ニートのプロフ 無職長征一万光年旅記

【吃音(どもり)の辛さ】我々は戦争に敗けたのであって奴隷になったわけではない。

2015年4月10日

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  「い、いいいいいいいいい、い、……い!

 

吃音(きつおん)

どもり。

言葉を噛むとかのレベルではない。

声が出ない。

 

 

事実上、

手話が要るくらいのレベルである。

いやホント。

 

アメリカなど国によっては「言語障害」として指定しているものでもあるという。

言葉を発することによって何かを伝えようと、

或いは表現しようとする場合において、

凶悪なまでに制限を強いられるものだからである。

 

言いたいことが言えない。

 

 

実際どうなるのか?

 

①言いたい言葉をそのまま発しようとすると、
「い、いいいい、い」

②言いたい言葉をそのまま発せない事が判るやいなや、
似たような意味になる言葉を瞬時に探しだして言えそうならそれを言う。

③それが見つからなければ、黙るしかない。
電話「・・・・・・・・・・・・・・どうされました?」

 

或いは無理矢理にでも言う。

 

「いいいいいいいいいいい、いい、 いいい、いらっしゃいませ!!!!ヘイ!ヘイ!」

(▽皿▼ )祭りじゃ祭りジャーーーーーーーい

 

ね~不思議だよね~もはや神秘。

 

吃音症(ウィキペディア)

・吃音に絶望し自殺する者もいる。

吃音者はどもる言葉を巧みに避け、どもらないように見せているので、 傍からは吃音だと気付かれず深刻な悩みだと受け取られないこともある。

・吃音者が心で感じている苦痛ほど周囲の人間は気にしていなかったり楽観的に接することが多い。

 

「どもらないように巧みに避けてどもらないように見せている」

 

ってなんかカッコよくない。

 

(▽Д▼ )角を隠しておきなさい。

 

みたいな。

 

魔族であることを隠して生きている的な。

 

チャールズ・ヴァン・ライパーの吃音方程式

わかりやすい吃音の要因因子。

分子(吃音を悪化させる要因) G(Guilt 罪)-罪の意識-
吃るたびに母親が悲しそうな顔をする、子ども心に母親を悲しませてはいけないと思い、吃音に対して罪の意識を持ってしまう。会社の受付や電話のよくかかる職場で、吃って応対すると会社のイメージを悪くするのではないかと悩む吃音者がいる。 まじめな人であればあるほど、この罪の意識を募らせる。

分母(吃音を軽くする要因) M(Morale 士気)-自我の強さ、自信、安定感など-
吃音者は自信を持っているときはあまり吃らない。 仕事や人間関係に自信を持ってあたっているとき、 また何か目的を持てたとき。

 

具体的な被害や症例などは上記のウィキペディアや「吃音」と調べれば出てくる。

動画などで症状をアップされておられる方々も。

 

とにかく対面しづらいということ。

 

結局。

気持ち的にも、スキル的にも。

昔、働いている時にそう言ったことがあるが、

 

「どんな人でもそういうことの1つや2つは抱えているんだ。」

 

と言われた。

なるほど確かにそうだ。

その手の理屈は当然のように理解できた。

 

しかし自分の悩みは治らなかった。

 

だから、頑張らなくちゃね。」

何のためにか知らないが。

(コレはまた別のお話)

 

実際かなり辛い。

改めて言っておくと。

 

あなたは人に何か伝えたいとき何をするだろう?

何かしてほしい時は?

何かしたいと申し出る時は?

服のサイズを訊く時は?

コーラのサイズを指定する時は?

昨日見た映画の感想を話したい時は?

挨拶する時、受け答えする時、説明する時、プレゼンする時、

 

人と話す時は?

 

試しに声を出さずに頑張ってみてほしい。

申し訳ないけど。

 

或いは「あいうえお50音」をランダムで、 しかも毎日ランダムで28音くらい禁止にして喋ってみるといい。

 

今使えた言葉が次使えるとは限らないぞ。

 

しかもそれがゲームやテストではなくて、 これが終わってあとは憐れむだけの対象なんかではなくて、

 

明日からも続く紛うことなき自分の人生そのものだと考えてみてほしい。

大したことないかもしれないね。

でもどういうことなのかは判るよ。

 

「いやなんでそんなことしなくちゃなんねえんだよ」

 

だって?

