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デスペラードな愚か者時代

【愚か者たちに捧ぐ】無職ニートになったらこれからどうする?

2016年7月8日

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【無職旅】ニートになったらどうするか?

 

The Eagles(イーグルス)『Desperado(デスペラード)』がごとくな愚か者期。

自分はいったいナニモノなのか。

 

※失業者の場合は世のサイト様を参考だっ!

参考・「退職した後の手続きマップ」退職したら最初に見るマップ さま

参考・「失業したらまずどうしたらいい?失業した僕が教えます!」お金がないときに.com さま

※自分は13歳から不登校ルートで無職ニートなので正規の労働をしたことがないのよね(実家飲食店の非正規少年労働兵だった)

 

デスペラード
正気に戻ったらどうだい
もうずいぶん長いこと空をながめては思案しているようだね
 
Desperado, why don’t you come to your senses?
You been out ridin’ fences for so long now
 
ーThe Eagles「Desperado」

 

 

この時代のわたしの体験記

 

今までやってきたことから解放されたと思ったら、

そこは自由という名の宇宙だった。

 

「明日から何しても良い」といわれてもきっと何もやることがないんだぜ。何してもいいけど、何もしなくてもいいんだから。つまりどうでもいいんだよ。世界はオレに興味が無い。

 

いや、オレがだろ。

 

 
 全く気難しい奴だな
君なりの理由があるのは僕にもわかっているけど
君を喜ばせているそうした理由ってやつが
どういうわけか君を傷つけることだってあるんだよ
 
 
Oh, you’re a hard one
I know that you got your reasons
These things that are pleasin’ you
Can hurt you somehow
 
ーThe Eagles「Desperado」

 

愚か者とは?

学歴を得て就活をして就職し家庭を持って少しの時間を趣味に使って大往生。そんな高度経済成長期からは支配的となった社会的レール。

 

「愚か者」はそのレールからのけぞり落ちた者たち。

 

「落ちこぼれ」なんて言われたり自分で言わなきゃいけないようになってしまった存在。人から言われるのはまだしも、自ら「なにかいけない」という強迫観念に威圧されてしまう異常。「なにか、いけない」とだけ。

 

社会のレールから外れただけなのに。

社会が変われば変わっていくレールでしか無いのに。

 

なんに使うのかも分からないがとにかくやれと言われるからやっただけの学歴と、やれと言われるからやっているだけの仕事ができないというだけなのに。クソみたいな同僚や上司に一生気を使って生きることを辞めただけなのに。

 

この「愚か者」への転落にはそれぞれの理由がある。

 

学校へ行かなかった。仕事で鬱になった。リストラされて就活したがどこも受け付けてくれな過ぎた。なんやかんや鬱になった。働きたくなかったから働いていなかったら働けなくなった。生きる意味がわからなくなった。ビッグな夢を目指して人と違う生き方を手に入れようとしたが結局30を過ぎても実現せず怖くなって。他をあたっても何も実現できなくなっていて。どっちつかずでやる気が失われてしまって動けない。

 

もういろいろだ。

 

夢見てなりふり構わず好き勝手やった挙句の落ち武者タイプか(身の程知らず?)

とにかく人づき合いや何やらと精神的負担によって鬱になって停滞期に入ったエスパータイプか(精神的に繊細で敏感)

 

大きくはこの2タイプではないだろうか。

私は両方だ。

まあこれらのことは別にどうでもいいんだけどね。

 

すべてをみなおす“天機”

だがこれは転機であると思う。

「今までが合わなすぎた」というだけで、

これからの自分の人生や、

やりたいこと、

進む道、

ありとあらゆる自分のこれからの方向性を考え、

対話して、

決めていく大きな転機だと。

 

むしろ天によってもたらされたというぐらいの機会である。

 

だってそうではないか

 

世の中には数字を見て興奮していきなり地べたに数式を書き出す人間もいるくらいなのだ。

 

そんな人間と同じテストで比べられて一体何が得られるというのだろう。

 

なんでここには私の好きなファッションの授業がないんだろう?

なんでここにはオレの好きな漫画の授業はないんだろう?

なんでここには僕の好きな東方プロジェクトの授業がないんだろう?

