレなら学校も要らないのでは。

 

だってどうせそんな人材多くない。多くないのに義務教育は全国区の機関なのだからね。

 

専門学校(技術習得学校)と倫理教導学校(倫理洗脳学校)だけでいい気がする。

 

知ってる人で高等数学や化学反応式を生活に有効利用してる人見たことないよそんな簡単な話でもないか。自分の人生を持っている人にそんなに責任押し付ける公務員も大変だろう。

 

そもそもそんな都合のいい職業おかしい。

金八先生が異常者なだけ。

それなりにこなしてくれてればいいんじゃないか。

期待なんてしたこと無いよ。

 

 

希望を断たれる

 

そしてそもそも、「嫌ならやめろ」 という理屈がある。

 

つまり仕事でもまあ学校でも。 嫌ならやめればいいのだ。すごく単純で簡単なこと。 なんで死ぬのか?死ねば全て終わりじゃないか? 仕事が嫌なら別の仕事を探せば良い。 学校や嫌なら行かなければ良い。

 

だがそれが実際出来ない。

 

仕事は「その仕事をやめたら次があるだろうか?」という不安。そういった事からなかなか踏ん切りがつかず、 そのネガティブな感情が覆い被さって遂には希望を亡くさせてしまう。

実際に自分の身に存在する物への失望感。

「この先、生きていても良いこと無いな」 と計算してしまう。

「希望がないからこのまま生きていてもしょうがないから死ぬ」 という分かりやすいシンプルな図式。

 

 

家に避難しないのは?

学校はどうか。 学校なんて行かなくていいのに。 学校行かなかったらもう人生ダメだから希望がないのだろうか。

 

正直、 学校行っていない私のこの状況を見れば誰しもが希望がないと感じるかもしれないからなんの説得力も持ちそうもない。

 

だけど辛いなら家に避難することだって出来たはずだ。 学校に行かず。取り敢えずは。

 

この悲しんでる親御さんはそういった場所を作らなかったのだろうか。

 

勿論悪くいう気はないが。それが普通の人間だろうし。親でも。

 

普通に育って欲しいし普通に育っていると思いたいだろう。

 

私は上に上がって早々「嫌なら学校行かなくていいぞ」と親父に言われた。特に何も言っていないのに。 どれほど心が軽くなっただろうか。 そうして最初の時期を過ぎればそれなりに友達は出来たっけ。 結局なんやかんやの中2病を発症して労働者になってしまったけど。 学校行かないなら働けということで。それも嫌だったが学校行くよりは良かったかもしれない。

 

はっきり言って、 逃げ場所がなくなればあとは潰れるしか無い。

 

いじめのような、 というより暴行や恐喝に関しては自分は受けたわけではないから 抵抗する事がその人達にとってどれ程かは身を持って知るところまではいかない。

 

だが理想なら立ち向かえ。それが一番の抑止力になる。 「自分に対する攻撃がどれほど高価くつくか」ということを知らしめるのがこの手の物事では最良である。

 

だけどまだ10代の子供なのだから逃げるしか無い時があるんだ。(アラサーの自分でもよく逃げてんだから) それを積み重ねて大人になった時その悔しい思いに奮起して立ち向かう時がようやく出てくるという具合で。 だから逃げの経験は必然的なものなんだ。

 

退路が絶たれるとどうなるか。

決定的損害を被る。

 

テニスコートで自分だけ前半分のスペースで試合しろというようなもの。 攻めたり退いたりは展開の1つなのだから。 態勢不利な状況。

 

世に名高き韓信の背水の陣はあくまで時間稼ぎの兵法だ。

 

その間に別働隊が相手方の砦に迫ることで成り立つ戦法。普通兵法では退路は確保するものだ。 これは絶対的な常道であってけしておかしな事でも恥ずかしいことでもない。

 

やり直しが効くための最良の策なんだ。

 

そうして逆転した戦いのなんと多いことだろうか。

 

だから退路が断たれるとどうなるか。

もう万歳突撃特攻しかない。

そうして死ぬのだろう。

 

態勢不利で、退路を断たれ、援護もなければあとはジリ貧。 首取られるか突っ込むかしかない。

 

※自らの死をしっかり明示して見せているところ これは明らかに当てつけで人に訴えている行為だ。 死ぬだけだったらほんとに誰にも言わず笑顔で過ごすことになる。 自分はそうだったぞ。周りに言うのはソレで注意喚起している時だけだった。

 

そして家に逃げられなくなればソレで世界は終わってしまう。 子供の時の世界なんて学校と家しか無い。 どちらも塞がれてしまえばもう終わりなんだ。 どっちかに居場所が居るんだよ。 学校という場所だけじゃなくて、 家に居られればそれで引きこもれたはずなんだ。 ソレがいいかどうかは別として。

 

暴行する側が悪いとは言ってもこういう人種は絶対に居なくならないのだ。 と言うかどんな人間でも被害者にも加害者にもなりうるから。 勿論、理想は結束してこういう人種や行為を蹴散らすのが最も良いやり方だと思う。

 

だがソレも早々起こせないだろう。

心の恐怖を凌駕するには強い意識に支持された覚悟が必要なのだから。

一時の激情でも良いのだろうけど。

 

「岩手中2いじめ自殺 少年の母、憤りと悔しさ訴え「ここまでひどいいじめとは…」「学校は『言うな』と箝口令」」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150711-00000544-san-soci

現在無効のリンク

 