 

確かに∑(ノ∀`)ペシッ

 

俺もいつも思ってる。

 

 

どもりは治るのか?

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この手の、 というか「どもり」を持っている人は、

困っている。

(▽Д▼ )うん。

治るのか、治らないのか。

それは知らない。

(▽Д▼ )うん。

だって治ってないからね。

私は。

 

自分はもう苦手なことはしないで生きる。でなければ死を。

 

という極端な考え方をしているから、

それ程の問題ではなくなっているということなのだが。

 

店の接客もしないし、

営業もしないし、

電話の応対もしない。

 

魚に陸で生活をしろとか、

鳥に地上で暮らせと言っているのと同じことだから。

 

魚のヒレは水の中だから必要なのだ。

鳥の骨がスカスカなのは飛ぶためだ。

 

なんでわざわざ苦手なところで喰われなきゃならんのだ。

 

アホか。

 

私が吃音なのは自分のやりたい事に専念するためだ。

 

 

勿論、こんなにキッパリとするのは無理がある。

何事でもそうだろう。

「ニートだからできるんだろ」ってな具合でさ。

迷うし決めきれない。

就活だってそうだろう、

「ジョブズのように生きろ」なんて言われたってそんな風にはいかない。

自分はこの吃音の他にも、

色々生態的にも一般的な方向など考えられなかったからということだから。

別に自分で決めたんじゃないと思うほどに、

それは宿命的だった。

吃音も同様で、

自分から迷いを吹き飛ばした要因でしかない。

 

「私はこの道だ。」

 

自分だけの価値か、

でなければ死を。

 

 

吃音を治そうとしてもダメな場合。

色いろある様なんだよ治療法というものは。

医療的にも、学術的にも、なんやかんやと言われているし。

セミナーなどもある様だから挑戦してみるのもいいだろう。

それは私がどうこう言うことではないし。

 

ただそれでも治らなかった場合。

 

コレは正直、


「顔がブサイク」である。

 

ということと同じことだ。

 気に入らなければ確かに整形なりできる。

それはやはり私がどうこう言えることでも言う気もない。

だが基本はメイクやら、ファッションやらで良くするくらい。

それでかなり変わるけど。

 

しかし結局

“人間としての何か価値あること”

を持っているかどうかではないだろうか。

 

いや、そうではないだろうか、

という儚い問であるものの。

しかし確信することでもある。

それは目標でもそうだし、やってきたことでもそうだし、

自分を褒められるようなこと一つが、

たった一つが自分を支えそうな気がしてならない。この頃は。

まあ言いたいのは、

「顔がブサイクでも尊敬できる人が一人でもいるのならば」

自分も目指せることがあるという事実ではないか。

それを目指す余地はあるという。

なんて物言いだよ。

 

 

自分がやってきたこと。

というかまず、自分は多分小学生の頃から「どもり」だった。

何分昔のことなのでそれほどは思い出せないことだが、

 

それを確認させる記憶は友達にしたモンスターファームのお話。

 

ゲームの話を下校中に友達とするじゃない。

そこで「ディノ」っていう恐竜みたいなモンスターの名前が言いづらかったのを覚えている。

言い辛いなこれ。ね~?

(▽Д▽@ )

 

というくらいにしか思っていなかったけどね。

 

う、うんそうだね~

(´∀`;)?

 

みたいな感じだったのかな。

ソイツからしたら。

 

あとは

今日は滑らかだね~^^」

 

なんて言われたのも思い出した。

当時は 

? 

なんて思っていたほど全然気づいていなかった。
∑(ノ∀`)ペシッ

 

緊張すればみんなそう。

 

という認識。

幸運であったのは、

イジられるようなことがなかった事だろう。

つまりそういう立場に居なかったということ。

周りに恵まれていたからであろう。

 

認識したのは働き出してからだった。

 

どうもおかしい。

 

「いらっしゃいませ」が言えない。

 

これに関してはもうどもるとかのレベルではなくて、出てこない。

 

「い」とも出てこない(笑)

 

声帯切られたんじゃねと思わんばかりなご様子に。

どもりには色々種類があるみたいだが、

私の場合は全て当てはまる。

あらゆるバリエーションをご用意されていた。

 

できるだけ厨房に引きこもって忙しそうにすることで、

レジやオーダーの回数を少しでも減らそうと無駄なあがきをしていたものである。

アホか。

 

そのうち「しゃっしゃっせー」とか「せっさっせー」とか雰囲気でやっとくことにしたり。

それどういう行為なの?

