ニートブログむらくもの野望

13歳で働いた元少年労働兵がアラサーニートで人生を生ききる為に『やれたらやる』ブログ。「もしかしたらこれやったら違う日になるかも」

デスペラード時代

【ニートの活力】ひとは生まれながらに楽しむことを欲する。

投稿日:2015年8月24日 更新日:

ニートの楽しみ方

無味無明の日々。「鬱」

 

鬱にも色々あるかも知れないが、
 
私が体験したものには「無」ということ。
 
絶望ももはや絶望とは認識しない無。

 
ただし「日々の嫌な忙しさに追われて死だけが救い」というようなものとはこの時期は違う。

※それもあったが

 
「辛いマラソンを一生続けなくてはならないならもうここでやめてしまおう」とする感覚とは違って、

 
ただ「無」

 

さらに自分の権利を制限して縛っているとやることはまったく無くなってくる。

まったく無くなると天井しかみることはない。

起きてもやりたくなることはない。

やれることもやりたいこともない。

 

それもそのはずで、

 

刺激を受けていないのだから。

 

面白いことに触れてはじめてやりたいことになるというのに。

つまりこの時期では必然的にやりたいことがなくなってしまう。

 

行動力も気力も減退しているからそれを見つけに行こうだなどとは到底思えない。

無気力のループである。

 

抜けだしたのは、

手を少し動かしてみただけだった。

足を一歩だけ動かしてみただけでよかった。

 
 

 

能動性を学べる『ゲーム』

 
 
それは本当に身近にあるものばかり。
 
 
ゲームやアニメやマンガや映画や本。
 
だれでも手に入るようになっている刺激。
 
まずはゲーム。
 
 
勿論ゲームも近くのゲオやTSUTAYAやブックオフに行けばすぐに手に入る。
 
中古なら千円から2千円、
 
数百円の名作もある。
 
Amazonからもすぐだ。
 
 
ゲームは他の刺激物の中でもとりわけ
 
能動性』がある。
 
 
つまり
 
自分から動いて何かしよう』
 
とすることだ。
 
 

特に目的に向かって能動的に動いていけるゲームの価値は唯一と言っていいかもしれない。

 

人生以外に。

 

(能動性というならネットや何かのものでもあることに最近気づいたが、私はそもそもネットをやらない人間だったから気付かなかったよ(∀▼*ゞ))

 

自分で何かを考えて、

その為にアクションしていき、

成果を手に入れるという行程。

 

それをよく叩きこむことが出来たと思う。

ゲームが持つ本来の楽しみ方が終わっても様々な楽しみ方を見つけてアクション出来るのもその一つ。

それらはフリー要素とかやりこみ要素とかいわれているもので、

私が言うRPGやシミュレーションゲームなどでよく頭を活性化してくれた。

 

考えて行動することの意味。

 

それにゲームも他のジャンルの刺激物と同じように様々な世界観や分野を題材としていていろんな体験ができる。

 

理想を言えるなら、

 

「どんなものでも自分がそれを勉強にする限り成長につながるはずだ。それが好きな事ならなおさらつづき吸収力も高いし、好きなものから得られることだからこそ素直に吸収する。」

 

いかめしい何かの参考書からしか成長がないというのはおかしい。

 

「動く」をテーマとしたこのサイトの最初の基本思想!(ニート戦記の雛形)

★【愚か者よ】ゲームをすることで人生を動かすという経験

「鬱患うよりはゲームでもして楽しんでたほうが良い」ということを言っている。ゲームの価値や不都合やゲームを通じて「動く」ことの意味を記した。いまこの場でこうしているのはゲームをしたから。良くも悪くも。

 

 

様々な刺激物。

哲学、啓発、考え方、思考力、感性、 世界観、「目指したいこと」「したいこと」が見つかる。

 

『漫画』

「ジョジョの奇妙な冒険」荒木飛呂彦

も数百円、中古ならもっと安く手に入る活力だ。漫画を描くにはその題材となる分野に多く精通してさらに勉強して、その作家さんが人生で得てきたこれまでの感性知慧をフル動員して描かれている。

 

