ニートアカデミア(哲学) 不登校ブログ

ネット最大の利点は「その場」から動ける「在野魂」や。/ニートや不登校はネットセカイで暮らす?⑤

2017年5月10日

 

オレはその場から

「手を動かしてゲームをやってみただけ」

だったんだから最初。

関連記事・「【やることない体験記】”最初のシゲキ”を受けてきた自分の体験記。」 

 

さあ、

全4回の「ネットセカイで暮らせるのか」シリーズで語られた結論。

 

結論【けっきょく自信】

漠然と「ネットで生きられるなら人付き合いしなくて良さそう」と思いがちだけど、皆がみんな「ネットで生活費を稼ぐ」という場合には結局のところ「就職が必要だろう」し、そしてその場合には「自信がないと」やってはいけないだろう。それは無職でもひきこもりでも不登校でもニートでもその他の労働者でも同じじゃん。

 

不登校やニート政策で最強の効果をあげるのは「その場から動ける在野魂」だと思うね。

 

 

最初は全部の半分である。

『「その場」で「自転」すればよい』の図

関連記事・「オレは跳び箱を跳ばなかったんだよ。」 

 

この名言の出処がいまいち思い出せないのだけども、至言やで。「始めなければ始まらず、続けられず、成らない。」というわけ。

 

ネットというセカイが生まれ、

どれだけ発展しようとも、

「人間生活の本質は変わらない」

とはいえ、

 

「その場」から動きやすくはなった。

 

とはいえると思う。

 

「その場」から。

 

 

「最初の一歩」がどれだけしんどいか。

 

電話ね。

 

あの電話の厄介なこと厄介なこと。こちとらただでさえ「吃音者」だから「致命的なエラーです」レベルのアクションなわけだけれど、そうでなくとも「緊張する」だろう。特にニート化したりひきこもり気質なエスパータイプの「考えすぎる」ヒトたちには。

 

面接ね。

 

ただでさえ「自信がない」という状況で、つまりレベル1か3か5くらいの状態で「レベル20くらい必要なダーマ神殿付近のモンスターとやり合わねばならない」状況。

 

きっついで。

 

ただでさえ仕事経験豊富なリーマン戦士たちですら、「転職か復職のためにこのハロー・ダーマ・ワーク神殿付近をウロウロしてようやく職にありつける」という状況で。

 

そして「お祈り」される。

 

なんとかかんとか、レベル1か3か5くらいの状況で持って、いわゆる「一念発起」して、あらん限りの勇敢さを振り絞り、「今日逃げたら明日はもっとキツくなる」とか啓発してみて、ジョギング10キロ走って体の力を抜いてみたり「助走」をつけて、あるいは3ヶ月くらい人生のすべてを考えて「よし働こう……!!!!」だなんて儀式じみた勢い付けの後に、

 

「電話」をクリアし、

「面接」に飛びこみ、

 

そして「ますますの繁栄とご活躍をお祈り致します」とか言われるわけだ。

 

この「お祈りを授かるために今までやってきたのか」という「徒労感」やで。それなら神社に行くほうがコスパ良し。

 

やっとくぐり抜けたダーマ神殿で「職はありません。どこかで頑張ってね。」という状況になる現実世界。それもレベルが20に達していないからという明確な条件はなく、「ただお祈りされる」わけだし。

 

 

そして「成長もないまま」傷だけが残る。

 

動けないから。活動できないから。

 

その最初の一歩と経験までは良かったものの、ここから「先」がない。足止め。ゲームなら完全に「クソゲー呼ばわりされる事態」だよ。進めないんだもの。

 

 

これ以上は動けないから。

 

あくまでも「就職してやる!」という強い気概があれば「あの手この手でもってトライ&エラーをぶちかまし続けて様々な経験をする」ことが「成長」につながると思う。

 

でも実際は「そこまでするほどの理由はない」のだ。

 

もともとニート化するような内向的なヒトの場合は特に顕著に現れる。

 

「生きる理由」とか「どうしてもやりたい」とかそんな激烈なテーマを持っていないし。

 

