何もしていないと気が変になる。
運動メニュー
まずは軽いランニングを数キロ走った後、
その最後の直線100m位をラストスパートで全力疾走して一つ終わる。
シャドーキックボクシングの演舞を行う。
2キロ位軽く走りながら坂道のあるところまで戻り坂道ダッシュを数本行う。
公園のある場所まで行き遊具を使って懸垂や鉄棒で回るなどする。
これを基本毎日やっていた。
最初の頃は徐々に、そしてだんだんと増えていった。
効果
効果としては、
・疲れることで余計なことを考えなくなる
・体の状態が変わるので気分も変わる
が精神的な作用だったと思う。
それは今でも利用している。
※あまり正しいやり方をしていないからか肉体体力的なことに関してはそれほど恩恵があるとは思えないが。つまりただ運動していてもマッチョになるとか疲れにくくなるというほどの成果はないだろう。
疲れていると落ち着く。
「何もしていないと何かしないといけない気がしてくるから。」
疲れてしまえば感じなくて済む。 ニート状態にあるときは必然的に動くことがないので体力をあり余すことにもなる。 そうするとイライラしてウーウー唸ることすらあった。特に夕方の気分は異常だ。 だから早く夜にならないものかと待ちわびて運動を始めた。 夜でないと人がいるので気になってしまうから夜の闇に紛れていつも運動していた。
体の状態が変わると頭の状態も変わる。
例えば世界に根付いたキリスト教には「洗礼」という儀がある。
それまで宗教というと割礼など相当の痛みや覚悟の上に入信する気合の入った場所であったのが
キリスト教には頭から水を被れば入れたのだ。
この入りやすさもキリスト教を広げた要因とされる。
しかしあながち馬鹿にしたものでもなく
頭から冷水をかぶるとそれだけで体の体温が冷えるから気持ちもさっぱりした感覚を受けて生まれ変わったような感覚に陥るのかもしれない。
勿論それ以外に様々な教理の説明や入信希望者が抱える罪の意識を許すという寛大さやその場の演出などが相まってのことだろうけどね。
そうなれば心の状態というものも変わらざるをえないのだ。
そのどちらもが一人の中に同時に存在しているのだから。
実際この効果を期待してやるのであれば、
「筋肉を適度に動かして軽く疲労させて、汗をかく」
程度でいいと思う。
自分を守りたいなら「疲れる程度」は必要。
女性の夜道は気をつけたいね。
個人的な価値
雨の日も風の日も台風の日もブリザードの日も 豪雨で雷ゴロゴロの日もかかさずやった。 雨に濡れたデコが冷風に冷やされキンキンガンガンの痛みがあるときも止まらずに走った。
そうすることで自分を苦しめることで自分を守っていた。
しかし時には、
水に濡らしたマスクを付けて呼吸制限で走ってみよう。 このタイムで走れたから今度はもうちょっとだけペースを上げてみよう。
そうやって少しづつ何かができるようになり、
さらに工夫して、
どんどん進んでいっている様な感覚は今でも良い経験だったと感謝している。
さらに真夏に水分制限をかけて運動メニューをこなした時期には
「水」の価値を祝った。
「水ってなんでこんなに素晴らしいんだろう!」
とか本気で思った。
こんなことにこんなに価値が有るのか。