ニートアカデミア(哲学)

ヤクザビジネスとネット世界。ネットにもショバ代って出てくんのかな?

2017年8月16日

 

土地や商圏にはショバ代みたいにヤクザがついて回るじゃん。

あれってネットにはやってこないのかな。

 

いやネット回線代はあるんだけどさ。

 

 

人が集まれば金になる。金になれば人が集まり、争う。

という原理である以上、

それは「非合法ビジネス集団」であるヤクザやマフィアに関わらず、

「合法国家による合法的な戦争」によっても利権争いがされる。

 

じゃあヤクザ関係ないか。

 

書きながら書いてる人

 

ネットの土地の値段。

 

ネットにお店を出して、

あるいはホームページやらブログやらを作るのは安上がり。

 

ドメイン代とサーバー代が払えれば一国一城の主になれる。

このブログではお名前ドットコムで「年間1000円程度のドメイン」と、「月間1000円程度のサーバー代」をお支払させていただいておりますね。

いってみれば「年1000円で住所、月1000円で土地」を保持してる。ネット上の。

そこはニートとしての経済参加を果たしておりますよ。

 

これが「リアルな土地」なら莫大な金額になる。「限り」があるから。

数百万とか数千万単位。

莫大というほどでもないがまあまあ値が張る。

それは限りがあり、価値があるから。

「なぜそうなのか」はここでは面倒なので置いておこう。

 

※基本的には以前にやった「ネット世界で生きるか?」における「肉体的欲求を満たすためにリアルの土地は効果的」とは言えるかね。他にも色々考えられはするけれど。というかお外に出たらネット土地とリアル土地の違いを観察して考えてみよう!やだか!

 

ネットには「限り」がない?

 

「今日も膨張を続けているという宇宙空間」みたいに?

 

「通信量」とか、そういったことは聞くけれどこの電脳空間ではサーバーさえあれば無限に広がるのだろうか。調べてないのでよくわからないことですけれど。

 

と言うかここではとりあえずこのことも置いておこう。

 

あまり重要ではないから。ここでは。そういう余計なことに話を延ばすとどんどん焦点がズレるし問題をややこしく複雑にするだけだからよろしくお願いします。

 

ここで注目する点はここ。あたりまえな。

 

 

「ネットで」城を構えても、簡単に「価値」にはならない。

 

「今日ブログ開設しました」とか「お店出しました」とか「そこでモノ売ってます」なんてまず辺境辺境

 

むしろ虚圏(ウェコムンド)です。

 

じゃあリアルな土地ならどうか?

 

山奥の土地は安っすい。

 

誰も利用できないから。

 

スーパーもないし、電気ガス水道のライフラインもデフォルトで通ってないだろうし、病院も学校も何かにつけて人が生活する際に不便。

 

モノも売れないから。

 

商業施設をつくるにせよ、そもそも人が生活しておらず、同じく人が通行も活動もしていないので儲からない。

 

リゾートやらテーマパークならあるいは。

 

というレベルではなかろうか。広い土地を買って、「夏フェス会場」やら「自然を感じるテーマパーク」やら「お馬の牧場」やらとかなんとか。「資材置き場」とか。それも人を呼び込めるだけのウリは必要だろうけれど。交通の便、つまりアクセスの良さなどもなければそれも難しかったり。

 

国道沿いの土地はまあまあ。

 

最近では国道沿いだからってお店を出してもそれほど儲からないことからそこまで値段は高騰しないところも多い。これはちょっと実体験と言うか家庭の事情で経験したお話。

 

なぜ「国道沿い」は値が張るのか?つまり「価値」があるのか?

 

「人が集まれば金になる。金になれば人が集まり、争う。」から。

 

ずばり、最初の定義そのまま。

 

だからここに合法ビジネスだろうが非合法ビジネスだろうが集まってくる。

 

非合法やトラブルに関わることを解決調停するために「警察」「法律」が敷かれて、あるいは捨てられるゴミを拾うためのゴミ処理場が必要になったり、

またそうであるなら「その辺りに住んで生活」したほうが効率も良さそうだし、

そしてそうであるのならば身を守る術として「軍隊」も持って守ろうってな具合。

さらにそういった環境や群衆を統括するための「政府」が置かれたり。

 

つまりそうしてそこに国家や文明が生まれてきた。

 

ともいえる。

 

話がデカくなったけど、

 

「国道は人が通行する」(表面上は無料だし便利だし)

「いろいろと目につくし、寄ってくことも出来る」

「儲けるチャンス」

 

だから価値が高価くなってる。

そしてリアルではそれに限りがある。

その土地や地形には限りがある。

 

「コミケ」でも「東京駅構内」でも出店できるお店には限りがある。

「少年ジャンプ」の連載数にも限りがある。

 

 

後編に続こうか。

 

ドラクエやってる最近ではめずらしく。

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

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31歳までフリーターして落ち武者した話

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不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

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