 

どう考えてもみんな違うぞ。

 

学校の決められた幾何学的学問の数教科のみで人間の能力を測れないのと同じで、

社会のスタンダードが合わない、というより「それに能力を発揮できない」という人間だっているはずなのだ。

 

ここでは実際どうであるかはどうでもいい。

 

「いやみんな同じだから社会のレールから外れたらただのゴミ」だなんて思って済んでいるならそれでいい。

 

“戻りに行って“なんとかできるならそれでいい。

 

たしかにその場合「滑り落ちちゃったけどなんとか戻ってこれた」といった具合だ。それらの人はそれでいい。確かにそういう人もいる。ただ単に足を踏み外してしまっただけの人も。自分の場所に戻れることはすばらしいことだ。

 

だがそれでも戻れなかった存在は一体何なのだろうか?

 

同じように「いやみんな同じだから社会のレールから外れたらただのゴミ」としておけばいい者共はそれでよかろう。たまたま今現在の社会のレール様が自分と合ってたというだけの者共のことは。大抵はニートという階級が無くなったら今度は自分たちが「ド底辺」になってしまう者共だ。だからニートがド底辺であることが都合がいいのだから。

 

だがそれが自分なら?

 

自分がそうだったならそれで思考停止しているわけにもいくまい。

転落したと思われた穴から這い出れないのなら、

その穴を掘り進むしかないではないか。

 

エスパータイプの人は内面が豊かになる

「とにかく人づき合いや何やらと精神的負担によって鬱になって停滞期に入ったエスパータイプ」の人だって「精神的にひ弱」とされてしまった地上での評価も、

地下では「感受性が高い」となる。

本来ならこの点を伸ばしてゆけば「精神的に豊か」になって様々な思想物を生み出したり、カウンセラーになったり、あるいは人の気持ちに共感しやすいから教え方がうまかったり、武器となったはずだ。

 

落ち武者タイプはアイデアマン

「夢見てなりふり構わず好き勝手やった挙句の落ち武者タイプ」の人だって「身の程知らずの職歴なし」とされてしまった地上での評価も、

地下では「人と違うことをやってきた」となる。

本来ならこの点を尊重していけば「自分の考えと個性的な発想をもった人」になって色々なアイデアや切り口をもったり、創作したり、常識にとらわれない想像力を発揮していたはずだ。

 

実際どうかはしらないけど、

 

こうだったらどんなにいいか。

 

どうか。

 

オレはこの理想のためになら生きられる。

 

それ以外の道と生き方をすべて捨てる覚悟がある。

「自分の個性が生きる場所がある」という考えに生きて後悔をするとは思えない。

 

そうでないならどっちみちオレは生きられないんだからこの世に未練なんかない。

 

いや、「正確には生きていても楽しくないんだから」だ。

生きていても楽しくないから死にたかった。

それで一度死んでるし(笑)

だからせっかく今生きているならとことん理想に生きる。

そのためだから生きられる。

 

虎が空から墜ちるように

サメが陸地で干上がるように

鷹が海で溺れるように

 

生きる場所を間違えることほど苦痛なことはない。

 

 

自分のことを究極的に考えてみる。

愚か者の説明にもどる↑

働かざるもの食うべからず?

 

ここで扱うわれわれニートの定義。ニートを識る。

「働かざるもの食うべからず。」とされるニート。そしてニートであるとは何であるのか。そんなことを考えていく。ニートとは何か?怠け者?無能?底辺?ニートとは何者なのか?自らの状態を恐れずに考えてみる。自分は何者なのか?良いのか悪いのか。

かつてニートは聖人だった。

 

ワタシをコロスのは誰か?

 

ニートで困ることとは何か?なにがそんなに困ることがあるのか?