とか思われてたんじゃない。

お客に。

なんでそれは言えるのかも不思議だよね。

 

言えないものは多分意気込んじゃうんだと思うが。

 

だから瞬時に飛び入りで入ってきた言葉は言えたり。

感受性が高いというのもあるのだよ。

考えすぎてしまうとか。色々。

 

自分の体験から思うのは結局、緊張。

あたりまえなこれ。

あくまで自分の一体験では。

出るとき① 緊張して怯んでいる時。

まあコレは特に言わずとも当然といったところか。

しかし緊張することはみんなある。

その時に、

どもるかどもらないかということで。

みどりのマキバオーという漫画でエルサレムという馬がいる。

エルサレムは世界最強のスーポーホースなのだが、

壮絶な飢餓体験の末であることが表現される。

 

「あと数百メートル走ればそれで終わりだ!!レースは終わるんだ!!」

 

という具合に、

どんなにレースが苦しかろうと

 

いつかは終わる。餓死するわけじゃない。

 

というわけ。

 

緊張してもとりあえず喋れるのと、

喋れなくなるのとはこんな感じの差がある。

 

喋れなくなればそれでもうその場はんでしまうからね。

 

電話ならば即。 いやハイペースのレースもキツイんだけどね。

 

出るとき② 興奮しててもなるのだ。つまり好きな話をしててもなるということ。

兄貴と歴史談義とかする時、

「おお!」なんていうオタクな場面でもどもったりするのだ。

緊張状態というのは何も怯えだけからいうのではないから。

しかし緊張は緊張。

 

出ないとき① 怒り状態にある時は出ない。

緊張を越えて、体に血が巡っている時ね。或いは

走って汗欠いた後とか、体が熱を持っている時。

だから電話かけるときは1時間位走って30分位筋トレしてからかけるとかしてたね。

なにその助走。

体の状態を仕上げればイケるわけだから。

もうアスリートの試合前。

 

しかし毎回そんなこと出来るかっつーこと。

 

今は逆に、テンションをダダ下げてみている。

逆にね。 テンションを下げると逆に怯まないということに。

なんか「どうなってもいいや」まで行くともう失うものがないから、

(つまり人にどう思われようがどうでもいい)

どもってもいいし、はずかしくもなんともない的な。

コレのほうが効率は良い。1時間走るより。

あとは

なんで俺がこんなことで惨めな思いをせにゃならんのだ!

と自分で自分をけしかけてやるとだんだん腹が立ってきて怒りのエネルギーを使用できるというのもある。

その点において私のプライドの高さは非常に役に立っているわけなのだ。

この角を折ったらもう生きていけないだろう。

 

しかし結局は、超越するしかない。

やはり極端だが、

「どもることを気にするような世界観から」

出て行くしかないっつーことなんだよ。

私が行き着くのは。

 

とにかく小さいんだよ。

まだまだ自分は。

界観が。

それに早く気づこう。

 

テストで点とったら偉いという世界観から。

ルックスがいいことが至上という世界観から。

一流企業にとりあえず入ることが安泰という世界観から。

こんなものは13の時に視界から消えたはるか昔の世界のことだが。

 

どもったらもう生きて人生を楽しめないという世界観から。

 

そして、

その選択肢に「死ぬ」という物があることを否定なんかしない。

このサイトの流儀でもそれは同じで、死を決して否定するものでない。

いつかは必ず死ぬのだ。

むしろ受容することだと思うし、

それが出来ないと逃げ道が失くなって、

せっかく生きている間を楽しめないなんてことにもなるのだ。

 

明日死んだっていい。今日楽しめれば。

 

やはり極端ではあるよ。

確かに。

自暴自棄となればね。

このフレーズの取り方はそれぞれあるだろう。

別に決して刹那的に快楽を貪り続けようなんていうことではない。

今の私のテーマは建設的になのだから。

だ明日死ぬかもしれない現実の中で嫌なことしていて、

遂に自分のやりたいことをやる時間を持てないとしたらどうだろうか。

 

今日も辛くて、明日も辛い時、それが地獄なんだ。

 

だが奴隷が反乱を起こして勝ち得た歴史が少ないのはそれがいかに難しいかを示している。

少しづつ、少しづつ、いたぶられて、決起するほどには決定的な苦痛を与えず、少しづつ虐めていく。

起こしさえすれば勝てるのに、

 

