デスペラードな愚か者時代 ニートアカデミア(哲学)

【ニートのプライド-運動-】ぼくらはみんな生きている。

2015年8月23日

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何もしていないと気が変になる。

 
何もしないのは楽そうだがまともな頭があればキツイこともあるものだ。
 
かと言って積極的なことは出来ないとなればさおさら宙ぶらりんでどっちつかず。
 
もっと動ければ色々なことが出来るし。
もっと気楽に考えられるだけの変態なら楽しめるのに。
 
余り具体的に考える必要もないが、
 
何もしていないというのは多くの場合、
 
イライラする。

 

 

運動メニュー

まずは軽いランニングを数キロ走った後、

その最後の直線100m位をラストスパートで全力疾走して一つ終わる。

シャドーキックボクシングの演舞を行う。

2キロ位軽く走りながら坂道のあるところまで戻り坂道ダッシュを数本行う。

公園のある場所まで行き遊具を使って懸垂や鉄棒で回るなどする。

これを基本毎日やっていた。

最初の頃は徐々に、そしてだんだんと増えていった。

 

効果

効果としては、

・疲れることで余計なことを考えなくなる
・体の状態が変わるので気分も変わる

が精神的な作用だったと思う。

それは今でも利用している。

※あまり正しいやり方をしていないからか肉体体力的なことに関してはそれほど恩恵があるとは思えないが。つまりただ運動していてもマッチョになるとか疲れにくくなるというほどの成果はないだろう。

 

疲れていると落ち着く。

 
疲れると体力をあり余すこともないので他のことをしようとはあまり思わなくなった。
 

「何もしていないと何かしないといけない気がしてくるから。」

疲れてしまえば感じなくて済む。 ニート状態にあるときは必然的に動くことがないので体力をあり余すことにもなる。 そうするとイライラしてウーウー唸ることすらあった。特に夕方の気分は異常だ。 だから早く夜にならないものかと待ちわびて運動を始めた。 夜でないと人がいるので気になってしまうから夜の闇に紛れていつも運動していた。

 

体の状態が変わると頭の状態も変わる。

 
運動をしなくとも風呂に浸かればスッキリサッパリするだろう。
 
基本的にはそれと同じなんだ。
 
体温が急に変わることで人の気分が変わるのは
 
体と心が連動
 
している証拠ではないかな。

 

例えば世界に根付いたキリスト教には「洗礼」という儀がある。


それまで宗教というと割礼など相当の痛みや覚悟の上に入信する気合の入った場所であったのが

キリスト教には頭から水を被れば入れたのだ。

この入りやすさもキリスト教を広げた要因とされる。

しかしあながち馬鹿にしたものでもなく

頭から冷水をかぶるとそれだけで体の体温が冷えるから気持ちもさっぱりした感覚を受けて生まれ変わったような感覚に陥るのかもしれない。

勿論それ以外に様々な教理の説明や入信希望者が抱える罪の意識を許すという寛大さやその場の演出などが相まってのことだろうけどね。

 

運動することで汗をかき熱が生まれ即放出される。運動することで全身を支えて動かしている筋肉が使われて疲労する。 こうなれば体の状態というものは変わらざるをえない。

そうなれば心の状態というものも変わらざるをえないのだ。

そのどちらもが一人の中に同時に存在しているのだから。

 

実際この効果を期待してやるのであれば、

「筋肉を適度に動かして軽く疲労させて、汗をかく」

程度でいいと思う。

自分を守りたいなら「疲れる程度」は必要。

女性の夜道は気をつけたいね。

 

個人的な価値

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「HUNTERXHUNTER」冨樫義博
 
むしろ「そういうことが出来て嬉しい」というものがあったのかもしれない。
 
運動して体力や筋力をつけていることは「まったくの無意味」ということにならないと思っていたから「修行」の意味で自分の価値になると考えられたのかもしれない。
 
 
それに昔から私はドラゴンボールにハマると修行ごっこをするなどそういうものが好きだった。 つまり精神衛生上は単純に「やりたいと思っていたことがやれている」ということであったのかもしれない。
 
 
むしろ今まで学校仕事とすべて嫌々やらされてきて初めて自分自身の今後を考える時間と前向きに考えられたのかもしれない。
 
 
月夜に夜風にあたりながら「フゥ~……」とか気を吐いて正拳突きを繰り出しているのが好きだった。
 
 
HUNTERXHUNTERのネテロ会長が如く。
 
 
齢20にしてちょっとだけ羽化する-
 
とか。
 
 
とにかく余計な影響を受けずに自分を育てられる」というのもニートの良いところなのかもしれない。


の日もの日も台風の日もブリザードの日も 豪雨雷ゴロゴロの日もかかさずやった。 雨に濡れたデコが冷風に冷やされキンキンガンガンの痛みがあるときも止まらずに走った。

 

そうすることで自分を苦しめることで自分を守っていた。

 

しかし時には、

水に濡らしたマスクを付けて呼吸制限で走ってみよう。 このタイムで走れたから今度はもうちょっとだけペースを上げてみよう。

そうやって少しづつ何かができるようになり、

さらに工夫して、

どんどん進んでいっている様な感覚は今でも良い経験だったと感謝している。

 

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さらに真夏に水分制限をかけて運動メニューをこなした時期には

「水」の価値を祝った。

「水ってなんでこんなに素晴らしいんだろう!」

とか本気で思った。

 
日本は世界有数の淡水大国でインフラも整っていて経済的な国だから普通に生きているとその価値が実感しづらい。
 
その後は色々と水の勉強もしたりした。
 
ベジタリアンや絶食にしたって飽食大国の日本では経験しづらい貴重な体験にもなった。


こんなことにこんなに価値が有るのか。

 
積極的に動くほどの行動力がないがゆえに 小さな抵抗として生み出された減点方式も、
 
 
持っているものの有り難さを身にしみて教えてくれたものになった。
 
 
痛みがあって苦しさがあって喜びがあって。
 
 
肌で感じた経験は一生忘れない。
 
 

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