前2回
を前提としたここからが本番。
そしてそれらの前提を一言で言うなら、
「その状態にいる自分を責めて苦しんでいる」のだ。
これ以降は自分がその時どのようにして、
自尊心を保ち、
気力を生み、
恐怖し、
活動し、
自信を持ち、
やる気を持ったのか。
それを記して伝えていく。
何にために?
ではなくて、
「その得も言えぬ苦しみ」に対抗するには、結局それだけの行程を経なければならなかった。
「欲望と恐怖はどんな人間をも動かせる便利なてこ棒である」 (ナポレオン)
やりたい事を見つけられない。
先ず人間とはそうそう「人生の目標」とか「生き甲斐」とか、
将来的に自分が人生をかけて目指そうというものは無いものである。
まだ若い頃というのならばなおのこと受けた影響や刺激が少ないから当たり前といえる。
さらにひきこもりニートの状態にいるような人間にとってそれはなおさらで、
人間関係どころか意識さえも孤立してしまう。
それ故に、
自分の今までの小さな世界の中ですべてが完結してしまう中に半永久的に留まることになってしまう。
「自分の小さな頭の中だけで生活するだけ」
それではやりたい事や目標など見つかりっこなく、
それによって生まれる欲望に引っ張られて、
そこに能動的に活力を持って向かうことなど出来ない。
人を動かすのが「欲望」と「恐怖」であるならばこの時点で半身を失っているのである。
そして此処ではもっぱら「欲望」について伝えていきたい。
「恐怖」については特別にまた取り上げることにするが。
そしてまたコレにもう一つの要素を加えたいがそれはやはり「自尊心」である。
人を動かす「欲望」と「恐怖」と「自尊心」
欲望があっても自信がなければ羞恥の感情が行動力を大きく鈍らせる。
自分自身を尊べる気持ちが自分の欲望も素直に認めることができる。
これは潤滑油のように摩擦から生じる熱を軽減してくれるようなもの。
つまり「人間は恥ずかしいと思うことは出来ないしその状態にいることも嫌いなのだ。」
だから自分も嫌いなのだ。
そしてそんな人間は何をしてもいけないと思うのだ。
欲望の流れ「活力」→「やる気」
自尊の流れ「行動」→「自信」
何事にも段階というものがあって急に大きくて高くて強度のあるものにはならない。
小さなものから大きなものへ。
単純なことから複雑なことへ。
従属的なものは本質的なものへ。
常にこの段階を経る。
前置きが長かったが、
まず上記のように自らにやる気や自信をつける行為というのは行動力を必要とし長丁場となる事が殆どだ。
そこにたどりつくには最初の段階が存在する。
つまり
「自分はどのようにして自尊心を保ったか」
「自分はどのようにして活力を得たか」
ということを記す。
つまり行動していくために必要な力の入手法なんだ。
→「ニートの活力」