起こすことすらしない。

 

緩やかに首を絞められているということだ。

 

自分の苦手な事をし続けるということは。

 

自分の特意なことを積み重ねて、

自信にするしかないのではないか。

 

今回の東京観光では一度も「どもりが出ることがなかった。」少し驚きの成果で、 少しづつでも活動を続けていると「自負心が芽生える」という結果なのか。どうか。

勿論環境は必要だ。

私はその点恵まれている。

家がある。

だが、無いならもう死んでいる。

そしてその時に思うことは人生に対する呪いや苦しさなどではない。

そんなものでは決して無い。

 

夢に敗れたという少しの惨めさと

自分を生きたという誇りだけ。

 

そう在るように生きたい。

 

吃音をもつ有名人リスト(50人)

スキャットマン・ジョン(1942~1999)

プッチンプリンのCMなんかで見たことあるという人はいるかな。
 
なんかやたらとハイセンスな歌うとうとるな。
 
という感じで。
 
この歌は「吃音」を歌ったものだという。
 
自身の吃音を逆手に取った模倣が困難とされる独自の歌唱法で一大ムーブメントを巻き起こしたと。
 

アンリ・テュレンヌ (1611~1675)

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ウィキペディア「フランス大元帥」

テュレンヌはフランスの歴史上6人しかいない大元帥にまで昇った。

ヨーロッパ戦国期最強といえる武将であり、

ナポレオンも「フランス最高の将軍」と言った。

(自分はどうなんだ┐(´∀`)┌)

元々体も弱かったテュレンヌは軍人には向いていないだろうと言われたが、

鍛錬によって克服した。

またナポレオンは彼についてその決断力を讃える。

「テュレンヌの天才ぶりは、歳をとるごとに大胆になっていったことだ。」

こんな怪傑と言える人ですら「吃音」だったという。

そしてそれは生涯治らなかった。

 

 

これはただの戦いだ。

よく言われていることだからコレは月並みな言い方になるが、

 

「“壁”を克服しようと向き合うことで人は成長する。」

 

というのは悪くない考え方ではないか。

そんなことを馬鹿らしいと思うこともあるが、

なにを綺麗事をと思う時もあるが、

だがやはりその考え方に救われる時もあるのだ。

 

今自分は3年くらい腹式呼吸の練習をしていたりもする。

 

それで歌の声量が増しただけだけどね。
(▽Д▼ )

あとは動画などでしゃべり散らすことで発声を必然的に練習できるかもしれないから、 ああいうのはたまにやろうとも思う。

全然喋ってなかったけどね!

成果とかどうよりそれ自体が面白いし成長になる。

だが結局は精神的なこと。

言語療法なども実のところは、「それと向き合っているかどうか」という精神作用のようなものであると思うし。 うん。

 

精神論。

 

ただ頑張ればいいとか気合いを入れればいいとかアホな話じゃないんだが。

頑張ろうってことじゃなくて、工夫をしようってことさ。

自分の気持ちや感情の流れを観察して考えて理をわきまえて統御する。

コントロールする。

そういう工夫。

もう精神科学。

いや哲学。

 

結局具体的な改善策には触れてこなかったが。

 

というのも自分がそういうことをしていないからだし、

それに一番はやはり向き合うことだと思うからだ。

自分にとって吃音とはどういうことなのか。

それは本人の問題になるのだから。

自分の人生にとって吃音であることはどういうものなのか。

目を背けていても、来るべきものは必ず来るのだ。

だからそれ自体を考えていく。

向き合うとはそういうことではないか。

繰り返しになるが、

 

私は死ぬにしたって、

それは吃音やその他の不都合のためではない。

 

夢に敗れたから死ぬのだ。

 

別にヒゲが濃すぎるから死ぬわけでもないんだよ

(▽Д▼@ )

 

 我々は戦争に敗けたのであって、奴隷になったわけではない。
by白洲次郎

 

どもり関連記事
これは私の映画だね。アカデミー賞によろしく。『英国王のスピーチ』

 

 

(https://youtu.be/mc-3SwslIGY?t=506)

参考動画・「まちこっちちゃんねる[Machico]」 さま

緊張することも当然吃音しやすくしている(呼吸が乱れる)

 

 

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★ニートの自伝

 

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愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

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愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

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「もしも、ふつうに働いていたら?」

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