ニートブログむらくもの野望

自殺帰還者がその後をニートで生きたひきこもり無職のお話日記的『やれたらやる』ブログ。その選択肢はもう知っているんだ。 その「なにもしない」という選択肢の結果は。 もちろん「なにも起きない」だった。

【人生でやりたいことxリストβ版】これから30になるけれど無気力無職ひきこもりニートのやりたいことってな~んだ?(とりあえず殴り書きの思想版)

      2017/01/29

20代の無職ひきこもりニートくんが人生でやりたいことってなーんだ?

20代おわりのニートがやりたいことってなーんだ?

やるだけやる。  
やれたらやる。  
   
自分だけの価値によって、『月に食い扶持が最低限稼げる2~3万円を稼ぐチカラ』があればなあ。  
自分だけの価値によって、最低生活費に加えて、『活動費として月に数万円稼げるチカラ』があればなあ。  
それだけあれば経済的に求めることはなく、それ以上には『数億単位のビジネス規模だけを考え』、ゲームとして楽しみ、地球市民世界市民としての価値に関わりたい。  
   
「無」から「有」を産み出せるように『始原的な価値を産み出せる』ようになりたい。  
『自分は知っているが、未だ世に知られていない面白いモノ』を知らしめたい。あるいは『その価値が伝わるように』したい。かつて自分に誰かがそうして手を引いて連れていってくれたように。  
『ニートやどこからでも成長が出来る』ということを証明したい。あるいは『それは目指すかどうかであり、また、目指せるのだ』ということを。そして『その方法を一例として示してみたい』。  
学校の勉強制度が、『成長や教育という点においてどれほど理にかなっていないのかを自分のもっとも影響された手段でもって』葬ってしまいたい。※これはゲーム感覚  
常に、生きている限り、『この世界で得た感動に対してだけは感謝し、恩義を忘れないで、還元や貢献を、少しは続けたい』わずかでもね。  
   
常に「価値」と「意義」を認められることだけをする。(アラサーになるこれからは)それ以外のことに、人(親など)から貰った「時間という財産」を絶対に使わない。なぜならば絶対に後悔するから。  
『やるべきことに一点集中する。』×『それを活かすために多様な物事に広く浅く関わる』  
もっとも尊重すべきは『経験』。  
いつかは絶対に死ぬことを忘れない。  
   
『全人類において自分にしか産み出せないことを目指して、生きて、果てる。』  
『人がやっていることは人に任せて感謝する。』   
『自分の人生を生きる。』  
たとえ自分が理解できない考えや価値や人にも、『自分と同じように考え同じように苦しみ同じように悩んでいる中で生まれたもの』という思いだけは致して最大限尊重し、絶対に否定しない。  
『自分が知らないことなどこの世にゴマンとあることを痛感する。』  
『人が生み出した成果には、たとえ自分がどんなに意義や価値を感じずとも、上記を思い出し、「なにかしら価値があるから認められているのだ」として、余計な嫉妬のエネルギーを使わない。』  
   
『中庸で生きる。』  
   
『“機能美”こそを尊ぶ。』  
『“孤高の強さ”を誇る。』  
『“自分の世界観”の中でこそ本気で生きる。』  
   
迷ったら「新しく」、「個性的」で、「面白いこと」を選ぶ。  

 

「やりたいことリスト」をこうして連ねてみるとまあ、

思想ばかり。

 

具体的な施策ではない。

「生き方」そのものが目標なのであるから。

 

 

こんなんじゃあ、

そりゃ「欲」も出てこないってもんだよ。

10代の頃。

 

とあるニートの欲求。

これじゃあ、あの環境でみんなと一緒に一緒のテンションで過ごせなくなっていたとしても全然不思議じゃないというのがさ、今更ながらに染みてわかると言うもんではないか。

 

なんか泣けてくる。

 

「よくぞあの場所から脱出したなッ!!!!」

 

って自分を抱きしめて褒めてやりたいくらいな気持ちが湧いて出てきますけどもね。

 

やっぱどう見てもそれぞれの生き方ってあるよ。

 

オレは別に17のときに死んでいたって「不幸」ではないんだから。すべてに納得がいっていたし、「欲しい物がないから嫌な仕事もしたくないし、だから死ぬだろうし、そしてそれでいい。」ってお話で完全にエンマ様との契約に合意しているわけであるからね。

 

だって最後に自分らしい生き方が出来たなら、それが短い時間でもそんなに問題なかったから。

 

どうせいつか死ぬのにそこまでしがみつく意味もわからんでしょ。信長だって天下統一できてないんだよ?あれだけの人物でも自分の目的を完全に達成なんか出来ないんだから。

 

この世はどうしようもないよまったく。執着したらさ。キリがない。

 

でも信長に後悔があったとは思えないし、ああいう生き方ややり方しかできなかっただろうし、先がわからない中で選んで進んでいった結果だからそれでダメならどうしようもないってことは自明なわけだから。運命が半分よ。

 

