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【敬意を払えッ!】考えすぎなエスパータイプでもゴキブリになりたいわけじゃないし。

投稿日:2017年6月28日 更新日:

©「テラフォーマーズ」作:貴家悠 画:橘賢一/集英社

 

『考え』が肥大して脚が動かなくなってしまうエスパータイプ。

 

「考え」「想像力」が図抜けているがために「最悪」を捉えるのも速く、そして足がすくんで動けなくなる。

 

良いことも悪いことも考えられるけど「悪いことに対しての対策がゼッタイ的なものでない以上は常にリスクが存在する」というセカイを生きている。

 

あったとしてもそれを理解できるだけの知性を納得させられる「非常な行動力と勇気」を必要とする限り、やはり動けなくなる。

 

これが我々エスパータイプの欠点だ。

 

考えすぎなヒト。内向的なヒト。自己内省的なヒト。思考型。妄想型。空想型。観察型。

あるいは躁鬱とか?メンヘラとか?

さながら「皮膚に覆われていない神経そのもの」みたいな感受性をもつ。

だからひとたび空気に触れれば激痛が走るくらいの精神的感度を持っている。

 

だが、

エスパータイプは生きづらいと言うし、

自分でも思うけど、

 

別にだからと言って、進化しない「GOKIBURI」になりたいというわけでもない。

 

「最も感じやすいものだけが、最も強くなれる。同時に、その心を固い甲羅で包んで守ってやらねばならない。それがしばしば重い荷物になるとしても。」

ゲーテ

 

「考えなしに行動できる」=「ゴキブリ的」

ゴキブリが出現したのは約3億年前の古生代石炭紀で、「生きている化石」ともいわれる。

~(略)~

古生代から絶滅せずに生き残ってきた事から「人類滅亡後はゴキブリが地球を支配する」と言われる程

~(略)~

「ゴキブリ」Wikipedia

 

「ゴキブリ」=「害虫」じゃあない。

 

ここで言うゴキブリ的とは害虫だとか汚らしいとかそういったマイナスイメージで用いるモノではない。

 

「たくましい生命力」と「活動力」のシンボル的な意味で使う。

 

だからゴキブリ的なヒトが害虫だとかそういうんじゃあないからよろしくお願いします。

 

生まれてこの方「何万年も姿形が変わらない」種族。

系統的遺存種

太古からその姿や特徴がほとんど変化せずに生き残っているもの。

例:シャミセンガイ・ゴキブリなど。

「生きている化石」Wikipedia

 

それがゴキブリ。なぜならば、その必要がないから。

 

変わる必要がない。その環境に対応する必要がない。だから特別に進化する必要もない。それがゴキブリ。それが「動ける」ということ。それが「活きる」ということ。

 

「そこでそのまま活動ができる」から「成長する必要もない」のだ。

 

だから無成長。

 

というと語弊があるけれど、大体の趣旨をいってしまえばそんなところ。いや成長はある。あるだろう。何かをやり続けていれば必ず成長はする。「そのライン上における進路」は進んでいくだろう。

 

だが少なくとも大きな変貌はない。

 

進化はない。

 

生物学的にそうであったように。

 

「ゴキブリ的な人たちは成長がない」と言っているのではない。特別に「次の世代にどうこう」というようなタイプではなくて、

 

「その時代時代を象徴し」

 

そして

 

「その時代から颯爽と去っていく」

 

そんな種族ってことさ。

 

オレが思うにはね。

 

 

「行動はできても考えない」から進化しない。

 

行動できるのは素晴らしい。

 

なんでも起こせるし。出来ないことをくよくよ悩むこともない。そうなる前に動いている。そして一喜一憂しながら人生を完全燃焼だ。

 

1世代ですべて完結する。

 

「猫」が生まれてからやることと言えば、

 

「生まれてきて」「そこら辺のものに一通りじゃれて」「食べて」「寝て」「繁殖して」「縄張り争いして」「食べて」「寝て」「繁殖して」「死ぬ」

 

 

キホンこれだけ。

 

これだけやれば「一生にやれることをすべてやった」ことになる。

 

ゴキブリを喩えにしといて猫を持ち出す半端っぷりだけれど、猫の生涯は何通りも目の前で見てきた経験から今回は猫にさせていただきたく。

 

でもまあゴキブリだって同じこと。

 

