2009年。
自分にとっては大きな意味を持った決断の年になった09年。
そこは「やることない体験記」でそれなりに記しているけど。
そこでは浦島太郎になってしまった自分の人生を全て見なおそうとし、
やがて全てに納得して、
旅に出るまでのことが記されているのだけど、
その期間に、
人生を見つめる3ヶ月の期間に昔馴染みが訪ねてくるということがあったのだ。
後ろを振り返れない年ごろ
ヤンキー系だが情に厚く優しい心を持って硬派で正義感が強くて良い奴だった。
幼稚園からの馴染みでよくつるんで遊んでいた。
私が不登校になってもよく連絡を取ろうとしてくる奴で良い奴だった。
15の時に「むらさん、オレ男になったぜ」とか喜んでいた。
私は色々と人生最後かもしれないイベントの真っ最中なので正直困ったが、
別にこの状態が恥ずかしいという気持ちはそこでは抱かなかった。
なぜならちょうど働いていたからだ。
「今何してんの?」と聞かれても「働いてる」と言えちゃうのだから。
そうしたらそいつは4ヶ月ニートやってると言っていた。
ああ、
そういう停滞期だからなんか自分探ししてるか昔が懐かしくなって友達巡りでもしてんのかなと思った。
そのあと通っていた小学校へ歩いていき話をした。
私は絶対に昔話だけはしなかった。
まったくその時は興味がなかったからだ。
正直全て忘れ去っていた。
どうでもよかった。
自分の最高潮はそれ以降にやってきていて、
それからこそが重要事だったし、
そのなかでこの3ヶ月イベントをしていて人生の岐路に立っていると実感していたから昔話などまったく興味がなかったのだ。
だから希望の話だけした。
何が好きか。何が面白いか。どうしたいか。どうなりたいか。
そいつは必死で私を呼び捨てで呼ぼうとしていた。
昔はさん付けだった。
(というかそういうあだ名のようなものだった。名前とさんがハイブリッドというね)
なにか対等であろうとしていたのが伺えた。
自分なりに劣等意識を覆そうとしてきたのかもしれない。
私の知らない数年間に。
「オレ達ももう20じゃん」という理由から私に会いたくなったそうなのだ。
なんだそれは。
しかし話は盛りあがり楽しかった。
昔話は一切しないで盛り上がれたのは不思議だよね。
私は好きな歴史の話を一方的に話しまくったが「それすげえ」と聞いてくれた。
聞き上手か。
相手もアメリカのハーレムに行ってラップがやりたいとか昂って話していた。
確かに中学の時だったかそいつがラップにハマってCD漁っていたのを思い出した。
※アメリカのハーレムは黒人ラップ発祥の地なのだ そんなカフェもやりたいとか。
それで今度会うとき用に連絡先教えて欲しいと言われたが断固拒否した。
その時の相手の顔が忘れられない。
強ばっていた。
夜の虫が飛んでる街灯の光からそれはよくわかったんだ。
割と真剣な話になると思われたから、 なぜか自分の顔も緊張する。
「なんで」 とそれでも一言を、
恥を覚悟で聞き返してきたのだろうことを覚えている。
「オレはもうお前たちと会う気はない」
そうはっきり言った。
前に進みたかったからだ。
そしてもう半分死ぬ気だったからそんなことする気もなかった。
すべてを終わらせるつもりでこの3ヶ月をいわば生き納めしているというのが本音だった。
「え、迷惑なの」
とそれでもまだ言ってきたそいつのメンタルには今考えると恐ろしい物がある。
いつもニヤけ顔だから真剣な顔をしたそいつのゴツイ顔を見たのはいつ以来だったろう。
それなりな気持ちで会いに来てくれたのだろうか。
もう6,7年来というのに。
「迷惑」
そう答えた私の仕上がり様も相当だった。
もう死ぬか生きるかの気持ちで自分の人生を本気で見つめよう見直そうということで行動しているのだから
テンションの方もかなり仕上がってるのだ。
もう徴兵に行けそうなくらいの仕上がり様だ。
