©「ONE PIECE」尾田栄一郎/集英社
ゲームも漫画も子供ばっかりだから。
ワンピースにしろハンターハンターにしろ自分が好きになったモノは全世代が魅力的だった。ワンピースやハンターの「奥行き」がボクを厨2から引っ張っていったと言っても過言ではない。
レイリーエエよなあ
みんな10代

ゲームも漫画も。
「主要ターゲットがその年代だから」か、「最初がそうだったからの名残」か、あるいは「もう過ぎ去ってしまったジュブナイル時代を再経験する価値として」とかうんぬんかんぬん。
でもまあ10代。あるいは20前後。
大人はやる時間がないからなのか。ゲームは。
久々ドラクエプレイしたけど100時間以上使うし。
これじゃ確かに「大人の層はやらなくなるなあ」だなんて思っちゃったけど。
ニートでもそんなこと思っちゃったけど。
10代の勇者なんて目指せない

そんな「当たり前なこと」としてこの件は処理させていただきたい。
しかししかしゲームも漫画も殆ど10代に占められている現状。漫画は年代広いけど。モーニングやらの漫画とか。「島耕作」とか「静かなるドン」などありますけれど。
特にゲームはティーン物が多い。特にRPG。
洋ゲーのウィッチャーなんかは「おっさん主人公」で、というか「世界的にはむしろおっさんが主人公」で、
「日本のゲーム」が主にピーターパン状態。
そしてやればやるほど見れば見るほど自分が置いていかれる。
遠くに遠くに遠ざかっていく。歳を取れば取るほど。
ここではゲーム批判じゃなくて、
兎にも角にもそうなのだから、
「もっと目指せるものをプレイしたほうがいいか」ってこと。
子供の時ゲームが面白かったのは「憧れたから」だった

自分はそうだった。結局。
ギガデインもかめはめ波も「マジでやれること」くらいに思えていたそれは言いすぎだけど。
「それくらい同じ目線でやれていた」からこそマジにハマった。
しかしあながちに「それらの区別は明確でもなかった」ように思う。
だって「ゲームの中ではホンモノだった」から。
そう思えたから。
それは「画がリアルだから」なんじゃないんだ。
「自分がそこにいた」からなんだ。
もう10代に投影できるモノはない
これから50くらいになってしまえばまたそんなときも来るかもしれないけれど。女傑・淡路恵子がドラクエプレイヤーであり続けたように。
今はなんだかんだで壮年期のアラサーだから「先が見たいんだろう」って。
自分の人生の「先」としてみれないとホンキでは楽しめないんだろうって。
そこに自分がいないから。
全て「過ぎ去ってしまったきれいな過去」だったり、
「他人さまのキレイで可能性に満ち満ちたリア充ライフ」にしか見えなくなってしまう。
目指せないし、やりようもないから、とにかくもうどうしようもない。
もうどうしようもないセカイだから。
もちろん、「様々な世界観や疑似人生を体験する」って役割は果たすし、「それがあるから自分の人生は気楽になれて活動できる」って価値を最近見出したんだけど。RPGに。
「まあ、どうせ一度きりの人生で失敗しないなんてムリだし、ダメだったらダメだったでゲームが楽しかったからいいかやるだけやろーっと」
という具合。
でもそれは「かつてのゲーム体験に対して」であって、
「これからのゲーム体験がそこまで思えるほど面白いものか」となると正直、
そうは思えない。
そこに自分がいれないから。
「龍が如く」と「洋ゲー」しか居場所がなさそうだ
あとメタルギアリッドか。
アサシンクリードオリジンズか。
シャドウオブウォーか。
まあつまり「大人なキャラのゲームならマジで楽しめるんじゃないの?」というだけの話ですけれどもまったく迷惑な話。
もう好きにして欲しいよねっ!
どんどん目指していこう
もう10代ではないのだ。
だが10代は生きたのだ。
だからいいじゃないかみんな通る道なんだ。
そしてやがて死んでいく。
かれこれ数千年数万年の間をそうやって来たんだ人類は。
いつだって「自分」の「先」を知るためにやってきたはずだ。
それが一番やる気が出た。
あー早くレベル20にして転職しないと!
あー早くレベル30にしてライデイン覚えないと!
あー早くレベル40にして自分自身の真実に到達しないと!
あーレベル20でダーマ神殿ってそういうことなのか。