古代中華の流行職といえば、
食客。
※食客(しょっきゃく,しょっかく)…ものすごく簡単に言うと「居候」とか「古代のニート」たち。これまたものすごく簡単に言うと「いろんなことができるようになったし、さあなにやりましょうか」という時代に登場する「諸子百家」ブームによって、まだわけの分からない新スキルや職で食っていこうとする「ベンチャー起業家みたいな人たちの卵や、その成れの果て」だったりもする。
すなわち古代ニート。
それは人類が食糧確保を毎日しなくてもよい時代に「やることがなくなった余剰人員たちによるブランディング起業時代」の産物であったのかもしれない。
まあそこら辺の史観はさまざまあるとしまして。
つまり実はフリーターだったり起業家だったりマジにニートだったり家庭教師だったり客員教授だったりフリーランサーだったりさまざまでございました。
新スキルや新業というものはうまくいけば認められるけれど、そうでなければニートも同類。プータローも同類。という見なされ方をする「勝てば官軍負ければ賊軍」なる状況。
それは古代でもありました当たり前のように。
平原君、古代ニートたちを嘲笑う
戦国七雄「趙(ちょう)」の黄金時代。
学校の教科書でもみんなが習うと思われる中華の春秋・戦国時代では後期の戦国七雄が一国であり、みんな大好きヤングジャンプで連載中の大河サラリーマン漫画「キングダム」でも主人公たちの最大ライバル国としてご登場。あれは時期的には黄金期を少し過ぎた時期。
趙の黄金期とは!
カリスマや豪腕ではないが三国志の劉備の如き公明正大な明君「恵文王」をトップにし、
三大上卿(キングダムでいうところの三大天)である猛将「廉頗(れんぱ)」、
同じく、名外相といえる「藺相如(りんそうじょ)」、
同じく、地方の役人あがりの財務官僚だった昇り龍的名将「趙奢(ちょうしゃ)」、
そして王弟殿下である「平原君(へいげんくん)」というスタープレイヤー頻出による黄金の布陣。
そして中原の怪物「李牧」がドラフト入りします
王様の弟である「平原君」もこの時代における「戦国の四君」と呼ばれるほど名声を得た。
※戦国の四君…まあ高貴なる名家から出た有名な人を厳選してみた「4大トップセレブ」みたいな感じの称号かと
つまり優秀な王子=平原君
それだけ位もあって、評価もされて、優秀な彼に従う者は多いと推察されましょう。実力があるだけでなく地位も名声もあるとなれば信者が集まるレベルであると。
彼は言った。
「孟嘗君は愚かだ。あんな役に立たない者たちを囲っているなど。」
※現代訳=「くそ無職ニートなんて処分すればいいじゃんwwwwwww」
まだ続けます。
「孟嘗君は1を知って2を知らぬ。」
※現代訳=「孟嘗君乙wwwwwww」
彼のサロン内における発言であれば「そうだそうだ」とお追従が起きそうなものだが、彼の取り巻きはこう言った。
「おそれながら殿下、殿下は2を知って10を知りません。」
2を知って10を知りません。
いうねえ~
ゴッドファーザー「孟嘗君(もうしょうくん)」とは?
超大任侠にして超大物政治家。
つまり超大物ゴットファーザー的政治家として中華全土に名を馳せ、その名は中華の歴史を縱橫に轟いて歴史に刻まれる「戦国の四君・筆頭」格。
ワンピースの四皇でいえば白ひげ
キングダムでも「統率が取れなくて連合軍は難しい」的な描写があったと思うけど、この時代にそれを大成功させたのは楽毅と孟嘗君の二人のみというくらい超がつくほど人に慕われる大物。(さらにそのうちの1人楽毅も孟嘗君を慕ったし直接スカウトを受けた)それが孟嘗君であり、太公望が開きし超エリート国家「斉」の名家・田家からでた麒麟児こそ「田文(でんぶん)」なのでありますよろしくどうぞ。
中華で1,2を争うくらい好きやで
もちろん「斉」の宰相。
※天才軍師の代名詞的存在「太公望」がつくった「中華最強国」の「総理大臣」みたいなやつ。キングダムなら李牧も趙国の宰相(さいしょう)。ちなみに楚なら令尹(れいいん)。秦なら丞相(じょうしょう)。三国志では秦の中華統一から流れているので丞相が一般になったが、もとの中華的呼び名は宰相。楚や秦は異民族国家なので名称が違うのだ。
彼は「ものっそい」食客ニートを抱えていることで有名だった。
というかその噂を聞きつけて色んな人が集まった。それは就職でもなんでもなくただ集まった。
「来ていい」っていうから。
まあ実際には自分たちのワザを売り込んできたり、あるいは起業に失敗してどうにもならなくなって転がり込んできたり、こっちから呼び寄せたり、ゲームの企画書をルーズリーフに書いて送ってきたやつを採用したりという感じで。
※諸説あります
平原君の取り巻きたちはなんで「おこ」なのか?
「2を知って10を知りません」
おこなの?みたいな喰いかかり様。
「孟嘗君のもとにいる食客たちは常に彼を助けております。彼が遠地で幽閉されたときも彼のためにこれを助け出しております。彼によって救われた無産者たちがどうして彼のために働かないということがあるでしょうか?」
(´∀`平:)
「確かにわたしは2を知って10を知らぬ。」
※現代訳=「おっふ」
ただのお追従に終わらない取り巻き達の若干ウザいくらいに熱量こもる高潔さもさることながら、それを気高く認めてしまう平原君のかっこよさ。
これが古代中華史の魅力なのである。
テストにはでません
平原君、古代ニートを飼ってみることにした
孟嘗君をマネてとりあえず食客たちを集めてみましたよと。
平原君はとにかく成長タイプというか、「良いな」と思ったことは試すタイプの珍しき蒼き血統。良家生まれには珍しい。
しかーーし!
