ニートアカデミア(哲学)

サバイバル術って憧れるけどかなりいらないものだとわかるよ文明人には

蛇の脱皮

 

人生のサバイヴァル術は要るとしても。

 

 

 

カエル一匹捕まえても1食にしかならない

Youtubeチャンネル「【自然を食べよう!】絶品!ウシガエルの洗い編 1/2」【カメ五郎】ネイチャー・ポケット さま

 

カエル釣るとかなんかすごい。

 

ふつうウシガエルなんて捕まえないじゃん。捕まえたらある種のヒーロー扱いじゃん。ときには人外扱いの危険も孕んだ行為とはいえ、カエル釣るとかなんかすごい。カエルでガノトトスは釣りますけどね。

 

でもこれ食べるとなったら1食分になるのみ。

 

他にも必須ビタミン・必須ミネラルも補給するのが望ましい状況ならなおさら微妙な栄養源に。

 

その日の1食分のみ。

 

いやそれ自体のスキルはすごい技能だし、そりゃ出来ないより出来たほうがいざってときは頼りになるし、趣味というのもあるし、それはいいことなんだけどもね。

 

 

でもやっぱり「皆が皆」できる必要なんてないということを改めておもってしまったってことで。

 

 

おもしろいけどね。

 

 

「それ以外」のことに時間をどれだけ使えるのか 

Youtubeチャンネル「サバイバル生活始めます。。。釣ったものだけで生き延びるダイエット 島上陸編」カズチャンネル さま

 

って大事なんだとあらためて。そしてそれで良いんだとあらためて。

 

つまり食料や衣類や寝床の生産確保などに「すべての人がその日一日の大半を使っているようでは、それ以外のものは生まれようがない」ってこと。

 

 

その日の食べ物も、寝床の確保も、毎日毎日しなきゃいけないってさ。

 

 

それは古来から原始的なものとして行われてきた狩猟民族生活スタイルではあるけれど。あとはセックスして子供つくって暮らし続けるというスタイル。

 

 

でもそれ以上はなにも生み出さないスタイル。

 

 

これもやはりそれはそれで良いんだよね。草原の民とか。山の民とか。海の民とか。あと川の民とかそれぞれでさ。それぞれのスタイルが混ざり合っていくから面白んだしさ。それぞれが人生で体感したことに基づいて活動してくからこそ多様な面白さがうまれるしさ。

 

 

でも「狩りができなきゃ」「サバイバルが出来なきゃ」ってことはないわ。

 

 

おもしろいけどね。

 

 

「生活環境を整える」ってすんごい大事やなって

 

まあそんなことは誰でもわかってるんだろうけど、なんかサバイバル系の情報とか動画とか見てたら「ふっ」と思ったというか「正確に認識できた」というか。

 

 

「とりあえずサバイバルや狩猟ができれば何か暮らしていけそう」って思うし。

 

 

いや暮らしていけるんだけどさ。それは確かに。

 

そんでそれが好きな人はそれでいいんだろうし、その恩恵に預かってジビエ料理やら森林被害やら何やらが食い止められている世界を過ごすことができるという「それぞれの生み出す価値を交換しながら生きる等価交換ワールド」というわけでありますから。

 

うちの親父も猟銃持って猟をしていたクチだし、オレもニートだし、狩猟でもやろうかなってちょっと思ったけど、

 

 

それやって暮らしてたら「たぶん他のことできなくなってくるな」って。

 

 

「この環境がどれだけ恵まれてるか」はわかる

 

でもサバイバルに身を置くとそれだけは身にしみてわかるわけ。

 

一日一日カエルを釣ったり、虫取ったり、水確保したり、毎日全部しなきゃいけないなんて鬼労働下にも程があるから。まあ鹿を一頭穫ればそれなりに長期食糧確保にはなるだろうけども。

 

でもキホンは「ご飯1杯たべるのもしんどいやで」ってわかる。

 

よくいわれてることだけど頭で情報として入ってるだけなのと、実際に「風が吹いているとまったく野宿できない」とか、それでぜんぜん眠れずに「歩いたまま気を失っていてガードレールにぶつかって眼が覚めてぜんぜん眠らせてもらえない」だとか、「カエルの頭を叩きつけて叩き落として皮を剥いで食べる」だとかの経験として身にしみるのとでは

 

 

まーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーったくのぜんぜん天と地ほど違うから。

 

 

 

だから感謝しようって話なんでしょ?

 

って?

 

 

いや

 

 

じゃあそれを手放すな。必要なら。

 

 

って話。

自分に言っとるんだけど

 

あるいはそんな環境を作っていく意味が如実にわかるってもんだし、そうとなれば人間はやる気が出てくるってもんだし、「自分になにが必要なのか」っていうことも考えられるし、そしてやっぱり心から感謝できるし、そしてそうなると「自然にそういう行動を取るようになる」し。

 

やらないとね。まず。自分で。

 

小手先だけでやらされたところですぐ忘れて無意味な時間になるだけなんだからさ。頭でっかちな勉強だけではさ。

 

やらないとね。まず。自分で。

 

あえてこの環境を捨ててサバイバルに身をおくことで見えてくるってものはやっぱりあって。

 

それからそれを続けるにしても、辞めるにしても、それぞれ感じることはあるわけだからサバイバルに身をおくことは「自分の人生をかなりシンプルに考えさせてくれる」良さってのはある。

 

けっきょく一回はサバイバルに身を置くと良いって話でした

 

 

こういうのでもいいんだけどさ。

★「ニートの恐怖/おまえ生きようとしたな?」

 

ニートやひきこもりにとっての最大事案とはまず「とりあえず動く」ことで、そうしてなにかしらでもしているなかで「目的をみつけること」だと経験してるんだけど、

 

 

そこからはやっぱり「どういう活動をするか」ってフェイズに移行する。

 

 

そのときに「自分のいる環境にちゃんと価値を感じれなければストレスになってくる」し、「問題だと思えばその解決のための考えや行動がわかってそれがまた目的意識になる」し、

 

 

どっちにしても「それが良いのか悪いのか判断できるようになる」ってことは決定的ですらある。

 

 

その判断が間違っているかどうか正解かどうかは問題なんかじゃなくて、「ちゃんと意識できる」ってことが大問題なことで。

 

 

「欲望と恐怖だけがヒトを動かしていく」と思っているし

 

 

ナポレオンもそう言ってる。

 

 

最後は英雄頼み

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

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