認識してみた。ワタシをコロスのは誰か。

それはけっきょく自分自身だったんだ。

 

欲望と恐怖と自尊心はどんな人間をも動かせる便利な最新テクノロジーてこ棒である。

 

「欲望と恐怖のエネルギーが人を動かす」というのならば、我々ニートには都合が悪いと言わざるをえない。

逆に言えばそれを手にできれば面白いことになるかもしれない。ただそれを楽しむという消費から、主体的かつ能動的にそれを見つけに行って楽しむという行為へ、そしてそれはやがて建設的に積み重なって自分のパワーになる。かも知れない。

「だがなにもしないよりはマシだ。」

 

自責を祓う「罪」と「罰」と「制約」と「誓約」

 

「ニートになった際に最大の敵となるのは自分自身からの攻撃である。」

人としてのプライド。立派な考え。責任感。それがあればあるほどに「ニート」である自分自身への攻撃は激しくなっていった。自分の攻撃から「心」を護ることをしなければこの生活は辛いものとなる。

それは減点方式という必要悪だった。

 

ひとは生まれながらに楽しむことを欲する

 

責任や義務を果たしていないから自分に自信も持てずそれが気になって将来が気になって今を楽しめない。そんな気になれない。そんな資格はない。

かつて聖人だったモノが堕天したのがニートであるならその感情は必然だ。だが人生は「楽しくなければ楽しくない」。

「いつかの為に」やりたいことは死ぬ気で見つけなければならない。

 

冬になると足が冷たく感じないかい?
空が雪を降らせることはなく、太陽も輝かないなんて
昼と夜を区別することも難しいんだね
心の浮き沈みというものを君は全て失いつつあるよね
そんな感覚がなくなってしまうなんておもしろいことなんかじゃないだろう?
 
 
Don’t your feet get cold in the winter time?
The sky won’t snow and the sun won’t shine
It’s hard to tell the night time from the day
You’re losin’ all your highs and lows
Ain’t it funny how the feeling goes away?
 
ーThe Eagles「Desperado」

 

おまえ生きようとしたな?

 

「死にたいのなら死ぬしかない」というところまで来る。

だがそれはいつなのか。一体いつ我々は死ぬのか。どのタイミングで?なにがあったら?じゃあ、

「どうだったら生きるのか?」

わからないならやってみよう。

 

独り旅を。

 

恐怖で動くということじゃあない。

自分の今や将来や現実を正面から見据えて、

 

「ほんとうにそれで良いのか?」と自問し尽くすことにある。

 

頭のなかで考えただけではいけないのだ。

それは本当のものではないから。

 

いざというときに脆く崩れ去る頼りない虚構なんだ。

 

だから直に、これから自分が歩むであろう物事に触れて、ぜひとも「自分のすべて」と向き合う必要がある。ビビるとか、ダサいとか、人の目とか、そんな低レベルな感情にごまかされてはいけない。それは、

 

自分自身の今後のすべてを生死の瀬戸際で考え尽くすレベルの話だった。

 

死にたいなら死のう。生きたいなら生きよう。

 

ほらテーブルの上には
いいカードが並んで待っているように僕には思えるんだ
だけど君は手に入らないものを求めるばかりだね
 
 
Now it seems to me, some fine things
Have been laid upon your table
But you only want the ones that you can’t get
 
ーThe Eagles「Desperado」

 

 

良い人生だったか?

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私は生きていた。【死がやってくるその時までボクの死生観をすべて話そう(其の一)】

答えはYESだった。

 

やるだけやったか。

 

ニートとは何なのか?困ることは何なのか?自分は死にたいのか?生きたいのか?どうしたいのか?

考えないよりはある程度は認識できた。

自分の人生を考え尽くすところまで考え尽くす。

どうしたいのか?どうやってそこにいくのか?なにをやるのか?

ニートだからできること。

 

 

 

ニートでいるのか 

辞めるのか

割とハッキリさせたほうが良い。

 

 

 

良い人生だったか?

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最強行動学。【死がやってくるその時まで無職ニートなボクの死生観をすべて話そう。(其の二)】

答えはYES。

 

 

ニートだからやれること。

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とはいえ、

 

これはニートだからやれること言えること。

 

家があって支えられているからこんな大仰なことが言えるのだという自覚はいる。

だからニートなんだよね。

 

特に自分の場合はニートの中でもさらに恵まれている部類に入ると自覚している。

 

教育者気取りなスピリチュアラー的には「愛がない」とかいわれるくらいに親はまったく干渉してこないから自分のペースでやりたいようにやれるし、

 

働いていた時代に妹や兄貴によく奢っていたから今でも尊重されるし。

 

どういった気持ちからの対し方であろうと自分に都合が良ければ何でも良い。自分の家だってそれはそれなりに問題は抱えていたし抱えてはいるが。

 