『アニメ』

「地球へ…」竹宮恵子

も定期的にどこかの局で放送されるしレンタルしてみればだれでも簡単に観れる。アニメもマンガやゲーム同様に濃い世界が展開される刺激物で、なおかつ映像音声表現という、直感的な迫力となって、視覚聴覚や感性に直接響いてくる。

 

『映画』

万感の映像迫力が生む刺激。やはりこれも簡単に観られる。映像作品としてはアニメとどう違うのかはあまりわからないけれど。まだ映画系はあまり知らないから。

実写の迫力もVFXというCG技術でアニメととり扱える題材が被ってきてるからほんともうよくわからん。

「なんかちがう」でいいか。刺激になればなんでもいいのだし。実写の質感的リアリティ?ドラマなどはシリーズ物で長いよね。

 

 

思考と本質的な知識を学べる『読書』

もちろんのこと『本』も数百円等でブックオフやAmazonで手に入る。

読書に関しては「ニートのプライド-自律-」のページでも取り上げているほどライフワークだった。

 

全てを縛って今までの刺激のすべてを失った時に本をむりやり読むしかなかった。
 
たぶん、だから今生きてる。
 
それほどの価値がある。

 

今やインターネットで海のごとく情報があふれていてなんでも識れる時代とされている。 実際自分も現在多くのことを調べたり教えてもらっていて助かっている。

 

けれど本に敵わないのは「情報の濃さと量」だ。

 

※いちど手に触れると「1から10までの情報が記されている率が高い」のが本だねという意味

 

・単発ピンポイント情報=「ネット」

・体系的な情報=「本」

 

ネットの集合知は未だ100年も経っていない。

ネットの世界にも様々な意気込みで書かれた情報はあれど、

「情報の海」と称されるほとんどのものは単発なものばかり。

 

要約されているといえば聞こえはいいが、バズるという一過性の消費のためだけの派手なものばかり。 大変お世話になっている集合知「ウィキペディア(Wikipedeia)」も客観的概要のみ。

 

本の世界にはその人が一生をかけて著された物がある。

 

人生を捧げて、

ある物事を徹底的に研究し、

体系化し、

自分の考えと意思を伝え表現しようと、

一字一字刻み込んだ代物。

 

そんなものに触れると、いろんな見方ができるのだが、そんなことは全てその人がもうやっているのだ。

 

ああでもないこうでもないこうならそうでそうならああで、と。

その上で自分の生涯の情熱たる結論を堂々と主張するその熱さ。

正直もう何を言ってるのかすらどうでも良くなるような「考え」のマグマがそこには沸騰しているんだ。

 

一つの物事をできるだけ掘り下げて懸命に現そうと務めている。

 

だからそれにみちびかれてあらゆる考え方を知れるし、自分もそれについて考えてみる。その人の言っていることがどうであれ。

そこまでパワーの篭ったことなら取り敢えずは聞き入ってしまうから、自分の幼い考えや感情によって遮ってしまうこともない。

 

素直に当代一の研究者の考えや到達した結論を聞くことが出来る。

 

私がそうして見てきたほとんどの知慧は、ウィキペディアに載っていないものが殆どだった。プリンツ・オイゲンの項も相当に少ない。この人のことは本にも少ないが。あるにはある。

 

自分の好きな事ならなおさら今だに本は大事。

そうして知りたいことの最初を掴むにはウィキペディアは最良だけどね!

 

あれは良いです。

 

 

とにかく

「必然的に外の世界から議題を与えられて思慮する時間は刺激になる」

ということ。

 

 

とにかくなんでもいいから楽しんどこう。

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「何故?」
 
ではなくて
 
「単にそれが楽しいから」
 
で良い。
 
 
この時は。
 
 

目的意識を持ってやる気を出してからアクションする方が良い。

意味があると思ってやる方が良いとは言っているものの、

 

鬱や気力減退時にはそれらを探しに行こうとする気力さえないのだ。

 

それならそれでそのままでいいと思う。

しかしそれで10年も経ってしまうと一歩を踏み出すのすら億劫になってしまう。

「もう死ぬからいい」と考えるのであればソレはソレでもいいのだが、

実際そうならなかった場合にはこうなってしまう。

 

「何もしてこなかったし今現在も何もできないし何か目指そうにも何がしたいかもわからないし例え見つかったとしてももう遅いだろう」

 