ただそれでも「動物」であり「知的生命体」でもある人間だからこそ、「なにもしてない状態」というものは「カラダとココロに不調を発生させてストレスをつくりだす」ので、

 

「何かしないとなあ……それには仕事しないとなあ……カネもないしなあ……」

 

という点に至ってようやく職を求めてダーマ神殿特攻へと続いていくことが多い。

 

「やらされてる感」いっぱいのゲーム。

 

クソつまらんて。

 

 

ネット活動は「誰にも見られないから」自信もいらない。

『その「回転」は広がっていく』の図

いや実際は「ネットに上げたら全世界のひとが見れる状態にあるので気をつけましょう」というリテラシーは大事だけど。そこはまあ気をつけていただければよろしいことではありますけれど。

 

だがキホンは「だーれもみちゃいない」よ。

 

ネットは宇宙みたいなものだから、誰でもアクセス可能とは言え、その場所を誰も知らないし。「広まりやすい」というのはあるが、そもそも最初に「知られない」から。まあこの「広まりやすい」という点が「何かあったとき悪い方にも広まりやすいから気をつけなさい」ということなのだけど。

 

だが非常に行動しやすい。

 

誰にも評価されないし、見られてないし、見られて評価されたところで「自分の知らないところで勝手に言われたり思われてる」だけ。

 

ここではいくらでも「失敗」できる。失敗とも思わないし。あんまり。

 

やりたいからやれる。好きなことだから。って自分の心には言えるし、だいたいソレで合ってる。

 

ヒトは「考えて行動して失敗して経験して」、あるいはちょっと上手くいって、その発見をさらに増やそうとまた「考えて行動して失敗して経験をしていく」んだ。

 

これが成長じゃん。

 

最初はほんとに「微々たる動き」の場合が殆ど。「雪だるま」みたいに徐々に徐々にデカくなるイメージ。

 

そりゃあ理想はそれを加速してくれる教育を受けられるのが良いんだけど、まあそれもそれぞれ「合う合わない」もあれば、そういうところが「あるない」もあるし、というか「お断りを入れられてお祈りされる」状況があるから

 

「じゃあここで自分でやるしかねえか。」

 

ってやるわけだし。贅沢は言ってられないかね。とくにオレみたいにあまりにも「我意」が強すぎて「人様に教導されにくい」という人種の場合もけっきょくは「独学」していくしかないのだし。

 

『在野魂』みたいな。

1段1段「登っていけば良い」の図

 

「何かしないとなあ……それには仕事しないとなあ……カネもないしなあ……」

 

という状況で「すぐ仕事しなきゃ」って考えがもう貧困。

 

それなら生まれたときから「こいつは漁業」「こいつはプログラム」という具合にはじめから「その職業に付くためだけの教育」をさせればいいのに、

 

そうでないのは「仕事をするため」じゃなくて「自分でみつけるため」なのに。

 

そしてそれも「行動」して「経験」していなければみつかりっこない。

 

生まれたときから持っているのは食欲と睡眠欲と性欲だけなんだから。「そこにやりたいものがなければ」生きてる間に「見つけなきゃ」いけない。

 

だから「その場」から動けばいい。

 

これぞ在野の精神ならぬ在野魂。「野に下ろうと、いつでもどこでも勉強」というメンタルを越えた「むしろ在野のほうが色々デキる」という積極的な在野魂。

 

その場から動くことは誰にだってデキる。

 

たぶん。

 

 

オレはその場から「手を動かしてゲームをやってみただけ」だったんだから最初。

 

それで「天井を見上げているだけの欝」からは抜け出した。

 

目の前のゲームに気を取られるから何かは考えてしまうし、生来の分析グセがそれに集中させもした。

 

おわると我に返って「どうすんだろうな」みたいなことはあったけど、この間は割りとモノゴトを考えることが出来たし。

 

ただでさえ、「理由がなければ生きられない」というモノゴトを考えすぎるエスパータイプな自分にとって、ニート状態というものはその先に「終わる」ことしかない。

理由もないから何もしない。しかし「何もしない」「終わるしかない」のだから。

そして「どうせ終わるなら何もする必要が無い」「思考が停止」する。

「考えるモチベーションが止まる」と我々エスパータイプの知的生命体は「鬱になる」というわけである。

 