猫の先祖は「ミアキス」という種族だとは言うし、もともと砂漠地帯の生き物だったことからそれほど水分がいらないとかね。

「だから猫ってあまり水を飲まないんだなあ」みたいな「7へえ」くらいを獲得していましたけど。オレの中で。

だからサバンナのライオンだとかも「雨季までの数ヶ月間を獲物の血液程度で生きていける」ように進化してるとか。

 

猫だってこうして「適応して進化してる」というのに、ゴキブリは変わらず。

 

ゴキブリなんて太古の昔からまったく変わってないんだから、「それだけなにも考える必要がなかった」ということなんじゃないか。

 

なにも考える必要が無いほど、困ってることがない。

 

だから活動力100%

 

自身の行動を妨げることがない。ともいえる。本能のまま動ける。

 

そしてそれで困らない。

 

というか「それ以上」や「それ以外」のことを求めていないから。

 

「ナンパしたらチャラい」とか、「スベったら恥ずかしい」とか、「これをやって起こさなくてもいいことを自分の責任で引き起こしちゃったらと思うと怖い」とか、

 

まあ考えない。

 

考えたら「リスク」も理解できるから必ず止まる。

 

それが知性というものだから。止まらず動けるのは「なにも考えていない」何よりもの証。

いいすぎだろ。

 

とくに考えない理由「求めることがシンプル」

 

「バカだから考えない」のではない。

 

「求めていることがシンプル」だから、

 

「考えるより動いたほうが早い」ということを本能的に理解してるのだ。

 

※勿論これが知的生命体である以上、考えるし、思考するし、思い悩むことはあるだろう。だがそんな事をいっていたら「この複雑な人間の神秘」を解明することができなくなるので、分かりやすく「ゴキブリ的なヒトたち」という切り口にて、つまり単純化して整理しようというわけだからそこはお願いしますよまったく。

 

そしてそれは自然界はもとより、人間界ですらしばしば良い結果として実証されてきたから、やはり彼らはまたそうするのだ。「実践知」のごとく。

 

何か嫌なことを言われたとき、彼らはこう思うだろう。

 

「コイツ殴りてえ。」

 

そして殴っているのがヤンキー。

あるいは少し成長すると社会の法がわかるので「言い返す」ようになる。

 

「やられたらやり返す」

 

これしか求めていない。

だから殴るか言い返すかすればOK。

それ以外を求めてはない。

 

エスパータイプはさまざまなことを要求する。

 

考えるから。

そしてそれを肥大化させるから。

 

上手く言い返したい。

なおかつ相手に悪く思われたくない。

まわりにもいい顔してたい。

賞賛されたい。

法にできるだけ触れたくない。

マンガのキャラみたいに颯爽と决めてやりたい。

自分に対する反撃の手を全部封じておきたい。

そうなるとこう言ったらこう返されるし、じゃあこう言うか、待てよこうしようか、

いやそんなこと言ってる間に相手が殴りかかってきたら?

いや待てよ…

 

みたいなことを求める。

 

「求めるから」が先か「考えるから」が先か。

 

ということは分からないにせよ、だいたい比喩するとこんなところなのだ。というか比喩ではなく実態だけど。

 

このことは個々の性格において付け足されたり加わったりしていくね。完璧主義的な人ならより上手くやろうとすることを求めるし、協調的な人ならより人の共感を得られるような結果を求めるなど。

 

動けなくなるのは当たり前な話で。

 

これじゃあ。

だからこんな時、

ゴキブリ的なヒトたちはめっぽう強いし、

 

そして実社会や実生活においてはこんなシチュエーションしかないのだから。

 

ゴキブリが生きやすくなって当然。

 

 

でもそれが自分の求めることでないのなら。

 

やはりゴキブリにはなれない。

 

それでは「自分が求めること」は手に入らないし、求めてもいないから。と言う場合にはそうなる。

 

これは『試練』だ。『過去に打ち勝て』という試練とオレは受け取った。

ボス「ジョジョの奇妙な冒険」第5部“黄金の旋風”

 

自分の「このどうしようもない性質」は、

 

「自分自身の真実」に到達するために必要なものなのだ。

 

 

『敬意』を払えッ!!!!!