階段で言えば一段すら登っていないかどうかの位置。

 

歳と共に登らなくてはいけない段のハードルは上がっていくというのに、 いつまでたっても一段すら登っていないのだから。

 

一段登るのなんて楽勝だからとしていると5段が必要になった時には5倍の気力を必要とするようになり一歩すらまともに動かせなくなる。

 

なぜならば、それこそ「意味があるのか?」となるから。

 

焼け石に水だろうと。

 

そうして目を背け続けた結果に最初の一歩から10段まで飛ばなければならないというような状況となってもまだ生きているということになる。

 

これは別にスキルや経験の話ほど大仰な話ではなく、

 

「気力」の話。

 

「気力があって頭が働いて事態を正常に認識できるだけの状態にあるかどうか。」

 

そうでなければ恐怖も感じることができないほどに、

いわば麻痺して、

それらのキケンや恐怖に対して考えたり対抗したりすることさえできなくなる。

 

自分の人生をすべて無視してしまう。

 

「鬱」とは一つにはそういうことだった。

気を失ってるのと殆ど変わらなかった。

 

うつの悪さ【デスステ鬱特急】そのままだとひきこもりニートは無気力鬱号でおさらば駅までまっしぐらだい。

うつの良さうつでもそうでなくとも必ず死ぬから「私は生きていた。」

 

 

どうせなら楽しんどこう。

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そんな論的理由もあれどやはり最も大きいのは「面白い」ということ。

 

人間は自分が知るかぎり

「不安の中では何をしても面白くない」

のだと思う。

 

気にかかることや嫌なことがこの先にあったり片付けなくてはならなかったりという中では、楽しめるはずの目の前の物事に集中できないから。

 

だから本当は自分が不安に思っていることに対して向き合って考えている方が良いんだ。

 

考えているだけでもね。

 

気構えはできるし、

なにか対策はないか、

対抗できないか、

うまいやり方はないかと戦える方が。

 

でも「鬱」ともなるとそんな気も起きない。

 

そもそも危機的意識も抱きにくい麻痺状態。

恐怖を感じれればいい方なんだ。

「将来の不安から気分がどんよりする」

というレベルを越えた鬱はそうだった。

 

全てが虚ろで、とにかく何も要らない。 何も要らないから何も求めない。 何も手に入らない。 何も楽しくない。 何も感情が動かない。

 

何も要らないのだから欲もなく何かをめざす道理が消えてしまう。

労役があるならすべて数㌧の重りになるだけだし、このまま何をやってどうにかなろうとも知ったことじゃあない。

だって何も要らないのだから。

 

希望がないってそういうこと。

 

見込みが無いとかじゃない。

求めることさえ無いってこと。

 

可能性ゼロとはこの事で、

目指し様もない。

だって何も要らないのだから。

すなわち生きる理由もなくなる。

それに比べたら「可能性(かぎりなく)ゼロの挑戦」は目指す余地があるだけ希望というものだ。

多分、好きな人が死んだらそれと近い気持ちになると思う。

もうその人には”絶対に”会えないと。

考え方しだい哲学しだいだけどね。贅沢だけどしょうがない。 やりたいことは刺激からしか生まれない。

 

 

だがなにが欲しいかは「何をみたかやったか」だ。

 

「プロ野球選手」を目指すのはプロ野球選手をみて「ああなりたい」と思うから。

「小説家」を目指すのも面白い小説を読んで自分も「そうなりたい」と思うから。

 

見たり

聞いたり

触れたり

思ったり

感じたり

考えたり

 

しないと何も続いていかないんだ。

 

そして、

 

「理由」なしにそれらの刺激を受ける手段がこの世にたったひとつだけ存在する。

 

理由なしに物事を始める方法。

 

たったひとつ。

 

 

「楽しい」

 

 

次第に不安を感じれるほどに気力回復してくればそれも大して楽しめないものになるだろうけれど、

 

それでもその中でおよそ人間的な活動はできるようになる。

 

工夫するだろうし

考えるだろうし

感じるだろうし

思うだろうし

 

そしてそれは必然的に。

 

 

さあ、

次項は最重要なページ。

 

→「ニートの恐怖」 

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★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしもこうだったなら?」ロールプレイング

 

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