迷惑といったのは自分は自分の直接に影響してきた物事とこれからのことしか頭になかったので、 昔の象徴とも言える存在がやってくると気持ちを揺さぶられてしまうのだ。
つまりそれは思い出ではなくて雑念なのだ。
それくらい繊細だった。
最近の、
自分の綺麗な思い出を守るのに必死だった。
普通に考えると、
こうまで自分を慕ってやってきてくれるような人間を こうまでぞんざいに扱うことほど罪なこともない。
今はそう思えるのだがその時はなにせ仕上がっている。
ギンギンに仕上がって追い詰められたウサギちゃんだ。
中華至高の国民的ヒーローで岳飛という人がいるが、 彼が歴史に名を成した時に彼を支え共に戦ったのは産まれた時からの幼なじみたちだった。
よくいろんな人と関わりなさいというが、
そうじゃなくてもいいんじゃないかと思うね。
こういう馴染み達がいると。
今はもういないけど。
最後にそいつは自分の連絡先を「気が変わったら」としゃべろうとしたがやはり断固拒否した。
なにせ仕上がっている。
自分のことしか考えられなかった。
全ての思いをへし折った。
だけどそいつと私は手を握って「前だけ見ような」とか言い合った。
完全に仕上がっちゃってる。
「もう会わないとは言ったけどどこかでばったり遭ったらその時はアレだけどw」
と言ったあとに
「頼むよw」
と破顔してた。
2013年に一度近所のスーパーでばったり遭ったが、
広島でたこ焼きを焼きに行くとか言っていた。
「世界の悪者大日本帝国海軍の総本山があるとこだな~」とかましておいたが、
ヤクザでも入ったんかね。
選択肢の結果
そいつが訪ねてくるのがあと1年後だったならばどうだっただろうか。
あの1年後だったならもうなんにでもなれというはじけた精神だったからなにか一緒にやったかもしれない。
いや犯罪的な意味じゃなくて。
ルーズリーフに手書き企画書とか平気で送りつけるくらいだったから もう昔とか今とかどうでもいいからなにか起きれば面白いと思っていたから。
いや犯罪的な意味じゃなくて。
ルーズリーフに手書きの企画書を見せて担当者さんを疲れさせるというテロ行為とかじゃなくて。 ルーズリーフに手書きでもギリギリ犯罪じゃなくて。
そんなんだから、最近まではなんでも、何かあれば飛び乗ってあとは知らんとばかりに、何かしていた。 悩むより考えるより、いやその最中にでも手を伸ばしていた。
そうして何もしなかった後悔を嫌になるほどしてきたから。
その選択肢はもう知っているんだ。
その「なにもしない」という選択肢の結果は。
もちろん「なにも起きない」だった。
10年間その選択肢を選び続けていた。
何度も何度も、何回も何回も、消去法とか関係なく。
同じゲームを何度もやり続けて何かに浸るだけのように。
だから今はその選択肢が出るやいなや悩みながらも既に「する」に手を伸ばしている。
悩むし考えるけど「する」のだ。
でも今はそれが止まってしまった。
付いていって話を聞いてみたら面白そうだったのに選べなくなった。
相手がいることだとなおさらで、 今では「中途半端だったら関わらないでおこう」となってる。
かといって深いりできるだけの力も気概もない。
あっても断られる。
しかしそれ以上は踏めない。
薄情なだけなのか守るものが出来て怖くなったのか やりたいことが見つかって良かったのかやれることならなんでもやってみる精神がなくなって寂しがるべきなのか
よくわからなくなってくる。
なんでもやってみた結果に、やりたいことが見つかったと考えるべきなのか。
それならこのまま進むべきか。
進んで進んで進み続けるしかないということか。
進んでんのだろうか?
はたして
僅かな光を頼って、暗闇の中を進んでいける勇気。 我々がフリードリヒ大王に感嘆するのは正にこの点にある。 (フォン・クラウゼヴィッツ)
でもたまにはフローラ選んだっていいじゃないってことかなあ。
色んな事すんのはさあ。
薄情だって。