 

 

「考え」あって「行動」もできたら「デカいこと」が起こせる。

 

=人生楽しい。

 

結果がどうあれ、

「自分がやる気の上がることに向かっていって死にたい。」(※例えばこういう欲求がある)

という人生を求める以上、どうしても自分は自分で無くてはならないのだ。

 

そこら辺にあるものには飽きてしまうから。

 

「価値がない」とか言ってんじゃあない。いつだって「なんでもないようなことが幸せだったと思う」みたいな虎舞竜みたいなことなんだろう。

 

それはオレが21のときに抱いた「こうやってシャケ弁でも食って妹たちとゲームでもしながら過ごすのもいいのかもなあ」だなんて思った経験からもわかってるんだ。

 

でもさらに本当に良いのは「自分の心から望むことに生きる」って「時間」だと到達した。

 

すべての価値は「相対的なもの」で、「その時その時の状況状態で決まっていく」のだから、「どれが本当か? なんてない」のだと到達した。

 

「知った」とか「分かった」とかじゃなく「到達」した。

 

別に「正解」なんじゃない。「これが今の自分がそれに対してコストを支払っていけること」だと到達しただけ。だからさらに状況が変わったり人生が進むなりすれば動き様のあるモノゴトではある。

 

だが今はココにいる。

 

 

ローマは一日にして成らず。

 

 

「一世代で完結する存在には創れない」ことがあるのだ。

 

 

考えると止まる。

 

リスクがわかるから。怖いから。

 

「考える」ことと、「動く」ことは相反する。

 

それで止まらないのは、

さらなる知性でそれを上回って、

勇気とか気高いプライドだとかで奮い起こした感情によったときのみ。

 

すなわちそれが『英雄』とか呼ばれる。

 

「考えなし」では大きなことは出来ず、

「考えだけ」でも怖くて動けなくなる。

 

「思考」と「行動」あってこそ「現実」を「デカく動かせる」から。

 

英雄が異常者のこともある。命を鴻毛の軽きに比して、単なる命よりも活動のほうが大事だとか本能的に知っている「剛毅」というような性格。

 

でも大体は意外と怖がってる。

 

ドイツの礎を作ったフリードリヒ大王だって自殺薬を懐に忍ばせながら指揮を取ったし、家康も爪を噛みながらプレッシャーの中を戦っていた。

 

「知性」が連れていった場所にいた。

 

「考え」が「問題を解決する」という歴史的事実。

 

「風邪とはそういうものだ」

 

と片付けていればそれでいいのかもしれない。たしかに風邪すら治せず人は死んでいくけれど、とくに思い悩むことはない。「そういうものだ」として過ごせばいい。皆して。

 

だが治したいなら向き合って取り組んで行かないと。

すなわち考えて。

 

 

「考える」ということが

 

科学になり数学になり今の世界を作ってるわけだしね。

 

そして「問題を解決」してくれている。

 

 

考えた結果、

「答え」があったことは体系的にまとめられて学問になった。

答えがなかったものは宗教とか哲学になった。

 

「どっちが良いか」ではない。

 

その時々で「どっちにも助けられている」現状がある。「ゴキブリ的なライフスタイルの人達が生み出す成果」にも助けられ、「エスパー的な能力のヒトたちの成果」にも助けられているというだけで。

 

でもこの「考え」があったからこそ「文明」はつくられているわけだ。

 

ゴキブリだらけの世界だったらゲームもマンガもアニメも生まれてないんだぜ。

 

この点において、

「考える」ことと「動く」ことは相和する。

 

考えることで「動く理由」を見つけられたなら動けるから。

 

 

【結論】考えて動けるようになればいい。

 

高度の目標において、

考えなしの行動は結果を産まないのだから。

 

「自分たちは自分たちなりのやり方で動けばいい」というわけ。

「自分たちなりの特性を活かして動けばいい」というわけで。

 

そういう自己啓発セミナーでした。

 

別にゴキブリをdisってるんじゃないから。

 

「考えなし」「ああだこうだ汚いとか言われても活動しきって人生を謳歌して全うするゴキブリ的な人」なら

オレたちは「浮遊してるだけの素粒子みたいなチッポケさ」だからどっこいどっこいでしょ。

「 存在だけは認められているけど何かに利用しなきゃそれだけ」的な存在。

 

それも古代においての一般人には認知すらされてないんだから。「電気」すら。

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