息する生物が息をする理由を考えて、理由がないから息をしなくなるという理論。

 

こういうことが我々には起こりうる。日が昇っては沈むように当たり前なこととして。

 

だがその場から動いてみると、次は本を読むようになった。

 

次はゲーム企画を考えるようになった。

次はそれを送ってみた。

次はキレた。

 

次はオンラインゲームで人の渦の中をなんかものすごいハッスルした。

次は小説を書いたり小遣い稼ぎのためにパソコンを使ってみた。

次はブログを作ってみた。

次はキレた。

 

次はもう色々ありすぎて「このブログそのものが結果」になるけど、

 

「自分の食い扶持」「人生でやりたいこと」を手にしてる。

 

【ニートは人生でわりとやりたいことを手にした!!!!】

 

みたいな。

 

ゲームを2つも作ったし。

★「古代ローマのRPGが爆誕!!」

小学生時から数えて過去3回くらいは頓挫させていたツクールも流石に使えるように。

 

ワードプレステーマをカスタマイズしちゃったりしているし。

★「修行にはなるStinger8のボンビーカスタマイズ」

元は「ネット嫌いでパソコンも触れなかったドシロート」がこんなことしてるのだから不思議なものだぜ。

 

そんな元ドシロートが動画編集のレクチャー記事。

★「今日からいきなり使えるパワーディレクター!!」

ただのメモではある。

 

ママチャリもイジっちゃう。

★「ママチャリカスタムのすべて(でもないけれどええやないの)」

ガチャガチャやるのが好きな性分を爆発させていたら主力コンテンツになっていて困惑しながら輪業ブログみたいなことに。

 

電子書籍も出版。

★「ご飯もアイスもラーメンも食べて半年10キロ減させるダイエットメニュー」

処女作でいきなり悪名を広めたようである。ドメイン代とAmazonプライム会員になれるくらいの儲けが出てるのが不思議。

 

ニートのままでお小遣いもGET

★「月13000円でどれだけ生きられるのか?」

無くても活動できないわけじゃないけど、あると助かるよね当たり前に。

 

最大のメリットは「目的」を持てること。

★「好きなものがある世界で生きて、死にたい。」

★「10年無職ニートを続けた結果」

 

 

「活動」して「経験」していれば「やること」は出てくるという「当たり前」なこと。

 

 

「何もしなければ」当然「何もやることなど生まれない」から。

これも当たり前なこと。

 

これらの「成果」は別に「セカイにとってはどうでも良いレベル」のことだが、

自分の世界を変えるには十分なものだった。

 

もう無力ではないから。

 

やれることがありすぎて悩むレベルにいろんなことがやれる。

 

 

結論【ネットセカイはその場から動きやすくする。】

『やがてそのエネルギーは「銀河を形成」する』の図

 

社会復帰なんてめざすから何もできなくなる。

そんなもんは「自信」や「自負心」が身についてレベル15くらいになってからでいい。

 

 

ということ。

 

勿論、各人に於いて様々な特性があるから、ただ単に滑って「こっち側にやってきただけ」という迷い人みたいな人達もいる。

いわゆる「魔界に入り込んでしまった一般人」様たちね。

そういう方々は正規の支援を受けて社会に戻っていくのが良かろうて。そしてその場合においても「こっちのセカイでのひと夏の経験は役に立つ」し、

その人の固有の経験にはなるだろうしさ。

一度も踏み外したことのない人より。それもその人の個性になる。

 

このことから見ても「経験」というヤツは黄金に万能だ。

 

なんにでも活かせるのだから。経験でしか人生は成り立ってないのだし、そしていつかは死ぬのだし、じゃあもう「その場から動いて経験するしかない」という話やで。

 

何度も言ってるけど、

 

そうしていればいつか勝手に死んでいる。

 

というかそれしか人間やることないし。

 

だから先々に闇雲に不安を覚える必要なんてないんやで。どうせいつか死ぬし、何かして上手くいって成功しても死ぬんだから。死ぬまで何かしてればいいんだよまったく。

 

どうせそれしか人生やることないんだし。

 

「経験」しかないんだ。

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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