ニートアカデミア(哲学)

ときどき「時間」に威圧される時がある。いまでも。

2017年7月12日

©「BLEACH」作/久保帯人 出版/集英社

 

BLEACHのアレみたいに。追い掛け回される感。

 

何かしていないと強烈に不安になることがある。

今でも。

 

「今でも」って普通の人からみればオレの「無職ほぼほぼニート状況」「そりゃそうやろ」って具合のアウトポジションなわけだけど。

 

具合のアウトポジションなわけだけど。

 

しかししかし自分の中では諸々と「やるだけやるのみ」という精神状態で「割りと落ち着いている」のがフラットな現状。

 

それでも時々、

あの「21歳で始めた」以前の「20歳の浦島太郎状態」のように、

「寝ても覚めても不安になる」ということが何故かある。

 

 

昼寝のときが一番、来る。

たま~に昼寝もするけど(小休止という意味での)、

その時が一番来るんだよね。

不安感というのが。

 

「自分が今どこにいるのかがわからない。」

 

というあの独特の感覚。

 

昼寝の時になるのは、それが一番「知性のチカラが働いていないとき」だからなんだと思う。

 

 

「哲学的な武装」が解除されるとき。

今現在はこの「どうしようもない状況」「自分の知性が切り拓いている」という環境下でオレは動いているのだから。

 

それが働けなければ、つまり自分自身が作り出している「やるだけやるのみ」という「哲学的な武装」が解除されてしまう状態。

 

そのスキに「このどうしようもない状況」を本能的に感じ取ってしまうんだろう。

 

歳を取り

 

あらゆる可能性がどんどん閉じられて

 

チャンスを失い

 

身の回りの存在はいつか滅びて

 

なにも可能性の無くなったセカイに取り残されてもまだ息をしているかもしれない

 

という中で生きているという不安感。

 

 

無職ニートは関係ない。ほぼ。

 

これは「無職でニートで独身で金無しだから」とかどうとかいう「ちっぽけ」な話でもなく、

 

「どうなったとしても此処に行き着くのに」という、

 

この世に存在している以上は絶対的な場所なんだ。

 

オレはそんなどうしようもない存在にビビっている。

 

誰でも行き着く、いわば「死ぬことにビビっている」ような「当たり前」にビビっているのだ。

 

たまにね。

 

子供の頃に宇宙のことを考えると怖くなって泣き出すポップのようなあんな感じだろうか。

 

「自分の考え」や「やってきたこと」を思い出すと、戻る。

 

こう思い、こう覚悟して、こう目指し、こう戦略を立てて、こう行動してきた。

 

なんていうことを思い出せば自然と立ち直り、我を取り戻し、落ち着き、むしろやる気が出て、起きて動き出すという感じ。

 

特にこのブログでやっていることを見るといいね。

 

21の時からはじめて、この活動期7年のほぼ全てが此処にあるから。

 

昔このブログで「眠れないときに何度も読みました」なんていうお言葉をもらったけど、それはオレも同じで、

 

常に自分の考えや言葉に鼓舞されている。

 

そしてそれらは今まで見てきたこと、感動してきたこと、マンガやゲームやアニメなどから受けてきたものから生まれたものだった。

 

まあそんなことを考えると、「自分を感動させてきてくれたこと」には感謝せざるを得ないわけである。

 

だから「どれだけこの世界がクソだろうと、この感動に対してだけは」って前向きな気持ちを持ち続けていられるのだろう。それが「せかいこうけん思想」みたいになり、あるいは「気高く失敗しなくては」みたいなことにもつながり。

 

この不安だらけの世界で、活動力になっている。

 

あとは「やると决めたことをやっている」とき。

 

「自分が立てた計画を遂行している」時は気分がいい。

 

その計画は「自分の人生を考えた中で」立てられたもので、だからそれを遂行することは「自分の人生にとって進んでいる」ことになるのだから。

 

だからそれが出来ていないときにも不安になる。落ち着かない。

 

それが就寝時の「武装解除時」を襲い、

「眠りを浅くしたりする」よね。

 

不眠症みたいなことはこういうことで起きるのかなとは思ったりする。自分の場合は「寝すぎ」「疲れてなすぎ」によって眠りづらくなったときが「ニート化した2年ほどの中で」はあったけど、それらは運動してたら解消したからね。

 

いわゆる不安感で眠れないと言うような症状はあまりないから「よく分かる」ということではなかったけど、最近になって思いを致すことは増えたかな。

 

それは「21で始める」まえの「20の浦島太郎時代」のときにあったあの「カレーを食い終わるまでに20回くらい出たため息」だったり「とにかく無性に不安感に襲われた」瞬間瞬間なのだということは理解したね。

 

ただ単に「緊張」していてもなるけど。

というか言ってしまえば「緊張」でもある。

 

 

「緊張」は「時間」を長くする。

©「BLEACH」作/久保帯人 出版/集英社

 

緊張すると時間が長く感じるけど、それは良い点もある。

 

緊張はだいたいその人が「嫌なことをしてる際に起きる」けど、つまりプレッシャーがかかったときなどに起きるけど、そういうときこそ「それに気が行き過ぎて」、時間が長く感じてしまう。

 

でも緊張状態それ自体は嫌なことで起きるのではなくて「集中のし過ぎ」から起きるものだったりする。

 

まあ嫌で「気になるから」集中しちゃうということなんだろうけど、「気になる」っていうのは「好きなこと」「興味のあること」でも起きる現象だ。

 

モチロン「好きなこと」は他にも「楽しい」とか「夢中になりすぎて」時間がすぐに経ってしまうものだけど。

 

まあそれは「時間を気にしない」からなんだろう。

 

 

好きなことは「やれる」「やれない」で「気になる」対象。

 

「こんなことしてる場合じゃねえわ!」って気づかせてくれるのも「やれなくなる」って「気にした」から。

 

だから緊張するし、どうしようどうしようって不安になる事ができる。キケンを報せてくれるようなもので、

 

「健全な痛み」というやつだ。

 

刃物でウデを切ると痛いし血が出るけど、それは「血を流しすぎると死にまっせ」という報せなわけで。

 

だからそんなときほど「やるべきこと」を考えるようになる。

 

「オレはなんでこんなことやってんだろう?」なんて思える。

 

これが何になるのかって思える。そう思うとやらなくても良いようになる。

 

これは「なにもやることがない」場合の理由にしてはいけないけど。その場合はなんだってやるのが良いと思う。シゲキを受けて何かしらやりたいことを見つけるためにはなんでもやるのが良いから。

 

でも「もうある程度そこから進んで」、「やるべきことに集中していく必要がある」場合には大事だ。

 

不安なときほど大事なことが分かる。

 

 

やるべきことをやってそれ以外は悩まない。

 

という「真理武装」をまとって起き上がり

 

今日も今日とて牛乳パンとモモのヨーグルティーとで一発决めて朝が始まり

 

この無職ニートの荒野を征くのだベイベー

 

さあ無限大の彼方へオレを連れて行ってくれ!!!!

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

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「もしも、ふつうに働いていたら?」

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