ニートアカデミア(哲学)

自己満足をナメるなよ。アルテ●メット・オナニーの凄さ。

2017年7月19日

©「ハンターハンター」冨樫義博/集英社

 

「自己満足」のことを「揶揄」するけど、

 

そもそも「自己を満足させる」ことって早々できないんだぜ。

ストレングスファインダーでは2番めに「最上志向」。

 

※クロロとゾルディック家の死闘はまさにアル●ィメット・オナニーである。それぞれがカッコつけるだけつけた結果に全力を出し切った爽快感。

 

笑って敗けられたら勝ち。

特に「理想主義」とか「完璧主義」とかいう人間は全然満足できない。

 

自分自身の課すハードルが高いがために、

ぜんぜん満足なんかできやしないんだ。

 

「自己満足」のことを「揶揄」するのは、

 

それをみてるだけの「人生がつまんないヤツら」が不平不満を言ってるだけだから。

 

だって自分に何の得もないんだから当たり前なことで。だから文句言うし悪く言うさ。

 

オレもいう。

「オレのためにならないんですけどキモいんですけど」

っていう。

 

それを言葉で論理的に言うとそういう言い方になるってだけで。

 

「人に褒められなきゃ満足できない」のはそれはそれでセックス依存みたいなもんだし。

 

まあなんでもバランスだよね。

 

 

「自己満足」=「自分自身の真実に到達する」=「天国に行く方法」

とはいえ、

 

というか、たぶん行き着かない。

 

常に理想を追い求めるから。

 

そしてそんなものはないから。

 

だからこのような人間が「自己満足」するには早々簡単にはいかないのだ。

 

それによって他者が満足してくれたとしても、

自分は満足しない。

 

別にそれは

「風の谷のナウシカの名作と名高きワンシーンを任されていた庵野秀明が今でも納得いってない」

みたいな芸術性だけに帰せられるべきことではないんだ。

「だから我々は芸術家志向でなんちゃらかんちゃら」とかじゃあなく、

 

ただただ「ないものを追い求める」傾向があるってこと。

 

むしろ、

 

ないから求める。

 

このようなタイプの人間の「自己を満足させる」ということは非常な所業なのだと言えよう。

 

この「自己満足」とはモノゴトの途中で「まあこれくらいでいっか」とする「妥協」のことではない。

 

それは「自己満足」ではなくて調整的な意味合いの「妥協」なのだ。

そしてそれもそれ自体が悪いとか低品質だとかいうのではなく、

「辞めるくらいだったら最後まで終わらせる」だとか「納期に間に合わせるほうが大事」だとかという「現実的な問題に直面した際に採られる解決策のひとつ」であったりするけれど。

 

常に「自分の眼」に抗って手を震わしながら、

失敗を病的に恐れつつもようやく行動し、

「その成果の情けなさに打ち震える」という具合。

 

能力の高さだとか結果が出るだとかはまた別みたいだし。

 

ただそれでも「真に高みをめざす」のなら、

「オレつええええええ」「空想の中にだけ自己を置いておくことなどできず」

「自分の今の限界」を知っていかなければならない。

 

という気高き「自己満足」な世界を持っているのだ。

 

だからそんな自分が「自己満足できるだけのことはしなければならない」のが、

 

「真の自己満足」なのだ。

 

 

「出すだけ出したら英雄化」した「怪物エンキドゥ」

世界最古の文学作品のひとつとされる「ギルガメシュ叙事詩」に登場する「怪物エンキドゥ」

 

彼はその当初、

ただ自我の欲求するところのために暴れまわっていた怪物だった。

 

しっかしまあ神聖娼婦さまと交わりに交わったあと大変に満足して理性を手に入れることになる。

 

その後、「冒険英雄王ギルガメシュ」の終生のライバルとなる彼だった。

 

エンキドゥの場合は「交わった」とかいうけど実際は自分勝手にやってただけでしょうな。

うん。

やってただけ。

プロしか相手にできないタイプでしょう。

 

 

「全力を出さないとなかなか成長しない」ってことでしょ。

©「ドラゴンボール」鳥山明/集英社

 

そんなサイヤ人みたいに、限界まで戦って傷つくと、更に強くなって再生するみたいな。

 

それは心肺機能でも筋肉でも同じことで、同じメニューにはやがて順応して慣れてくる。だから常に高い負荷をかけることで少しづつでも確実に

 

「それ以上」になっていく。

 

何事も

「やりきる」

「やり通す」

「やり尽くす」

っていうことが求められるんではないか。

 

オレはそう思うんですよ。

確かに。

 

 

「やりきる」ことで、その先が見えてくる。

 

賢者タイムの話じゃないわけで。

 

「全力で出た成果」には「真実」があるってことで。

 

全力でやった

全力で敗けた

 

だから、

 

ここではもう戦わない

このやり方は通用しない

ここでこうしちゃいられない

 

遂にこの手を使わざるをえない

 

という、

その後の体勢や方針を一変させるほどの転換ができる。

その手は早めに使っておこう。

 

全力を出さないとすべて「言い訳」になっていく。

 

本気じゃねえし

本気出せばいけるよ

 

まあ、

 

本気じゃねえし

 

そして結局のところ、

自分が一体何をしたいのかもわからないんだ。

 

出し切ったら、次にイケる。

 

そうしないとムラムラするでしょまったくいい加減にしろっ。

 

なんでこんなにマッチングするんだいい加減にしろこのテーマ。

うまいこと当てはまり過ぎでアドセンス規約ギリギリラインだぞこのやろう。

 

出し切ったら次にイケるんだ。

そうじゃないと「あのとき」「このとき」「ああしとけば」「本気出せば」なんてモヤモヤするだけ。

 

そして結局やらずにはいられないし、やらなきゃやらないで何の経験にもならず、成長もないし、精神衛生上も気分が悪い。

 

だから進むには「やり切る」しかなくなる。結局は。

 

自分が納得する形まで。

 

笑って敗けを認められるまで。

 

これが【究極の自己満足】だ。

やれるだけの中で、

やれるだけ考えて、

やれるだけやって、

 

ダメだったならば

 

誰も恨まないし、

何も文句はないし。

 

すべて承知の上で戦って敗けたんだから。

 

理不尽があろうと自分でそれを認めたうえで挑戦したこと。

不都合があろうと自分でそれを認めたうえで挑戦したこと。

 

やらされたんじゃなく、やったこと。

 

だから認めて次へイケる。

 

だからオレは自分が納得できることしかやらない。

 

納得できれば、人の役に立とうがオナニーになろうが関係なくやる。

 

それが究極の自己満足。

 

まあ「とりあえずやってみるかー」っていうチャレンジ精神は大事だからやるときはやるけどー

そこはフットワーク軽くやっていかないと何も経験できなくなってしまうしねー

一応「NOアド」入れときました。

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

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「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

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31歳までフリーターして落ち武者した話

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なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

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なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

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