執着心(ハングリー精神)がないからダメなんだって言ってもさ、ないもんはないんだから仕方がないわけ。そしてそんなもんは「あ、ハングリー精神だそう」って出るもんじゃないし。それをやってみて、やり続けてみて、その価値に惚れ込んで、それでも、それでも、ってやがて生まれるもんだろうし。経験上。短い経験上だけど。

 

今はニートのひきこもり(社会的)無職で、

出来るだけ『何か目指していたい』×『価値あると思えることを成したい』ということで生きているのかな。

 

ニートな分の時間もあるし、慣れてくると段々と思考のパラダイムシフトが起こってきて、「いろんな生き方が有りだな」となってくる。と言うかならないと死ぬだけだからなる方が生産的である。

 

『仕事×ゲームのコンボ時代』は当初はバランスが取れていたけど、

結局ゲームのシゲキに飽いてしまったので(シゲキのみには)、

だんだん「これを繰り返すならもういいかな」となって、

ゲーム(権利)の価値が下がり、

相対的に仕事(義務)の重みが増して、

天秤が釣り合わなくなったのだ。

 

「ただ同じようなことを繰り返す」という生き方の人生はオレには不可能であることが証明された。

 

贅沢にもそうなのだから仕方がない。

だから今みたいに常に

 

「何かに向かっている×成長している×経験している×つながっている」

 

という伸展性のある人生の中にいることはもうすでにそれだけで満足感がある。

 

もちろんそれが達成されるという経験に飢えてはいるのだけど。

 

この経験したらめっちゃガッツポーズしまくって盛大に泣きたいと思っているよ。

 

 

世のスタンダードがそうであるからと言って、

自分が興味持てないことのために奴隷になることは出来ないのだ。

興味あることのためなら奴隷でもまあ別にいい。

 

 

だから「自分の生き方」って死ぬほど大事だと思うね。

 

ニートのひきこもり(社会的)無職でも。

 

どれだけ周りの目を気にして生きたって、

最後に死ぬって時にはだーれも見ちゃいないんだぜ。

 

始めっから自分の理想に邁進しておくほうがいいのではないか。

 

どうせいつか死ぬんだし。

そしてそれは明日かもしれんのだし。

 

具体的な目的はどうだ!?

思想はいいんだけど、

「まあそれじゃあ具体的にはどうなの?」

「なにをやれば達成されるの?」

ってな具合いにもなる。

なるよねうん。なるね。完全に。

 

まあ思想は思想であってそれ自体でもいいんやけれども、

それが実体を帯びて、

「この世に実現するところを見てみたい」

と言うようなキモチもあるわけよ。

 

そうならそれは科学になるし。

 

そうでなければ宗教だ。

 

「科学的に証明できないことを信じる行為(あるいは集団で)」が宗教だと思う私としてはさ。

別に宗教がイケないんじゃなくてさ、

 

ただこう、

「世界観や価値観をとびこえて人に伝わるもの」

って科学的なことだと思うわけなのだ。一つには。

「なんだかそれは凄そうだな」

っていう面白さがあるから、

 

まあ目指してみようかなって言うことである。

 

自分の心で信じるだけってのも価値はあるんだけどね。自分の内的な要因には。つまり自分の心の問題や、自分の精神状態や、人生の方針や哲学には。

 

でもそれはあくまで自分のみ。

 

自分も、今までいろんな面白いことやすごいことに影響されてきたと思ってる。

 

面白いゲーム、面白い漫画、面白いアニメ、面白い古典、面白い歴史小説…。

 

 

「それだけでも幸福であった。」

 

 

と思えるだけの経験を、

人にさせてもらってるわけだ。

 

とくに「歴史」にしたって(オレは歴史が好きです)、社会科の教科書に書いてあることなんかを見たってまったく興味なかったのが、

 

コーエーのゲームや、歴史小説によって、「歴史の魅力」ってのがわかるようになったんだ。

 

よく道化的なPRのされかたをして「そんなもんにすることない」とか「馬鹿に合わせる必要なんかなかったのに」なんて声が聞こえるし、オレもそう思ったときもあるが、実際自分も同じようなことを入り口として入ってるわけだったのだ。

 

 

『バカな自分にその魅力を伝わるようにして伝えてくれた人たち』

 

 

がいたおかげで、「この世でのやりがいや」「死んだとしてもいい経験したよな」って「いい思い出」を作ってくれたわけだ。

 

それはその人が自分の心で信じているだけではきっと伝わらなかったことだろうと思う

 

表して表現して証明してくれた歴史家

それを伝えてくれた作家

演出してくれた漫画家

体験させてくれたゲームクリエイター

 

だから自分も、出来ることならそう目指したいと思うのである。

 

今、

 

「自分の身の回りに勝手に置かれただけのものに興味を持てない絶望の世界」から、

救ってくれたのはいつだってそうしたものだった。

「手を引いて面白い方へ連れて行ってくれた」のはそうした人たちだったことをようやく思い出したんだ。

 

さいごまで具体的な話はでず。

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