ニートアカデミア(哲学)

好きなことがなければニートは生きられない件

 

逆に言えば好きなことさえあれば生きられる件。

 

うちのブログの理論ですけれど。

 

 

だって仕事はないから。

「ニートが仕事を考える闇シリーズ」も参照あれという勢いなわけですけれど、

 

ここには仕事はない。

 

「人の商売の手伝いをしてお給料をいただく」という世界ではない。

 

かといって、

 

「フリーランサーよろしく自分で稼ぐ」というほどのプロフェッショナブルもなかなか厳しい。

 

いや目指すのはいいけど、結果は出てしまうわけだから。

 

好きなことをやってマネタイズする世界。

「ニートが○○円でどれだけ生きられるのか?シリーズ」も参照あれという忙しなさなわけですけれど。

 

これは「商売」なんかの「ビジネス」ではないから稼げることはない。

「お小遣い」にしかならない。キホンは。

 

ここでいう商売やビジネスとは「人のため第一主義」をいう。

 

なぜならば「お金」とは「人が持っているもの」であり、「お金」とは「人の価値になること」だからだ。

 

ここでの定義や仮定として。

 

それは「ニートが稼げる最強の剣をつくるためのお金学シリーズ」も参照あれという際どさなわけですけれど。

 

 

「好きなこと」をただマネタイズする場合は「お小遣い」がせいぜい。

 

まあそんなもの。

 

上手いこと市場とマッチしてさらに運が良ければ芸能人的なスターとしてやっていけるだろうけど、

 

基本的にはそれはない。

 

それはハッキリと人の役に立つものでもないし、

だからお金になりにくいし、

 

 

とことんまで一極集中する世界だからトッププレイヤーしか稼げない。

1か100万かの世界。

 

 

「好きなことで生きていく」事はできても、

「好きなことで稼いでいく」ことは大勢はムリ。

多くの敗者の上になり立つ世界だから。

 

 

「価値が有ること」はいつの時代も希少なんだから。

 

 

だがお小遣い程度なら稼げる。

 

いや、稼ぎやすい。

 

デカイ市場は「1か100万か」なのだから、

1ではお小遣いにもなりゃしない。

 

いや、なっても「三日天下」だ。

 

デカイ話題を扱えばたしかに、例えばそれがブログビジネスであればPV(ページビュー)は稼げる。しかしそれは一過性のもので、

 

維持しようと思えば「常にマラソン」を強いられる。

 

デカイ市場ではこれを集団の組織で毎日やっている。

 

これが相手なのだから1にはならずとも10とかせいぜい100とか。数字でいえば感覚的にそんな所。感覚的にだけど。

 

それを1日15時間くらい費やして毎日マラソンしてそれなわけだ。

 

最初は良いように思えても、だんだん割りに合っていないことに気づくだろう。

 

「これなら企業奴隷の方がマシじゃないか」と。

 

まあそれがそうそう出来ないからネットでソロプレイしているわけなんだろうけどね。

でもさすがに疲れてくるわけよそれでは。

ニート生活ではやることがないことが嘆かれるが、

「動き続けていても疲れる」ってことを思い出すからね実際に動き続ければ。

 

 

好きなことはスキマ産業的にちょいちょいヒットする。

「企業戦士とフリーランスの収益的な違い」みたいな記事があるので参照あれという便利さなわけですけれど。

 

つまり「個」「小回りがきく」という話だった。

 

だからこそ、

 

その人の持つ特有の「好きなこと」は、

「誰かしらの細かいニーズに細かくマッチ」し、

「お小遣い」程度の「人の役に立つ価値」を生み出す。

 

みたいだねどうやら実績として。

 

だからつまり逆に言うと、デカイ市場を目指してしまうと大資本との激突になって「1か100万か」の世界に突入してしまうという理論。そして奮戦実って1とは言わず10や100になったとしてもそれは重労働のマラソンとなってしまう。そして疲れる。

 

これが「好きなこと(趣味でも良い)」をマネタイズした程度であれば、

 

・「それ自体が好きだから基本的にプラス」

・「マネタイズにかかる手間も今どきお手軽だからそこまで時間を取らない(広告を貼るだけなど)」

 

という人生の充実が得やすいという寸法。

 

時間もほどほど。

だから好きなことがデキる。

お小遣いも手に入る。

 

この「無限ループなニートスパイラル」

 

およそ珍しいが確かに存在する“ニートの悦のスパイラル”だ。

 

もちろん「Newニート論」にあるような「自足をしる」ニートのみが「生きられる」セカイ。

「やりがい」「お小遣い」があれば「人はよく生きて死ぬことがデキる」と言うのがこのブログのテーマである。

 

それが上手くいけばさらに先に進んで経験して死ぬだけだし、

上手くいかなければ経験をして死ぬだけ。

 

結局のところ「経験をして死ぬだけ」の人生で、

「何かをやれる」のだからこんなに素晴らしいことはないよね。

 

なにもできないより5千億倍はマシだ。

 

これがこのブログにおける「生きる」の定義。

 

 

オレたちの「時間」も「才能」も「全て有限」だからもったいない。

 

10とか100とかを目指すことに使うのは。

 

最初ならいいけどね。

すべてが貴重な体験で、

どうなってもあらゆる経験で、

スキルアップで、

キャリアアップになると思うから。

 

だがある程度、

自分の人生の展望が生まれてきたのならやっぱりソコに全力を投入していくべきだ。

後悔しないためにも。

 

 

自分がいちばん望む道をめざすべきだ。

 

 

それは同時に「自分が一番好きなことをしている時間」になる。

 

結局のところソレこそが人生で一番幸せなことだとオレは思うから。

 

 

最初は普通に働くほうが良いと思うけどね。

 

戦略方針としていろいろやったり、「まず資金調達してから」だなんて言う話はあたりまえに考えられて良いことで。

 

でもそんなのは「一番最初にチャレンジしてるべき」事案で。

ソレができなかった場合にここではネットビジネスを勧めるよ。

 

 

やっぱり普通に「人の商売を手伝ってお給料をもらう」方が「即金性」はあるから。

 

 

だから最初はそれをチャンレンジしてみるべき。

やってみたら意外とデキることもある。

 

問題はそれが破滅的にできない人間の場合。

つまりオレみたいな場合。

 

 

そうなってはじめて「ひきこもり徹底抗戦」の構えを見せよう!!

 

 

囚人がようやく手に入れた頼りないネジを尖らせて武器とするように、

無職囚人はそのわずかばかりの「好きなこと」をなんとか武器になるように仕上げて戦うしかないんだよ。

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

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なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

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「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

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