「あした食うものがなくて死にそう」なんて状態での話じゃない。

だから「自分が不幸」だとかそんなことは思わないし思えないし言う気もない。

「自分はむしろ幸せ」なのだから。

チャウシェスクの落とし子たちや、アフリカで呪術師にアホな理由で無残に殺される子どもたちや、中国でさらわれて手足を切断され物乞いに従事させられるようなことに比べれば。

ただそうはいっても人間だから。

「その時に置かれた状況で良いことも悪いこともあって」

そして悪いことのほうがことさらに目についてしまう。

だからそれについて自分なりに消化しなくてはいかんところがある。

そういうことをこのページではやっている。

このデスペラード期においてはね。

自分の現状や自分の心なんかをすりあわせて生きやすくしていかないとキツイんだからさ。

心と現状のやりたいことが合っていないとキツイんだから。

そして恵まれているのならそれを恥じることなどせずに活用するのが本来の使い方だと思う。

 

恵まれているのならそれをできるだけ活用したい。

だから

「その状態を活かして、自分も楽しんで、うまくいったら社会に還元して」

っていうことでいいんじゃないかと考えている。

だって幼年少年期に面白いゲームをやれたのも、漫画に熱中したのも、心が苦しくなるほどの小説が読めたのも、バカみたいに遊んで楽しんだのも、この世界の広さを教えてくれた知識書に出会えたのも、

この世で生きて何かを表現してくれたり遺してくれた人がいたからなわけだから。

だからそういったことでは還元できるなら還元したい。

別にそこらのクソどものためにって話じゃない。

自分を感動させてきたものに対する感謝ってだけ。

 

「良い思い出は裏切らない。」

byガンパレード・マーチ

 

なんていうけど、

最後に死ぬって時、

それがあるかどうかだ。

だからいい思い出に対しては自然と感謝できる。

自分が大してこの世の人生で活躍できなかろうと人を恨もうと嫌おうと世を恨もうと、

この感動に対してだけは、

ニートとして恵まれて生きている以上はできることなら恩返しはしたいと思う。

 

家に居られるニートだからといっても100%平穏なわけでもない。

とはいえ、これも家庭次第だ。

 

「とにかく一人前に働いて」という意識が誰にでもあるし、それは親や家の人達にもあるから。だからプレッシャーをかけてくるし皮肉も言う場合があるだろう。人間だから。

 

「家に居られるからなんでも恵まれてる」

 

なんていう気はない。人に対しては。

 

前に言ったようにどんな状況でも良いこと悪いことがあってその状況にいる人にしか本当のところなんてわからないものだから。どれだけ恵まれてると思われても常にその人なりの戦いを抱えてるものだからね。

むしろ家においておきながら小言を言ったり皮肉を言ったりして追い込んだり嫌がらせに近い行為をするほうがよっぽど非道だ。

それならキッパリ追い出したほうが良い。どっちにしたって。

「置いてやってる」なんて思うよりはキッパリ小沢一郎ばりに家から追い出したほうがどっちにとっても良い。

たとえ外で野たれ死のうと、

もとよりそれは「自分自身の責任なわけだから」と納得できるものだから。

 

自分自身が「納得できる死」と

「納得出来ない死」ではまったく違う。

まったくだ。

 

はたして「問題」とは何か?

死ぬことなのか?

死にたくても死ねないことなのか?

生きがいを失っても生きなければいけないことなのか?

 

オレはやりたいことが出来ないことだと思う。

 

本当にひどい家庭環境のニートには何も出来ない。

 

だが大体はやり方次第でやっていけんじゃないのかね。

 

どうせいつかは死ぬのだからやりたいことのために動けたほうが良いとおもうね。

 

そんなことがオレのニートとしての考えだ。

 

自分を認められなかった。

すべてを制限した。

美徳のために殺そうとした。

なにに対して責任を果たそうとしたのか馬鹿らしくなった。

自分を生きることにした。

死ぬまではやることにした。

 

是非は己で決めてくれ。

 

私は道を見つけるか、

さもなければ道を作るであろう。

Aut viam inveniam aut faciam.

 

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★ニートの自伝

 

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愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

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