父子家庭だった様だから気を遣ったのだろうか。

 

 

希望はあるか。

 

希望がないんだよ。

 

夢や目標が。 自分はそうだった。

 

この時期にそんな明確な目的や目標を持てたら人生楽だろう。

 

やることはっきりとしているのだから。 でも明確になんて無い。

 

あるわけないよ。

 

それで様々に嫌なことが続けば未来を見ることすらできなくなる。 小学校の頃友達全員に無視されたことがあった。 その時は相当嫌だったのを覚えている。

 

しかし上に上がればウキウキ部活ライフなどで楽しめるという希望があったから良かった。 運動には自信があったからだね。

 

少し耐えればいいんだとね。まあ仲直りしちゃったんだけど。でも半年くらいあったかな。実際学校も休みに休んだし。

 

厳格暴力マシーンの親父が普通にデパートに連れて行ってくれたりしたのがホントに意外だったなあ。

 

それはきっと今だってそうで、まともに考えればもうアラサーで金も経歴も技術も持たない人間が楽しめるわけないのに、 それでも自分のやりたい目標を持ててそれに向かって動けているだけで気力は湧いてくる。

 

でもそんな目標なんて最近ようやく自覚し始めたってくらいだ。ようやく。家というパトロンに支援されてようやく。

 

21の時に死を選んでいるのだから、

なおのこと目標や希望なんて言うはっきりとしたものなんて持てないものだ。

未来に希望がない時、不思議と「死ねばいいや」と思うとすごく気持ちが落ち着くんだ。

そうやって14,5の時に仕事仕事の毎朝を支えていた。

 

 

怖さは死から来るというより「この状況がずっと続く」ということに抱く。

 

 

不遇が続くと否が応でも滅入いる。人にも話せない。

でも自信の無くなるようなことが続くと本当に気が滅入って未来なんて見えなくなるんだよね。

 

特にまだ色んな良い影響を受けていない時期ならなおさらで、

その不遇に対抗させられる考え方や哲学や思想などがないから。

 

心のなかで戦うにも武器がない。

 

心や気持ちの中でも敗けてしまってもう自分の心では受け止められなくなってしまう。

 

人に話せれば少しは共有できるのだろう。うちの妹はすぐそうする。すぐ共有してくる。天才的に。「私すぐ言っちゃうからな~」という。

 

でも意外とそういう人って少なくて大体はあまり人に頼ろうとしない。

 

私はそういう弱音を吐いたことが一度もない。人に話したことが一度もない。 それは親にも兄貴にも今現在に至るまで一度もない。 全て本を読んだりゲームやマンガの影響で自分を奮い立たせてきた。 自分の場合は人に弱音を吐くとむしろ鬱になってしまう。自尊心の塊のような人間だから。

 

故に一人で全てを抱え込んで、


手に負えなくても抱え込んで、


そのまま潰れることは多かったけど。

 

だから引き篭もって守ってるんだよね。

 

戦っても勝てないんだからさ。引き篭もって守るしかないからね。 高すぎる責任感、大仰な大義、完璧主義的強迫性パーソナル障害などなど。

 

だから外に向かって話せるというのはかなりメリットであるはずだが。それでも周りがどうにもしなければあまり意味は無いのかもしれないけど。

 

 

もっと色んな世界観で生きていいと思うけど

『大航海時代』というゲームで本当に世界は広いなと思った。いろんな世界が知れてよかったと素直に思うのだ。こんなの知るとソレ以前なんてどうでもいいよ。

 

他の人とは違う環境下で生きてもいいんじゃあないか。

 

何かに逼迫されていなければ”行動”を起こす必要もなくなる。 引き篭もっていれば良くも悪くも宙ぶらりんになるから(笑) やってやる!という激烈な高ぶりも強迫観念も鳴りを潜めてしまう。 落ち着いてるというか、無というか(笑) いいんだかどうなんだかで。

 

何事も絶対良いとか悪いとかないからソレはしょうがない。

でもある方向で死ぬくらいだった別の道に行ってもいいと思うけど単純に。

どうしてもその道で死にたいという美徳があるならソレもまた良し。

 

だが一旦立ち止まって本当によく考える時が来る。 死ぬにしたってもっと様々考えることが出来る。 逃げる為や強迫観念からじゃあなくてさ。 引き篭もりにしたってそう悪く無い道じゃないかな。多様なんだし。

 

6年から10数年を無駄にしなくて済んだ。 自分みたいな人間はどうなったってこの状況とは向き合わねばならなかったんだ。

 

学校など行っていたら今の行動期がそれだけ遅れてやってきていただけだろうと確信できるからね。

 

自分にとっての人生の主要な問題事はそんなことでは全くないのだ。

 

ソレと早い段階から見据えて向き合えたという自分の行動に誇りすら覚えるくらいなんだ。

 

人の渦にいたら自分を隠すので精一杯で今の活動をするようになるのは30も過ぎてからだった、 いや40過ぎだったかもしれないから。

 

自分も18の時には「こんな状態で生きている訳にはいかないな」という認識がはっきりあったけど。 引き篭もりを選べない人たちも居るのだろう。それも美徳。

 

でも周りが許せばそうしやすくなるとは思うぞ。

 

一番は家が許してあげること。

まあそんなにはうまくいかないけどね。

そっからも大変だ。

スポンサーリンク/記事直下型2連装無職砲

ニートブログの下

 

 

フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

-ニートアカデミア(哲学), 不登校ブログ
-