そこは成長タイプのサガなのか、まだあまり趣旨を理解していないがゆえの事件が勃発します。
「笑いものにされた有志ニート激おこぷんぷん丸」の乱
そんな平原君の噂を聞きつけて各地から集ってくる玉石混交なる有志の古代ニートたち。
まあマジで使えない人もいるだろうけどそこは集めてみないことにはわかりませんということで。
そこにある男がやってきました。
脚が悪い男のようで癖のある歩き方をしています。
それを!
平原君の豊満なるプレイガールたち※はバカにしてしまうのでした。
※妾/めかけ…豊満かどうかは個人差
今でいえばそれをスマホ撮影して「チョーうけんだけどキモすぎww」などとツイッターにあげるという肖像権も基本的人権も無視した行為に連鎖していこうかというやつであります。
そこで!
笑われた男は怒り心頭なのか、それとも中華全土の有志の名誉のためにか、平原君に直談判。
「あの女の首をください。」
「あの女の首をください。」
おこすぎ
人がどんどん去っていくように
平原君はこの男の訴えを体よく受けたものの、流した。
たしかにいくら食客たちが有用かもしれないとか、社会保障的ボランティア活動の一環であろうとも、
こちとら一国の王子である。
なんでそんな強気の訴えを聞いてやらなくちゃいけないのか。むしろ不敬罪でこいつのクビを即刻ピンはねしても良いくらいなのである。
しかし!
これによって有志たちは集まらなくなってしまいました。
なぜならば、
平原君の声望を慕って中華全土の各地からはるばる命を捧げにやってきたというのに、その妾に笑われてそれを咎めもしないヤツだったなんて。そんなヤツのためには必死になれないし、死ねないから。
なかにはやはりタダ飯喰らいに来ただけのやつも居るだろうしおんぶに抱っこしに来たのも居るだろうけれど、
人生賭けに来たやつもいるし、
この時代で人生懸けるといったら戦場で命も名誉も全てを懸けて戦うという意味がもっぱらなのだ。
孟嘗君が食客を集める意図はべつとしても、
平原君がほしいと思ったのはまさにそんな人材のはずであり、
それがいなくなってしまっちゃ意味のない話。
平原君はその妾の首をもって男に渡した。
言っても戦国時代ですから
2を知って10を知らないひとたち
ニートや敗者が世界のバランサーであるということを。
今日は平原君のおもしろさを話たかっただけ
平原君の成長ぶり
このお話にはいろんな経験知が詰まっていると思われるから、人によって受け取り方は違うよね。
今の時代にこんな強気に下から要求なんかしたってダメやなあとか、こんなノリを大企業様にぶつけても無視されるだけだしさ。
と言うかそんなの平原君レベルの漢にしか評価されないよ。
大体は怒られておわりやで。
まあ平原君はこうして成長していくんだけど、
この調子でまたやらかして趙三大天の一角を担う「趙奢」を発掘したり、
この時代の名俳優というくらいに愛されし役者さん。
趙奢は地方の役人で、平原君の部下を裁いて処刑してしまうんだけど、この時代では王族の一存で罪なんて赦免されるわけだから平原君としては「おこ」なわけ。
「オレの部下をなに殺しとんねん!!!!!」となって当然の時代。
これだけ名声も実力もある人にしてはわりと安易に絡まれてる感あるけど。
しかし地方役人として精を出す趙奢は、
「いまの趙国は四方を敵に囲まれています。挙国一致で国難に当たらねばならない時に、範を示さねばならない殿下が法を無視してどうされるのですか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
という相手の怒りを上回るテンションで叱責するというキチガイぶりを発揮。
(´∀`平;)
「たしかにそうである。」
※現代訳…「おっふ」
成長型というかことなかれ主義なんじゃないかとの噂もあり
余談「三大天・趙奢」
趙三大天 VS 秦六将
その後、
趙奢は「骨のある男」とのうまい具合の評価が下ったのか宮仕えになって財務官を担当。
さらに趙国は秦国との戦争が勃発。「秦の電撃作戦(裏切りが速いことで有名な秦ならではの、同盟しておいて油断させておいてから奇襲)」でピンチになった都市(閼与/あつよ)を巡って戦略が割れる事態に直面。
大将軍である廉頗は「あの都市はもうダメだから防衛ラインをこの首都(邯鄲)まで下げて応戦する」という策を取る。
しかしどうしても見捨てられない恵文王は近くで仕事していた趙奢にかるく話を振ってみたところ
「いけますよ」
との返事が返り、武将たちには反対されるもどうしても奇跡を信じてみたかった王様によって急遽として将軍に抜擢。
秦六将・「胡傷」率いる侵攻軍をみごとに撃退して見せた。
これを閼与の戦いという。そして趙奢は国内に二人しかいない上卿の位に上って趙の歴史上類を見ない三人の上卿が並び立つという黄金時代に突入したのだった。
ちなみに敗けた胡傷は「逃げ帰ると一族郎党皆殺し」という秦の連座制のために姿を消して逃亡した。
※多分そうだったとおもう
※連座制は異常と思われるが、秦はもともと結束が弱くてどうにもならない時期があったから秦黄金時代の幕を開けさせた名宰相・商鞅によってとりあえず用いられた。秦六将期にはそれが相乗して異常な強さをうみだしたのかもしれないけど、普通にいったらやり過ぎだよねローマとは正反対。